渡邉英徳東京大学 大学院情報学環・学際情報学府 教授が最新AI技術でカラー化した、アメリカ占領軍のマッカーサー元帥に初めて会見したヒロヒトのツーショット記念写真(★注、白黒では気が付かないが、背景が結構な豪華さで、しかも日本的というか東洋趣味)
元々の白黒写真
1945年当時でもアメリカは普通なら白黒ではなく映画はカラーフイルムで撮影されていた。首脳同士の大事な記念写真など歴史的に残す目的の写真では白黒ではなくカラーフイルムを使っていた。(★注、しかし、マッカーサーとヒロヒトの初会見の目的が新聞報道なので白黒写真になっている)
1945年8月15日の「玉音放送」まで普通の日本人でヒロヒトの肉声を聞いたものは誰もいないし、この写真が新聞に掲載されるまで本当の天皇の姿を見たものも誰もいない生き神様だった。(★注、大元帥姿の天皇の御真影は日本中の公的機関や学校の奉掲所に飾られていたが日常的に見るものではない恐れ多い代物。同じく、天皇のお言葉である教育勅語も毎日ではなく紀元節など特別な日だけ校長が恭しく朗読していた)
新進気鋭の政治学者白井聡「永続敗戦論」
『永続敗戦論』の結論部分では白井聡は、『日本は敗戦で終わったあの戦争を、もう一度戦いなおすだろう』との目も眩むような恐ろし過ぎる予言を行ったいるのです。
白井聡は、「ドイツと日本の最大の違いは、ドイツは2つの世界大戦で2度負けたが、日本は1度しか負けていないことです。日本は戦後、民主国家の道を歩んだとか言っているが、ワイマール憲法も民主主義的な憲法でした。その中でナチスが台頭したわけで、日本は長い戦間期を生きているような気がします。
ドイツの哲学者ヘーゲルは「重要なことは2度経験しないと本当には理解できない」と言っています。不謹慎に聞こえるかもしれませんが、再度悲劇が起きなければダメなのかもしれません。」と語っている。(★注、今の日本の政治情勢はwwⅡ開戦直前のドイツに似ている)
靖国史観の安倍晋三(歴史修正主義)など右翼国粋主義者が繰り返し繰り返し主張している『日本は悪くない』ですが、典型的なインテリ政治学者である白井聡の言うように、本来なら「俺たちは本当は負けてなんかいない」の意味になるのですから恐ろしい。(★注、論理として自分たちの負けを認めないならアフガンのタリバンと同じで勝つまで戦争は永久に続くしかない)
「原爆投下は仕方がない」発言が命取りになった久間章生(きゅうま ふみお)初代防衛大臣(79歳)
長崎県出身の自民党の久間章生は長崎県議を経験した叩き上げ組で、1980年衆院選で初当選。2007年には第一次安倍内閣で初代防衛相に就いたが、米国の原爆投下を「しょうがない」と発言し、引責辞任したが、地元市民の反発はすさまじく、2009年衆院選では落選。2012年衆院選は自民党の公認すら得られず不出馬。その後政界を引退する。
アメリカではトルーマン大統領の「原爆で100万人の米兵の命を救った」発言からヒロシマ原爆が日本降伏の決め手だったとの人道にも社会正義にも反する腹立たしい神話が今でも続いているが、日本人としては絶対に認めるわけにはいかない。だから久間章生は「しょうがない」の一言で首が飛んだのである。
日本人として「アメリカの原爆で戦争が終わった」とは口が裂けても言いたくない。しかし、ドイツのようにソ連赤軍が怖くてアメリカに降伏したとはもっと言いたくない。だから敗戦から75年も経った今でも日本人は冷静に第二次世界大戦の敗北の総括を行うことが出来ないのである。
「国体護持」(天皇制の維持)以外の優先順位がゼロだった日本
そもそも、本当に原爆で地獄の本土決戦が回避された(日本が降伏した)のが事実なら、悪魔の兵器ではなくて、日本人にとって原爆こそが唯一の救いの神ですよ。(★注、アメリカ軍の戦争では常に米兵の10倍から数十倍の地元の一般市民が犠牲になる)日本国中に今頃は原子爆弾を「荒ぶる神」として祀る原爆神社が林立しています。
安部晋三首相など日本会議の破壊的カルト宗教の面々も靖国神社ではなくて原爆(リトルボーイ)をご神体とする原爆神社に参拝する。もちろん8月15日には日本人の全員が原子爆弾(リトルボーイの巨大な銅像)をお参りしている。
シベリア抑留研究の第一人者である富田武・成蹊大学名誉教授
/2 ソ連にも敗れた日本 2020年8月12日 毎日新聞
日露戦争と異なり、太平洋戦争末期の1945年8月9日に日本の関東軍とソ連軍の間で始まった戦闘は「日ソ戦争」と呼ばれることがない。
「それは日本が先の大戦は米国に負けたのであり、ソ連に敗れたと認めたくないから。多くの犠牲者と捕虜を出し、短期間であれ明らかな戦争だった。日本は中立条約を破って参戦したソ連を非難するが、真珠湾を奇襲しておきながら偉そうなことを言う資格はない」。「触れたくない」敗戦ゆえに分析が立ちおくれていた日ソ戦争の全体像に迫る『日ソ戦争1945年8月 棄てられた兵士と居留民』(みすず書房)を先月中旬に出版した富田武・成蹊大学名誉教授(74)はこう語る。開戦75年に間に合わせようと、構想からわずか半年で原稿を書き上げた。
シベリア抑留研究の第一人者である富田さんにとって、抑留の原因となった日ソ戦争を書くことは「長年の宿題だった」。10年前に戦間期(17~37年)の日ソ関係に関する本を出し、次は本丸の日ソ戦争に踏み込もうとしたが、当時はロシア側の関連文書が公開されておらず断念した。(有料記事なので以下省略)
死の不可逆性への恐怖感「存在脅威管理理論」
来月で75歳になる富田武名誉教授ですが、5年前にがんが見つかり投薬治療を続ているが自分自身と日本の戦後の総決算として、日本のポツダム宣言受諾がアメリカの原爆か、ソ連軍の参戦かという日本国の最も恐ろしい「禁忌」(タブー中のタブー)に挑戦したのであろう。(★注、人は避けられない死を意識した時に「存在危機管理理論」で愚か者はより愚かに賢者はより賢明になる。悪党はより邪悪に善人はより善良になるなど、元々持っていた個人の特性が両極化する)
ソ連対日参戦で「即座に日本が降伏する」と知っていたアメリカ
たぶん、この毎日新聞「ソ連にも負けた日本」が今までの日本のタブー中のタブーを恐れず、初めての第二次世界大戦の終戦(日本の降伏)を真面目に本気で取り上げたマスメディアであると思われる。(★注、その意味では歴史的な大事件である)
アメリカのルーズベルト大統領はソ連軍参戦こそが「日本降伏」の決め手だと知っていたので、ドイツ敗北(5月9日)から3カ月目のソ連赤軍の対日参戦は早い段階から計画されていたのである。(★注、玉音放送の1945年時点では本土決戦を予定した日本軍は兵力の半分を温存していたのである。アメリカのトルーマン大統領が言うように日本全土が地上戦になれば米兵の損害は100万人。沖縄戦のような事態なら日本人の損害は1000万から2000万人)
今では「終わってしまった」単なる歴史上の出来事程度だが、75年前の日本にとっては全く違っていた。1918年のロシア帝国の最後の皇帝ニコライ二世など300年続いたロマノフ王朝全員の処刑は目の前に迫った最大の危機だったのである。恐ろしいソ連赤軍だけには降伏したくないので必死で抵抗した。ところが、1日どころか一分一秒でも早くアメリカ軍に降伏したかったのである。(★注、8月9日未明のソ連軍参戦を聞いた日本は即座に御前会議を開催してポツダム宣言を受諾「無条件降伏」を決定している)
1年前の2019年8月15日 しんぶん赤旗
証言 戦争 東京・町田市 宮良幸宏さん(80)疎開船が漂着 飢餓地獄
第2次世界大戦・日本の敗戦直前の1945年7月3日。沖縄県石垣町から台湾に向かった疎開船2隻が、米軍機の空襲を受け遭難し、無人島の尖閣諸島・魚釣(うおつり)島に漂着しました。「尖閣諸島戦時遭難事件」です。当時6歳だった東京都町田市の宮良幸宏(みやら・ゆきひろ)さん(80)は、家族8人で約50日間の飢餓生活を余儀なくされました。
疎開船団は6月30日、老人、女性、子どもら約180人を乗せ石垣島を出港。7月3日の白昼、米軍のB24爆撃機に発見され空襲を受けました。
(抜粋)
「しんぶん赤旗」が「証言 戦争」への投稿を募集しています
第2次世界大戦の終戦から75年。
日本の侵略戦争で、アジア諸国民2000万人以上、日本人310万人の犠牲者を出しました。私たちは今、人類が初めて経験する新型コロナウイルス感染症の世界的流行の渦中にあります。
しかし、こうしたもとでも安倍晋三首相は「戦争をする国」づくりを進め、憲法9条改悪をねらっています。悲惨な戦争を二度と許さないために、体験された方の証言を記録にとどめ、未来の世代に語り継いでいくことが、今を生きる私たちに求められているのではないでしょうか。(以下省略)
「ソ連、許しがたい存在」元気な右翼ごたるが、実は日本降伏から75年後の日本共産党(2020年8月15日赤旗)
ところが大日本帝国降伏75年目の節目で、日本の政界最左翼の共産党(赤旗)は大きく政策転換が行われたらしいのですから恐ろしい。(たぶん、日本降伏から75年が経過して、もはや生の証言が得られなくなったのだろうか、?)75年の節目の「証言 戦争」の投稿者は一般の赤旗読者や共産党支持者ではなくて、何と党本部の赤旗記者。しかも8月15日「証言 戦争」の記述が今までの多くの日本兵のソ連抑留者とは大きく違い、特殊なのでにわかには信じられないような驚きの内容なのです。
寒さ・飢餓・チフスで次々
2012年「俺もなんとか死なずにすんだ」石井孫三郎さん94歳は捕虜収容所の有ったアムール川対岸のロシア領を見ながら、しみじみと思いました。
1946年1月後半、収容所で発疹チフスが猛威を振るい、毎日、何人もの死者が出ました。石井さんもかかり、高熱で2週間ほどうなされれ、おかゆで一命をとりとめる。
石井さんは1946年2月、中国に引き渡され何年も強制留用(りょうよう)され、炭鉱で働かされました。その後1960年になって18年ぶりに帰国。石井さんは「生き延びた命をみんなのために役立てたい」との思いから日本共産党に入党。
特派員として
1967年、党本部からチェコスロヴァキアのプラハにあった「平和と社会主義の諸問題」誌の編集局に派遣され、翌1968年のチェコ事件「プラハの春」が起き、引き続き「赤旗」チェコ常駐特派員として取材活動を続ける。当時を振り返り「ソ連は許し難い存在」とゆっくりと重々しく言葉を吐きました。
(抜粋)
8月15日 しんぶん赤旗
ヒロヒト下血騒動と日中50年戦争の呪縛
大正天皇の長男として1901年(明治34年)4月29日に生まれたヒロヒトは1989年1月7日に死亡したが、前年の1988年末からは下血騒動でマスコミが騒然となり、今の新コロ騒動と同じような自粛で色々な催し物が中止されている。(★注、知恵遅れで病弱だった大正天皇の摂政の宮として1921年(大正10年)から1945年の無条件降伏までの24年間、実質的に大日本帝国の唯一の主権者だったので、天皇には誰よりも戦争責任があった)
死にゆくヒロヒトの呪いか祟り
何とも不愉快なヒロヒト天皇下血騒動で、日本中のマスコミでにわかに沸き起こったのが、もっと不愉快な「天皇のご聖断で戦争が終わった」(ヒロヒト天皇は平和主義者だった)との馬鹿騒ぎである。この時日本では唯一、日本共産党(赤旗)はマスコミの論調とは正反対の「天皇の戦争責任」を追及するキャンペーンを連日行ったが多勢に無勢。大敗北を喫してしまう。(★注、それまで選挙のたびに倍々ゲームの勢いで躍進していた日本共産党が、以後は衰退の一途を辿ることになるのですが、まさに死にゆくヒロヒトの呪いか祟りである。天皇の戦争責任は恐ろしいタブーだったのである)以後共産党はヒロヒトの戦争責任云々を言わなくなり、その代わりが「ソ連軍が悪い」「千島は全部返せ」だった。ところが、これは右翼国粋主義とほぼ同じ態度(保守政治家は国後択捉だけだが日本共産党は全千島返還なので右翼よりもっと愛国的)なのですから困った話だ。
最も困難なぼろ負けの戦争を「玉音放送」で止めるだけの力がヒロヒト天皇あったなら、開戦を止めることは簡単なのですから「ヒロヒトに戦争責任がある」(そもそも開戦はヒロヒトの詔勅で始まっている)との共産党の言い分は理論的ではあるが、そんなことは(死ねば悪人でも仏になる)日本人一般には通用しない。
アメリカの原爆は嫌、ソ連軍参戦は考えるのも嫌なら「天皇ご聖断」しか残らない
ソ連軍の対日参戦が戦争を終わらす切り札だった事実は認められないし、腹立たしいアメリカの原爆説は胡散臭すぎて話にもならない。しかし天皇ご聖断説ではヒロヒト大元帥は極東軍事裁判で絞首刑になった東条英機以上に開戦責任があったことになるのですから、死ぬ直前のヒロヒト下血の騒動まで誰一人主張するものが無かったのである。
王政復古(1868年の薩長のクーデター)からでWWⅡの無条件降伏(1945年)までの77年間で、1894年の日清戦争以後の50年以上も延々と戦争を続けていた大日本帝国の血塗られた動乱の歴史。(★注、「日中50年戦争」との認識が歴史学者には無いが、歴史では柔軟な考えが一番大事」である)
日露戦争での戦場は中国限定の局地戦であり、日本軍はウラジオストックやカムチャッカなど極東ロシアは一切攻撃していないしロシア軍も日本本土は攻撃するそぶりも見せなかった。(★注、満州事変以後の日中15年戦争は歴史学者の多くが主張する定説だが、日清戦争以後の日本は中国周辺での戦争を50年以上も続けていたのである。そのすべてが天皇ご聖断「勅諭」で開戦していた)
参考記事
日米合作だった「日本降伏」
渡邉英徳 @hwtnv
73年前の今日。1945年8月19日,沖縄・伊江島を経由し,正式降伏受理の打ち合わせのため,マニラに向かう日本の使節団。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。
(沖縄県伊江島で日本軍の白色緑十字の一式陸攻から降りてアメリカ軍の用意していたダグラスDC-4に乗り換えるところ)
伊江島に着陸する白色緑十字の一式陸攻の一連の画像はアメリカ軍によってカラーフィルムで撮影されていた
昭和20年8月19日、アメリカ戦艦ミズリー号上での9月2日の降伏文章の調印式の準備でフィリピンのマニラでの協議を行うため伊江島に降りた参謀次長河辺虎四郎中将以下降伏使節団の乗った双発の一式陸上攻撃機2機を護衛するのは米軍の戦闘機ではなく一緒に飛んでいるのは機首が赤く見えるB-25 Betty’s Dreamらしい。
『本土決戦(一億玉砕)を目指して着々と準備していた日本軍の決意を一撃でくじいたソ連赤軍の対日参戦』
★注、
ドイツ降伏3カ月以内の対日参戦とのヤルタでの米英ソ3カ国首脳会談での決定通りに8月9にソ連軍侵攻が始まって日本は即座に御前会議でポツダム宣言受諾(無条件降伏)を決定して翌日の10日に連合国軍に打電する。
『本土決戦』(一億玉砕)を目指して着々と準備していた日本の決意を(アメリカのルーズベルトが予想したように)ソ連赤軍の対日参戦が一撃で挫いたのである。(日本はアメリカに負けるのは良いが、ソ連赤軍にだけは降伏したくなかった。ニコライ二世などロマノフ王朝の最後は今では歴史的出来事の一つだが当時は生々しい現実問題だったのである)
8月14日には正式な外交ルートでポツダム宣言を受諾して、15日には日本国内でも『玉音放送』を行って米軍との戦闘行為は一切中止されるが、何故かソ連軍との戦闘は継続され双方に大損害を出しているのです。(第二次世界大戦が終わるよりも早く、疑似第三次世界大戦である『冷戦』が始まっていたらしい)
二人とも仲良く軍服姿のスターリンとチャーチル。(文民である国家の最高指導者とは、例外なく自動的に国軍の最高司令官でもある。ところが憲法9条がある我が日本国では安倍晋三など、自覚がないのに首相をしている不適任者が多すぎる)
同盟国だったソ連と米英、アメリカの敵国だった日本『冷戦の意味するところは』
永久に終わらない筈の日本の公共事業と、永久に終わらない筈の公共事業としてのアメリカの『冷戦』とは、どちらも世界第一と第二の経済大国の経済に取っては欠くべからざる重要な位置を占めていて、(正当な大義名分で大量の公金を半永久的に浪費する)まったく同じ意味を持っていた。
ところが経済事情が変わり、今では日本の無駄に大きい公共事業も、アメリカの公共事業としての冷戦も、どちらも最早続けられなくなっている。
半世紀も続いた東西『冷戦』とは、今にも『戦争が起こるぞ』と世界のみんなに思わせて緊張感をぎりぎりまで高めて戦争一歩手前の際どい瀬戸際まで持っていく。ところが、決して戦争まで起こさない。剣法の達人の名人芸『寸止め』のような不思議な構造になっていたのです。
(★注、去年トランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の両者が熱心に演じていた剣呑な米朝チキンレースも、実は剣法の達人の名人芸『寸止め』のような不思議な構造だった)
『怖ろしい日本のタブー中のタブー(唯一、日本の狂気を止める力があったソ連赤軍)を取り上げたNHKの勇気?変心?』
沖縄を捨石にし『一億玉砕』地獄の本土決戦を目指し着々と準備していた日本軍が突然ポツダム宣言受諾(無条件降伏)した原因とは、トルーマンの『100万人の米兵を救った原子爆弾』神話か、同時期のソ連赤軍の対日参戦の二者択一。それ以外に日本が翻意した原因は無いのである。
ところが、原爆とソ連参戦のどちらが真実であっても、その『結論』があまりにも恐ろしい。
そこで、仕方なく日本人の全員が思考停止に陥って『全ての真実』はタブーとして封印し、8月15日の玉音放送『天皇聖断の神話』で誤魔化して、現在に至っている。
★注、
世界では冷戦が、日本ではバブル経済が崩壊し未曾有の大混乱に突入した。(ところが、まったく偶然にも発生した時期が同じだったのでメディアは、3番目のニュースを大々的に報じることで、大崩壊を二つとも報じなかった)昭和天皇の下血騒動で、にわかに言われ出した1945年8月15日の玉音放送『天皇聖断』の神話の信憑性ですが、これが真実だとすると極端に困ったことが起きるのでヒロヒトが死にかかるまで右翼も左翼も同じで誰一人言わなかったのである。
(本当に負け戦で戦争を止めるだけの絶大な権力がヒロヒト天皇にあったとしたら、開戦責任を問われ死刑になった東条首相以上の最高責任者だったことが自動的に証明されるので、東京裁判で『絞首刑』は到底免れないのである)
樋口 季一郎陸軍中将 第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官
『日本の敗戦後も、住民を盾に「全員戦死まで」対ソ戦争を強いる札幌方面軍の樋口司令官の卑劣さ』
731放送の翌日、2017年8月14日『NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」』は類似の報道が今まで一切無かったのですから衝撃的である。
NHKの番組案内から、
『北海道の北に広がるサハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。昭和20年8月、終戦後にも関わらず、住民を巻き込んだ地上戦が1週間にわたって続き、5000人とも6000人とも言われる人たちが命を落とした。なぜ終戦後も戦闘は終わらず住民の被害が拡大したのか。長年沈黙を守ってきた元住民たちの証言、そして国内外で発掘した資料から、樺太の悲劇に迫る。』
2017年8月18日(金) 午前1時25分(45分)に再放送
『日本が敗戦したはずの「玉音放送」翌日の8月16日に樺太師団に届いた「死ぬまで戦へ」の札幌方面軍の理不尽な玉砕命令』
多くの日本人が知らない、もう一つのオキナワ戦(地獄の本土決戦)
『玉音放送』で武装解除の準備を進めていた樺太師団の本部に、終戦後にもかかわらず『樺太を死守せよ』との命令が札幌方面軍司令官から届いた。
命令を受けた樺太師団の鈴木康参謀長(大佐)は戸惑い『泣いて終戦命令を下し各隊が涙と共に実行中の16日午後 軍命令が届いた。今頃何事ぞと怪しみ考えてみたが合点がいかない。電話で作戦就任に尋ねる。はっきりした回答は得られない。』
樺太死守の命令を守り戦闘を続ける樺太師団の鈴木参謀長とソビエト軍との交渉が決裂。8月20日、ソビエト軍は樺太で最大の3万5000人が上陸作戦を敢行。日本側が5000~6000人が死亡する。
『樺太死守』を命じていた札幌方面軍は、大本営の指示を受けて8月22日になって命令を翻して『ただちに停戦せよ』と樺太師団に命令したので、ようやく停戦が成立、7日遅れで意味不明の不思議な戦争がやっと終わっている。(本来なら戦犯として極刑が免れないが、何故か無罪放免になっていることからも密かに『冷戦』『日米同盟』が始まっていたことが分かる)
(抜粋)
当の日本人も含めて、世界中がこの神話を信じ込んでおり、アメリカの「核を使わなければ米兵の犠牲者100万」とのデタラメは論外としても、中国や韓国等、日本の被害に遭った諸国を中心に、「核の非人道性は認めるが、それによって日本を降伏させたのだから」と、事実上、免罪するかのような論調が罷り通っています。
私は、何故、こんな神話というか作り話が成立し、今なお流通しているのか?ーを問う時、単にアメリカの(プロパガンダの)所為ばかりではなく、日本も又その方が都合が良かったからだ、と考えております。
何故ならば、日本が降伏した唯一つの原因は8月8日の「ソ連の対日参戦」に在るからです。
これは次に挙げる二つの理由を考えれば納得されるでしょう。
①国体の護持 ②明治以来の国防戦略の破綻
①は下記の近衛上奏文※が示す通り、何よりも「国体の護持」が最優先であったこと。
※「國體護持ノ建前ヨリ最モ憂フルヘキハ敗戰ヨリモ敗戰ニ伴フテ起ルコトアルヘキ共産革命ニ御座候」
断っておきますが、この問題を天皇制との絡みのみで理解するのは完全な誤りで、軍部は元より、支配層が最優先するのは<国体>-即ち自らの存在を正当化してくれる体制装置ーであることは「民主主義」の今日にあっても変わらない。 ただ、敗戦までとは異なり、「民主主義」というマントに隠れて、<支配>=権力の在処が見え難くなってるというだけです。 それは、「自らの存在を正当化してくれる装置」を最も必要とする、官僚の動向を見れば良く分かります。
冷戦という霧というか煙幕が取除かれて益々鮮明になったことは、”日米は運命共同体”という言辞に表れてる様に、最早異常と言うべき官僚の対米依存でありましょう。
所謂「日米構造協議」自体、アメリカという<錦の御旗>又は虎の威を借りて、官僚が自らに都合のいい権力と社会の再編成をやろうとする処にその動機が在り、それが「年次改革要望書」になり、更には今日の「TPP」になっている※のです。
※日本にとって明らかに不利になる「TPP」に何故日本政府は踏み込むのか?を問うたJ.ケルシー氏(NZ、オークランド大教授)も、結論として、政治で出来ない「国内改革」をやろうとしているところにそれを見ています。 勿論、鳩山政権崩壊と共に潰えた「東アジア共同体」に入れ替わる様に出て来た所に表れてる様に、あくまでアメリカの対東アジア(及び世界)戦略に添うものとして。
つまり、この事でも判る通り、アメリカとの利害の一致に自らの権力の源泉を求める、占領期以来の官僚の在り方が、占領無き<占領体制>として、恰も『1984年』(J.オーウェル)の”ビッグブラザー”の如くアメリカを君臨させており、「国体護持」を最優先したかってと同様、斯かる体制の護持こそが最優先、そうしてその為には国民の事は二の次、三の次、否!国民のことなどどうでもよい、ということなのでしょう。
官僚にとって、国家とは<統治機構>のことであり、国民はその付属物にしか過ぎないのですから!
従って、”日米は運命共同体”というのは、正しくは<米国と官僚は運命共同体>と言い換えるべきです。
②明治以来の国防戦略の破綻 米国のソ連への「対日参戦要請」(ポツダム)の裏の理由
去る8月6日Nスペ「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」では、図らずも、「ソ連の対日参戦」の報せに衝撃を受けた軍上層部の大混乱の模様が浮び上がっておりましたが、これは①を直撃すると共に、②の問題も直撃したからです。
明治以来の国防の大本である軍事戦略とは、日本における、言うならば<地政学的戦略>と言える北進論と南進論ー正確に言えば、南守北進論と北守南進論ーです。
幕末の<攘夷論>以来、北(大陸)からの露西亜(ソ連)南(海洋)からの米(英)が日本の存立を脅かす<敵>として認識されており、従って明治以来、前者が陸軍の<仮想敵国>、後者が海軍の<仮想敵国>として、其々が主にその戦略を受け持つこと※になっておりました。
※所謂「太平洋戦争」を調べれば、戦争が深刻度を増しても、「対米戦は基本的には海軍マター、海軍さんのお手並み拝見」というのが陸軍側の姿勢だったことに驚かれるでしょう。 私などは、現在の霞ヶ関まで引き継がれる「省庁の割拠主義」-その極限の姿をここに見るものです。 ”独裁者”とされた東条英機首相にも海軍の重要情報は知らされなかったー丁度、原発事故で、東電や経産省からの重要情報が菅首相にもたらされれる事はなかった様に(”尖閣”の海保も然り!)。
そうして、「二正面作戦」は不可能であるとして、北進=露西亜と戦う時には南(米英)とは同盟、乃至最低限(好意的)中立を勝ち取り、南進=米英と戦う時にはその逆。
言うまでも無く、前者が日露戦争であり、後者が「太平洋戦争」(日ソ中立条約時の外相松岡洋祐には、その先に、日独ソのユーラシア枢軸構想が有りました)です。
「ソ連の対日参戦」とは、だから、明治以来のこの「国防方針」の完全破綻を意味していました。
もちろん、当然、アメリカ側もその事はよく承知していましたし、それを示すのがソ連への「対日参戦要請」です。
何故アメリカがソ連に「対日参戦」を要請したのか?
”カイロ会談”(43年11月)の段階では兎も角、少なくとも”ヤルタ”(45年2月)の時期においては、日本は<制海権>も<制空権>も失っているのだから、継戦能力の点から言っても、敗北は必須ー時間の問題と認識されてたはずで、しかも”ポツダム”(7月26日)の時点に至っては降伏のタイミングのみだったのは分かっていたのだから、戦後の極東におけるソ連軍のプレゼンスの増大ということを考えたら、なるべくは避けたかったはず。 にも係わらず、敢えて要請したのは、(勿論カイロの密約もあるでしょうが)大戦後の「世界の戦後処理」ということを考えたら、対日戦を一刻も早く終らせたかった、そうして「ソ連の対日参戦」はその切り札だった(しかも、その分だけ、欧州域からソ連軍の大部隊を遠ざけることにもなる)、ということです。
その事を逆に言えば、ソ連の対日参戦が無かったら、8月10日のポツダム宣言受け入れはもちろん、15日の「終戦」も無かったでしょう。 それは、宣言の出た後も、日本は、ソ連の仲介を求めてー丁度、日露戦争におけるアメリカの役割を期待したのでしょうー近衛元首相を特使として派遣しようとした処にも表れております。 だから、もしソ連の対日参戦が無かったとしたらー例え何発の原爆を受けようとも!ー、8月15日以降も、ずるずると、戦争は続いていたでしょうし、反対に、一年前でも二年前でも、「ソ連の対日参戦」が有った時点で日本は手を挙げたでしょう。
また、そもそも、「日ソ中立条約」が無かったらーソ連と緊張関係にあったならー対米戦争に突き進むことは無かったに違いない。
そうして、以上の事は、何故、今においても異常な対米従属が続くのか?「日米安保」以外に考えられないのか?ーということの軍事からみた真の意味を明らかにするものです。
悪夢の二正面作戦が現実のものになるという、軍事戦略における”想定外”の事態。
ーそれは明治以来の国防戦略が<絵に描いた餅>であったことを白日の下に曝すものであり、独立国家としての国防戦略の根幹が崩れるーそれに替わり得る国防戦略を打ち立てることが不可能というー独立ということの困難(アポリア)に逢着していることを意味します。 このアポリアが解消されない限り<独立>は不可能ーこのように観れば、冷戦期に日米安保が定着して行った心理的側面が、逆に見えて来るのです。
形式的に観たら、「日米安保」は南守北進論(対ソ主敵)であり、その限りでは従来の国防戦略に合致しており、しかもそれは明治の成功(日露戦争)にオーバーラップしている! -更に又、戦後の惨めな現実(占領状態)を糊塗し、イソップの狐の如く<合理化>出来る。
かくして<自己欺瞞>は日本人の深い処を規定し、またそれ故に、更に一層現実を直視しない(出来ない)習性が身に付いて行った、と思われます。
国防は従属であり、防衛体制の強化とは占領状態の強化であるー変貌していってる世界とは何ら関わることなく、『1984年』の侭の日本でいることの意味を問う時、その由って来る原因は「明治以来の国防戦略」そのものの中に在るー即ちこの国防政策の誤り、冒頭で示している通り、その究極の原因は明治の選択(脱亜入欧ーアジアに仲間を見出せない!)に在る、と私は考えるのです。
色々良いところもあるが論点が一貫せず欲張りすぎ。言いたいことが沢山あるのは分かるが、半分ぐらいに文章をまとめる必要があるでしょう。長すぎるし、内容的に散漫。
最低限の手間を惜しむべきではない。
原爆で100万人の米兵がのトルーマン大統領ですが、
これは最初から主張したいたのではなくて米軍内部までが「不必要だった」との声が高まったので仕方なくの言い訳なのですよ。
しかし、この話が21世紀の今でも影響している原因とは、実は真っ赤な嘘ではなくて、真実だったからなのですよ。
今の日本人には本土決戦だの一億玉砕など夢物語に聞こえるが、実はこれが日本の最後の切り札というか最終兵器。日本軍は沖縄を犠牲にしてまで時間を稼ぎ、着々と最後の本土決戦に備えて準備していた。
玉音放送当時ですが、日本本土には敵軍は一兵たりとも上陸していないのですよ。無傷の日本軍が半分も残っていた。もう今ではいなくなったが、「日本は負けていない」と主張していたのがこの連中です。実際、日本軍の半分は戦争していないのですから負けてもいない。
しかし、本当の戦争の地獄が始まるのは、敵軍が国境線を突破して自国に雪崩れ込んでから始まる本土決戦であることは、紀元前のカルタゴとローマの戦争にしろ独ソ戦にしろ同じ。同盟国のドイツは首都ベルリンの陥落から全土を占領されてやっと降伏している。
日本だけが世界の常識とは大きく違う。日本軍は75年前の時点でも憲法9条の平和主義だったとの馬鹿話ですが、
これは「ソ連赤軍の対日参戦で即座に降伏する」とのピースを一枚加えるだけで全ては解決する
カルトの基本はこれでしょ。
どういった手段が使われているかはもう触れませんがなんちゃらに刃物であることは確かですよ。
「永続敗戦」もう一つの視点 (旺游)ですが、基本的に手抜き
色々良いところもあるが論点が一貫せず欲張りすぎ。言いたいことが沢山あるのは分かるが、半分ぐらいに文章をまとめる必要があるでしょう。長すぎるし、内容的に散漫。
最低限の手間を惜しむべきではない。
と書いたら、何とコメント記事が2倍になっていた。半沢直樹の倍返しのブログ版
何かの冗談なのか、それとも嫌がらせか。実に不思議だ。
長文を我慢して読んだが、読めば読むほど趣旨が一貫していないので、頭がくらくらしてくる代物。最後まで読むと不愉快さが募る。
これは駄目ですね。
しかも、この記事のコメントではなくて、10年前の書置きだとか。内容的に、この記事の趣旨とはあまりにもずれている。
残念ながら、これでは他の読者にとっても迷惑で、コメントは全文削除します。
半分どころか、10分の1以下に短くまとめるのが良いでしょう。
それなら、たぶん明文になり多くの人々の共感を呼ぶ可能性も十分に有ります。