青裸々日記 Aorara Diary

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積極性と無理。

2012年06月28日 23時13分38秒 | 青裸々日記。
ビョウヤナギの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 物事に積極的に取り組む姿というのは、見ていて気持ち良くないですか。
 そしてまた、「自分のできる精一杯の努力をしようとしているその心を、少しは見習いたいな」という気分にもなりますよね。
 こういうわけで、積極性のある人はとても魅力的であり、
 力を出し切っているわけですから、実際に能力も伸びる。
 だから、積極的な人間を目指すというのは、大変に素晴らしいことなのです。


 しかし。

 「積極的」という言葉も、「挑戦する事のすべて」に当てはめて考えるのは間違えです
 世の中、明らかにできないことや、全く刃が立たないことくらい、いくらでもありますよね。
 まさかいないでしょうが、「鳥のように翼をはためかせて空を飛んでみたい」からと言って、高いところから手をバタバタさせて飛び降りたら、
 それは自殺以外の何物でもありますせんよね(笑)
 あるいは、「私はデキる人だから」といっても、最初から未経験の仕事をバリバリこなせるわけがありません。
 この「まさかいないでしょう」というようなことまでやろうとすることは、
 「積極的」とは言えないのでしょうか!?


 これ、人を見る上で、結構大事なことなのです。
 人間、人を評価する時は「自分の尺度」だけで見てしまうものです。
 だからちょっと弱気な人を見ただけで、「やる気がない」とか「消極的」、「能力がない」と決めつけてしまうということも、
 結構、よくあることですよね。
 でも、本人からすれば、過去に失敗した経験があってこそ、
 自分にブレーキをかけ、周りに迷惑をかけない努力をしているということだって、十分にありえることではないでしょうか。
 あるいは、厳しい環境が、人の積極性を奪う場合もあります。
 ちょっとした失敗でも、乾いた雑巾を絞るように責められる環境があったら、
 萎縮したり、チャレンジしようとする姿勢がなくなるのも、全く無理からぬ話です。


 積極性と無理の境界は、「努力で追いつくかどうか」がわかることで見えます
 どうあがいても無理なこと、明らかに甚大な迷惑がかかることを「やらないのはおかしい」と責めるのは、
 筋が違うというものです

 努力で追いつくと踏めるまでは、計算するのも、積極性のうち
 計算できないことを、前のめりに考えることはないのです
 それに、無茶なことをあたかも簡単にできるかに言うのは、勇み足や詐欺に等しいものがありませんか


 結局のところ、消極的にいろいろ考えることこそが、後々で積極性を引き出すこともあるのです。
 「できるかも無理かもわからないこと」をやっているからといって、なんでも褒められるというわけでもないのです。

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