現在、政府が「人生100年時代構想会議」なるものを立ち上げて、そのなかでリカレント教育(学びなおし)を推進しようとしている。
リカレント教育というのは、学校を一度出た後も、技能や知識を大学で学びなおし、それをキャリアアップや次の仕事につなげるという話だ。
でも私に言わせれば「余計なお世話」なのだ。リタイアした人たちを、今後もどうやって労働力として、あるいは消費者として「再利用」するかという意図が見え透いているから。
18歳人口が激減して、大学はどこも経営危機に直面している。遠からず次々と経営破綻し、統廃合されるでしょう。一度大学を出た人がまた大学に来るというかたちで学生数を確保するというのは起死回生の奇策なわけだ。
だから、「社会人になってからでも学びなおしをして次の仕事につなげましょう」と煽り始めた。いや、いくつになっても学び続けるということそれ自体は素晴らしいことなのだが。
大学にもう一度行って、語学を学び直したいとか、医療従事者の資格を取りたいとか、法律の勉強をしたいとか、そうやってもう一度「現場」に立ちたいというのなら、僕も大歓迎なのだ。
でも、いま政府が主導している「学びなおし」は、学ぶ側の市民的成熟や彼らの生き甲斐なんか別に配慮していない。年金や医療費の出費を抑制したいから、高齢者も死ぬまで現役で働き続け、消費し続け、税金を払い続けてくれということに過ぎない。
人生100年時代構想会議の「中間報告」を読んだのだけれど、そこには、定年まで働き続けて、日本を支えてきてくれた先輩たちに対する敬意も謝辞も一言もない。見事にないのだ。
むしろ、「お前ら、これで休めると思ったら大間違いだぜ」と脅しつけている。65歳までに最低でも二千万、三千万ないと95歳まで生活できませんよと、年金額がますます目減りする事を前提に話を進めている。
リタイアすることの最大のリスクは、お金の問題もあるが、それ以上に「現場を失う」ことである。メディア経由の情報しか触れることができず、現実との接点を失うことだろうと思う。これについて退職者は十分に危機感を持った方がいい。
退職後は、報酬が少なくても現場を離れないで、現場からも何がしらあてにされるような仕事に精を出したい。