「原罪」という言葉がある。
アダムとイブの時代、イブが蛇(悪霊)に唆されて、リンゴを食べた。それが罪だという。
しかし、良く聞いてみると、そのことは最初の例であって、原罪の本当の意味は、神に逆らうことらしい。
全知全能の神がなぜそんな人間を作ったのだろう。
全知全能なら、蛇を作ったのも神だし、イブももちろんそうだ。
ならば、蛇がイブを唆すことも知っていたし、イブが食べてしまうことも知っていた。
全て、予定の行動だったわけだ。
ただ、私は思う。神は何としても退屈で面白くないだろうと。
全てがわかっているほど、つまらないことはない。
何も新鮮なことがない。世の中は、わからないことがあるから面白いのだと私は思う。
分かる喜びというのは、神にはないことになる。
クイズ番組を見ていると、答えがわからないで考えるから面白い。
そして、少したって答えが分かったりするととても嬉しい。
アダムとイブも、神の言うことを良く聞いて、神に逆らうようなことを一切しないなら、
神は面白くなかったのではないかと思ったりする。
だから、初めから神は、人間を神に逆らう存在として作った。
ということは、存在そのものが原罪を背負って生まれた事になる。
もし、自分が神ならとときどき考えるので、こんなことを思った。
自分が神なら、世の中退屈でしょうがない。
何か、面白いのは、自分より優れた人がいるからだ。
競争相手がいるからだ。優越感、劣等感があるから面白いのだ。
神は、対抗馬がいない。優越感に浸ってもどうしようもない。
競争相手がいないのに、優越感に浸ってもしょうがないのだ。
将棋をしても絶対に勝つのでは、面白くないだろう。
自分より強い相手がいるから面白い。そして、その人に勝てるように努力するのが面白い。
だから、神は自分に逆らう存在をつくることで、世の中を面白くしたのだろう。
全人類が神を信じるようになるかどうかというゲームをしているのだろうか。
そのために、人類を増やした。
そんなことを考えた。
アダムとイブの時代、イブが蛇(悪霊)に唆されて、リンゴを食べた。それが罪だという。
しかし、良く聞いてみると、そのことは最初の例であって、原罪の本当の意味は、神に逆らうことらしい。
全知全能の神がなぜそんな人間を作ったのだろう。
全知全能なら、蛇を作ったのも神だし、イブももちろんそうだ。
ならば、蛇がイブを唆すことも知っていたし、イブが食べてしまうことも知っていた。
全て、予定の行動だったわけだ。
ただ、私は思う。神は何としても退屈で面白くないだろうと。
全てがわかっているほど、つまらないことはない。
何も新鮮なことがない。世の中は、わからないことがあるから面白いのだと私は思う。
分かる喜びというのは、神にはないことになる。
クイズ番組を見ていると、答えがわからないで考えるから面白い。
そして、少したって答えが分かったりするととても嬉しい。
アダムとイブも、神の言うことを良く聞いて、神に逆らうようなことを一切しないなら、
神は面白くなかったのではないかと思ったりする。
だから、初めから神は、人間を神に逆らう存在として作った。
ということは、存在そのものが原罪を背負って生まれた事になる。
もし、自分が神ならとときどき考えるので、こんなことを思った。
自分が神なら、世の中退屈でしょうがない。
何か、面白いのは、自分より優れた人がいるからだ。
競争相手がいるからだ。優越感、劣等感があるから面白いのだ。
神は、対抗馬がいない。優越感に浸ってもどうしようもない。
競争相手がいないのに、優越感に浸ってもしょうがないのだ。
将棋をしても絶対に勝つのでは、面白くないだろう。
自分より強い相手がいるから面白い。そして、その人に勝てるように努力するのが面白い。
だから、神は自分に逆らう存在をつくることで、世の中を面白くしたのだろう。
全人類が神を信じるようになるかどうかというゲームをしているのだろうか。
そのために、人類を増やした。
そんなことを考えた。