cafe de sou-ryu

ほっと一息
ちょっと休憩しませんか?

お知らせ

2011年12月20日 09時40分11秒 | I think so …



ご無沙汰しております、宗流です。

みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?


さてこの度、少々思うところあって、ブログを移りました。

とはいえ、このgooはしばし長期休暇とさせて頂きますので

更新は止まりますがこちらにもまた時々、ちらっと覗きに来て下さいね♪


お世話になって、仲良くして頂いていたお友達の方々に

本来ならちゃんと個別にご連絡を差し上げるのが筋ですが

不義理を致します事をどうぞお許し下さい。

心より深くお詫び申し上げます。

どうぞよろしければ、また新しいブログへもお立ち寄り下さいね。

みなさまのご健康を願いつつ…

それでは、

See you again !!




宗流

月光の聖者達

2011年10月09日 22時28分17秒 | I think so …

こんばんは。
三連休の中日、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?
気候のよい時期ですもの、今日はお出かけの方も多くいらしたのかしら。
今日もお仕事の方、本日もお疲れ様でした。
お休みの方も、明日のお休みもよい一日となりますように!


最近表を歩くと、金木犀の香りが漂よう時期になりました。
穏やかな金色の陽の光が何よりも似合う芳香。
紅葉のように鮮やかな彩りを見せる事も無く
その姿は目にこそ華やかな印象を与えないけれど
ひっそりと花開く事で、いち早く秋の到来を告げる。
私はこの花が香る時期が、一年の中で一番好きです。


さてさて。本日のお話は、前回に引き続きあまり
テンションの高いお話ではありません。
ですから、そうしたお話が苦手だと仰る方は
どうぞスル―してやって下さいね。
本日のお話は、私にとっての備忘録のようなものです。


突然で、なおかつ不謹慎なお話かもしれませんが、
みなさまは大切な方の最期が近いかもしれないとしたら
どんな風にそれまでの日々を過ごされますか?


私は今日、一人の女性と会ってきました。
彼女は、私の大切な人たちの中でもとても近しい間柄で、
いつもいつも、私の事を温かく見守ってくれる女性です。
いつものように、私はささやかなお茶菓子を持って彼女の許へ訪れ
他愛のない世間話を楽しんでいました。


その時ふと、彼女はお茶を飲む手を止め、私もよく知った一人の男性の話を始めました。
男性は数年前にガンを患い、入退院を繰り返しておられます。
その男性とここしばらく連絡が取れずに、彼女は不安だと言葉を洩らしたのです。
私と彼とは仕事を介しての付き合いが数年あったのですが、
最近はほとんど会う事はないものの、彼女を介してその男性の近況を知ったり
お互いの仕事の様子を聞いたりする仲で、その関係性が断たれる事はありませんでした。
ですから、たとえ縁は薄くとも、その病状を知る私も気がかりではあったのです。
一方、彼女はその男性と共に二人で仕事をし、公私とも辛い時はお互いを励まし支え合い
長年とても強い信頼関係を築いてきました。
それは、肉親や同僚とはまた違う種類の信頼関係なのかもしれません。
だからこそ、彼女の言葉は人の口の端に上る噂話の類とは全く違い、
そこに体温や息づきさえも感じるほどのリアルなものに思えたのです。


私は出来るだけ深刻な様子を纏わないような言葉を選ぶ事しかできませんでした。
もちろん色んな事を尋ねたり、容体を慮る言葉をかける事はできたでしょう。
そして、彼女を思いやるような種類の言葉も。
でも、どんな言葉の重さも紙一枚の重さよりも軽く思えてなりませんでした。
彼女はちょっと彼に対して怒ったように、そして同時にどこか遠くを見るような表情で
自らが零した言葉を拾い集めるようにして、その話を閉じかけました。


その時、彼女の携帯に一通のメールが届きました。
彼女はそれをしばらく見つめると、私に無言で手渡しました。
そこには、男性からしばらくの無沙汰を詫びる言葉とともに
彼女への心からの気遣いの言葉と、けして明るくない病状が手短に記されていました。

私の知る限りでは、いつも呑気で飄々とした様子でありながらも、
いざという時には、いかんなく男気を発揮する人、彼はそんな印象でした。
けれど、私は、初めてその男性の打つメールを目にして、
それは単なる一面に過ぎない事を知ったのです。
そして、その中のどんな詫びの言葉より、男性から彼女への「あなた」という呼称に、
深い思いを垣間見た気がしました。
親しみを込めた「お前」でも、彼女の名前でもないその三文字。
その文字はとても高潔に二人を繋いでいる、そんな風に感じたのです。


それきり、彼女は携帯を閉じると、その事に触れないまま
いつもの穏やかな微笑みを唇にたたえながら、何気ない話に終始していました。
私もそれから他愛のない話題に、幾つもの笑い話を交えつつ
自分の時間の許す限り、彼女の口元がほころぶ事を願い続けていました。
私より遥かに年上のその女性を、とても美しく感じながら…。


私は彼女に暇を告げ、自転車での帰り道、宵に漂う金木犀の香りの中で
ずっと以前、二人が働く事務所で些細な事で男性に食ってかかり
泣き喚く私の様子をじっと見つめていた彼に、なぜそんなに生き急ぐのか、
そんな風に静かに諭された事を思い出していました。
生き急ぐ、という意味を私は未だに実感なんてしていません。
けれど不覚にもその言葉を思い出すと涙がこぼれそうになり、
少し慌てて薄闇の空を見上げました。
そして、この日感じた香りは私の中で、
なかなか薄れる事はないだろうと感じました。



ミスタームーンライト




夜明けの首都高走りゆく 車列は異様なムードで
”月光の聖者達”のドラマを盛り上げる

知らずに済めばよかった 聴かずにおけばよかった
「人生(ショー)はまだ始まったばかりだ!!」 胸が張り裂けた

ひとりぼっちの狭いベッドで 夜毎涙に濡れたのは
古いラジオからの切ない”Yeah Yeah の歌”

今はこうして大人同士になって失くした夢もある
ときは移ろう このくにも変わったよ 知らぬ間に

二度とあの日の僕には戻れはしないけど
瞳を閉じりゃ煌めく季節に みんなが笑ってる

ひとりぼっちの狭いベッドで 夜毎涙に濡れたのは
ビルの屋上のステージで おおきな陽が燃え尽きるのを見た

いまがどんなにやるせなくても 明日は今日より素晴らしい
月はいざよう秋の空 ”月光の聖者達”
Come again,please

もう一度 抱きしめたい

騒がしいノスタルジア

2011年09月29日 02時33分46秒 | I think so …


こんばんは。
またもや随分更新期間が開いてしまいました^^;
みなさまお変わりなくお元気にお過ごしでしょうか?

私は相変わらずバタバタと毎日を過ごしております。
…まぁこれもホントに有難い事と言えば確かにそうなのですが
良いような悪いような…ビミョーな感が否めない宗流です。


さてさて。
うっかりしているうちに、いつの間にか9月も終わりに近づいてきました。
思わず、今年ももう余すところ若干100日足らず…と、
ついフライング気味に口走ってしまいそうです。
それにしても四季の変化って、年々早く感じちゃいます。。

私は一年の中で秋が一番好きなのですが、
その大好きな季節を、何故だか今年はやけに落ち着かない気持ちで迎えています。
降り注ぐ陽射しが淡い琥珀色を帯び始めた事に気付いたり
暮れゆく空の色にふと夜の長さを思ったりと、
季節の移ろいを目や肌で感じてはいるのですが
それがどうも不確かなものに感じてなりません。
挙動不審のアヤシサ加減は常からですが、それに加えて
このところはまるで、心ここに在らず、のような風情です。


こういう感覚は「郷愁」といえばいいのでしょうか。
でも、それは故郷に思いを馳せるといった意味合いとは少し異なります。
ノスタルジア、という言葉がもしかしたら一番近いかもしれませんね。
懐古や追憶。
そんな心持ちと似ているような気がします。

けして動きたくない訳じゃないのに、時間の早さに気持ちが上滑りして
無為に時を過ごしてしまう、最近そんな気がしてなりません。
自分ではそんな気持ちの起点がどこにあるのかちゃんと解っていて、
そこに固執してはいけないと警鐘を鳴らす私自身がいるのに
その音に耳を塞いでしまう。
何なんでしょうね…ある意味全く自虐的です(苦笑)
でも、みなさまも思いがけず何か一点に思いを巡らせる事ってありませんか?


けれど、人の感情というものはおかしなもので、
記憶の中にある「過去」の状況を反芻するだけではなく
「過去」に対して「現在」という別方向の時間帯が生まれているがために
「if:もし」という願望や希望に近い設定を置く事で、可逆性が成立してしまう。
ノスタルジアってそうしたものかしら、私は何となくそんな風に思います。
ifセンテンスは、会話の中では成り立つものであったとしても
過ぎた時間の中で、それを現実に再構築できるものではありません。
でも、そうであるが故に人は積み重なる記憶に対して
後からいろんな色合いを差す事ができるのかも。
そう思うと、もしかしたらいま私が固執しているであろう出来事に、
充分思い巡らせ終えた頃には、また新しい色が加わるのかもしれませんね。

良し悪しに関わらず、思い出を一つも持たずに生きてゆく事も
不意に何かを思い出すという行為を完全に放棄する事など誰にもできません。
だからこそ、人は時にノスタルジアの波に囚われてしまうのかもしれません。


…うーん。。何だか本日の宗流はちょっと女々しいですねぇ^^;
でも、仕方ありません。だって…女なんだもん!



本日は、月でも眺めながら追憶に耽るイメージの一曲を…。


「moon and sunrise」  song by BoA


boa live - moon and sunrise




それでは、明日も素敵な一日となりますように!!



宗流

la dolce vita

2011年08月28日 23時38分53秒 | I think so …

こんばんは。
みなさま8月最後の週末を有意義に過ごされましたか^^

…ブログをお休みして、あっという間に二ヶ月。
お休みの間にもコメントやメッセージ、メールを頂いて
ありがとうございます。この場をお借りし、心よりお礼申し上げます!
なかなかゆっくりとみなさまのところへもお伺いできず、
ご無沙汰ばかりしておりまして、申し訳ありません。

気がつけば始まりかけだった今年の夏も、もうそろそろ終わりです。
この夏は、みなさまにとってどんな思い出を残してくれたのでしょうか?
私はちょうどブログをお休みし始めた頃に、少し体調を崩していて
暑さの中、毎日会社へ行くだけで精一杯だったのですが、
徐々に気候にも慣れ、体調も回復してきました。
全くの健康体の時は、少々の疲れも気力でカバーするのが常だったのですが
多少の無理も健康であるからこそ。
いいお年頃になってようやくそれに気付いた宗流です。
もう9月の声を聞く頃になりましたが、まだ暑い日が続きます。
どうぞみなさまもくれぐれもお身体ご自愛下さいね。



さて。
実は宗流、この暑い最中に引っ越しをしてました。
ホントは来年の春頃に…と予定していたのですが、
ちょっと気が変わって、今年中に済ませてしまいました。

…生まれてこのかた、私は実家があるにもかかわらず
どうやら引っ越し癖があるのか、度々引っ越しを重ねています。
先日ふと数えてみると、今回で12ヶ所目のお引っ越し。(←重複箇所アリ)
大人になってからがほとんどで、大なり小なり理由があっての事ですが、
それでもまぁまぁの回数です^^;
う~ん。。ひょっとすると私がちょっとした貧乏なのも
この引っ越しのせいなのかも!(汗)
あ、でも借金を踏み倒すために…の理由はありませんよ。念のために。

今回はこの間まで住んでいた場所から自転車で15分くらい離れた地域。
通勤も自転車で行ける距離で、周囲は交通機関や商業施設も充実していて
なかなか住みやすそうな雰囲気です^^*
これからしばらくお世話になるこのお部屋。
狭いながらもここでどんな思い出ができるか、今から少し楽しみです。
そしてお料理のパセリなみに付け加えると…お世話係のHoneyも一緒です、ハイ。


ここのマンションの外観はお世辞にも立派とは言い難いものの、
お部屋の中は設備の総入れ替えをされたところなので、思いのほか快適~♪
相変わらず仕事やその他の雑務に追われている宗流ですが、
疲れて帰って来ても、お引っ越ししたんだという実感だけでほんの少し癒されます。

今日の午後はここに引っ越して来て約一ヶ月、初めてのんびりと過ごす事ができました。
少しボリュームを絞ったお気に入りの音楽を聴きながら
久しぶりに何をするでもなく、ゆっくりとリビングでコーヒーを啜っていると
日暮れ前の僅かな時間、窓から射し込む陽の色でお部屋の白いクロスに
穏やかな一筋の茜色が刷かれる事に、今日初めて気が付きました。
そして、ゆったりと立ち上るアロマスティックの無色の煙すら、
暮色の中で心なしか淡いオールドローズ色に染められている気がしました。
それを目にした時、私は何だか少し贅沢な心持ちになれました。

何気ないほんのささやかな光景ですが、こんな瞬間がこれから幾つも重なり
時にはそこに喜びの笑い声や、切ない溜息を混ぜ合わせながら
瞬間は日々という時間を織りなしてゆくのかな、今はそんな風に感じています。

何はともあれ、新しい生活時間はまだ始まったばかり。
時計の針のスピードを時には速く、時には遅々と感じながら
平凡でつましくとも、私達らしい暮らしが送れますように…と
静かに願っている宗流です。
Dolce vita となるか否か?
さてさて、これからどんな生活が待っているのでしょうね。



本日のDolce♪






お家の近くに、美味しいスイーツを置くお店があるというだけで
テンションが上がる宗流^^*
新居のそばにもありました!

今日は黒ゴマのパンナコッタ、白玉と黒蜜添え。
もともとpanna(生クリーム)をcotta(煮た)という語源を持つこの冷菓。
語源の通り、煮立てた生クリームをゼラチンで固めたシンプルなものなのですが
今回のパンナコッタは黒ゴマペースト入りです。
生クリーム風味が強く、少し黒ゴマの香りが弱いかなとも思いますが、
粒あんや白玉と一緒に冷やしミルクぜんざい風に…という
シチュエーションもアリな気がします。まさに伊+和のコラボ~!
本来は生クリームが主役のお菓子ですものね、
生クリーム風味の黒ゴマパンナコッタ、これはこれでとても美味しく頂きました。


ちなみに、今日のお話のタイトルの la dolce vita(甘い生活) は、
1960年のフェデリコ・フェリーニ監督、マルチェロ主演の映画です。
宗流、この映画結構好きなんです。
ストーリーとしてはアバンギャルド的というか退廃的というか何というか…
意義を見出すのが難解な気がするのですが、PV的な目で見ると楽しめる気がします。
私がまだ20歳になったばかりの頃、残念ながら今はもう営業していないお気に入りのカフェで
ごくごく音量を落としたこの映画を流していて、デートの会話もそっちのけで
ついつい見入ってしまった記憶があります。
それからこの映画が好きになったように思います。

それに、何となく音の響きが耳触り良いのもお気に入りの理由の一つでしょうか。
あんまり気に入っているので、HNを今の宗流にするか、Dolce vitaにするか、
ほんの少し迷っちゃったくらいです^^
…なので、ふらりと何かで書き込みをする際には、
こっそりとこれをHN代わりに使ったりしてます。ナイショ~


それでは、明日からの新しい一週間がみなさまにとって
素敵なDolce vitaとなりますように♪



宗流

ちいさな灯り

2011年04月03日 01時10分01秒 | I think so …

三月も終わり、昨日から四月。
この節目を早いと感じる方、遅く感じる方、
それぞれが様々な思いで感じておられているのだと思います。
この四月は、少しずつでも多くの方が
春の到来を喜べる事を願っています。



私はここしばらく、会社の展示会の準備で慌ただしい日を過ごしていました。
今日でようやく設営も終わり、月曜日の予備日に最終チェックを残すばかり。
来週からはこれまでとはまた違う忙しい日々が始まります。

こんな時期に、のんきに展示会でもないだろう、という意見も
もしかしたらあるかもしれませんね。
また実際に会を催した所で、現実的に商品が動く可能性もかなり低いでしょう。
けれど、私たちのように被害を受けていないモノづくりの現場では
真摯に前向きに精進する事しかありません。
少しでも経済を回し続ける事でささやかながら何らかの貢献ができれば…。
そして、やはりこうした状況下、仕事ができる事をまずは感謝しなくては!
そう思います。


私の携わっている和装業界でも、この震災で被害を受けられた
方は大勢いらっしゃるのだと思います。
繊維の材料となる麻や、からむし織を生産する福島県、
秋田八丈を生産する秋田市や北秋田市、
結城紬の茨城県や栃木県などなど
被災地の中には多くの和装関係の産地があります。
そしてそれらの製品の陰には、そこに携わる方々の生活があるのです。

生活必需品と違い、きものは一種の贅沢品です。
でも、そうしたきものを生産されている方々の全てが
贅沢な暮らし向きをされている訳ではありません。
昔ながらの工程や伝統を守り、細々ながらも続く生産家もあります。
そして私たちの和装小物業界も、その一部です。
呉服業界は現在、伝統工芸という名の斜陽産業であり、
いま私たちが頑張らなければ、その灯りはすぐに消えてしまいます。
だからこそ今回の展示会は、震災に遭わずにいた私たちにとっても
ある意味では正念場なのです。

もちろんどんな業界でも、同じ事が言えるのでしょう。
仕事が出来る状況に感謝すると共に、各業界の灯りを守る。
それがいま仕事が出来る者の使命なのかもしれません。



さて。本日はもうひとつ灯りのお話があります。
ごく個人的な事なのですが、私は子供の頃から甲状腺に疾患を持っています。
心臓や肝臓といった臓器と違い、甲状腺はあまり耳慣れないものですから、
もしかしたら今回の原発事故で、初めてその名前を耳にされた方もあるかもしれませんね。
甲状腺はちょうど喉仏のすぐ下辺りにある、ごく小さな器官なのですが
この小さな器官は、人が生きるための身体の代謝や成長のホルモンを分泌する、
とても大切なものなのです。

その甲状腺の疾患の一つに使われる薬を生産している、
日本でほぼ唯一の製薬会社が福島県いわき市にあるのですが、
その工場が今回の地震で被災し、震災直後から生産がストップしていました。
日本全国ではおよそ数十万人の人がこの薬を処方されており、
生産再開が解らないまま、国内の供給に不安を感じていましたが
先日の4/1にいわき工場の生産が段階的に再開された事、
また、あるジェネリック医薬品のドイツの本社から、
国内への輸入が開始され、4月上旬を目途に販売されるとの発表がありました。
ごく狭義的な事ではありますが、これも震災の中の小さな灯りなのかな…
そんな風に感じた宗流です。

あすか製薬株式会社



この震災で、さまざまな持病を持つ方にお薬が満足に手元に届かなかったり
必要な治療や看護が充分でない事が未だ多いのだと思います。
普段から滞りなく健康な日々を送れる私たちが想像するそうした不便は、
たとえ病の種類は違えど、健康に不安を抱える方々にとってみれば
離れた地のお話であっても、我が事のように心を痛められておられるのでしょう。
何かの痛みを知る人は、きっと人の痛みにも敏感ですもの。
そうした全ての方に、一日も早く灯りが訪れる事を、心から願っています。



宗流





不断桜

2011年03月19日 18時15分10秒 | I think so …
本日の京都は、重い上着も要らないくらい
暖かく穏やかな陽射しが降り注いでいました。
この陽射しが、東北地方を始め震災に遭われた地域にも
降り注ぎますように。


今日は仕事の調べ物があって、京都の府立図書館へ行ってきました。
その途中で、こんなものを見つけました。












桜の花です。
でも、これは今年の染井吉野ではありません。
これは、不断桜という種類の桜です。
(AT 柳馬場×御池の西南角)


普段目にする桜の花は、4月頃に咲くのが一般的なのでしょうが
この桜は、12月の終わり頃から、春が訪れるまでの期間咲き続ける、
いわば冬の桜です。


底冷えが厳しい京都の冬。
一年で最も寒さの厳しいその時期に、可憐な花をつける桜。
その姿は、やがて訪れる春を待ち望みながら微笑んでいるようです。
淡い桜色は、自らのためというより色彩の乏しい街の中で
人の目や気持ちを癒すために花開いている、そんな風情でした。


寒さ厳しい日々にも、やがて必ず穏やかな春が訪れる。
ワタシハ、ソレヲシッテルヨ
花は優しくそう語っているのかもしれません。

いまはただ、心からその日を信じて…。





※ こちらにも、「不断」の思いが望まれます。
たとえほんの少しでも…そんな小さな気持ちが積み重なり
多くの笑顔の花を咲かせますように。

日本赤十字社  http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html




宗流

出来ないからこそ出来る事

2011年03月15日 23時46分12秒 | I think so …
改めまして東北地方太平洋沖地震で被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。


地震から5日目。
未だ報道では悲しい光景を目の当たりにする日々が続いています。
何の被害にも遭わずにいる私ですら心が痛くなるのですから
被害に遭われた方々の心情を思うと、言葉すら失くしてしまいそうです。

災害の最前線で、過酷な状況に直面されている方。
被災は免れたものの、生活の中で制限を余儀なくされている方。
日常生活にほぼ支障をきたさなかった方。
およそ3000kmの日本列島の中で、いまもそれぞれの環境の中で
人は震災後の様々な思いを抱えているのでしょう。

けれど、誰もが他人事ではありません。
多くの人が、誰かのために何かをしたい、
そう思いながら過ごしているのだと思います。

でも、残念ながら私たち関西の人間は、
関東地区の方々のように、節電や停電で協力する事もできず、
また現地に赴いて活動する事もできません。
それは、私を含めとても心苦しい現実です。

しかし、だからといって何もしないままでは始まりません。
目に見えて行動したり、地区的な協力はできなくても
出来る事はあるのではないでしょうか。

自分の身の丈に合った募金だってそう。
いまはまだ被災地に向けて個人で物資を送る事は難しい状況です。
輸送道路が復旧すれば、食糧や毛布も今以上に必要となるでしょうし、
保存日数は限られているものの、献血だってその一つです。
そして、これからの復興に向けてお金は絶対的に必要となります。
きっとみなさまも既にご協力されているとは思いますが、
お手持ちのTポイントカードや、Yahooのポイントなどの中で
使われていないポイントをお持ちの方はありませんか?
期限切れが近づいているポイントをお持ちの方はありませんか?
そうしたポイントを募金することも、協力の一環といえる気がします。


Tポイント緊急募金


Yahooボランティア



また、普段日常的に使っている携帯電話からでも、
小さな協力は可能です!

NTTドコモ

au・KDDI

ソフトバンクモバイル


そして、それらの金銭的な協力だけでなく
国内にいらっしゃる外国の方に対しての支援だって、
大切な協力の一つです。


NHK 16言語のオンデマンドラジオ放送



上に幾つかご紹介させて頂いたサイト以外にも
本当にたくさんのボランティアに関するサイトがあります。
たとえ実際に何らかの行動を起こせなくても、何も出来ない地域にいたとしても
私たちに出来る事は何かあるはずです。

実質的な行動支援もそう、金銭的な協力もそう、見知らぬ誰かのために祈る事もそう。
ある意味では、普段の日常生活を送る事もそうかもしれません。
これから冷え込むであろう経済を滞らせないよう
不必要な消費ではなく、必要限の消費を維持する事も大事なのかもしれませんもの。
また、不確かな噂に左右される事無く、正確な情報を冷静に判断し
落ち着いて行動する事も必要なのかもしれませんね。

自然の脅威の前、予測し難い事態の前では
人の力は悲しいくらい非力なものかもしれません。
けれど、何も出来ないからと諦める前に
出来る事を、出来る形で協力する、
無事である私たちが、諦めては何もならない。
楽観的だと笑われるかもしれない、でもそれでも構わない。
何事もなく無事でいられる自分が、重い現実に足をすくわれて
小さくささやかな協力すらできなくなるより余程いい。
恰好をつけるのではなく、心からそうありたいと思います。


多くの善意の気持ちが何かを変えますように。
復興の灯火に光あれ!



Tous pour un, un pour tous

one for all, all for one

一人は皆のために、皆は一人のために



宗流


ピアスと斎服

2011年03月06日 02時43分19秒 | I think so …
こんばんは♪
本日は今週最後の出勤で、通常のお仕事でした^^
今日は朝のうちはかなり冷え込んでいたのですが、
お昼ごはんを食べた後くらいから気温も急上昇。
もう眠たくって眠たくって。。ノウリツサガリッパナシ!!
スペインのシエスタを、我が社にも導入!
…と、いう案件を真剣に会議にかけたい宗流です。


さてさて。
唐突ですが、みなさまは神式の葬儀や法事に出席された事は
おありでしょうか?
袈裟衣をつけたお坊さんが読経される仏式のものに臨席する機会は
よくあるかもしれませんが、もしかしたら神式のものには馴染みが薄い方も
多くおありかもしれませんね^^
今日のお話は、先週の宗流の実家での出来事です。


先週の日曜日、宗流の実家で伯父の法事が執り行われました。
実家が神社の宗流、もちろんお坊さんがやってきてお経を読む、
なんて事はありません。
神職に就く者が祝詞(のりと)をあげて、玉串(榊の枝)を捧げる…
というスタイルで行われます。
私は今まで身内の葬儀を幾つか見てきたので、
もう何ら珍しい事もないはずなのですが、今回は特別な儀式。
今回の二十日祭(神式では「祭」といいます)で
神職の役目を務めたのは、宗流の二つ下の弟でした。


白い袍(ほう)に白袴、頭には烏帽子。
でも痩せた身体は恰幅が足りなくて、どうもあまり似合わない(笑)
あーだこーだと二人でぎゃーぎゃー言いつつも、
それでも何とか斎服を身にまとい、二十日際が始まりました。

ちなみに、イメージを膨らませてもらうとすると…
弟は宗流と全く似てなくて、見た目はロンブーの淳くんに似ています。
また全くの余談情報として、宗流はカリメロの彼女(黄色いひよこ)に
似ているらしいです。二人で歩いている所を知人に目撃された時も
弟と信じて貰えず、新しい彼氏だと随分長い間思いこまれてましたね。。
それでは、想像してみて下さい。その淳くんが白い装束に身を包み
神妙な面持ちで祝詞をあげているところを…まぁだいたいそんな感じです。


ところが。

掛けまくも畏き(かけまくもかしこき)…
私はその声を聞いていると、何だか不思議な感覚にとらわれました。
祓詞(はらえことば)をそらんじ、祝詞をあげる弟。
それは、普段私がよく知る弟とは違う姿のように目に映りました。
働き始めてすぐに実家を出た私は、度々顔は合わすものの
弟の事は何となくその当時からずっとあまり変わらないものだと
思い込んでいたのかもしれません。
パンク・ロック少年で、洋服や靴の収集に夢中だった弟。
飄々と冗談を言って、私を笑い転げさせていた弟。
ですが、目の前でうやうやしく祭壇に頭を垂れて祈る姿は、
我が弟でありながら、見知らぬ人物のようでした。


伯父の葬祭の中でしたが、私は父の葬儀を思い出していました。
私の実家は神社ではあるのですが、少しややこしい事情があって、
父の時は仏式のお葬式でした。
父が亡くなった時、弟はまだ学生でしたが、母の負担を気遣ってか
葬儀の喪主を務め、その時の挨拶で嗚咽で声にならない声で
参列いただいた方々に感謝の意を述べていた姿がふと浮かび、
そして、あの頃からゆうに十年以上経ったんだ…と改めて思いました。

何となく、私の中でまだ弟はずっとヘナチョコの子供のままだったのに、
ものすごい勢いで時計の針が現在の時間に合わされたような感覚で
短い一瞬の間に、何年もの時間を過ごしたような気分になりましたね。
弟も、あの頃はまだまだ頼りなさ過ぎて、自分の将来の絵すら描けず
彼はこれからどんな大人になるんだろうと、少し心配になりましたが
遅まきながら今は目標のために、数年前から医療関係の国家資格を
取得するべく学校へ通い直してます。
当時、葬儀で涙する弟を陰から見たであろう父親も、
今の弟の姿を空から見てたら、少しくらいは安心するかしら?
私は祝詞の声を聞きながら、そんな事を考えていました。


滞りなく祭事も無事終わり、あっという間に後片付けを終え、
お茶をする頃には弟も装束を着替え、普段のジーンズ姿。
私が話をする横で、弟はコーヒーを飲みながらポケットからピアスを取り出し、
左の耳に開けた5つのピアスホールに一つずつ丁寧に付け始めます。

…弟には言わなかったけど、私、ずっと妙な感じがしてたっけ。
彼の被る烏帽子の耳許。いつもあるはずのリングピアスがないと
何だか弟の耳じゃないみたい。
よく見ないと解らない、小さなホールが幾つも開いた耳には
やっぱそれがないと、どこか間が抜けてるかも。
案外、烏帽子にピアスも似合うかもよ…なんてね。


最後のピアスがあるべき場所に収まった時。
それは何かの合図のように、長かった一日が終わり、
何の変哲もない日常が再び時を刻み始めた瞬間に思えた宗流でした。



宗流



魅力

2011年02月05日 00時42分23秒 | I think so …


こんばんは♪
本日の京都は昨日に引き続き、
寒さの和らいだ過ごしやすい一日でした^^
雪の大好きな宗流ですが、手袋の要らない暖かさっていいですね。
でも、このまま春まで一気にぽかぽか!…とは、いかないでしょうけどね。
明日も暖かな一日になるかしら?
この数週間、土曜日は決まって長時間のミーティングです。
暖かなのは嬉しいですが…あまり暖かいと、ついうとうとしそうで
若干危機を感じる宗流です^^;


さてさて。
突然ですが、みなさまのチャームポイントってどこでしょうか???
性格? ルックス? ポジション? 特殊技能?
ご自身で感じておられる魅力もあるでしょうし、
また自分では気づいていない魅力を隠し持っている場合や
パートナーから「ここが好き♪」と言われるところもあるのでしょうね^^*
今日はそんな「魅力」のお話です。


実は宗流には、今度生まれ変わったら結婚しよう!
と、なんちゃってプロポーズをする(?)男性がいます(笑)
もちろん、お互い現世では異性感全くナシの、同志のような存在ですけどね^^
しかし、その理由がどこか腑に落ちない。
その男性いわく、死ぬまで毎日笑って暮らせそうだから、だそうです^^;
…女性としての魅力はどこいった!? まずそこだろっ!?
と、若干思わなくもないのですが、まぁこれも一種の褒め言葉かと
ポジティブかつ呑気にとらえる宗流です。


でも、ふと自分自身に思いを巡らせてみると
自分のチャームポイントや魅力って何だろうなぁ?って考えます。
絶世の美女だったり、モデル顔負けのスタイルだったり、
頭脳明晰なキレ者だったり、目が覚めるような感性を持っていたり、
マザー・テレサのような慈愛の心を持っていたり…
…と、いうような事は1mmたりともありません。
願望だけは果てしなく高いのですが、
たいがい現実はそんなに甘くはありませんよね^^;


魅力って、何なんでしょうね。
何となくいい!そう言われると、それはそれで嬉しいのですが、
その何となく、を知りたい。そんな気がします。
人の姿はよく見渡せても、自分の背中が見えにくいのと同じで
案外自分自身の事、特に中身って解りづらいように思います。
いつもいつも、君のココが素晴らしい!ココが好き!
そんな風に褒めて貰いたいけれど、それも何か嘘くさい。
だったら自分で自分を褒めよう、そう思ってもイマイチどこか解らない。
私を含め、もしかしたらそんな人って多いかもしれませんね。



魅力発散スイッチ、があるといいのに。スキマスイッチカヨ!!
…いや、でも切るのを忘れてONにしっぱなしで、
ややこしい事になると困るなぁ。それもあればの仮定だし。。

または魅力の詰まったポケット持参とか。ドラエモンカヨ!!
…これもビミョーに取り出す頃合いを逃しそうだなぁ。
だいたい他力本願にも程があるし。。

自分の魅力を語ってくれる魔法の鏡とか。シラユキヒメカヨ!!
…そんなのあったら、鏡の前から離れなくなる自信アリだなぁ。
それに思いのほか鏡がダンマリだと悲しいし、割っちゃうかも。。

四六時中、アナタノココガステキ!っていうオウムを飼うとか。ムツゴロウサンカヨ!!
…いや、まずオウムにいちいち教えないといけないし。
そもそもそんなオウムは邪魔くさい事この上なし。。


難しいものですね、自分の魅力探しって。
でも、それが異性にとっての魅力であれ、人間にとっての魅力であれ、
案外それは自分の周りの人の中に隠されているのかも。
誰しも自分の周りにいる人に、何らかの魅力を感じるからこそ
行動を共にしたり、仲良くするものですものね^^
その正体は不確かなものであれ、何かを感じるからこそ保たれる縁。
人それぞれの魅力って、そんな風に結ばれた縁の数だけあるのかもしれません。

さて。みなさまにとっての「魅力」って、何でしょうか?



宗流


何を知る?

2011年01月04日 22時54分32秒 | I think so …
もう三が日も過ぎてしまいましたが…
あけましておめでとうございます!

遅ればせながら、本日より2011年のcafe de sou-ryu、スタートです♪
昨年はたくさんの方々に訪れて頂き、
また温かいお言葉を頂きまして、本当にありがとうございます^^
本年もどうぞよろしくお付き合い頂けますように。
そして、今年もみなさまに幸福の風が吹きますように…。


さてさて。
今日から仕事始めという方も多くいらしたのかもしれませんね。
宗流もその中の一人でした^^
あ~短かったお正月休み…
と、名残惜しく思いつつも、毎日が休日なんて訳にもいきませんものね。

今日はここ数年恒例の、「着物でお年始」
お正月らしく、宗流の着物姿で…と思いましたが
今回は本日の着物の柄だけご紹介です^^;
…はい、出し惜しみです♪ ナンチャッテ







この着物は宗流のお気に入りベスト3に入るものです^^
ごく薄いクリーム地に正統派古典柄の京友禅。
改まった訪問着や付け下げではなく、気軽な小紋ですが
お正月やお友達の結婚のお祝いパーティーなど、
嬉しい席に何度か登場したものです。
今日はこの着物でお年賀のお客様の接待でした♪

会社に着物で出勤するのは、お年始か展示会の時だけですが、
たまにこうした機会などで人前に出ると、背筋が伸びる心持になります。
堅苦しい、そんなイメージを抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが
やはり宗流は基本的に着物が好きなんでしょうね、
しゃきっと着付けが出来た時は、気持ちも引き締まります。
もしかしたら、宗流のちょっとした「勝負服」なのかしら^^

今年はできるだけこうした機会を増やしたいと思うのですが
さてさて、いかがなりますか。



そして二枚目の写真は、今年の抱負の言葉です♪









宗流の会社では、毎年社員がその年の抱負や目標を書いてきます。
これを一年間会社の奥の壁に貼ってあるのですが
最初の年はとても気恥ずかしかったのを憶えています。
でも、これももう五枚目になりました^^


今年の抱負は、「電撃入籍」にしようかとも思いましたが
達成できなかったら切ないので、考え直しました。


決定した抱負は「吾唯知足」 
これは、われただ足る事を知る、と読みます。
この語は解釈の仕方によって、捉え方も少し変わってくるのですが
「満足する事を知り、不満を抱かない」という意味や
「己の足りなさを知る」ともとられます。

二つはどちらも何かを「知る」という点には変わりないのですが、
それを足りると取るか、足らざると取るかの違いとも言えます。
私の今年の抱負は、その両方。
足りる事に感謝し、足らざるものを知る。そんなところでしょうか。

この言葉は釈迦の「遺教経」に記されたものなのですが、
もう一つ、京都にある龍安寺のつくばいにも記されているのは有名です。
よく文字を見て頂くと、吾唯知足の文字の中には、
どれにも「口」が使われているのが見られます。

(※龍安寺のつくばいには、中央に「口」を配し、その周囲に
五・隹・矢・疋という文字が書かれています)

単なる漢字遊びとも言えなくはありませんが、
こういうセンス、宗流は結構好きです♪
書かれてみると、な~んだという気にもなりますが
これをこういう配置にできる直感や発想は、欲しくてもなかなか手に入りません。
なので、私もこうしたセンスを少しでも身につけたいという気持ちもあり、
今年はこの文字を抱負としました。

昨年一年を通して見ると、「知る」という機会が少なからずあった気がします。
けれど、その「知る」という事が、物事の本質までをも知れたかというと
不明瞭な点も多かった気がします。
ですから、私自身の不確かな物の次のステップとして、
とも言えるのかもしれませんね。


…ところで…どうも焦って書いたのがよく解る文字です(汗)
バランス悪っ!!(笑)
けどお習字としてではなく、あくまでも「抱負宣言」です。
温かな目でスルーしてやって下さい。
本来なら、その年の抱負は元日の朝に心正して、というのが筋なのでしょうが
宗流、お正月は逃避行に出かけていて、書いたのは三日の夜でした^^;
まぁ出来はともかくとして、大事なのは抱負よ抱負。←イイワケデス

本年も頑張ってまいりましょうか~^^v



宗流