杉森神社の物語(令和編)東広島市河内町~癒しの風景

田舎で0から宮司をやってみたかったんです。好んで信じて楽しみながら奉仕をしています。

3月の日記17 祈年祭 疫病鎮静祈願祭

2020-03-17 18:44:44 | 神職・宮司なるためのコーナー

3月17日

午前10時 祈年祭斎行。コロナの影響により総代長、責任役員、世話役総代、イセヒカリ耕作者4名が席を離して参列のもと大祭式により厳粛に祭典を行いました。

そして、悩みに悩んでいたのですが、疫病鎮静の祈願を辞別て奏上いたしました。

何故、悩むのか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、軽々しく祈願するものではないと思っていたからです。人事を尽くして天命を待つ姿勢の中で、本庁から示された祝詞例文では済まない内容であります。

祝詞にはまず御祭神の御神徳を称え、人々が努力することを前提として、すがる思いで祈りを捧げます。今回の疫病に対して国民全体で対応する環境であるにも関わらず氏子さんの知らないところで祈りを捧げることが御神霊に叶うものであるのか?「お願い」をするならば、その後のことをしっかり考えてしなければならないが、そうしたことを想定しているのか、などなど当日まで悩んでおりました。

早朝、あるきっかけで祈願の実施に踏み切りました。御神霊の働きにただただこうべを垂れるのみであります。今日も生かしていただきましてありがとうございます。

午後、倉庫の雨漏れが進み一部崩壊の危険性がある状況となっていましたので、総代さんが応急処置をしてくださいました。感謝感謝!

ご朱印参拝2名

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※祭典は、どなたでも参列できます。神社ファンの方、是非、参列経験をしてみましょう!ご希望の方は、御一報いただければ幸いです。

3月20日 境内神社祖霊社祖霊祭

4月 1日 午前10時 月次祭 小祭

 

 

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3月の日記14~16

2020-03-16 18:06:42 | 日記

3月14日

祈年祭にむけて本殿清掃。ご朱印参拝1名

3月15日

ご朱印参拝1名。静かな日曜日

3月16日

明け方の雨は高度のあるところで雪と変わり、積雪だったようですね。河内は積雪なく、普段通りの日供祭を御奉仕。

ご朱印参拝3名

明日の祈年祭の準備と、ある祝詞の準備。

合間に小鳥たちに餌をあげるようになったこの二週間、今日、小生の手に2回ほどとまってくれました。

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3月17日 午前10時 祈年祭 大祭

3月20日 境内神社祖霊社祖霊祭

4月 1日 午前10時 月次祭 小祭

 

 

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3月の日記13 日本の疫病の歴史と信仰その4

2020-03-13 17:51:00 | 神職・宮司なるためのコーナー

3月13日

ご朱印参拝、愛知県からでした

↓はマヒワ?

 

「日本の疫病の歴史と信仰」その4

今日は広島県内における疫病に対する信仰についてみていく。

以下が、『広島県神社誌』によって判明した疫病流行によって勧請または創祀された神社である。御祭神は、備後風土記の記述に由来するため、素戔嗚尊が多く、旧備後地域に多いものの、大己貴神、少名毘古那神、伊弉諾命、伊弉冉命、八十禍津日命、八幡神、菅原神、八衢比古神、八衢比女神、久名戸神と多数となっていた。疫病そのものを祀る神社もあった。

祭祀の特徴は、流行が起きたことから祭神を祀るということであり、その結果、疫病退散となっていく。

 

広島の疫病にかかわる神社

疫神社 福山市瀬戸町 大己貴神

須佐能表神社 福山市駅家町 須佐能表神 長享2年(1488)疫病流行し、勧請

木野山神社 福山市加茂町 素盞嗚尊 明治12年疫病流行、勧請

木野山神社 福山市木之庄町 素盞嗚尊、大己貴命、大山祇命 寛政2年疫病流行、勧請

素盞嗚神社 福山市新市町 素盞嗚尊、稲田姫命、八王子命、摂末社に蘇民神社(蘇民将来之神)、疱瘡神社(疱瘡之神) 

瘡神社 尾道市向東町 少名毘古那神

瘡神社 尾道市向島町 瘡大神

大疫神社 因島市重井町 須佐之男命、八十禍津日命、大山積命

沼田神社 三原市沼田東町 素戔嗚尊、櫛稲田比売命、八王子神 往古疫病流行し、武塔神が翁となりて沼田川の水を引き入れて稲つくらば豊穣なるべしと言いて去る、その後疫病止む

鷹山神社 三原市本郷町 大名牟遅神、少毘古那神 文明年間疫病流行、勧請

橘神社 三原市本郷町 息長帯比売命、品陀和気命、玉依比売命 元慶年間疫病流行、八幡神を勧請

吉国神社 三原市本郷町 豊宇気比売命 天文年中疫病流行、創祀

甘南備神社 府中市出口町 事代主神、大己貴神、少彦名神 和銅元年(708)疫病流行の際、美保神を勧請

八坂神社 神石郡神石高原町 素盞嗚神、稲田姫命 明暦年間に悪疫流行のため京都八坂より勧請

鷺神社 三次市十日市町 稲背脛命、日本武尊 天武天皇4年(675)疫病流行、稲背脛命翁として現れ、吾魂を祀れとの神託により創祀

塞之神神社 三次市三良坂町 八衢比古神、八衢比女神、久名戸神、日子穂穂出見命 寛文年間の疫病流行により勧請

尾崎神社 三次市三良坂町 須佐之男命 寛文年間の疫病流行により勧請

佐田神社 三次市三良坂町 伊弉諾命、伊弉冉命 天文3年(1534)疫病流行により佐田神社の御分霊を勧請

八雲神社 世羅郡世羅町 素盞嗚命、応神天皇 文明5年(1473)疫病流行、創祀

菅原神社 世羅郡世羅町 菅原大神 文久2年(1862)疫病流行、広島藩主が疫病退散の祈願を当神社になし、神主と氏子が七日七夜参籠して満願の朝悪疫消滅

御建神社 東広島市西条町 素盞嗚命 慶雲3年(706)諸国疾病流行により素盞嗚命を祀る

疱瘡神社 東広島市八本松町 稲背波岐神、八上姫命 

床浦神社 竹原市忠海町 少名彦命、住江三前神 伝承によると疱瘡に霊験著しく、三十二言の神語を託し給うと伝え、一社の秘となっている。

船津八幡神社 呉市広両谷 19柱の神 享保17年(1732)疫病流行、享保20年に船津山の嶺を拓き境内を拡張して社殿を改築、三柱の神を奉斎

磐居神社 呉市倉橋町 伊邪那岐命、伊邪那美命 保延年間疫病流行により勧請

大原神社 広島市南区向洋大原町 伊邪那岐命、伊邪那美命、火具土神、須佐之男命 永禄年中疫病流行、妙見山に創祀祈願により悪病退散

大歳神社 広島市西区井口 大歳神、須佐之男命、少名彦命、 活疱明神と称し、疱瘡の守護神として信仰

疫神社 廿日市市佐伯町津田 建速須佐之男命 元亨年中疫病流行により勧請

真幡神社 廿日市市佐伯町津田 建速須佐之男命 元亨年中疫病流行により勧請

八坂神社 廿日市市佐伯町津田 建速須佐之男命 元亨年中疫病流行により勧請

佐古田神社 大竹市栗木谷町 大山祇命、素戔嗚尊、宇迦之御魂神 寛政5年(1464)悪病消滅、諸作豊熟祈願のため勧請

   

まとめ

信仰の形で見えてきたものは、神話の時代より悪いものは流すということ。日本は罪穢れを除くための禊・祓の習慣、一般には手洗い、お風呂の習慣、そしてトイレも水洗(日本では江戸時代から本格的に下水処理が進めれてきた)になっている。信仰上にも雛流しや夏越の祓など形代に罪という災いをなすりつけ、息をふきかけ、川に流している。水は不正をも含む穢れを流し去り、「本来の姿」をあらわらす力をもっています。

水の力に感謝し、日々浄明正直に心清らかに感謝の日々を送るとともに、状況によっては御神霊の御神威にすがり祈りを捧げることも必要となるでしょう。

尚、疫病は飢饉にもつながっていきます。自給率の少ない日本に食糧不足になることはどこか想定した方がいいですね。今回の大嘗祭に全国から奉納された物の多くは干物です。過疎地域で採られた干物、まさに食糧難になったときを想定した先人たちの知恵が奉納されています。

さて、私たち神職はどう考えていくのか?自然の働きを神々の働きとしてその中で生かされているいことに感謝し、神事を怠らず奉仕していくことしかないんではないでしょうか・・・・・・・・(「民を導く本は教化に在り、今、既に神祇を禮ひて、灾害皆耗(つ)きぬ」『日本書紀』崇神紀10年)

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3月17日 午前10時 祈年祭 大祭

3月20日 境内神社祖霊社祖霊祭

4月 1日 午前10時 月次祭 小祭

 

 

 

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3月の日記12 日本の疫病の歴史と信仰その3

2020-03-12 17:23:24 | 神職・宮司なるためのコーナー

3月12日

ご朱印参拝1名。来客多数

「日本の疫病の歴史と信仰」その3

夏の風物詩の神社境内でみる茅の輪の本当の意味は?

実は、夏越の大祓のあの大きな茅の輪は「腰にまくもの」だった

 『風土記逸文』 備後風土記に曰く、「疫隅国社(えのくまくのくにのやしろ)、昔北の海に坐しし武塔神、南の海の女子(むすめ)をよばひに出で坐ししに、日暮れたり、彼所(かしこ)に蘇民将来・巨旦将来という二人すみき。兄の蘇民将来はいと貧しく、弟の巨旦将来は、にぎはひて、屋倉一百ありき。ここに武塔神、宿りを借り給ふに、おしみて借しまつらず、兄の蘇民将来は借し奉る。即ち粟柄を以て座とし、粟飯等を以て饗(みあへ)奉る。既に畢へて出で坐しき。後年経て、八柱の子を率いて還り来て、詔りたまはく、我、将来の為に報いせむ。汝が子孫、其の家に在りやと問はし給ひければ、蘇民将来答へ申さく、己女子とこの婦(め)と侍ふと申す。即ち詔り給はく、茅の輪を以て腰の上に著けしめよと詔り給ふ随に、著けしめき。その夜に、蘇民と女人二人とを置きて、ことごとに許呂志保呂保志てき。その時に詔りたまはく、吾は速須佐能雄能神なり。後世に疫気(えやみ)あらば、汝蘇民将来の子孫(うみのこ)と云ひて、茅の輪を以て腰の上に著けよ。詔の随に著けしめば、即ち家なる人は免れなむと詔り給ひき。

 茅の輪を腰にまいたことにより災厄を免れたという故事

 夏越=夏を越し、残り半分を無事過ごせることを願った言葉。または疫病神を和ませ災厄を鎮める意味もある

 茅=根は漢方薬、利尿、止血作用

 「水無月の夏越の祓する人は千年の命のぶといふなり」は茅の輪くぐりのときの唱え歌として室町時代の『公事根源』にでてくる。大祓は天武天皇期からはじまり(1300年前)戦国時代の中断をはさみ行われている

 世の中、いろんなウイルスが蔓延っている。「大祓行事」によって救われるかもしれない。

 因みに、この茅が秋にはススキとなり、稲の実りに見立てられる。

 京都の祇園祭では、神社と山鉾のお会所で「ちまき・蘇民将来子孫の家」というお守りがだされる。現在は笹の葉で作られた厄病、災難除け守り。玄関の上に飾られる。

 神宮のおひざ元伊勢市は各家に「蘇民将来子孫の家」の注連飾りが一年中玄関にかけられている。伊勢には疫病が入っていかないだろう。

 因みに当社では夏越の大祓の際、お祓いした茅を各家用の茅の輪として持ち帰ってもらっているのでひと安心。

織姫も彦星も関係なかった日本の七夕!

実は、七夕は「先祖祭り」であった

 七夕の季節は、七夕盆・盆はじめ・ナヌカボン・盆道作り・墓掃除という盆行事の一つでもある

 祖先を迎える前に川で禊。盆を清らかな日にしようとした。

 笹流し・虫除け・七夕送り(悪い物を流す)=祓い=疫病退散=祇園祭天王祭=青森のねぶた(現8/1-7)もねぶた(り)流し(ねむけ・農業の妨げを追い払う)、秋田の竿灯も、もとは願い事を書いた短冊を笹竹につるして、町を練り歩き、それを川に流していた。松本の七夕人形は、着物を着せた人形を七夕の日に軒先につるし、厄除を祈った。

師走の大掃除!やらないと正月は迎えられない?

実は、大晦日の大掃除は、「祓い」のひとつである

 煤払い=昔は薪を使って煮炊きをしていたので、家中煤だらけ。単に家をきれいにするだけではなく、歳神を迎えるための祓い清めでもある。煤を払った箒は河に流す風習もあった。まさに罪穢れを流すこと。

 掃除や祓いは、お祭りの前に必ず行うことでもある。お盆、例祭なども一緒

水の神の働きとは?

実は、水神は、「農耕」の神

 水田農耕にとって水は最も重要故、田の神と結びつく。また、水源地で祀られる場合、水分(みくまり)神は山の神とも結びつく。日常生活にも井戸、泉、水汲み場で水神が祀られる。水神の象徴として河童、蛇、竜があげられる。

 水神の祭祀は、6月と12月が多く、夏の水神祭は、流行り病や水害の災厄を防ぐ祇園や津島の天王信仰(牛頭天王)と結びつく。

命もちを称えることは?

実は、大祓詞は「言霊」の力をおもいっきりだしている

 御祖神の言葉を称え大切にし、さらに皇孫である天皇さまを称え大切にしている。その中で罪穢れが生じるが、お祭りをしてとても尊い祝詞を申しあげることにより、すべての神さまが聞いて下さり、さまざまな水の流れの現象のように祓われ、その罪という罪は、きっと祓戸の神さまの力によって祓いやってくださると願い、言霊の力を発揮している。

天から降ってくる水の力とは

実は、神道では、水は禊祓いとともに「本来の姿をあらわせる」力があると信じられている。

 伊邪那岐命の穢れを取り除くために河の水で禊をしていること。

 天照大御神と須佐之男命のウケヒでは、まず、どちらも天の「真名井」の水で剣も飾も濯いでいること。

 真名とは、真実を明らかにする働きをもつという意味。

 水は不正をも含む穢れを流し去り、「本来の姿」をあらわす力をもっていると信じられているということ。

 嫌なことはみな水に流すのである。潔さ=生まれながらの感覚。それは愛、調和、寛容につながる。

遊びが大切

実は、遊びは、「神事」である

 古代社会において葬儀に携わる人々を遊部といった。天皇が崩御すると殯宮に供奉し、戈、刀、酒食をもって奉仕した。この世とあの世との境を隔てて悪いことや流行病などの原因となる霊を鎮めたり死者の遊離魂をよび返す職掌である。柿本人麻呂は、遊部に属する人だったので万葉集では葬送歌が多くみられる。

 遊ばすとは、神として行動すること、のちに狩猟や歌舞や宴楽のことを言うようになった。天若日子(天孫降臨前に遣わされたが使命を全うせず逆らったことから亡くなった)の葬儀では喪屋を作り八日八夜にわたり「遊び」をしたとあり、歌舞飲食をして死者の魂を鎮めている。遊びの原義が霊魂とも密接に関連している。

 神楽は神に奉納する神事であるが、神座(かみくら・神を迎える場所)遊び(歌舞)の略語で神楽はかみあそびとも言われている。神楽は、神を迎え、神を讃え、人々に祝福を与えてくれる神の姿でもある。

 遊びは、哀しみを乗り越えさせたり、日々に活力を与えてくれるものであることからすれば、神事と結びつくことも理解できる。

つづく・・・

 

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3月の日記10・11 日本の疫病の歴史と信仰その2

2020-03-11 17:10:17 | 神職・宮司なるためのコーナー

3月10日

ご朱印参拝1名

3月11日

杉森神社72候 蝮草出=マムシソウの芽が出始めました(昨年3/15)

ご朱印参拝、鳥取県からでした。午後2時46分黙祷

 

「日本の疫病の歴史と信仰」その2

 

寛文2年(1662)長崎で天然痘流行

貞享元年(1684)疫病流行

享保元年(1716)江戸で流行した風邪で8万人以上死亡

享保18年(1773)疫病退散を祈り隅田川花火大会はじまる

明和6年(1769)稲葉風流行

安永5年(1776)お駒風流行、コレラ流行(江戸の人々は、数年おき(長くても十数年おき)に襲いかかる風邪流行に異名を与えていた)

文化14年(1817)長崎で腸チフス流行

文政2年(1819)江戸で赤痢流行

文政5年(1822)コレラ流行

安政5年(1858)コレラ流行

明治10年(1877)コレラ流行

明治12年(1879)コレラ流行

明治18年(1885)コレラ流行

明治19年(1886)腸チフス流行

明治25年(1895)コレラ流行

明治29年(1896)天然痘流行

明治30年(1897)赤痢流行

大正7年(1918)スペイン風邪流行39万人死亡

昭和6年(1931)インフルエンザ流行

昭和10年(1935)日本脳炎流行

昭和21年(1946)引揚船コレラ流行

昭和30年(1955)インフルエンザ流行

昭和37年(1962)インフルエンザ流行

昭和40年(1965)インフルエンザ流行

昭和43年(1968)インフルエンザ流行

昭和53年(1978)インフルエンザ流行

平成8年(1996)O157流行

 

さて、そうした中で人々の信仰はどのようであったかみていくと、様々な形で疫病という災いをなくすための祈りがささげられている。

その中のいくつかを紹介する。

近くの境を探してみよう

実は、境の神は、「防災」の神

 境の神は、集落の境界、集落水路の縁辺、岐路、坂、峠等に、外から侵入してくる疫病や災害から防ぐために祀られている。弥生時代の遺跡から男女一組の木像や石像、鳥形の木製品が出土している。民間ではフナドの神、クナドの神、サエの神、道祖神、道陸神、石神といわれ、地蔵菩薩(この世とあの世の境に立って死者を救う)と重なり、普及していく。特に道祖神は、地蔵菩薩、猿田彦、庚申、荒神、姥神が祀られ、小正月の前夜に左義長、トンド、サエノカミと呼ばれてお祭りが行われる。

 記紀では、黄泉比良坂で岐神(ふなどのかみ・来名戸乃祖神、衝立船戸神)が登場するが、延喜式道饗祭祝詞では、八衢比古(やちまたひこ)・八衢比売・久那土の神に守護を祈っている。

雛段に飾られているお雛様の昔とは?

実は、ひな祭りは「人形を流す祓え」の行事でもあった

 上巳の節供「三月最初の巳の日」、上巳の祓ともいう。

 人形にけがれを移し、悪いものは水に流す信仰=神道の大祓そのもの

豪華絢爛の祇園祭に隠された秘密

実は、祇園祭りは、「祟りを鎮める」祭りだった

 祇園祭りは疫病鎮めの祭り。昔、疫病は非業の死をとげた怨霊の仕業と考えられた。そこで御霊会という霊鎮めの祭りが行われるようになった。貞観11年(869)の疫病は全国に大きな被害をもたらした。そこで日本中の国の数と同じ66本の鉾を立て、牛頭天王を祀って神輿を神泉苑(当時宮中の南に位置した庭園)に担ぎ怨霊を慰めたのが始まりと言われる。

 さらには元慶元年(877)疫病が流行り、占ったところ、東山の祠(八坂)の祟りとわかり、祈ったところ終息したと伝えらえている。

仏様の生まれた日の驚きの秘密

実は、4月8日灌仏会の日は、元々「疫病除け神事(鎮花祭)」の日であった

 お釈迦様の誕生日とされ、草花を飾り、甘茶を仏像に振舞う仏教行事の日と思われているが、折口信夫氏は「卯月八日のてんとうばななども、釈迦誕生の法会とは交渉なく、日の物忌に天道を祀るものなるべく、千早ふる卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」とあるように花の散る時期は疫神の活動が盛んになる時期と考えられてきた。熱田神宮では旧暦4月8日(現在5月8日)花の撓(とう)という豊年祭、大神神社摂社狭井(さい)神社で4月18日に行われる疫病を鎮めるための華鎮祭、京都今宮神社で4月第2日曜日に行われる「やすらい」祭りも疫神を鎮める祭りなどが今でも行われている。尚、宇佐神宮の境内神社八坂神社では毎年2月に鎮疫祭が行われている。

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