こんにちは。
本日の京都はここしばらくの暖かい気候からやや一転。
晴れ&曇りのお天気ではありますが、少し肌寒い一日。
やはり春まだ遠し、といった所なのでしょうかね。
この所、宗流はまた少し仕事で忙しくしています。
みなさまの所へお邪魔する機会や、お話をさせて頂くのが
やや遠のきがちになっておりますが、また落ち付きましたら、
ゆっくりお邪魔させて頂きたいと思いますので、
どうぞよろしくお願い致します^^
さて。
ところでみなさまは、付箋紙ってよく使われるでしょうか?
必要な箇所に、目印として使う糊つきの小さな紙。
宗流にはデザインの参考や資料を作る際になくてはならない、
大事なアイテムの一つです。
今日のお話はこの「付箋紙」についてです。
先日、会社に私の仕事用の図案集を借りに、
仲良しの業者さんが見えた時の事。
その本に、一体いつ付けたのかも忘れてしまった付箋紙が
簾のようにぴらぴらとたくさん付いていました。
その箇所を見ると、その時の仕事の内容が思い出されます。
その時は、取引先さんの展示会の資料を作るためだったよう。
昨年の初めの頃だったでしょうか…。
仕事とはいえ、忘れていた記憶の糸が新たに繋がる一瞬です。
仕事を離れると、日常の生活の中では実際に付箋紙を使う
機会というものはほとんどありませんが、
それに代わる事柄って案外多いような気がします。
TVから聴こえる音楽、人がつけている香水、
車窓に流れる景色、自然を彩る雪や花の姿…
そうしたものに、埋もれていた記憶の一片が蘇る。
そんな経験を誰しもが味わっている事と思います。
ふと五感に感じた些事に、懐かしさや切なさ、
いろいろな感覚が蘇る瞬間。その時、記憶の中には
何かのポイントに、目に見えない付箋が貼られているのでしょうか。
そして、それはその物事の途中に付箋を貼られるのではなく
物事が過ぎ去り、「今」が「過去」に変わる瞬間に
それを忘れないよう無意識に貼るのでしょうか。
また一方で、貼られた付箋をはがす事で
記憶からそのポイントは消え去るのか…。
いずれもどうかは解らないのですが、思いがけないものから
思い出す出来事って多くあるように感じます。
もしかしたら…何でもない毎日の中にも
見えない付箋ってあちらこちらに貼られているのかも。
それをいつ思い出すか、気付かずに通り過ぎるかは解りません。
何気ない瞬間にふと気付く付箋の存在。
私たちの生活って、そんな付箋が多くなるたびに
年月が砂の山のように積み重なるのかもしれません。
時にその砂が山から少し崩れたり、
何かに蓋をするように叩いて固めたり…
そんな風に自分の生活の中で
砂山がどんな姿になるかは人それなのでしょうけれどね。
ちなみに。
ただいま仕事に追われ気味の宗流。
あまりに忙しいと、付箋を自分で貼ったにも関わらず
それが何を意味するのかを、すっかり忘れてしまう恐れアリ。
これでは何のための付箋やら…コマッタモンデス!!
明日からもう3月。
来月、来週も素敵な日々でありますように。
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp
本日の京都はここしばらくの暖かい気候からやや一転。
晴れ&曇りのお天気ではありますが、少し肌寒い一日。
やはり春まだ遠し、といった所なのでしょうかね。
この所、宗流はまた少し仕事で忙しくしています。
みなさまの所へお邪魔する機会や、お話をさせて頂くのが
やや遠のきがちになっておりますが、また落ち付きましたら、
ゆっくりお邪魔させて頂きたいと思いますので、
どうぞよろしくお願い致します^^
さて。
ところでみなさまは、付箋紙ってよく使われるでしょうか?
必要な箇所に、目印として使う糊つきの小さな紙。
宗流にはデザインの参考や資料を作る際になくてはならない、
大事なアイテムの一つです。
今日のお話はこの「付箋紙」についてです。
先日、会社に私の仕事用の図案集を借りに、
仲良しの業者さんが見えた時の事。
その本に、一体いつ付けたのかも忘れてしまった付箋紙が
簾のようにぴらぴらとたくさん付いていました。
その箇所を見ると、その時の仕事の内容が思い出されます。
その時は、取引先さんの展示会の資料を作るためだったよう。
昨年の初めの頃だったでしょうか…。
仕事とはいえ、忘れていた記憶の糸が新たに繋がる一瞬です。
仕事を離れると、日常の生活の中では実際に付箋紙を使う
機会というものはほとんどありませんが、
それに代わる事柄って案外多いような気がします。
TVから聴こえる音楽、人がつけている香水、
車窓に流れる景色、自然を彩る雪や花の姿…
そうしたものに、埋もれていた記憶の一片が蘇る。
そんな経験を誰しもが味わっている事と思います。
ふと五感に感じた些事に、懐かしさや切なさ、
いろいろな感覚が蘇る瞬間。その時、記憶の中には
何かのポイントに、目に見えない付箋が貼られているのでしょうか。
そして、それはその物事の途中に付箋を貼られるのではなく
物事が過ぎ去り、「今」が「過去」に変わる瞬間に
それを忘れないよう無意識に貼るのでしょうか。
また一方で、貼られた付箋をはがす事で
記憶からそのポイントは消え去るのか…。
いずれもどうかは解らないのですが、思いがけないものから
思い出す出来事って多くあるように感じます。
もしかしたら…何でもない毎日の中にも
見えない付箋ってあちらこちらに貼られているのかも。
それをいつ思い出すか、気付かずに通り過ぎるかは解りません。
何気ない瞬間にふと気付く付箋の存在。
私たちの生活って、そんな付箋が多くなるたびに
年月が砂の山のように積み重なるのかもしれません。
時にその砂が山から少し崩れたり、
何かに蓋をするように叩いて固めたり…
そんな風に自分の生活の中で
砂山がどんな姿になるかは人それなのでしょうけれどね。
ちなみに。
ただいま仕事に追われ気味の宗流。
あまりに忙しいと、付箋を自分で貼ったにも関わらず
それが何を意味するのかを、すっかり忘れてしまう恐れアリ。
これでは何のための付箋やら…コマッタモンデス!!
明日からもう3月。
来月、来週も素敵な日々でありますように。
宗流
和装小物 宗流
http://www.sou-ryu.jp