青裸々日記 Aorara Diary

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人を育てる。

2012年06月29日 23時10分36秒 | 青裸々日記。
あじさいの花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 自分の身内が至らないと、情けなくなったり、腹立たしくもなってくるものです。
 あまりに不甲斐ないと、「周りがみんな立派なのに、ウチの〇ときたら…」と、
 世間から取り残されたりするものです。
 こんな時、愚痴の一つもこぼれてしまうのも、無理はない話です。


 でも、これは「情けなくなる側」にも、責任はあるんです。
 もし「まさに情けない身内」がいる方がいらしたら、
 申し訳ないのですが、我慢して読み進めていただければ幸いです。


 まず、一般論から。

 自分の近くにあるもの、よく触れているものほど、その姿を詳しく知ることができるものです。
 「衝動買い」がいい例でしょう。
 デザインが申し分ないからと、売り場で輝いているものを大枚叩いて買ってしまうこと、結構、ありますよね。
 でも、「デザインの良さが、機能性を損ねる」ということも、わりとよくあることです。
 だから、「期待したほど使わなかった」なんてこと、誰しも一度や二度、あると思うんです。
 よく使っていれば絶対に買わないのに、実態を知らないがために、財布の紐が緩くなってしまうわけです。

 話が長くなりましたが、「身内が情けなく見える」のは、よく触れているからこそ、欠点も見えてしまうというだけという場合も多いということ、
 お分かりいただけたでしょうか!?



 ただ、これだけで納得されては困るのです(笑)
 なぜなら、もっと大切なことがあるからです。


 身近にいるということは、それだけお互いに影響し合っているわけですよね。
 ということは、相手に対して改善できることを示してあげたり、成長するサポートをしてあげる機会にだって、恵まれていたハズなのです。
 <b>それなのに、相手が立ち遅れていることを嘆いているというのは、
 「自分のサポートがなかった」か「サポートのやり方が悪かった」と言っているも同然だと思うのです。
 相手の価値観をわかっているのなら、なおさらです。
 フォローやサポートができないのなら、自分もその程度だということです。
 厳しいようですが、「身内を悪く言う人」は、自身のイメージも悪く見えてしまう、
 これが現実のところなのです。


 人を悪く言うのは構いませんし、もっともなことを言っているのなら、溜め込むのはよくありません
 でも、悪く言う前に、やることはあります
 誰の話をするのでも、やれることをやってからでも、遅くはないのではないでしょうか!?


 人を悪く言えるということは、のびしろがあるということです
 その場で虚しい思いがしたからといって、永遠に立派に育たないということはないのです。

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