3月10日
ご朱印参拝1名
3月11日
杉森神社72候 蝮草出=マムシソウの芽が出始めました(昨年3/15)
ご朱印参拝、鳥取県からでした。午後2時46分黙祷
「日本の疫病の歴史と信仰」その2
寛文2年(1662)長崎で天然痘流行
貞享元年(1684)疫病流行
享保元年(1716)江戸で流行した風邪で8万人以上死亡
享保18年(1773)疫病退散を祈り隅田川花火大会はじまる
明和6年(1769)稲葉風流行
安永5年(1776)お駒風流行、コレラ流行(江戸の人々は、数年おき(長くても十数年おき)に襲いかかる風邪流行に異名を与えていた)
文化14年(1817)長崎で腸チフス流行
文政2年(1819)江戸で赤痢流行
文政5年(1822)コレラ流行
安政5年(1858)コレラ流行
明治10年(1877)コレラ流行
明治12年(1879)コレラ流行
明治18年(1885)コレラ流行
明治19年(1886)腸チフス流行
明治25年(1895)コレラ流行
明治29年(1896)天然痘流行
明治30年(1897)赤痢流行
大正7年(1918)スペイン風邪流行39万人死亡
昭和6年(1931)インフルエンザ流行
昭和10年(1935)日本脳炎流行
昭和21年(1946)引揚船コレラ流行
昭和30年(1955)インフルエンザ流行
昭和37年(1962)インフルエンザ流行
昭和40年(1965)インフルエンザ流行
昭和43年(1968)インフルエンザ流行
昭和53年(1978)インフルエンザ流行
平成8年(1996)O157流行
さて、そうした中で人々の信仰はどのようであったかみていくと、様々な形で疫病という災いをなくすための祈りがささげられている。
その中のいくつかを紹介する。
近くの境を探してみよう
実は、境の神は、「防災」の神
境の神は、集落の境界、集落水路の縁辺、岐路、坂、峠等に、外から侵入してくる疫病や災害から防ぐために祀られている。弥生時代の遺跡から男女一組の木像や石像、鳥形の木製品が出土している。民間ではフナドの神、クナドの神、サエの神、道祖神、道陸神、石神といわれ、地蔵菩薩(この世とあの世の境に立って死者を救う)と重なり、普及していく。特に道祖神は、地蔵菩薩、猿田彦、庚申、荒神、姥神が祀られ、小正月の前夜に左義長、トンド、サエノカミと呼ばれてお祭りが行われる。
記紀では、黄泉比良坂で岐神(ふなどのかみ・来名戸乃祖神、衝立船戸神)が登場するが、延喜式道饗祭祝詞では、八衢比古(やちまたひこ)・八衢比売・久那土の神に守護を祈っている。
雛段に飾られているお雛様の昔とは?
実は、ひな祭りは「人形を流す祓え」の行事でもあった
上巳の節供「三月最初の巳の日」、上巳の祓ともいう。
人形にけがれを移し、悪いものは水に流す信仰=神道の大祓そのもの
豪華絢爛の祇園祭に隠された秘密
実は、祇園祭りは、「祟りを鎮める」祭りだった
祇園祭りは疫病鎮めの祭り。昔、疫病は非業の死をとげた怨霊の仕業と考えられた。そこで御霊会という霊鎮めの祭りが行われるようになった。貞観11年(869)の疫病は全国に大きな被害をもたらした。そこで日本中の国の数と同じ66本の鉾を立て、牛頭天王を祀って神輿を神泉苑(当時宮中の南に位置した庭園)に担ぎ怨霊を慰めたのが始まりと言われる。
さらには元慶元年(877)疫病が流行り、占ったところ、東山の祠(八坂)の祟りとわかり、祈ったところ終息したと伝えらえている。
仏様の生まれた日の驚きの秘密
実は、4月8日灌仏会の日は、元々「疫病除け神事(鎮花祭)」の日であった
お釈迦様の誕生日とされ、草花を飾り、甘茶を仏像に振舞う仏教行事の日と思われているが、折口信夫氏は「卯月八日のてんとうばななども、釈迦誕生の法会とは交渉なく、日の物忌に天道を祀るものなるべく、千早ふる卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」とあるように花の散る時期は疫神の活動が盛んになる時期と考えられてきた。熱田神宮では旧暦4月8日(現在5月8日)花の撓(とう)という豊年祭、大神神社摂社狭井(さい)神社で4月18日に行われる疫病を鎮めるための華鎮祭、京都今宮神社で4月第2日曜日に行われる「やすらい」祭りも疫神を鎮める祭りなどが今でも行われている。尚、宇佐神宮の境内神社八坂神社では毎年2月に鎮疫祭が行われている。
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祭典・行事予定
※祭典は、どなたでも参列できます。神社ファンの方、是非、参列経験をしてみましょう!ご希望の方は、御一報いただければ幸いです。
3月17日 午前10時 祈年祭 大祭
3月20日 境内神社祖霊社祖霊祭
4月 1日 午前10時 月次祭 小祭