こんばんは♪
もうあと数十分で、11月も終わりですね。早いなぁ~。
…例年の事ながら、今年も1月が終わった頃から、
「今年も残すところあと300日少々…」と言ったりしてましたが
ホントにもう残すところもあと僅かになってしまいました^^
みなさまはこれまでの11ヶ月間はいかがでしたか?
今年はびっくりするような幸運に恵まれた方も、
残念ながら、これまでイマイチぱっとした出来事がなかった方も、
今年最後の1ヶ月に、素敵な出来事があるといいですね^^*
終わり良ければ全て良し。
12月もよい日々となりますように!
さて。
みなさまは、人に何か言いにくい事を伝える時、
すぱーんとストレートに伝えますか?
それとも極力遠まわしに伝えますか?
今日のお話は、タイトルをご覧になって、
お分かりになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
コジュート=小姑。
リアルでは弟も独身なので、まだ本物の小姑ではありませんが、
先日、ちょっとした小姑気分(?)を味わった宗流…。
今日のお話で、みなさまがドン引きになられない事を祈ります。。(汗)
女性の方は、お客様にお茶を出される機会って多いかもしれません。
私も会社にお客様が見えた時は、お茶をお出しする事があります。
そこで…先日あったお話です。
みなさまはお客様が見えた際、座布団をすすめる時の置き方って
気にされる方でしょうか?
宗流…実はとても気になります。
表裏はもちろん、前後を正さないと何だか落ち着きません。
お客様の方からそれを指摘された事はないのですが、
自分が気になるだけの事です。
言ってみれば、習慣のようになっている事なのかもしれませんね。
お茶の淹れ方一つにしてもそう。
それはかなり日常の事としてはどうでもいい事なんですが
やり方は人それぞれと思う一方で、お客様の前での人の所作を目にした時、
最低限の事に関しては少なからず気になってしまいます。
そして、それが人の所作であるがために指摘していいものかどうなのか、
とても迷ってしまいます。
こういうのを一般的には「余計なお世話」というのかもしれませんが^^;
座布団もお茶も、セッティングという結果だけを見たのなら
さほどどうという事もありません。
けれど宗流が気になるのは、接したお相手がそうした事に厳しいかどうか。
何も仰らないにしても、どこかで見てらっしゃるかも…という
瑣末な懸念があるからです。
でも、そんな取るに足りない事など、ただの杞憂なのでしょうかね。
宗流の実家は神社で、祭事などでお客様がとてもたくさん見える事もあります。
数十人分の座布団やお膳を並べたり、お茶やお酒を用意する機会も多いんですね。
ですから、私は子供の頃からよくその手伝いをしていました。
実家の母親は、普段はのんびりとして小言などまず言わないのですが、
お客様の座布団の並べ方、お茶やお菓子の出し方、生花の選び方などに関しては
細かに教え込まれた気がします。
いざ表でそうした場面になった時に困らないように…との事だったでしょうか。
実際にはそうした機会などそう度々はないのですが、
それでも大人になって助かったと思う事は、今思うと幾つかあったように思います。
そういった点では、私は母にひっそりと感謝しています。
けれど自分より年長の人に、目についたその中の基本的な事を伝えるとなると、
とてもやりにくいと感じてしまいます。
自分の方が会社では先輩とはいえ、それまでのその人のやり方もありますものね。
結果的に…最低限の事は伝えたものの、どこか自分で小姑の小言のような気がして
どうも数日後のいまも何となくいい気持がしません^^;
それに変化が見られない所をみると、そうした事は大した事ではないのかもしれません。
でも、それがまた余計な事を言っちゃったかな、と思わなくもないんですよね。
ションボリ…。
人をもてなすという気持ちは、何も高尚なものではないと私は思います。
ましてや形式だけを重んじる事に、気持ちがついてくるとも思いません。
でも、ほんの小さな気遣いがもてなしに繋がる事だってある気がします。
寒い季節、ほんのりと温もった湯呑で出されたあたたかいお茶や
暑い夏の日に涼しげな硝子の茶器で供された飲み物。
それらはたとえ上等のものでなくとも、気持ちがほっとします。
そしてお相手にそれを押しつけでなく、気取られないようにする事。
それが人をもてなすという事なのかな、そんな風に思います。
とはいえ…こんな事は、現代では必要のない古めかしいものなのかしらね。
宗流
もうあと数十分で、11月も終わりですね。早いなぁ~。
…例年の事ながら、今年も1月が終わった頃から、
「今年も残すところあと300日少々…」と言ったりしてましたが
ホントにもう残すところもあと僅かになってしまいました^^
みなさまはこれまでの11ヶ月間はいかがでしたか?
今年はびっくりするような幸運に恵まれた方も、
残念ながら、これまでイマイチぱっとした出来事がなかった方も、
今年最後の1ヶ月に、素敵な出来事があるといいですね^^*
終わり良ければ全て良し。
12月もよい日々となりますように!
さて。
みなさまは、人に何か言いにくい事を伝える時、
すぱーんとストレートに伝えますか?
それとも極力遠まわしに伝えますか?
今日のお話は、タイトルをご覧になって、
お分かりになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
コジュート=小姑。
リアルでは弟も独身なので、まだ本物の小姑ではありませんが、
先日、ちょっとした小姑気分(?)を味わった宗流…。
今日のお話で、みなさまがドン引きになられない事を祈ります。。(汗)
女性の方は、お客様にお茶を出される機会って多いかもしれません。
私も会社にお客様が見えた時は、お茶をお出しする事があります。
そこで…先日あったお話です。
みなさまはお客様が見えた際、座布団をすすめる時の置き方って
気にされる方でしょうか?
宗流…実はとても気になります。
表裏はもちろん、前後を正さないと何だか落ち着きません。
お客様の方からそれを指摘された事はないのですが、
自分が気になるだけの事です。
言ってみれば、習慣のようになっている事なのかもしれませんね。
お茶の淹れ方一つにしてもそう。
それはかなり日常の事としてはどうでもいい事なんですが
やり方は人それぞれと思う一方で、お客様の前での人の所作を目にした時、
最低限の事に関しては少なからず気になってしまいます。
そして、それが人の所作であるがために指摘していいものかどうなのか、
とても迷ってしまいます。
こういうのを一般的には「余計なお世話」というのかもしれませんが^^;
座布団もお茶も、セッティングという結果だけを見たのなら
さほどどうという事もありません。
けれど宗流が気になるのは、接したお相手がそうした事に厳しいかどうか。
何も仰らないにしても、どこかで見てらっしゃるかも…という
瑣末な懸念があるからです。
でも、そんな取るに足りない事など、ただの杞憂なのでしょうかね。
宗流の実家は神社で、祭事などでお客様がとてもたくさん見える事もあります。
数十人分の座布団やお膳を並べたり、お茶やお酒を用意する機会も多いんですね。
ですから、私は子供の頃からよくその手伝いをしていました。
実家の母親は、普段はのんびりとして小言などまず言わないのですが、
お客様の座布団の並べ方、お茶やお菓子の出し方、生花の選び方などに関しては
細かに教え込まれた気がします。
いざ表でそうした場面になった時に困らないように…との事だったでしょうか。
実際にはそうした機会などそう度々はないのですが、
それでも大人になって助かったと思う事は、今思うと幾つかあったように思います。
そういった点では、私は母にひっそりと感謝しています。
けれど自分より年長の人に、目についたその中の基本的な事を伝えるとなると、
とてもやりにくいと感じてしまいます。
自分の方が会社では先輩とはいえ、それまでのその人のやり方もありますものね。
結果的に…最低限の事は伝えたものの、どこか自分で小姑の小言のような気がして
どうも数日後のいまも何となくいい気持がしません^^;
それに変化が見られない所をみると、そうした事は大した事ではないのかもしれません。
でも、それがまた余計な事を言っちゃったかな、と思わなくもないんですよね。
ションボリ…。
人をもてなすという気持ちは、何も高尚なものではないと私は思います。
ましてや形式だけを重んじる事に、気持ちがついてくるとも思いません。
でも、ほんの小さな気遣いがもてなしに繋がる事だってある気がします。
寒い季節、ほんのりと温もった湯呑で出されたあたたかいお茶や
暑い夏の日に涼しげな硝子の茶器で供された飲み物。
それらはたとえ上等のものでなくとも、気持ちがほっとします。
そしてお相手にそれを押しつけでなく、気取られないようにする事。
それが人をもてなすという事なのかな、そんな風に思います。
とはいえ…こんな事は、現代では必要のない古めかしいものなのかしらね。
宗流