『冷却作業、年単位で=2、3号機、圧力容器破損か-原子力安全委見通し』
国の原子力安全委員会は29日、福島第1原発の原子炉や使用済み核燃料プールの冷却作業について『(必要な期間は)年オーダーと考えている』と明らかにした。
代谷誠治委員は、『核燃料の熱は運転を止めた瞬間に(運転時の)数パーセントに落ち、1~2週間で1%に落ち、そこからはなかなか落ちない。』
『原子炉の冷却に使った水を海水と熱交換して循環させる系統の復旧が必要だ。』
『しかし、海水をくみ上げるポンプも故障し、発注だけでも数カ月かかるが、循環系統は1、2年で復旧させなくてはいけない。』
『破損した部分から漏れた汚染水を処理するために、池やプールのような貯蔵施設を準備する必要もある。』とした。
一方、2号機と3号機の原子炉圧力容器について、
『圧力が上がらないということはどこかから漏れていると思うのが自然だ。』と述べ、損傷の可能性を示唆した。(時事通信2011/03/29)
『原発ニュースが小さくなる』
前日まで大きく大一面で扱っていたのに、突然扱いが変わり新聞の大一面の原発ニュースが小さくなるが、収束に向かいつつあるのではなく正反対に、これは危険な兆候である。
原発の冷却には年オーダーが絶対必要であり、しかも密閉構造の格納ビルが破壊され格納容器に損傷がある悲惨な現状で、放射能汚染物質を封じ込めている最後の砦だった圧力容器が損傷しているとの、原子力安全委員会の驚愕の発表が小さな目立たない三面記事に載るなど、本来はあってはならない。
国家の一大事である29日に行われた国の原子力安全委員会の公式記者会見での発表を、大一面で取り上げない新聞社の編集局の見識が疑われる。
『嫌な世の中に・・・』
今の日本では毎日毎日テレビのコマーシャルで『デマに惑わされない』だの『買占めは止めよう』と耳にたこができるほど流れている。
縁起でもない。本当に最悪で気分が萎えるやり方である。
これ、間違いなく70年ほど前にも同じ事が起きていますよ。
66年前の8月15日までは今の同じ。
この日本国で今と同じ様に、当時はテレビが無かったが、やっぱり毎日毎日『デマに惑わされない』だの『買占めは止めよう』と耳にたこができるほど宣伝が流れていたのです。
これは、余り書きたくない嫌な思い出なのですが、私の子供時代には沢山の大人が、『今度戦争があれば上手く立ち回って今度こそ(政府やマスコミに騙されないで)絶対に大儲けするのだ』と恥ずかしげもなく人前で公言するのですよ。情け無い。
そうなのです。
あれほど毎日毎日程繰り返していた『デマに惑わされない』だの『買占めは止めよう』と耳にたこができるほど流れていた話は大嘘であり、正反対にデマの方が真実だったのです。
お上の方針とは正反対に密かに悪賢く買占めしていた連中は戦後は濡れ手に粟の大儲けをして大金持ちになり、国家の宣伝を信じた普通の真面目な市民だけが酷い目にあって塗炭の苦しみを味わう。
正直者が馬鹿をみて、戦後に長者番付の上にいる者たちは全員が物資の隠匿であるとか買占めに走った悪党連中ばかりだったのです。
『3度目の歴史的な転換点』負け戦ほど辛いものは無い
今の日本はアメリカのベリー提督の黒船来航や第二次世界大戦の敗北に匹敵する国難(全ての価値観の歴史的な根本的転換点)に見舞われているが、一番の問題点とは『では、今の時点は先の大戦の何時頃に似ているのか』ではないでしょうか。
すでに今上天皇の、歴史上二回目の玉音放送は行われたが、反応がいまひとつ。
マスコミや識者の反応が『何も無い』といっても良いくらいなのです。
それならポツダム宣言受諾での無条件降伏の8月15日ではない。
地震翌日の3月12日の1号機の爆発で原発安全神話が吹き飛んだが、これは開戦翌年のミッドウェー海戦での日本軍不敗神話が吹き飛んだ話とそっくり同じ出来事であろう。
悪いニュースとしてヨウ素134が1000万倍との報道が二転三転して半日後に否定されたのですが、最初の発表が正しくて事実なら再臨界が始まっている。
同じ時期に東京電力は、今まで断っていたフランスのアレバに救援を依頼した。
ですからヨウ素134が正しいか間違っているかは不明だが東電は再臨界を想定して動いている。
それなら、今の日本は敗戦一年前の日本の最後の防衛ラインであるサイパン陥落時とそっくり同じ悲惨な有様ですよ。
この時に集団自決に追い込まれたグアムやサイパンの日本人は文字どうりの地獄を体験するが、対照的に本土の日本人は本当の戦争の恐ろしさを暢気にも未だ何も知らなかった。
今がサイパン陥落に符号するなら、日本人の本当の苦難はまだ始まったばかりであり、これから益々戦況は悪化の一途を辿ります。
検閲は、これをしてはならない。
とあります。検閲が国民の利益を大きく害した歴史的経験から、この規定が憲法に入っているわけです。しかし現在の日本で、実質的に検閲が行われているかどうか追求することはタブーなのでしょう。それでは現行の日本国憲法は、報道におけるこのタブーを合憲としているのでしょうか。
あからさまで露骨、見え見えの旧日本型は誰の眼にも『検閲されている』と判って仕舞う重大な欠点があったのです。
それに、この方法はある程度の知識のある層では話の前後から判断して『何が隠されているか』が判って仕舞うのですよ。
日本を占領したアメリカ軍ですが、もっと巧妙であり検閲の事実が判らないように工作して普通の知識程度では『隠されている』との明確に事実が誰にも判らないのです。
今はやり方がもっと巧妙に進化していて、『知られたくないニュース』は隠すのではなくて、もっと面白そうなニュースの洪水で判らなくする。
それでも漏れ出してくる悪いニュースは『陰謀論』であるとか、『とんでも』と呼んでお笑いや色物扱いで誤魔化すのですね。
そうです。
何かを隠そうと色々工作すれば余計に目立つのですよ。
だから隠さないのです。
見え見えの旧日本軍的な検閲では、自分が悪いことを隠していますと告白しているのと意味は同じ。
今度の福島第一原発ですが、これは日本一国の大問題ではなくて原発を推進していたアメリカやフランス。イギリスの大問題でもある。
特に一番困っているのは多分フランスですよ。この国は国策として原発を推進していた。
国内の電力需要の8割は原発であり、実はトンデモナイ綱渡り状態なのです。
飛行機の事故の大多数は巡航中ではなくて離陸と着陸時の事故なのですが、これは原発でも同じで危険が集中する。
電力は昼と夜とでは需要が大きく違い、普通は制御が簡単な火力発電の電力でこのギャップをカバーしているのですがフランスでは原発のシェアが大きすぎて火力だけでは賄いきれず、恐ろしいことに原発でも行っている。
3・11以後は海外でも原発がニュースの6割を占めているのです。
これはフランスにとっては都合が悪すぎる。
あの意味不明の着陸点が決められていない無謀すぎるリビア介入の目的とは、大衆の目を反らす目的であることが十分考えられる。
リビアですが、どちらに転んでも誰も得するものが無い不思議すぎる悪い戦争ですね。それなら大事なニュースを隠蔽する目的以上の理由が考えられないんです。