ゴッホの初期の作品に、「馬鈴薯を食べる人々」がある。
私は、ゴッホを把握するには、初期のこのような黒い絵も貴重な作品だと思う。
印象も強いので、一度見たときから忘れない作品になった。
しかし、最近見直したとき、あの筆の粗さは素人だなと思った。
きちんと学んだ画家なら、もっと丁寧に描くだろう。
だから、ゴッホが認められなかったことを気の毒だと思いつつ、それは仕方がないことだっただろうと思う。もし、あの絵がまだ誰も描いてない状態で、初めて県展に出されたら、審査員はどのように判断するだろうか。おそらく入選はしても特選にはならないのではないかと思う。
私がよく指導で話す、テーマと構図という点からみると、かなりのハイレベルである。
しかし、その部分の扱いは、あまりにも粗すぎる。
作品の評価が何によって決まるかという点を考えると、テーマと構図に重きを置くことは確かだが、シナリオが良いけれど、役者がいまいちというのは、良い映画になりきれないように、絵も描きこみがいまいちではいけない気がする。
ーーーーーーーーーーーー
まあ、私はゴッホが気の毒でならないという見方で見ているので、今まで一度も批判めいたことは言ったことがなかった。しかし、今回改めて、馬鈴薯を食べる人々を見直してみて、少しだけ、認めなかった人たちの気持ちがわかる気がした。
ーーーーーーーーーーーー
しかし、実際問題、ゴッホはやはり近所の人々からは、迷惑な人だったのかもしれないと思う。人の家の夕食時に食事のテーブルのある部屋に入り込んで、私に構わずお食事をしてくださいと言って、その場所で絵を描いたというのは、本当の話だろうか。
もし、そうなら、その状況を考えてみるといい。迷惑なのは明白である。
ゴッホの映画を見ても、ゴッホはほとんどの絵を現場で描いている。
精神病院にいたときの、星空を描いた絵などは、部屋で想像して描いたようなことが語られるが、それ以外は、その場で見て描いたものだろうと思われる。
だとしたら、やはり「馬鈴薯を食べる人々」は、現場で描いたのか。
ゴッホについて、考えてみたが、よくよく考えると、モネの印象日の出も、同じようなことが言える。当時のきちんとした絵から見たら、やはり、殴り書きの荒っぽい絵だと言われてもしかたがないのではないかと思う。
ただ、そういう作品が、美術史という観点からすると、とても意味のある存在であるのは確かだ。
私は、ゴッホを把握するには、初期のこのような黒い絵も貴重な作品だと思う。
印象も強いので、一度見たときから忘れない作品になった。
しかし、最近見直したとき、あの筆の粗さは素人だなと思った。
きちんと学んだ画家なら、もっと丁寧に描くだろう。
だから、ゴッホが認められなかったことを気の毒だと思いつつ、それは仕方がないことだっただろうと思う。もし、あの絵がまだ誰も描いてない状態で、初めて県展に出されたら、審査員はどのように判断するだろうか。おそらく入選はしても特選にはならないのではないかと思う。
私がよく指導で話す、テーマと構図という点からみると、かなりのハイレベルである。
しかし、その部分の扱いは、あまりにも粗すぎる。
作品の評価が何によって決まるかという点を考えると、テーマと構図に重きを置くことは確かだが、シナリオが良いけれど、役者がいまいちというのは、良い映画になりきれないように、絵も描きこみがいまいちではいけない気がする。
ーーーーーーーーーーーー
まあ、私はゴッホが気の毒でならないという見方で見ているので、今まで一度も批判めいたことは言ったことがなかった。しかし、今回改めて、馬鈴薯を食べる人々を見直してみて、少しだけ、認めなかった人たちの気持ちがわかる気がした。
ーーーーーーーーーーーー
しかし、実際問題、ゴッホはやはり近所の人々からは、迷惑な人だったのかもしれないと思う。人の家の夕食時に食事のテーブルのある部屋に入り込んで、私に構わずお食事をしてくださいと言って、その場所で絵を描いたというのは、本当の話だろうか。
もし、そうなら、その状況を考えてみるといい。迷惑なのは明白である。
ゴッホの映画を見ても、ゴッホはほとんどの絵を現場で描いている。
精神病院にいたときの、星空を描いた絵などは、部屋で想像して描いたようなことが語られるが、それ以外は、その場で見て描いたものだろうと思われる。
だとしたら、やはり「馬鈴薯を食べる人々」は、現場で描いたのか。
ゴッホについて、考えてみたが、よくよく考えると、モネの印象日の出も、同じようなことが言える。当時のきちんとした絵から見たら、やはり、殴り書きの荒っぽい絵だと言われてもしかたがないのではないかと思う。
ただ、そういう作品が、美術史という観点からすると、とても意味のある存在であるのは確かだ。
ゴッホって「アスペルガー症候群」という発達障害という説があります。簡単に言ってしまえば「対人障害」です。本人の性格ではなく生まれ持った脳機能の障害です。直りません。(心療内科で軽減することはできますが)「馬鈴薯を食べる人々」で人のうちに勝手にのりこんで描いてしまうところはアスペルガーですね。状況が読めない障害なんです。
アスペルガーの人はすべてが悪いわけではなく、ある部分には優れた力を発揮します。でも1960年くらい以降にわかったことなんで、ゴッホはすでになくなっています。アスペルガーの人は自分の対人面がうまくいかなったことを告知されてほっとしている人が多いです。発達障害があったこともわから
ずに37年間生きたゴッホはやっぱり気の毒です。
(授業では解説できる幅が広がりました。が、今年は知的学級中心なので言える機会がなく残念ですが・・・。)
精神病院に入っていたことは有名ですが、発達障害のことはあまり語られませんね。
ゴッホの生涯を読んでみると、確かにそのような感じがします。牧師さんになれなかったのも、その辺の生涯が影響しているかもしれません。いとこのケイへの恋も尋常ではないですからね。手を焼いている間だけでいいから会わせてほしいなどと、言って、蝋燭の炎の中へ手を突っ込みますね。そのような異常性は多かれ少なかれ、いろんな場面で出て来ますね。