昨日の東京マラソンはこのご時世の中よく開催してくれた。賛否はあるだろうが、沿道の応援が少なかった分、視聴率は良かったのだろうとフジTV陣営と小池都知事はニンマリかな。
解説陣も瀬古をはじめ増田とQちゃんまで登用して、レース展開も1キロ2分55秒のペースメーカーが30キロまで尋常でない。大迫君はよくぞこの超ハイペースで走り切って2度目の日本新記録出したものだ。
4、5人いたペースメーカーだって一流のアスリートじゃないとそんな走りはできない。どんだけの報酬貰ってるのだろう。
日本陸連は、日本新記録に1億などの報償金を設定して、それ以外に好タイムに応じて数百万の報償金の結果、今回で資金が底をつきそうでもうやめるそうである。かなり情けない話でもある。
危機というのは、「資源がない、情報がない、人員がない、時間がない」という状況のこと。そのような状況下で最適な判断を求められると、エリートである受験秀才くんたちはフリーズしてしまう。
そういう訓練をうけたことがないからだ。彼らは決断するに先立って、その判断の法的根拠や上司からの指示や言い訳をまず探す。「このように判断したことには十分な根拠がある」という条件が整うまで、秀才くんは何もしない。
その間に、もっとも貴重な資源である「時間」は不可逆的に失われてしまう。そして、危機とはまさに時間が失われるにつれて、採りうる選択肢がどんどん減ってゆく状況のことである。
今回の新型コロナウィルス対策で、小、中、高の休校措置要請はまさにそのような行政の組織に起因すると考える。どのような組織にも、とっさの判断ができる人、危機耐性に強い人を適所に配備しておくことが必要だ。
でも、現代日本のシステムはまったくそのようなリスクヘッジの配慮を怠ってきたと思われる。首相に最適な判断を進言する人がいなかった。まして教育のトップである大臣は相手もされないから、首相の判断に水を差す見解を述べている。
安倍首相は、そういう意味でエリートではない。かといって想定外の危機に最適な判断ができるとは思えない。1番弱い立場の子供たちには、根拠のないこのような強制措置要請をして、1番危ないと思われる高齢者や働き盛りのビジネスパーソンには何の手立ても示さない。
安全なのか危険なのか「わからない」というのが当然でしょう。どうしていいかわからないときには、直感的に自分で判断して行動するしかないとおもう。