先日、朝日デジタルに3回目の宇宙飛行から帰還した宇宙飛行士、野口聡一氏の話が載っていて
彼の述べることがらにビンビン私の琴線が響いた・・・。
『 野口氏は1965年生まれ、1996年に宇宙飛行士候補に選抜され、2005年ディカバリー号ミッションに参加。
2009年にソユーズ宇宙船に搭乗し、5ヶ月半滞在。2020年11月〜21年5月新型宇宙船『クールドラゴン』に搭乗し
ISSに166日滞在した。 』
宇宙船は、地球の上空約400kmを秒速7.9kmでぐるぐる回り、90分で地球を一周する・・・という。
『地球は圧倒的にまぶしかった』・・・
ガガーリンが言った『地球は青かった』は有名な名言で、私らの世代の人間はみな知っている言葉で
青い宝石のような地球を思い浮かべたものだが、今回の野口氏の印象はそれ以上に『まぶしさ』であったという。
『まぶしさ』・・・ということで、私の頭にとっさに浮かんだのは『南無大師遍照金剛』の『遍照』・・・ということ
『遍照金剛』というのは真言密教のいう『大日如来』のこと。
無重力状態で坐禅を組んで、『無重力が人間の存在意味にどう影響するのか?』・・・を研究のために試したそうだ。
で結果的に、坐禅は無重力では心の安定にはつながらない・・・と結論したそうだ。
このくだりで『人間は聴覚で重力の基準をつかむ…』という一文に出逢い、私は非常に興味深かいものを感じた。
仏教では『観音』、ヨガでは聖音『オーム』・・・など深い瞑想と聴覚には何か密接な関係があると思う。
『宇宙が身近になていることについてどう思うか?』という質問に対して
『宇宙に向けて地球から飛び立てば、どんどん何かが欠けていきます。
地球の家族や友人と物理的な距離は離れるし重力もなく、食べ物も制限される。船外活動で夜になれば視覚もなくなる。
つまり、宇宙は永遠に続く『引き算の世界』であり、最後に何が残るのか、残ったものとどう折り合うかが問題になります。』
『 色即是空、空即是色 』・・・とか昔の人は言ったわけであるが、よくもまあ『空』…とか言ったものだなァ〜と感心。
人類の科学的進歩が『色』とか『空』とか仏教の教理上のことがらを、どんどん物理的に視覚化してるのを観るようで不思議な気がする。
彼の体験したこと・・・それって全然違うようであるが、私が経験した寺での禅修行に非常に似通っている気がする・・・
禅では悟りを求めて、私のように郷里(サトリ)を観る、宇宙飛行士は郷里からはるか遠くに離れて初めて郷里を感じた
それは、どちらも郷里を鏡にしたときに観える景色(自分)なのだと思う。自ら分かれ、自ら分かる・・・それが自分なのだから。
禅や瞑想に心底打ち込んだ人々が残した言葉には、宇宙飛行士の体験したビジョンと重なるのは、そこなのだろう。
生命が現れる
華厳経では補陀落とは観音菩薩の浄土とのこと。
そこに行く船という意味もあるようですが
ここでは宇宙船ですね。