どこの学校にも名物先生と言われる人がいるようですが、本庄高校の一番の名物先生は
体育のT先生でした。この先生は、本庄高校出身です。だから自分の母校で教員をやっているわけです。
バレー部の顧問でもありました。だからI君の顧問です。
見た目は、まるでやくざのようです。常に肩をいからせて歩く先生でした。
そして、学校の中の悪そうな連中でもこの先生の前だけは、小さくなっていました。
応援団の顧問もしていて、そのメンバーは結構危ない感じの生徒が多かったのですが、そのメンバーでさえ子分のようでした。
「俺はなあ、高校時代は体育の授業のときなんか、ほとんど独り舞台だった。サッカーをやれば、一人でボールを持って相手を全員抜いて、一人でシュート決めていたんだ。すごいだろ!」というような感じの話をしていました。
だから、お前たちなんか相手にならないというのです。
私は笑って聞いていましたが、確かに運動神経はいいんだろうなあと思いました。
ーーーーーーーーーー
あるとき、ソフトボールの試合が本庄高校で行われました。
私は、たぶん自習だったのだと思いますが、友達3人くらいで、サッカーボールで遊んでいました。
それは、ソフトボールの試合をしている外野でした。
まあ、これだけ離れていれば、邪魔にはならないだろうと思って、やっていました。
すると、そのやくざみたいなT先生が、授業を終えて通りかかりました。
そして、我々を見つけて、「おい、何をやってるんだ」と言いました。
いきなり、叱りつけるような言い方です。
私はやや興奮して、「ボールリフティングです」と答えました。
「そんなところで、やっていたら邪魔だろう」と先生は言いました。
その言い方と権幕が激しかったので、私も強く「邪魔していません」と答えました。
実は、これを言うのは、大変な勇気でした。そんなことをこの先生に向っていう生徒はいません。
みんなこの先生の前では小さくなっているのです。すぐに「はい、わかりました」というのが普通でした。
しかし、私はこの先生に一回逆らってみたかったのです。
みんなが小さくなってへいこらしているのが、見ていて嫌だったのです。
そうしたら、先生は「なにいーー」と言って、「ちょっと、こっちにこい」と言いました。
先生にしても、そんな生徒はいないだろうと思っていたのでしょう。俺に逆らうなんてと。
それで、呼びつけて「もう一度言ってみろ」と言いました。
私はやや震えながら、「じゃましてません」と言ったのです。
だから、大変です。
「このやろう、体育教官室へ来い」と言われました。
この先生は、殴ることで有名でした。私は覚悟を決めました。これは、やられるなと。
そして、体育教官室へ行きました。私は教官室の入口の前に立たされ、その先生から散々罵倒されました。
「ここは、本庄なんだよ、児玉の山じゃないんだ。ソフトの試合をやってるんだよ、あんなところでボール遊びなんかしていたら、迷惑なんだよ。第一、失礼だ。児玉の山なら地面が少ないから許されるかもしれないが、ここはそんな山じゃないんだよ」と。
穏やかに言えば、その通りなのかもしれません。しかし、その言い方がまるで凄みを利かせたやくざっぽい言い方なのです。
それで、言われて頭にきました。試合をしている審判でもじゃまだから退いてくれと言わないのに、なんで?とも思いましたし、
先生のその児玉を馬鹿にした言い方がまた気に食わなかったのです。
しかし、私はすごみに圧倒されて、言い返すことができませんでした。
ただ、納得がいかないので、はいとも言えず、不服そうな顔をしていました。
最後は、「わかりました、すみませんでした」と言わされました。そう言わないと終わりそうもなかったからです。
ただ、これで、T先生は児玉全員を敵に回したなと思いました。
ーーーーーーーー
私は同じ体育館で、練習をしています。バスケット部とバレー部だからです。だからその後もこの先生と常に顔を合わせました。
児玉のことまで話に出たのは、そこまで私を知っていたからです。
私は、I君たちバレー部の選手の前を通った時、「へへえ、怒られちゃったよ」と伝えました。そうしたら、その先生も近くにいたのです。
私が落ち込むことなく、そういう態度でいたので、先生は私に好感を持ったようです。
実は、後日談ですが、私の担任のK先生に「あいつは、いい奴だね」と言ったそうです。
自分が思ったことを思ったように、誰に対しても臆することなく言える勇気、まさか自分に対してあんな逆らい方をするなんてということなんでしょう。そして、怒られた後の態度も含めてです。落ち込むことなく、悪びれることなくという面を見ていたからです。
私はその後、その先生となかよくなります。
合宿の時このT先生は、合宿所で生徒と将棋をしていました。何人も負かして、俺はお前らなんかに負けないと例の如く、得意になっていました。そのため、「じゃあ先生やりますか?」と私が名乗り出たら、「お前なんか相手にならない」と勝負をする前から言いました。
そして、やったところ、私が勝ってしまいました。
先生は、「あれ?お前強いな」と言って、もう1回と言いました。それでもう1回やったら、また私が勝ちました。
こりゃあ、大変だと思った先生は、さらにもう1回と言いました。すこしむきになってきたのです。
しかし、また私が勝ちました。
それで、とうとう私の強さを認めました。みんなの前で、馬鹿にしていた先生が、私の前で面目丸つぶれになりました。
しかし、強いことを認めて、また今度挑戦させてくれと言いました。
その後、会うたびに、「また将棋やろうな」というのです。
私は児玉を馬鹿にされた復讐を将棋でしたのでした。
このT先生は、私が三年になる前に、転勤していきました。その挨拶で、誰に対しても自分の思ったことを堂々と言えるようでなければならないという話をしました。先生が怖くて、言いたいことがあっても言えない軟弱な奴が多いという意味を含んでいました。
私はその挨拶を聞いて、あのとき、逆らったことを思い出していました。勝手な解釈ですが、まるで、先生が私に対してそれでいいんだと言ってくれているように感じました。
つづく
体育のT先生でした。この先生は、本庄高校出身です。だから自分の母校で教員をやっているわけです。
バレー部の顧問でもありました。だからI君の顧問です。
見た目は、まるでやくざのようです。常に肩をいからせて歩く先生でした。
そして、学校の中の悪そうな連中でもこの先生の前だけは、小さくなっていました。
応援団の顧問もしていて、そのメンバーは結構危ない感じの生徒が多かったのですが、そのメンバーでさえ子分のようでした。
「俺はなあ、高校時代は体育の授業のときなんか、ほとんど独り舞台だった。サッカーをやれば、一人でボールを持って相手を全員抜いて、一人でシュート決めていたんだ。すごいだろ!」というような感じの話をしていました。
だから、お前たちなんか相手にならないというのです。
私は笑って聞いていましたが、確かに運動神経はいいんだろうなあと思いました。
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あるとき、ソフトボールの試合が本庄高校で行われました。
私は、たぶん自習だったのだと思いますが、友達3人くらいで、サッカーボールで遊んでいました。
それは、ソフトボールの試合をしている外野でした。
まあ、これだけ離れていれば、邪魔にはならないだろうと思って、やっていました。
すると、そのやくざみたいなT先生が、授業を終えて通りかかりました。
そして、我々を見つけて、「おい、何をやってるんだ」と言いました。
いきなり、叱りつけるような言い方です。
私はやや興奮して、「ボールリフティングです」と答えました。
「そんなところで、やっていたら邪魔だろう」と先生は言いました。
その言い方と権幕が激しかったので、私も強く「邪魔していません」と答えました。
実は、これを言うのは、大変な勇気でした。そんなことをこの先生に向っていう生徒はいません。
みんなこの先生の前では小さくなっているのです。すぐに「はい、わかりました」というのが普通でした。
しかし、私はこの先生に一回逆らってみたかったのです。
みんなが小さくなってへいこらしているのが、見ていて嫌だったのです。
そうしたら、先生は「なにいーー」と言って、「ちょっと、こっちにこい」と言いました。
先生にしても、そんな生徒はいないだろうと思っていたのでしょう。俺に逆らうなんてと。
それで、呼びつけて「もう一度言ってみろ」と言いました。
私はやや震えながら、「じゃましてません」と言ったのです。
だから、大変です。
「このやろう、体育教官室へ来い」と言われました。
この先生は、殴ることで有名でした。私は覚悟を決めました。これは、やられるなと。
そして、体育教官室へ行きました。私は教官室の入口の前に立たされ、その先生から散々罵倒されました。
「ここは、本庄なんだよ、児玉の山じゃないんだ。ソフトの試合をやってるんだよ、あんなところでボール遊びなんかしていたら、迷惑なんだよ。第一、失礼だ。児玉の山なら地面が少ないから許されるかもしれないが、ここはそんな山じゃないんだよ」と。
穏やかに言えば、その通りなのかもしれません。しかし、その言い方がまるで凄みを利かせたやくざっぽい言い方なのです。
それで、言われて頭にきました。試合をしている審判でもじゃまだから退いてくれと言わないのに、なんで?とも思いましたし、
先生のその児玉を馬鹿にした言い方がまた気に食わなかったのです。
しかし、私はすごみに圧倒されて、言い返すことができませんでした。
ただ、納得がいかないので、はいとも言えず、不服そうな顔をしていました。
最後は、「わかりました、すみませんでした」と言わされました。そう言わないと終わりそうもなかったからです。
ただ、これで、T先生は児玉全員を敵に回したなと思いました。
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私は同じ体育館で、練習をしています。バスケット部とバレー部だからです。だからその後もこの先生と常に顔を合わせました。
児玉のことまで話に出たのは、そこまで私を知っていたからです。
私は、I君たちバレー部の選手の前を通った時、「へへえ、怒られちゃったよ」と伝えました。そうしたら、その先生も近くにいたのです。
私が落ち込むことなく、そういう態度でいたので、先生は私に好感を持ったようです。
実は、後日談ですが、私の担任のK先生に「あいつは、いい奴だね」と言ったそうです。
自分が思ったことを思ったように、誰に対しても臆することなく言える勇気、まさか自分に対してあんな逆らい方をするなんてということなんでしょう。そして、怒られた後の態度も含めてです。落ち込むことなく、悪びれることなくという面を見ていたからです。
私はその後、その先生となかよくなります。
合宿の時このT先生は、合宿所で生徒と将棋をしていました。何人も負かして、俺はお前らなんかに負けないと例の如く、得意になっていました。そのため、「じゃあ先生やりますか?」と私が名乗り出たら、「お前なんか相手にならない」と勝負をする前から言いました。
そして、やったところ、私が勝ってしまいました。
先生は、「あれ?お前強いな」と言って、もう1回と言いました。それでもう1回やったら、また私が勝ちました。
こりゃあ、大変だと思った先生は、さらにもう1回と言いました。すこしむきになってきたのです。
しかし、また私が勝ちました。
それで、とうとう私の強さを認めました。みんなの前で、馬鹿にしていた先生が、私の前で面目丸つぶれになりました。
しかし、強いことを認めて、また今度挑戦させてくれと言いました。
その後、会うたびに、「また将棋やろうな」というのです。
私は児玉を馬鹿にされた復讐を将棋でしたのでした。
このT先生は、私が三年になる前に、転勤していきました。その挨拶で、誰に対しても自分の思ったことを堂々と言えるようでなければならないという話をしました。先生が怖くて、言いたいことがあっても言えない軟弱な奴が多いという意味を含んでいました。
私はその挨拶を聞いて、あのとき、逆らったことを思い出していました。勝手な解釈ですが、まるで、先生が私に対してそれでいいんだと言ってくれているように感じました。
つづく