拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『?』の喚起

2023年05月12日 | 東洋自分なり研究所

  昨日、『無宗教』と自称する年配日本人女性と話す機会があり、いろいろ考えさせられることがあった。

  私自身もそう自称していた事もあったので、彼女が言っていることは良く分かるつもりだが、彼女は『無宗教』という耳栓で

  内から湧いてくる『?』に全く耳を傾けようとしていないのでは??・・・そんなことをふと思った。

 

  例えば、仏教という宗教を自己の外側から受け入れなければならないモノ…と解すれば、自己と相容れない要素があれば遠ざけるであろう。

  しかし、それが自己の内から湧き出てくる『?』に対して心から腑に落ちる答えを与えてくれるのが『仏性』であると解した時

  仏教はその人にとって宗教以上のモノとなる。

 

  私はその女性と話をしている時、彼女にとって宗教とは自己の外側にあるものと解しているように思えた。

  それはつまり、本来『DNA』に備わっている『悟性』を開くカギとなる『?』に気付いていない、『観』の眼を持っに至っていない・・・のだ。

  本来、人は『マトリクス』に気付き、そこから目覚めようとするものであるが、中には『マトリクス』のあまりの居心地の良さに『?』を無視する人がいる…

  そのような人が案外多いことに私は今まで気が付かなかったのではないか。 

 

  それは『選挙』における『投票権』のように、統治者にとって気付いてほしくないモノ・・・なのかもしれない。

  自己の『悟り権』を妨げるのは『自我』という『愚かさ』であり『高慢』で、

  その意味では開経偈(かいきょうげ)にあるように『無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭いおうこと難し・・・』とは確かに言えてる。

 

            

 

  

  



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