今夜は、父を描いてみました。
まだ、途中ですが、結構似て来たので、ご覧ください。
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私は似顔絵というのは、あまり描きませんでしたが、
顔を描く場合は、本人であるということが分かるということは
大切なことだと思います。他の誰でもない、その人であること。
これまで、私はそのことを漫画的なことだと軽視してきました。
しかし、リアルさの価値を考えていた時、やはり、似ているということは
重要なことだと思ったのです。それで、今は、本人に似るということはどういうことかを
考えて追究しています。
まだ、途中ですが、結構似て来たので、ご覧ください。
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私は似顔絵というのは、あまり描きませんでしたが、
顔を描く場合は、本人であるということが分かるということは
大切なことだと思います。他の誰でもない、その人であること。
これまで、私はそのことを漫画的なことだと軽視してきました。
しかし、リアルさの価値を考えていた時、やはり、似ているということは
重要なことだと思ったのです。それで、今は、本人に似るということはどういうことかを
考えて追究しています。
だから、似顔絵的に描くよりも、顔全体の構造をしっかり捕まえるようにしようというのが、本来の指導だと思います。
それができてから、もう少し本人に似てくるといいねという段階になります。
私は、そういう指導をされてきましたし、自分でもそのように教えました。だから、似顔絵的に似ることはあまり重要視しませんでした。
ただ、それを通り過ぎてみると、再度、似ることは重要だという気がします。
特に目の表現は、重要だと思います。
目の描き方で、人物画生きてきます。
画竜点睛と言いますが、まさに絵に命を吹き込むのは、目の表現です。
今回のデッサンも目から描きはじめました。
目がうまく行かなかったら、このデッサンは描き進めないという感じで描きました。
それがデッサンの最終段階では重要だということをどこかで生徒たちに話してあげてほしいと思います。