今年のお盆はコロナ禍で静かなものになってしまった。墓参しながらいろいろ亡き人たちを想うに両親や叔父の戦争の話を今でも思い出す。幼い自分たちに話してくれた。
叔父は海軍だったが攻撃を受けて遭難し南方の島にようやく数名たどり着いた。その後で米軍の捕虜になった。それから終戦を迎え復員するのであるが。その一連の話が子供心に大変興味深く面白かったのを覚えている。島の現地民との交流から、踊りを教えてもらったこと、捕虜になった時現地民に親切にしていたおかげで米軍にあまり厳しくされなかったこと、帰国する船の底でみんなガリガリに痩せて動けなかったが、上から「富士山が見えたぞ!」という声がして数人が嬉しくて甲板に上がっていったが、時は冬何人かはそこで力尽きて死んでしまったとか。叔父はかなり痩せていたらしいが富士山に別に興味はないので無理をして上がってはいかなかったと言っていた。叔父は話がとてもうまい人で常にユーモアがあった。語っていることは悲惨なことなのだが淡々と話していた。つまりリアルに体験している人は余計な脚色はしないのではないか。叔父は毎年の戦友会を楽しみにしていた。それはすべてを語らないでも分かり合える空間だったのだろう。これはのちに思ったのであるが「戦友会」というものは我々の「同窓会」の極限的なものなんだろう。
しかし叔父は子供たちに戦争の事を話すとき子供が興味のある部分だけしか語っていなかった。教え諭すようなことは何も言わなかった。だからこそ我々子供は素直に聞き入っていたんだろう。しかしそれだけにその向こう側にたくさんのものを抱えていたんだろうと今になって気付くのである。
戦後75年のコロナ禍で戦争の各資料館に出向くこともままならず、語り部も高齢者になっている昨今このようなことを考えている。戦争に限らず、リアルタイムで体験した世代は尊重すべきである。しかし経験者は未経験者にわかるような言葉で説明する努力をないといけない。そうすれば後になって分かってくれると思う。そして話にイデオロギーを混合しないことだね。イデオロギーや人の考えというものは時代時代で変わっていくものだから。