cafe de sou-ryu

ほっと一息
ちょっと休憩しませんか?

コジュート。

2010年11月30日 23時26分24秒 | I think so …
こんばんは♪
もうあと数十分で、11月も終わりですね。早いなぁ~。
…例年の事ながら、今年も1月が終わった頃から、
「今年も残すところあと300日少々…」と言ったりしてましたが
ホントにもう残すところもあと僅かになってしまいました^^
みなさまはこれまでの11ヶ月間はいかがでしたか?
今年はびっくりするような幸運に恵まれた方も、
残念ながら、これまでイマイチぱっとした出来事がなかった方も、
今年最後の1ヶ月に、素敵な出来事があるといいですね^^*
終わり良ければ全て良し。
12月もよい日々となりますように!


さて。
みなさまは、人に何か言いにくい事を伝える時、
すぱーんとストレートに伝えますか?
それとも極力遠まわしに伝えますか?
今日のお話は、タイトルをご覧になって、
お分かりになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
コジュート=小姑。
リアルでは弟も独身なので、まだ本物の小姑ではありませんが、
先日、ちょっとした小姑気分(?)を味わった宗流…。
今日のお話で、みなさまがドン引きになられない事を祈ります。。(汗)


女性の方は、お客様にお茶を出される機会って多いかもしれません。
私も会社にお客様が見えた時は、お茶をお出しする事があります。
そこで…先日あったお話です。

みなさまはお客様が見えた際、座布団をすすめる時の置き方って
気にされる方でしょうか?
宗流…実はとても気になります。
表裏はもちろん、前後を正さないと何だか落ち着きません。
お客様の方からそれを指摘された事はないのですが、
自分が気になるだけの事です。
言ってみれば、習慣のようになっている事なのかもしれませんね。
お茶の淹れ方一つにしてもそう。
それはかなり日常の事としてはどうでもいい事なんですが
やり方は人それぞれと思う一方で、お客様の前での人の所作を目にした時、
最低限の事に関しては少なからず気になってしまいます。
そして、それが人の所作であるがために指摘していいものかどうなのか、
とても迷ってしまいます。
こういうのを一般的には「余計なお世話」というのかもしれませんが^^;


座布団もお茶も、セッティングという結果だけを見たのなら
さほどどうという事もありません。
けれど宗流が気になるのは、接したお相手がそうした事に厳しいかどうか。
何も仰らないにしても、どこかで見てらっしゃるかも…という
瑣末な懸念があるからです。
でも、そんな取るに足りない事など、ただの杞憂なのでしょうかね。


宗流の実家は神社で、祭事などでお客様がとてもたくさん見える事もあります。
数十人分の座布団やお膳を並べたり、お茶やお酒を用意する機会も多いんですね。
ですから、私は子供の頃からよくその手伝いをしていました。
実家の母親は、普段はのんびりとして小言などまず言わないのですが、
お客様の座布団の並べ方、お茶やお菓子の出し方、生花の選び方などに関しては
細かに教え込まれた気がします。
いざ表でそうした場面になった時に困らないように…との事だったでしょうか。
実際にはそうした機会などそう度々はないのですが、
それでも大人になって助かったと思う事は、今思うと幾つかあったように思います。
そういった点では、私は母にひっそりと感謝しています。


けれど自分より年長の人に、目についたその中の基本的な事を伝えるとなると、
とてもやりにくいと感じてしまいます。
自分の方が会社では先輩とはいえ、それまでのその人のやり方もありますものね。
結果的に…最低限の事は伝えたものの、どこか自分で小姑の小言のような気がして
どうも数日後のいまも何となくいい気持がしません^^;
それに変化が見られない所をみると、そうした事は大した事ではないのかもしれません。
でも、それがまた余計な事を言っちゃったかな、と思わなくもないんですよね。
ションボリ…。


人をもてなすという気持ちは、何も高尚なものではないと私は思います。
ましてや形式だけを重んじる事に、気持ちがついてくるとも思いません。
でも、ほんの小さな気遣いがもてなしに繋がる事だってある気がします。
寒い季節、ほんのりと温もった湯呑で出されたあたたかいお茶や
暑い夏の日に涼しげな硝子の茶器で供された飲み物。
それらはたとえ上等のものでなくとも、気持ちがほっとします。
そしてお相手にそれを押しつけでなく、気取られないようにする事。
それが人をもてなすという事なのかな、そんな風に思います。

とはいえ…こんな事は、現代では必要のない古めかしいものなのかしらね。




宗流

Winter Love

2010年11月29日 01時44分45秒 | my favorite
こんばんは♪
もう週末のお休みも終わり。
あと数時間眠った後には、慌ただしい週明けの始まりです。

少し冷える京都の夜。
そんな今夜は冬らしい一曲を…。


[HQ] BoA - Winter Love



この曲、個人的にものすごく思い出がある一曲です。

一つの大切な繋がりが終わりを迎える瞬間は
桜舞散る穏やかな陽射しの頃でも、
眩しい太陽の光が降り注ぐ中でも、
秋風が頬を優しく撫でる季節であっても、
こころの中には雪が降るのかもしれません。

「過去」は「現在」を支える時間。
「現在」は「過去」を作るための時間。
この瞬間、過ぎ去る一秒一秒がまた私にとっての「過去」
ふと振り返ったその時に、時間の帯は見えなくても
確かに「過去」は「現在」と、「現在」は「未来」へと繋がっている。


明日の朝は、暖かいといいなぁ。
オヤスミナサイ



宗流

The best life

2010年11月16日 00時22分09秒 | cafe


こんばんは。
あーーーっという間に週末のお休みも明け、月曜日です^^;
(もう日付は火曜日かしら)
みなさま、今週のスタートはいかがでしたか?
こちら京都はイマイチお天気もすっきりせず、私自身も多忙なのか暇なのか
よく解りかねる、輪郭のぼんやりとした月曜日でした。
まぁ何はともあれ、今週も一週間頑張ってまいりましょう~!!


さてさて。
今週も始まったばかりですが、今日のお話は随分久々に映画のお話です。
といっても、今回は映画館でもDVDでもなく、地上波の映画のお話。
…そういえば、最近映画館に行ってないなぁ。。また行きたいなぁ。
みなさまは映画、お好きでしょうか?

夕べ、沸きに沸いたバレーボールの裏番組でひっそりと(?)放映されていた日曜洋画劇場、
「最高の人生の見つけ方」…ご覧になられた方いらっしゃるでしょうかね。
宗流、昨日はただ「モーガン・フリーマンが見たいっ!」というだけの理由で、
夜9時からおとなしくTVの前にお座りしていました^^


映画は、病に侵され人生の終焉を間近に控えた赤の他人の男性二人が、
やり残した夢を実現するため、共に様々な事にチャレンジした末、
やがてお互いにとっての最高の人生を見つける…というハートフル・ムービー。
この映画のタイトルは邦題ですが、原題は「bucket list」とついています。
これがこの映画の大事なテーマなのですが…さて、これってどんな意味でしょうね^^


この映画、見ていてホントに穏やかな気持ちになります。
もちろん、人の人生を描くものですから、ほろりと切なくなる場面もありますが、
モーガン・フリーマン演じる自動車整備工のカーター、
ジャック・ニコルソン演じる大富豪のエドワードの二人の掛け合いのテンポの良さ、
旺盛なチャレンジ精神、ユーモア溢れる会話には、つい微笑ましささえ覚えます。
そして、最後のシーンを見終わった後には、何かジグソーパズルの残り1ピースが
はまるべき場所にきっちりとはまったような気持ちになりました。
とはいえ、映画の感想はきっと人それぞれ。
私がモーガン・フリーマンに惹かれるように、誰がどんな箇所に惹かれるか、
また何をどう感じるかは、推測の域を脱しません。
宗流はレビューを書くのはとても苦手なので、もしご覧になってみたいと思われた方は
こちらをどうぞ♪→最高の人生の見つけ方



みなさまは、諦めた夢や、やりたくてもできなかった事ってありますか?
生活を築き守る事、いまの立場を守る事、色々な責任を果たす事…
それだって大変難しい事です。でも、そうしたものとはまた違う、
かつての夢や可能性をふと思い出す、そんな瞬間はあるように思います。


残念ながら…
誰しもが、自分の意のままに最高の人生を操れるとは限りません。
(もちろん努力や運といったものが大きく影響するのかもしれませんが)
やる事為す事が成功を収め、全ての人に好かれ、望むものを手に入れる。
それを最高の人生と位置づけるかどうかは人それぞれですが、
多くの場合は大なり小なり何かを諦め、それとはまた違う何かを得、
そして自分の持つ筆で人生に色を挿していく…
それは、色こそ違えど生きていく上で、誰もが無意識に体験している事なのでしょう。

もしかしたら諦めの存在しない人生なんて、何処にもないのかも。
私はそんな風にも思います。
けれど、それは失望という意味ではありません。
人生は、引き算から答えが出るものじゃない気がします。
失ったもの、手に入らないもの、それらを理想から引いたとしても
その事が必ず人生をマイナスに導くかと言えば、けしてそうばかりではない気もします。
また、不等号で人生の選択の重さをはかる事もできないのでしょう。
何かを諦める代わりに、他のものを得るという事はけして代替品ばかりではありませんもの。
強いて言えば、選択の方向が変わった事で、また違う幸せを得る、
結果として、そんな事だってないとはいえませんものね。


人は幸せになるために生まれてくるもの。
それは誰もが願い、またそうなるために生きるのかもしれません。
けれど、その幸せの価値観やかたちは、他人が決めるものではありません。
その完成形を味わうのは、もしかしたらその最中にある時ではなく
終焉の瞬間かもしれません。
でも、それを最後にじわりと咀嚼するためには、それまでの自分の軌跡があってこそ、なのかしら。

まだまだ人生の先なんてとても見えそうにないひよっこの宗流ですが、
何とはなしにそんな風に思います。


さてさて、みなさまにとっての「最高の人生」はどんなものでしょうか?



ちなみに、余談ですが…
どうも宗流は大好きなモーガン・フリーマンの映画を見ると、なぜかロン・ハワードのベースが
耳の奥で鳴り響きます。
それは、彼らのビジュアル、といったものではけしてないんですよね。
ただ好きなものが勝手にシャッフルされ、たまたまビンゴ!
と、なっただけなんでしょうけれど^^;



宗流

Missing

2010年11月08日 23時55分50秒 | cafe

こんばんは。
何だか不意に聴きたくなりました。


Missing / 久保田利伸




出会いが早ければ、この二人は幸せになれたのかしら…?
甘受するでも、抗うでもない微妙な距離感。
それもまた別の意味で幸せとよぶのかしら…?
そんな風に思うのは、私が大人になったからなのか、
それとも臆病になったせいなのか、一体、どちらなのかしらね。



宗流