10月29日韓国ソウル梨泰院での154人圧死事故の悲報は、世界中の人を震撼させた。
この事故が起きる以前、私は『道の字』の『首』について考察していて、これについて何かブログに書こうと思っていた。
『漢字』の著者・白川静氏によると『道』の字の『首』についてこう述べている。
『異族の首を境界のところに埋めておく、『呪禁』として有効であった。ことに族長の首ならば最も効果がある。』
・・・つまり、『道』の字のおこりは『呪禁』として道の脇に異族の首を埋めた・・・という事から発想しているらしい。
私、馬骨としてはこれとは全く違う、発想・・・と言っても、私自身の発想というのではなくインド、中国、韓国、日本という
仏教思想を主体とする、大雑把な東洋思想の流れの中から育まれてきた『道』・・・というものが、
『すべからく人間の悟性の開花』を導くのを『道』と定義する所に落着する『道』における『首』を考えていたところに
『韓国ハロウイン圧死事故』の悲報が入ってきた。
そもそも『ハロウイン』とは、『秋の収穫を祝い悪霊を追い出す古代ケルト人の祭りが起源』(大辞泉より)…とあって
古代中国の『呪禁』とほぼ同質の発想から起こっている気がした時、ソウル梨泰院の狭い路地『道』で起こった圧死事故は
『呪禁』であるはずの『ハロウイン・道』の時空にあって、その真意から全くそれた人々が密集した所を悪霊に取り憑かれてしまった
のだろうか・・・などと、ありえない路上での圧死事故の悲報に頭(首)がついていかない私は、あらぬ妄想を抱いたのだ。
『悲劇』の『悲』は『心に非(そむ)く』ことであると読むとき、人の『道』にそれる心のあり様を
仏は『慈悲』の心で観て、人々の『覚醒』を待っているのだろう。 喝!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます