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毎年恒例の、1月2日に皇居で行われる「新年一般参賀」のひな壇に並ぶ12人中たった3人しかいない男性皇族(★注、現天皇の弟である秋篠宮文仁親王が生まれた1965年〈昭和40年〉11月30日から秋篠宮の3人目の子供(長男)の 悠仁親王が生まれる2006年〈平成18年〉9月6日までの41年間も天皇家では8人連続で女性しか生まれなかったので現在の天皇家はほぼ女性ばかりの構成になった )
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今回右翼マスコミのバッシングが怖くて4年も延期した末に、もし断念すれば先輩の3人の仲間入り。いかず後家になるのは確実なのです。その辺の事情を熟知している両親の秋篠宮夫妻も長女の結婚を密かに応援しているはずです。今回の婚約を逃すと結婚出来ない。

小室圭さん(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが問題なのは母親の金銭問題ではなくて石原慎太郎の長男以上の特徴が無い石原伸晃と同じで男なのに眉毛をいじって「下がり眉毛」を修正している事でしょう。(^_^;)
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竹田恒泰氏が小室圭さんを絶賛 女性宮家の議論が後退「KKのおかげ」「全部吹っ飛んだ」
2021年06月23日 18時39分 東スポ
延々と飽きることなく週刊文集など右翼メディアが何故か秋篠宮長女の結婚話に理不尽なイチャモン、具体的には婚約者の大学の同級生男性への汚らしいヘイトスピーチ(明らかに刑法の名誉棄損にまでエスカレートした過激な罵詈雑言)を繰り返す原因とは、6月23日付け東スポの竹田恒泰が何とも正直に語っている。具体的には今上天皇(第126代天皇徳仁 なるひと)の唯一の子供(愛子内親王)が標的であり秋篠宮長女の結婚や婚約者の小室圭氏(KK)などはどうでもよい呪いの藁人形で、それ自体には何の意味もないのである。
(★注、それにしても見かけがアホにしか見えない竹田恒泰が中身も阿呆だったとのオチ。本来このような内緒の重大な話はマスコミに絶対に語ってはいけない致命的なオウンゴール)2021年09月28日 | スポーツ・文化 大横綱白鳳が「勝ち逃げ」する奇々怪々
眞子さまと小室さん、会見は質疑応答なし 宮内庁「回答に恐怖心」
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今週の本棚『昭和23年冬の暗号』=猪瀬直樹・著 橋爪大三郎評
猪瀬氏は三○代の女性から手紙を受け取る。「ジミーの誕生日の件、心配です」。偶然見つけた祖母の日記の末尾の言葉だという。猪瀬氏はさっそく謎解きに取りかかる。
祖母は子爵夫人。戦時中から昭和23年までの日記だ。夫人の子息(女性の父)は皇太子明仁殿下御学友。空襲を逃げ延び、食糧難に苦しみ、生活能力のない夫に倦(う)み、戦後を生き始めた夫人の前に、占領軍の将校が現れる。GHQ民政局のケーディス大佐。日本国憲法の生みの親だ。
(抜粋)
8月7日 毎日新聞 (橋爪大三郎・社会学者)2021年09月02日 | 政治・外交と天皇制 いとう?黄昏の帝国の祟りと呪い
「愛子天皇待望論」に見る、「プリンセス天皇制」という可能性
美智子様以来、女性が皇室を支えている
2019年6月19日 現代ビジネス
島田 裕巳 宗教学者 作家
女性天皇が普通に語られる時代
平成が終わり、令和の時代が始まって、「愛子天皇待望論」が、以前にも増して強く主張されるようになってきた。
女性天皇は、過去の歴史で、幾度となく即位している。(★注、飛鳥時代の数百年は男女比が半々だったが、敗戦直後に大慌てで「現人神」を削除した今の皇室典範は女性の即位を認めていない)
最近、「AAゴールデンエイジ」という小説が公開され、ネット上で話題になっている。(作者名OjohbombonX)
タイトルからはまったく想像できないが、これは、愛子天皇の時代の物語で、舞台は2050年、日本で初めて女性の首相が誕生する。それが、子役として名をはせ、現在でも女優、タレントとして活躍する芦田愛菜。タイトルのAAとは、愛子天皇のAと、芦田愛菜のA。小説のなかで、2人はスーパーレディーに設定されていて、友だち以上に親しい関係を結んでいる。
「首相就任時、愛子帝が『おめでとう』とカジュアルに祝意を伝えると、芦田首相もまた気軽に『火中の栗だよ、こんなの』と応じた」
もちろん徹頭徹尾フィクションだが、ひどくリアルで、それは、愛子天皇が誕生する経緯である。愛子天皇が誕生するのは、現在皇位継承資格者の第2位にある悠仁親王が、天皇に即位したくないため、失踪してしまったからだ。もし愛子天皇が誕生したら、この小説は、未来を予言したものとして高く評価されることになるかもしれない。
その背景には、「直系なのに……なぜ」
女性首相の方は、女性天皇とは異なり、法律上の制約はなく今すぐにでも、女性が首相の座につくことは可能である。
女性が天皇として即位し、女性が首相に就任すれば、それは相当に大きな変化である。こんな小説が生まれるのも、日本の社会が大きく刷新されることを望む声があるからだろう。
女性天皇が誕生するには皇室典範の改正が不可欠である。(★注、明治憲法に付随する皇室典範は制定されてから実質的に一度も改正されていない。敗戦時のGHQ民主化に合わせた部分改定と明仁上皇の生前退位の附則が追加しただけ)
明治時代に、大日本帝国憲法が制定されたのに伴って、旧皇室典範が誕生するが、それまで皇位継承を規定した法律は存在しなかった。明治以前にも、それを定めたものはいっさいなかったのである(★注、そもそも「皇室典範」自体が日本の長い伝統から大きく逸脱した代物)日本国憲法が男子継承を規定しているわけではなく女性天皇を認めるためには、憲法を改正する必要はない。
現行制度のままであれば、次の天皇は悠仁親王になる可能性が高い。現在の天皇と皇嗣とされた秋篠宮とは5歳しか離れておらず、秋篠宮即位の可能性は低い。これまでの伝統では、次に皇位を継承する皇族は皇太子の位についてきた。それに従えば、秋篠宮は皇太子になっても不思議ではないが、皇室典範では、天皇の長男しか皇太子にはなれないため、皇嗣という、これまでにない呼称が用いられることとなった。そこに、秋篠宮の立場の曖昧さ、微妙さが示されている。
悠仁親王は皇嗣の長男でも(★注、皇室典範では)秋篠宮が天皇に即位しなければ皇太子になれない。そうなると、皇太子にならないまま天皇に即位することになる。そうした点で、悠仁親王には、どうしても傍系という印象がつきまとう。
愛子内親王は女性ではあるものの天皇の直系である。もし男子として生まれていれば皇太子の位についていたはずだ。そこに、愛子天皇待望論が生まれる、1つの要因がある。
戦後の天皇制を支えたもの
美智子様登場以来の「プリンセス天皇制」
もう1つの要因として考えられるのが、彼女の母親、さらには祖母の存在である。母親とは雅子皇后のことであり、祖母とは美智子上皇后のことで2人に共通しているのは、いわゆる「民間」出身の皇后だということである。
美智子上皇后以前の皇室の伝統において、皇后は、天皇の后ではあるものの、表に出ることは少なかった。近代に入っても、国民の前に現れる機会は少なく、国民と相対するのは天皇だけということが続いてきた。
ところが、美智子上皇后は、皇太子妃であった時代から、皇太子とともに行動することが多く、とくに皇后になってからは、天皇と皇后はいつも一緒に行動しているという印象を与えてきた。美智子上皇后ほど、その存在感が際立った皇后は歴史上いない。匹敵するのは、神功皇后と光明皇后くらいだが、神功皇后は神話的な存在であり、光明皇后にまつわるエピソードも多分に伝説化されている。
雅子皇后の場合も、皇太子妃時代は十分に活躍できたとは言えないが、皇后になると、すでに皇室外交において力を発揮するようになり、にわかに存在感を増している。
美智子上皇后の場合、皇后時代には、天皇以上に国民から注目されていた。交友関係も広く、歌の才能も群を抜いていた。
昭和の時代を回顧したときには、昭和天皇だけが浮かんでくる。だが、平成の時代については、天皇と皇后を切り離すことはできない。天皇は日本国憲法によって規定されるが、国民主権であり、象徴天皇を支えるのは国民の意思である。国民が支持しなければ、平成時代の天皇の振る舞い方はできなかったはずだ。
その国民の代表が皇后であったとも言える。それは、皇后が民間から選ばれたからで、旧皇族や旧華族から選ばれていたら、そうはならなかったであろう。その点で、美智子皇后の誕生は、皇室の伝統を大きく変えた。それは、雅子皇后に受け継がれて、その先に、2人の血を受け継ぐ愛子内親王がいるわけである。
悠仁親王も、美智子上皇后の孫であり、母親も民間出身である。悠仁親王が結婚し、相手の女性が、民間出身で、なおかつ注目を集めるような存在であれば、事態は変わるかもしれない。だが、悠仁親王は中学校に入学したばかりで、結婚は相当に先のことと考えられる。それまでは、愛子内親王の方が、女性である点で、どうしても国民の注目を集めやすいのである。
それは太古より
「女の治め侍る国なり」
1467年勃発の応仁の乱は日本社会全体を戦乱に巻き込んでいくが、その時代に摂政関白をつとめた人物に一条兼良がいた。兼良は学問に秀でていて菅原道真以来の天才とも言われた第一級の知識人だったが、彼が日野富子に献呈した本に『小夜寝覚』のなかで、兼良は、皇位の継承にかんして、次のように注目すべき発言をしている。
「この日本国は、和国とて、女の治め侍るべき国なり。天照大神も、女体にて渡らせ給ふ上、神功皇后と申し侍りしは、八幡大菩薩の御母にて渡らせ給ふぞかし」日本は女性が治めるべき国で、それは、天皇家の祖とされる天照大神が女性であり、神功皇后が当時八幡大菩薩と呼ばれることが多かった八幡神の母だからだと言うのだ。
八幡神は、もともとは渡来人が祀っていた神だが、神功皇后が生んだとされる応神天皇と習合して、天照大神に次ぐ第二の皇祖神として信仰を集めるが、兼良はそこに着目しているわけである。皇位は男系で継承されてきたとはされるものの、一番元に遡れば、女神に行き着く。ならば、本来は、皇位は女系で継承されるべきものだったのではないのか。ここに、邪馬台国の卑弥呼を加えてもいいかもしれない。
日本を本当に平和な国にするには、女性天皇の方が好ましいのではないか。そして、皇位は女系で受け継がれていくべきなのではないか。それが、本来の日本のあり方なのではないか。「AAゴールデンエイジ」の元をたどれば、この兼良の考え方に行き着く。
愛子天皇待望論は、国民がむしろ女系での皇位継承を希望しているということがあるのではないだろうか。私たちはもう一度、兼良の主張に耳を傾ける必要がありそうだ。
(抜粋)
2019年6月19日付け現代ビジネス(島田裕巳)を読むと諸悪の根源は古代からの長い日本の天皇制の伝統を大きく逸脱した西洋キリスト教的「国家神道」の明治の「皇室典範」の抜本的改正か廃止が待ったなし。一刻を争う喫緊の課題だったのである。(★注、憲法改正に執心する安倍信三など日本の極右勢力が皇位継承第一位の秋篠宮が継子のような「皇嗣」ではなくて正式な「皇太子」にする皇室典範の改正を言い出さない不思議)
現行のままでは女性天皇は無理でも摂政は今直ぐでも可能
宗教学者の島田裕巳によりと、現在のままの皇室典範でも愛子内親王が成人すれば摂政(天皇代理、代行)にはなれるらしい。(★注、皇極天皇の摂政だった中大兄皇子が天智天皇に、大正天皇の摂政のヒロヒト皇太子が昭和天皇になるなど、天皇の代理である摂政は後に『天皇』に昇格する例が多い)
皇極天皇(斉明天皇)など男女比が半々だった飛鳥時代の日本の天皇制では他の東アジアとは大きく違い性別には重きを置いていなかった。ところが、逆に天皇(大王)の年齢には厳しくて思慮分別の出来る40歳程度を天皇即位の目安にしていたらしいのである。今上天皇が働き盛りで引退して、気に入った子供の皇太子など10代とか20代で次期天皇に即位させて、自分は上皇になって院政をしくのは平安時代以降に新しく始まった風習だった。天皇即位の元々の伝統では、血筋は大事だが性別は問題ではなかったのである。平均余命が80歳を大きく超える今の時代の40歳は働き盛りの世代だが、飛鳥時代なら中高年(老人)世代である。(★注、何れにしろ女性は閉経で生殖年齢(子作り)が終わった世代)
皇室典範の裏技
もしも今の徳仁天皇が父親の明仁上皇に倣って85歳で譲位すると42歳違いの長女(愛子内親王)は43歳で飛鳥時代ならピッタリ天皇適齢年齢だった。愛子さんが30代から摂政(天皇代理)として帝王学を学んでいれば最適な人選となる。(★注、実務を担う女性首相は極右の高市早苗や緑タヌキの小池百合子の悪しき例があり賛成しかねるが、逆に象徴としての日本の女性天皇は間違いなく日本国の世界的イメージアップに貢献する)
八咫烏の神話や、熊野水軍の本拠地で日本独自の修験道(仏教と神道が融合した山岳宗教)の総本山でもあった熊野本宮大社の参詣曼荼羅。(★注、熊野本宮大社は明治22年(1889年)の大水害までは熊野川の中洲の大斎原にあった)
伊勢神宮(天照大御神)よりも天皇家の信仰心が篤かった神仏融合の熊野権現
『日本書紀』によると日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の子供の仲哀天皇(第14代天皇)は九州の熊襲征伐の途中に妻(神功皇后)が神がかっって『朝鮮征伐の神託』を受けるが、仲哀天皇が神託に従わなかったため神(アマテラス)に殺されたとの恐ろしい記述がある。
宗教学者の島田裕巳は、天皇の住む京都御所内にはアマテラスを祀っていないとか、明治天皇以前の歴代天皇は誰一人も伊勢神宮にお参りしないなど、天皇家の先祖神としての天照大御神(伊勢神宮)の意味が何とも不可解である。
壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から伊勢神宮(天照大御神)に参拝して必勝を祈願、岐阜で挙兵して天智天皇の息子の大友 皇子(弘文天皇)を殺しているなど何とも血なまぐさい歴史がある。
長い間、天皇の未婚(処女)の内親王が都から遠く離れた伊勢神宮に斎王として派遣される仕来たりは万葉集などでも『悲劇』として歌われている(天皇家の守り神というよりアマテラスには『祟り神』の要素が強いらしい)
このため歴代の上皇(法皇)や女院は伊勢神宮ではなくて紀伊半島南部の熊野本宮大社(那智大社など熊野三山)を参拝していた。京都から1カ月もかけ『中辺路』の山道を使って熊野詣を歩いている。(他にも高野山からの『小辺路』もあるが標高が1000メートルもあり険しい。距離的には一番短い十津川はもっと険しいので熊野詣には使われなかった)
上皇の熊野御幸(熊野詣)
初めての上皇による熊野御幸が行われたのが907年、宇多法皇が熊野を詣でた。992年花山法皇が詣でる。1090年、白河上皇(1034~1129)が9回もの熊野御幸が行われて、その後は鳥羽上皇は21回、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回など 熊野信仰(熊野詣)が爆発的なブームになる。
天皇は様々な規制で自由な行動が許されないが、何ら法的な根拠がない上皇(天皇の父親)は権力や財力を持ちながら自由に行動できるので熊野御幸が可能だった。(天皇の祖先神として伊勢神宮は朝廷を牛耳る藤原氏と強く結びついていたので上皇が嫌がって『熊野御幸』になったとの説がある)
奈良県五条市(旧大塔村)の天辻維新歴史公園(天誅組の天辻本陣跡)天辻峠は標高は790メートル、 紀ノ川水系(丹生川)と熊野川水系(十津川)の分水嶺で、西熊野街道で十津川村に至る要衝
10連休中にかねてからの懸案だった熊野本宮大社と天誅組の本陣跡(旧大塔村の天辻峠)を訪れたのですが、熊野本宮の方はユネスコの世界遺産に登録されたので大賑わいだったが、天誅組の天辻本陣跡は10連休中でも人っ子一人いない無人地帯。閑古鳥が鳴くスカスカの空白状態、まさに穴場。
歴史の闇に埋もれた「天誅組」(中山忠光卿の挙兵)
五條市大塔町の誅組天辻本陣跡は、王政復古(明治維新のクーデター)の4年前、明治天皇の叔父にあたる中山忠光卿が大和五条で『尊皇攘夷』の十津川郷士など千数百人を率いて挙兵した天誅組の実質的な終焉の地である。
歴史的意義でも規模的にも新撰組を遥かにしのぐ『天誅組』ですが、なぜか誰も注目しない。
天誅組主将の中山忠光は尊皇攘夷の長州藩の光明寺党の党首として下関戦争に参加し外国船砲撃を行った。ところが部下の久坂玄瑞の名前だけが有名になっている理由ですが、忠光卿は天誅組が壊滅した後に長州に落ち延びたが、亡命先の長州藩に謀殺される。
禁門の変(蛤御門の変)で天皇が住む御所を砲撃した久坂玄瑞は朝敵だったのに軍神として靖国神社に祀られている。ところが、長州に殺された天誅組の中山忠光の名前は何処にも無い。
亀井静香が言うように、今の靖国神社は長州の『氏神様』程度である。到底日本の戦没者を慰霊する神社とはいえないだけではなく、尊王でもないし愛国的でもない)
長州藩の旗印の『尊王攘夷』ですが、政権掌握(王政復古)後には早々と開国に転じたように『攘夷』は真っ赤な嘘だった。これと同じように、『尊王』の方も口から出まかせの嘘八百だったので、本物の『尊皇攘夷』の天誅組とか中山忠光の存在自体が不都合だったである。(幕末に日本を訪れた外交官アーネスト・サトウの日記によれば、徳川将軍と姻戚関係にあり『尊王攘夷』の孝明天皇は長州藩によって暗殺されていたと書いてある)
天誅組の主力となったのが1000人の十津川郷士ですが、十津川は幕府の天領(五条代官所の管轄)で年貢を免除されていたので、『尊皇攘夷』ではあったが討幕派では無かったと言われている。天誅組の本陣跡(旧大塔村の天辻峠)は700年前の後醍醐天皇(南朝)の息子で最有力武将の大塔宮護良親王(もりよししんのう)ゆかりの土地でもあった。(現在の天皇家は北朝方の系列)
『思いきや野田の案山子の梓弓 引きも放たで朽ちはつるとは』長州藩に殺された天誅組の中山忠光卿の辞世の歌とされている
明治天皇の生母中山慶子は中山忠光の姉にあたるので、もしも(ニセ『尊皇攘夷』の)長州藩に暗殺されす(天皇の叔父の)超大物の中山忠光が生き残っていたら明治政府で岩倉具視など下っ端(下級公家)の出る幕はまったくない。
また、清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ正親町三条家(嵯峨家)出身の浩は、忠光の曾孫にあたる。(長州亡命中に中山忠光と親密な関係になったトミは、忠光が暗殺された後に遺児仲子を産んだ。その孫の浩は政略結婚でラストエンペラーの弟と結ばれる)
中国の国父である辛亥革命の孫文の号である『中山』は、日本に亡命中の孫文が天誅組の中山忠光にあやかって自分の号を『中山』と命名したと言われている。ところが、肝心の日本国内では中山忠光も天誅組も歴史の闇に埋もれたまま。
★注、これら、すべての不思議の原因は安倍晋三などニセ右翼と長州藩の胡散臭い妄動が影響していた.
一億総『随神の道』(かんながらのみち)で左翼が消滅 \(^o^)/オワタ
日本に来た仏教もキリスト教も古来の『かんながらの道』(ありのままに全て受け入れる)に変質し超越性を失ったが、『生まれながらに尊い人』を認めるとは、『生まれながらに卑しい人』の存在も認めることですよ。★注、自らの教義に反するので仏教徒もキリスト教徒も、もちろん本来は民主主義者も科学者も共産党員も認めては絶対に駄目で、それは棄教とか背信、転向、腐敗堕落の極みである。2019年05月08日 | 政治・外交と天皇制 「お健やかな天皇を願っていません」デンデン安倍晋三
孫崎 享 @magosaki_ukeru 2016-08-10
戦前の右翼中「ゾルレン(あるべし)の天皇」と「ザイン(ある)の天皇」がある。ゾルレンの天皇を守るためザインの天皇を殺していいという考え方が出た」(鈴木邦男氏)。今その考えじゃないか、日本会議、安倍首相の周辺に存在。2018年10月15日 | 政治・外交と天皇制 ゾルレンのためにザインの天皇を殺す偽右翼
躓きの石としての天皇 超克されざる『近代――近代日本のパラドクス』 革命への赤き心は、なにゆえ脱臼され、無限の現状肯定へと転化されなければならないのか。
右翼とは『失われた理想の過去に立脚して現在に異議を申し立てる』思想や勢力のことで、今の社会問題は、過去の理想的な社会からの逸脱からもたらされたもので、過去に立ち返れば全ては良くなると考えている。
ところが何処まで歴史を遡っても天皇制があるので無条件の現状肯定になる。
現状肯定なら、『右翼』とは呼べないので我が日本国の右翼は全てが、現状肯定を身上とする『保守』を自認する。
世の中を変えようとする、だがうまくいかない
どうせうまく変えられないならば、自分で変えようとは思わないようにする
変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる
すべてを受け入れて頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る
それで、様は、『美しくしても死ぬときは死ぬ』のだと思い至る
それならば、『美しい国を守る』ために、『潔く死のう』と思う
思考より『美しい死に様』が重視されれば1945年の破滅まで右翼思想は一直線に導いていく。近代日本の右翼思想『つまづきの石としての天皇』が理解出来れば、極右楯の会の三島由紀夫の割腹自殺も『一直線』だったと解る。2008年04月14日 | 政治・外交と天皇制 『近代日本の右翼思想』 つまづきの石としての天皇
そして彼は同会のイラク訪問団(団長:木村三浩)、鈴木邦男(一水会顧問)、塩見孝也(元赤軍派議長)、平野悠、PANTA(音楽家「頭脳警察」)、沢口友美(ダンサー)、雨宮処凛(ノンフィクションライター)、大川豊(大川興業総裁)ら計36人の参加者の1人。
「愛の逃避行」で、二人が手に手をとって国を捨てて亡命する話で何かに似ていると思ったら、
1938年の正月に、昭和のトップスターだった岡田嘉子が恋人の若手舞台演出家・杉本良吉の2人は雪そりに乗って樺太の北緯50度線を超えてソ連への亡命を決行したが、
時期的に前年の1937年は日中全面戦争に突入し、日本が軍国主義で滅亡に向かってまっしぐら。現在の日本も同じで病的な右傾化が止まらないのですから政治情勢がソックリですよ。
ただ、2人の選んだ亡命先の当時のソ連ではスターリンの粛清の嵐が吹き荒れていたし、3年後には地獄の絶滅戦争だと言われている独ソ戦(ナチスドイツの奇襲攻撃のバルバロッサ作戦)でとんでもないことになる。第二次世界大戦のドイツ軍戦死者の9割は対ソ戦であり、ソ連側の死者数は2700万人と桁違いの莫大な数字になる。二人は、一番悪い時期に、一番悪い亡命先を選んでしまった。
今回の眞子さま圭君の亡命先のアメリカでも政治情勢がまったく同じで、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプとアメリカ民主党リベラルメディアの激突して「仁義なき戦い」の意味不明の自由と民主主義を旗印にした粛清の嵐が吹き荒れているし、正体不明の新コロ騒動ともっと正体不明のニュー・ノーマル(グレート・リセット)の先行きが見えないのですから、岡田嘉子と杉本良吉が亡命した当時のソ連よりも勝敗が不安定。吉と出るか凶と出るかの大博打だが、愛のために全てを捨てて亡命したお二人には幸せになってほしいと願うばかり。
今の日本では、異常な右傾化でお二人の身の安全も確保できない。
宗純さん、Let's go Brandonをご存知ですか?
https://www.rt.com/op-ed/538115-lets-go-brandon-meme-biden/
NASCARでのこと、背後でFJBの大音声が聞こえているにもかかわらず、NBCのレポーターがそれを優勝したBrandonさんへの声援でもあるかのようにLet's Go Brandonと報じたことから、バイデン批判に加えて、いかにメディアがバイアスであるかを揶揄するフレーズになりました。
ヒラリーの時のLock Her Upを彷彿とさせます。
メディアにあれほど叩かれたトランプでさえ、一番汚い言葉で罵られることはありませんでした。それほどアメリカ人は怒っているということです。
今のアメリカ、特に青い州ですが、日本維新の会が政権をとったらおそらくこのようになるであろうと思われます。コロナ対策のためであれば、私権制限を厭わない、それがどんな社会であるか、日本人はアメリカやEUで起こっていることを直視するべきです。
枝野さんら野党は政権を取る気がないのではなく、政権をとりたくないのです。貧乏くじを引きたくないのです。こんなどこへいくともわからないコロナ、自民党も野党もアメリカやEUの顔色を伺って、歩調を合わせているフリをしているだけです。
だから誰一人、ワクチン義務化に対する態度を明確にしていないのです。その中で山本太郎だけが、明確に反対している、どこぞの顔色を伺うことなく、真面目に相撲を取ってるということだと思います。