『フクシマ放射能リスクの評価と管理 事故直後、1年後、2年後、、、』
2011年
1月
2月
3月 11日 M9.0地震
4月 8日 放射能汚染地図(初版)、福島中通りの汚染
25日 このままだと福島県がつぶれる。命か生活か。
28日 福島県のコメ
5月
6月 18日 放射能汚染地図(改訂版)、首都圏東部・北関東・一関の汚染
7月
8月 12日 京都五山送り火で使う陸前高田の松からセシウム
9月 8日 福島県ナンバーの車がこわい
10月 27日 避難区域と除染区域の線引き。そして強制移住の是非。
11月
12月 7日 訓告
14日 ことし福島で生産されたコメを全部食うと何人死ぬか、答えは2人だった。意外と少ない。
2012年
1月
2月
3月
4月
5月 23日 北九州市のがれき受け入れ問題
6月 24日 首相官邸前デモの人数調べ
7月 28日 放射能汚染地図(七訂版)印刷。八訂版を含めて16万部。
8月 16日 家族分離避難の線引き、首都圏から九州への母子避難は行き過ぎ
9月
10月
11月
12月
2013年
1月
2月 11日 島薗東大シンポ。福島残留を支援してはならないを意見変更。
3月 11日 甲状腺検査への疑念
4月
5月
6月
7月
8月
9月 10日 実効線量は芝生測定の5分の1
10月 5日 科学によるリスク評価ができていなかった2年半を反省する。
6日 追加被ばくマップ。年1ミリ追加は福島県外にもはや存在しない。
11月
12月
2014年
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
2015年
1月
2月 26日 放射能恐怖症は認知バイアスのひとつ
3月
2015/03/17(火) 早川由紀夫の火山ブログ
『あの早川由紀夫が、コペルニクス的にもう一度「転向」するとき』
『ガッツ石松的な恐怖のブーメラン』
火山学者の早川由紀夫群馬大教授は4年前の3・11で政府やマスコミが3時間後にはメルトダウンして大量の放射能を撒き散らしている時にいち早く火山灰の被害予測の手法を用いてフクシマの放射能汚染予測図を公開して、その科学的な手法は絶賛されている。
ところがその後は(勇み足?)『福島県での農産物の生産流通はオウム真理教がサリンを撒き散らした無差別テロと同じ』と発信して、大論争を巻き起こす。ネット世界でも放射能被害で数多くの論争を繰り返していたが、相手は福島医大副学長の山下俊一が憑依した現職の医師か医学関係者とおぼしき御用学者のネット工作員である。(ところが早川由紀夫は火山には詳しくても医学では素人だった)
プロ棋士を相手にして平手で囲碁が勝てる素人がいないように、医学者と医学論争をして勝てる素人は普通はいないのである。
最後には絶対に負ける。(部分部分ではアマチュアでも勝てるが、プロは盤上全体の戦略を考えていて一部を殺すことで少しずつ全体を優勢にしていく)
心配していた通り、その後あの早川由紀夫は丸め込まれて『安全・安心。放射能は何の心配も無い』と言い出して現在に至っている。
転向して『放射能は怖くない』と言いながら、2013年の中頃には如何も疑いだして、2014年にはフクシマも放射能も『一言』も語らない。今年に入ったら以前よりもっと語らない状態が続いたが再度の転向(ガッツ石松的360度の変更)でブーメランのように元々の位置に戻ってきそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b7/93898df9b3fa978ee1f042667662f3b6.jpg)
『命の危険が目の前に迫っているのに、人々は何故逃げないのか』
早川由紀夫の火山ブログの最新記事は『私の本棚』なのですが、その最後に紹介している本のタイトルが、ズバリ『人はなぜ逃げおくれるのか』であり、副題が『災害の心理学 』(集英社新書)広瀬 弘忠(2004/01/16)である。
11年前の2004年1月が初版なので、広瀬 弘忠の本では4年前の2011年の3・11大震災や、それに続くフクシマの放射能汚染での人々の退避行動を問題としていない。
ところが、3・11大震災とそれに連動したフクシマの未曾有の核事故での人々の対応を見事に言い当てているのである。
死ぬことが分かっているのに、人々は『何故逃げなかったのか』の答えですが、広瀬 弘忠によると(単純化すると)『人は皆、「自分だけは死なない」と思っている』と短く要約できるのである。
(別の言い方で説明すれば、丸っきり『ダーウィン賞』受賞者の心理状態なのである)
自分だけは死なないと(漠然と)思っている。
このため巨大災害時に人々はどんな心理状態になるのかといえば、『災害時には必ずパニックの群集心理が生じる』というのは大きな間違いで、むしろ危険度が高ければ高いほど、正常性バイアスが働き、人々はゆっくりと鈍感にしか反応しない場合が多い。
『放射能パニックを恐れてメルトダウンの事実を2ヶ月も隠した日本政府の愚劣』
4年前に世界で初めて原子炉4基が同時に暴走するフクシマの核事故が発生した時に、日本の人口で4割、面積で三分の一が放射能で深刻に汚染する可能性が出たが、極悪で低脳の菅直人民主党政権はコンピューターによる放射能拡散予測システムSPEEDI(スピーディ)を福島県や米軍には公開したが、肝心の福島県などの一般市民には公開しなかった。
為政者は、日本人のパニックを恐れたのである。
しかし災害や事故の際にパニックが起こることは滅多にない特殊例なのである。(だからパニックによる事故が起きればマスコミで大ニュースになる)
現実は『パニック神話』とは逆に、広瀬 弘忠が指摘するように『人は皆、「自分だけは死なない」と思っている』のである。
だから逃げ遅れて、大勢が命を失ったのである。
3・11大震災の死者行方不明者の9割は大地震の半時間後の津波被害者であり、もしも速く逃げていれば全員が助かっていた。
3・11では地震直後の気象庁の津波予想値は最大で3メートル。津波高の数倍もの高さの堤防が有る地域の住民は多くが避難しなかった。
(正しい津浪高を気象庁が発表されたのは半時間後で、そのときは大津波が日本列島沿岸を襲っていて最早手遅れだった)
3・11から4年後の日本ですが、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の基準なら強制疎開の高レベル汚染地域に大勢の日本人の一般市民が逃げ遅れて、そのまま留まっている。
日本政府やマスコミの流すその場しのぎの無責任な安全神話(大本営発表)を信じて汚染地域にそのまま居住している様は恐ろしい。
最新の発表では何と、日本一地価が上昇している住宅地は穏やかに放射能に汚染した福島県いわき市だった。(福島県内では一番汚染度が低いが、それでも大部分は年間被曝量が1ミリシーベルトを大きく超えている)
『放射能安全神話に転向前の、健全だった早川由紀夫の火山ブログ』
『ニセ科学批判運動の真の目的』
菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタと放射能安全を強調するクラスタは、かなりの部分が重なる。
ニセ科学批判クラスタがこれまで攻撃対象としてきたのは、血液型性格診断、水からの伝言、マイナスイオン、ホメオパシーなどである。既存科学の体系と対立する主張を批判する科学的な社会運動だと一見みえた。
しかしほんとうにそうだったのだろうか。
科学の体系と反することを許さないも、科学の輝かしい業績を踏みつけにすることを許さないも、彼らの運動にとってつけた理由だったようにいまは思われる。
彼らの真の理由そして目的は、現社会体制の維持継続を不安にさせる要因を早期につぶすことだったのだろう。
そう考えると、菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタが今回科学をかなぐり捨てて、やみくもに放射能安全を強調する側に立ったことがよく理解できる。
原発こそが、ほんらい彼らがもっとも力を入れて批判すべきニセ科学だったはずだ。運転で生じる毒を始末するすべをもっていない技術なのだから。
ニセ科学批判の人たちは権威あるい当局と親和性が高い。その本質はもともと「御用」にあったとみられる。
2012/05/12(土)早川由紀夫の火山ブログ
『早川由紀夫先生。貴方は偉い!!』
この早川由紀夫の火山ブログ記事の最後から2行目が『・ニセ科学批判の総本山だったkikulog。 いま何が書いてあるか知らない。』であるが、、3・11で原発が炎上爆発した後も、余りの能天気な御用ぶりにブログが炎上爆発していた。
4年前のフクシマのメルトダウンに連動して菊池誠自身がメルトダウン。
一時は完全閉鎖されていたkikulogですが、売りだったコメント欄を全部閉鎖して読者からの反論を封じて、しかも年数回程度の頻度にして密かに復活を画策している模様である。
ブログ記事最後の『・ニセ科学批判とは何か 2011年1月5日まとめ』から判ることは、何とこの早川由紀夫は、フクシマの起きる1年前の2010年5月ごろからメルトダウン発生の2011年2月26日まで、菊池誠@kikumaco本人やその取り巻き連中を相手にして、ネット(Twitter)上で延々と偽科学について論争を繰り広げていたのである。
『少しも懲りることなく賽の河原で石を積む早川由紀夫』
早川由紀夫大せんせい。あんたは偉い。感激しました。そんなことをする暇な国立大学教授など一人もいないでしょう。
誰にも真似が出来ない偉業である。ただただ感心すると言うか。頭が下がると言うか。
このフクシマの爆発炎上の半年前の菊池誠大阪大学物理学教授vs早川由紀夫群馬大学教授のネット上の科学論争では、最初は数を頼んだkikulog側が陳腐で非科学的な世間の常識的な『建前論』で攻勢に出るが、徐々に劣勢になり最後は『科学の本質』を主張する早川由紀夫の一方的な勝利宣言で終わっている。
kikulog(菊池誠)が勝てるのは科学の本質に疎い素人相手で、しかも集団で一人を追い詰めるから成功した。
連戦連勝だったkikulog(菊池誠)。ところが、相手が科学的手法の専門家(科学の一つの火山学者)の場合は勝手が違い、勝てなかったのである。(水商売で裁判闘争を起こす山形大学准教授のapjさんが乱入するハプニングが有るが)このニセ科学の論争は早川由紀夫の一人舞台となり最後に菊池誠一派は一言も反論できず、すごすごと引き下がる。
『Twitterのつぶやきマッシュアップメディアの一部を紹介すると、』
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:08:10
ニセ札は定義できる。なぜなら紙幣がきちんと定義できているからだ。
グッチのニセモノも定義できる。なぜならグッチがきちんと定義できているからだ。しかしニセ科学は(万人が認める)定義できない。なぜなら科学に(万人が認める)定義がないからだ。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:08:26
たとえば広辞苑は科学を次のように定義している「体系的であり、経験的に実証可能な知識」この定義はそれなりの長所をもつが、そのニセモノを定義できるほど精緻な定義ではない。経験的に実証可能かどうかの判定を万人が同意するのはしばしば困難である。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:12:30
定義できないニセ科学というレッテルをもちだして、「ニセ科学だからよくない」のキャンペーンを展開するのは、よくない。
あまりに恣意的である。よくない理由はニセ科学とは別のところに求められなければならない。差別であるとか詐欺であるとか。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 06:02:48
ほとんどの「ニセ科学」は、科学的に間違っていると指摘するだけでことが足りる。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:24:20
「ニセ科学は消費者の生活を脅かすものです。 きくち | 2007.08.29 at 09:57 PM」 同ページコメント欄
返信 RT お気に入り
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:33:20
「ニセ科学批判へのお誘いですが、「コミットできそうな人はしてください」であって、気軽に誘うようなことはしていません。ただ、コミットしない場合も活動の意味は認めて邪魔をしたり足を引っ張ったりはしないでください、ということは広く伝えたい。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:34:07
やって(社会的)意味のある批判は、法的紛争に直結していますので、最後は法廷に出て訴訟に対応する覚悟のある人しかやっちゃいけないんです。」 Posted by: apj | 2007.08.26 at 05:31 PM 同ページコメント欄
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 21:22:37
「ニセ科学」はすべて、科学的に間違っていると指摘するだけでことが足りる。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:02:03
作用メカニズムが不明の因果関係は科学ではない。疑似科学である。
それが役に立つなら使えばよい。疑似科学が役に立つ例である。疑似科学(ニセ科学)だけを理由に何かを排斥するひとは愚かである。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:02:18
偽薬効果のメカニズムはわかっていないが、確実に効果があるので医療現場でしばしば使われる。大噴火の推移パターンに物理モデルとメカニズムの裏打ちはないが、過去の類似例が未来を予測するときに参考になる。どちらも科学ではないが、実社会では採用される。
返信 RT お気に入り
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:37:26
疑似科学(ニセ科学)がそれだけで悪だと主張する人が、科学の定義をきちんとさせて、その特定対象が科学に当てはまらないことを説明する責任を負う。話はそれからだ。
『儒教的道徳とも西欧民主主義(多数決原理)とも無縁な「科学」の持つ本質部分』
そもそも『科学』には正誤はあるが善悪は無い。しかも科学的な真理は普遍的であり150年前のチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスの進化論の先陣争いのように、正しい場合には『誰がやっても同じ』結論であり、検証結果に違いが無いなのである。
それなら本来は知識や権利の独占(特許権とか著作権)とは一番遠い存在が科学なのですが、理研のSTAP騒動では、その特許問題が本質であり、そのために著作権が云々(既存の科学論文のコピペ騒動)まで発生するバカ騒ぎに成る。小保方晴子博士の『論文に書いていないレシピが有る』など爆笑もの。
Ladybird さんの『事実を大切に』では、
『科学と権威はイコールであってはならないでしょう.しかしNHKも民放も,その道の権威やら「最先端」やらが大好きですね.
科学の基本は事実を事実として受け容れること.今の日本では「事実こうである」よりも「こうあって欲しいから事実はこうである」という発想が大手を振って通用しています.科学が衰退しています.
まず事実を素直に認めること.事実の前に素直に頭を垂れるべきという点では,小学生でも大学教授でも,その道の「権威」様も,何ら違いはありません.この,あきれるばかりの平等性が,科学の科学たるゆえんではないでしょうか.』
『エアー御用学者の筆頭にあげられている「菊池誠」の本当の素顔とは、』
4年前の3・11以前には私も何度もインチキ臭いkikulog(菊池誠)のニセ科学批判を取上げているが、彼らは何と『偽科学と間違った科学は違う』なる禅問答の様な話を平気で行っているのです。
科学の進歩には間違いは付き物であり、ノーベル賞を受賞した山中伸弥クラスの超一流科学者でも打率は一割程度。(9割は間違い)
他所のブログのコメント欄で菊池誠本人を名乗る人物に『偽科学と間違った科学』の部分を尋ねるが勿論まともに答えることはせず逃げ回る。当時はネット世界では疑うことを知らない善良な菊池誠信者が大勢いたのである。
フクシマ以前のkikulog(菊池誠)ですが更新回数が多いばかりかコメント数が桁外れ。3桁にも及ぶ膨大な読者のコメントに菊池誠本人が必ず返答すれば、相手は何しろ超忙しい筈の一流国立大学の物理学教授なのですから、コメント読者は大感激してそれ以後はkikulog(菊池誠)信者の一人になり布教活動に精を出すシクミなのです。
ところが、この『菊池誠』ですが自分のブログ(kikulog)だけでは無く、自分の取り巻きの読者(ニセ科学批判教の信者)のブログにも頻繁に登場して長いコメントを残している。
何と反対派のブログにまで登場して細々と反論、同じように長いコメントを繰り返していた。kikulogは一つの記事に数百ものコメントがつくので読むだけでも一日仕事。
『菊池誠』ですが物理的に一人では絶対に不可能だったのですよ。多分この男は自分のクローン(アルバイトの学生)を秘密裏に多数作って何事かの社会実験を行っていたのでしょう。(3・11フクシマの放射能で菊池誠の呆れた御用ぶりが明らかになるまで、このインチキ作戦は大成功していた)
菊池誠は物理学教授を名乗っているが大阪大学の仕事ではサイバー関連のトップ(大阪大学のサイバーメディアセンターの長)であり、職業としてのネット工作員??だったのである。
2011年
1月
2月
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4月 8日 放射能汚染地図(初版)、福島中通りの汚染
25日 このままだと福島県がつぶれる。命か生活か。
28日 福島県のコメ
5月
6月 18日 放射能汚染地図(改訂版)、首都圏東部・北関東・一関の汚染
7月
8月 12日 京都五山送り火で使う陸前高田の松からセシウム
9月 8日 福島県ナンバーの車がこわい
10月 27日 避難区域と除染区域の線引き。そして強制移住の是非。
11月
12月 7日 訓告
14日 ことし福島で生産されたコメを全部食うと何人死ぬか、答えは2人だった。意外と少ない。
2012年
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4月
5月 23日 北九州市のがれき受け入れ問題
6月 24日 首相官邸前デモの人数調べ
7月 28日 放射能汚染地図(七訂版)印刷。八訂版を含めて16万部。
8月 16日 家族分離避難の線引き、首都圏から九州への母子避難は行き過ぎ
9月
10月
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12月
2013年
1月
2月 11日 島薗東大シンポ。福島残留を支援してはならないを意見変更。
3月 11日 甲状腺検査への疑念
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9月 10日 実効線量は芝生測定の5分の1
10月 5日 科学によるリスク評価ができていなかった2年半を反省する。
6日 追加被ばくマップ。年1ミリ追加は福島県外にもはや存在しない。
11月
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2月 26日 放射能恐怖症は認知バイアスのひとつ
3月
2015/03/17(火) 早川由紀夫の火山ブログ
『あの早川由紀夫が、コペルニクス的にもう一度「転向」するとき』
『ガッツ石松的な恐怖のブーメラン』
火山学者の早川由紀夫群馬大教授は4年前の3・11で政府やマスコミが3時間後にはメルトダウンして大量の放射能を撒き散らしている時にいち早く火山灰の被害予測の手法を用いてフクシマの放射能汚染予測図を公開して、その科学的な手法は絶賛されている。
ところがその後は(勇み足?)『福島県での農産物の生産流通はオウム真理教がサリンを撒き散らした無差別テロと同じ』と発信して、大論争を巻き起こす。ネット世界でも放射能被害で数多くの論争を繰り返していたが、相手は福島医大副学長の山下俊一が憑依した現職の医師か医学関係者とおぼしき御用学者のネット工作員である。(ところが早川由紀夫は火山には詳しくても医学では素人だった)
プロ棋士を相手にして平手で囲碁が勝てる素人がいないように、医学者と医学論争をして勝てる素人は普通はいないのである。
最後には絶対に負ける。(部分部分ではアマチュアでも勝てるが、プロは盤上全体の戦略を考えていて一部を殺すことで少しずつ全体を優勢にしていく)
心配していた通り、その後あの早川由紀夫は丸め込まれて『安全・安心。放射能は何の心配も無い』と言い出して現在に至っている。
転向して『放射能は怖くない』と言いながら、2013年の中頃には如何も疑いだして、2014年にはフクシマも放射能も『一言』も語らない。今年に入ったら以前よりもっと語らない状態が続いたが再度の転向(ガッツ石松的360度の変更)でブーメランのように元々の位置に戻ってきそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b7/93898df9b3fa978ee1f042667662f3b6.jpg)
『命の危険が目の前に迫っているのに、人々は何故逃げないのか』
早川由紀夫の火山ブログの最新記事は『私の本棚』なのですが、その最後に紹介している本のタイトルが、ズバリ『人はなぜ逃げおくれるのか』であり、副題が『災害の心理学 』(集英社新書)広瀬 弘忠(2004/01/16)である。
11年前の2004年1月が初版なので、広瀬 弘忠の本では4年前の2011年の3・11大震災や、それに続くフクシマの放射能汚染での人々の退避行動を問題としていない。
ところが、3・11大震災とそれに連動したフクシマの未曾有の核事故での人々の対応を見事に言い当てているのである。
死ぬことが分かっているのに、人々は『何故逃げなかったのか』の答えですが、広瀬 弘忠によると(単純化すると)『人は皆、「自分だけは死なない」と思っている』と短く要約できるのである。
(別の言い方で説明すれば、丸っきり『ダーウィン賞』受賞者の心理状態なのである)
自分だけは死なないと(漠然と)思っている。
このため巨大災害時に人々はどんな心理状態になるのかといえば、『災害時には必ずパニックの群集心理が生じる』というのは大きな間違いで、むしろ危険度が高ければ高いほど、正常性バイアスが働き、人々はゆっくりと鈍感にしか反応しない場合が多い。
『放射能パニックを恐れてメルトダウンの事実を2ヶ月も隠した日本政府の愚劣』
4年前に世界で初めて原子炉4基が同時に暴走するフクシマの核事故が発生した時に、日本の人口で4割、面積で三分の一が放射能で深刻に汚染する可能性が出たが、極悪で低脳の菅直人民主党政権はコンピューターによる放射能拡散予測システムSPEEDI(スピーディ)を福島県や米軍には公開したが、肝心の福島県などの一般市民には公開しなかった。
為政者は、日本人のパニックを恐れたのである。
しかし災害や事故の際にパニックが起こることは滅多にない特殊例なのである。(だからパニックによる事故が起きればマスコミで大ニュースになる)
現実は『パニック神話』とは逆に、広瀬 弘忠が指摘するように『人は皆、「自分だけは死なない」と思っている』のである。
だから逃げ遅れて、大勢が命を失ったのである。
3・11大震災の死者行方不明者の9割は大地震の半時間後の津波被害者であり、もしも速く逃げていれば全員が助かっていた。
3・11では地震直後の気象庁の津波予想値は最大で3メートル。津波高の数倍もの高さの堤防が有る地域の住民は多くが避難しなかった。
(正しい津浪高を気象庁が発表されたのは半時間後で、そのときは大津波が日本列島沿岸を襲っていて最早手遅れだった)
3・11から4年後の日本ですが、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の基準なら強制疎開の高レベル汚染地域に大勢の日本人の一般市民が逃げ遅れて、そのまま留まっている。
日本政府やマスコミの流すその場しのぎの無責任な安全神話(大本営発表)を信じて汚染地域にそのまま居住している様は恐ろしい。
最新の発表では何と、日本一地価が上昇している住宅地は穏やかに放射能に汚染した福島県いわき市だった。(福島県内では一番汚染度が低いが、それでも大部分は年間被曝量が1ミリシーベルトを大きく超えている)
『放射能安全神話に転向前の、健全だった早川由紀夫の火山ブログ』
『ニセ科学批判運動の真の目的』
菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタと放射能安全を強調するクラスタは、かなりの部分が重なる。
ニセ科学批判クラスタがこれまで攻撃対象としてきたのは、血液型性格診断、水からの伝言、マイナスイオン、ホメオパシーなどである。既存科学の体系と対立する主張を批判する科学的な社会運動だと一見みえた。
しかしほんとうにそうだったのだろうか。
科学の体系と反することを許さないも、科学の輝かしい業績を踏みつけにすることを許さないも、彼らの運動にとってつけた理由だったようにいまは思われる。
彼らの真の理由そして目的は、現社会体制の維持継続を不安にさせる要因を早期につぶすことだったのだろう。
そう考えると、菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタが今回科学をかなぐり捨てて、やみくもに放射能安全を強調する側に立ったことがよく理解できる。
原発こそが、ほんらい彼らがもっとも力を入れて批判すべきニセ科学だったはずだ。運転で生じる毒を始末するすべをもっていない技術なのだから。
ニセ科学批判の人たちは権威あるい当局と親和性が高い。その本質はもともと「御用」にあったとみられる。
2012/05/12(土)早川由紀夫の火山ブログ
『早川由紀夫先生。貴方は偉い!!』
この早川由紀夫の火山ブログ記事の最後から2行目が『・ニセ科学批判の総本山だったkikulog。 いま何が書いてあるか知らない。』であるが、、3・11で原発が炎上爆発した後も、余りの能天気な御用ぶりにブログが炎上爆発していた。
4年前のフクシマのメルトダウンに連動して菊池誠自身がメルトダウン。
一時は完全閉鎖されていたkikulogですが、売りだったコメント欄を全部閉鎖して読者からの反論を封じて、しかも年数回程度の頻度にして密かに復活を画策している模様である。
ブログ記事最後の『・ニセ科学批判とは何か 2011年1月5日まとめ』から判ることは、何とこの早川由紀夫は、フクシマの起きる1年前の2010年5月ごろからメルトダウン発生の2011年2月26日まで、菊池誠@kikumaco本人やその取り巻き連中を相手にして、ネット(Twitter)上で延々と偽科学について論争を繰り広げていたのである。
『少しも懲りることなく賽の河原で石を積む早川由紀夫』
早川由紀夫大せんせい。あんたは偉い。感激しました。そんなことをする暇な国立大学教授など一人もいないでしょう。
誰にも真似が出来ない偉業である。ただただ感心すると言うか。頭が下がると言うか。
このフクシマの爆発炎上の半年前の菊池誠大阪大学物理学教授vs早川由紀夫群馬大学教授のネット上の科学論争では、最初は数を頼んだkikulog側が陳腐で非科学的な世間の常識的な『建前論』で攻勢に出るが、徐々に劣勢になり最後は『科学の本質』を主張する早川由紀夫の一方的な勝利宣言で終わっている。
kikulog(菊池誠)が勝てるのは科学の本質に疎い素人相手で、しかも集団で一人を追い詰めるから成功した。
連戦連勝だったkikulog(菊池誠)。ところが、相手が科学的手法の専門家(科学の一つの火山学者)の場合は勝手が違い、勝てなかったのである。(水商売で裁判闘争を起こす山形大学准教授のapjさんが乱入するハプニングが有るが)このニセ科学の論争は早川由紀夫の一人舞台となり最後に菊池誠一派は一言も反論できず、すごすごと引き下がる。
『Twitterのつぶやきマッシュアップメディアの一部を紹介すると、』
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:08:10
ニセ札は定義できる。なぜなら紙幣がきちんと定義できているからだ。
グッチのニセモノも定義できる。なぜならグッチがきちんと定義できているからだ。しかしニセ科学は(万人が認める)定義できない。なぜなら科学に(万人が認める)定義がないからだ。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:08:26
たとえば広辞苑は科学を次のように定義している「体系的であり、経験的に実証可能な知識」この定義はそれなりの長所をもつが、そのニセモノを定義できるほど精緻な定義ではない。経験的に実証可能かどうかの判定を万人が同意するのはしばしば困難である。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-15 11:12:30
定義できないニセ科学というレッテルをもちだして、「ニセ科学だからよくない」のキャンペーンを展開するのは、よくない。
あまりに恣意的である。よくない理由はニセ科学とは別のところに求められなければならない。差別であるとか詐欺であるとか。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 06:02:48
ほとんどの「ニセ科学」は、科学的に間違っていると指摘するだけでことが足りる。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:24:20
「ニセ科学は消費者の生活を脅かすものです。 きくち | 2007.08.29 at 09:57 PM」 同ページコメント欄
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早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:33:20
「ニセ科学批判へのお誘いですが、「コミットできそうな人はしてください」であって、気軽に誘うようなことはしていません。ただ、コミットしない場合も活動の意味は認めて邪魔をしたり足を引っ張ったりはしないでください、ということは広く伝えたい。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 16:34:07
やって(社会的)意味のある批判は、法的紛争に直結していますので、最後は法廷に出て訴訟に対応する覚悟のある人しかやっちゃいけないんです。」 Posted by: apj | 2007.08.26 at 05:31 PM 同ページコメント欄
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-01-16 21:22:37
「ニセ科学」はすべて、科学的に間違っていると指摘するだけでことが足りる。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:02:03
作用メカニズムが不明の因果関係は科学ではない。疑似科学である。
それが役に立つなら使えばよい。疑似科学が役に立つ例である。疑似科学(ニセ科学)だけを理由に何かを排斥するひとは愚かである。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:02:18
偽薬効果のメカニズムはわかっていないが、確実に効果があるので医療現場でしばしば使われる。大噴火の推移パターンに物理モデルとメカニズムの裏打ちはないが、過去の類似例が未来を予測するときに参考になる。どちらも科学ではないが、実社会では採用される。
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早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-02-26 07:37:26
疑似科学(ニセ科学)がそれだけで悪だと主張する人が、科学の定義をきちんとさせて、その特定対象が科学に当てはまらないことを説明する責任を負う。話はそれからだ。
『儒教的道徳とも西欧民主主義(多数決原理)とも無縁な「科学」の持つ本質部分』
そもそも『科学』には正誤はあるが善悪は無い。しかも科学的な真理は普遍的であり150年前のチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスの進化論の先陣争いのように、正しい場合には『誰がやっても同じ』結論であり、検証結果に違いが無いなのである。
それなら本来は知識や権利の独占(特許権とか著作権)とは一番遠い存在が科学なのですが、理研のSTAP騒動では、その特許問題が本質であり、そのために著作権が云々(既存の科学論文のコピペ騒動)まで発生するバカ騒ぎに成る。小保方晴子博士の『論文に書いていないレシピが有る』など爆笑もの。
Ladybird さんの『事実を大切に』では、
『科学と権威はイコールであってはならないでしょう.しかしNHKも民放も,その道の権威やら「最先端」やらが大好きですね.
科学の基本は事実を事実として受け容れること.今の日本では「事実こうである」よりも「こうあって欲しいから事実はこうである」という発想が大手を振って通用しています.科学が衰退しています.
まず事実を素直に認めること.事実の前に素直に頭を垂れるべきという点では,小学生でも大学教授でも,その道の「権威」様も,何ら違いはありません.この,あきれるばかりの平等性が,科学の科学たるゆえんではないでしょうか.』
『エアー御用学者の筆頭にあげられている「菊池誠」の本当の素顔とは、』
4年前の3・11以前には私も何度もインチキ臭いkikulog(菊池誠)のニセ科学批判を取上げているが、彼らは何と『偽科学と間違った科学は違う』なる禅問答の様な話を平気で行っているのです。
科学の進歩には間違いは付き物であり、ノーベル賞を受賞した山中伸弥クラスの超一流科学者でも打率は一割程度。(9割は間違い)
他所のブログのコメント欄で菊池誠本人を名乗る人物に『偽科学と間違った科学』の部分を尋ねるが勿論まともに答えることはせず逃げ回る。当時はネット世界では疑うことを知らない善良な菊池誠信者が大勢いたのである。
フクシマ以前のkikulog(菊池誠)ですが更新回数が多いばかりかコメント数が桁外れ。3桁にも及ぶ膨大な読者のコメントに菊池誠本人が必ず返答すれば、相手は何しろ超忙しい筈の一流国立大学の物理学教授なのですから、コメント読者は大感激してそれ以後はkikulog(菊池誠)信者の一人になり布教活動に精を出すシクミなのです。
ところが、この『菊池誠』ですが自分のブログ(kikulog)だけでは無く、自分の取り巻きの読者(ニセ科学批判教の信者)のブログにも頻繁に登場して長いコメントを残している。
何と反対派のブログにまで登場して細々と反論、同じように長いコメントを繰り返していた。kikulogは一つの記事に数百ものコメントがつくので読むだけでも一日仕事。
『菊池誠』ですが物理的に一人では絶対に不可能だったのですよ。多分この男は自分のクローン(アルバイトの学生)を秘密裏に多数作って何事かの社会実験を行っていたのでしょう。(3・11フクシマの放射能で菊池誠の呆れた御用ぶりが明らかになるまで、このインチキ作戦は大成功していた)
菊池誠は物理学教授を名乗っているが大阪大学の仕事ではサイバー関連のトップ(大阪大学のサイバーメディアセンターの長)であり、職業としてのネット工作員??だったのである。
社会システムへの依存度が極度に進行したが故、動物が本来備えているべき生存本能が薄れつつあって、自身の生存本能が発するシグナルを信じきれなくなってしまったと言う事であれば、ダーウィンの進化論がある推論に導いてくれるかも知れません。
生存本能を失い正常性バイアスの捕囚となった私たちヒトは「自然選択」によってこの世界から淘汰されてしまう運命なのかと。
私たちにとって正常とは社会の平常、正常ということであって自然の平常、正常ではなく、自然にとって平常といえる気象変動や地殻変動は私たちにとって天変地異で片付けてしまう。それだけ私たちの社会システムは脆弱であり、私たちの暮らしはその箱庭の中でようやく成り立っているのですね。
今の若い女性ですが、肥満を気にする余りにカロリー摂取量が敗戦直後の巷に餓死者が溢れていた敗戦直後を下回ったと報道されていますが、生命としての生存本能を放棄したようにも思われる。恐ろしい話ですね。
日本では何かと言うと『可愛い』(キュート)と、可愛さこそが最大の価値観になっているのですが、・・・これは1億総ピーターパンシンドローム(大人に成れない子供達)なのかもしれない。欧米の大人の女性なら可愛いとは褒め言葉では無くて、貶す意味が有る。
食欲もそうだが、一番の生存本能とは、命の危険を察知していち早く回避ことに尽きるでしょう。
近代文明とはこの命の危険が限りなく遠くなることでもある。自分の死を自覚できないのが今の文明の最大弱点でしょう。
gooブログでは『このブログの人気記事』なるものが表示されるのですが、
何時も何故か、何年も前の片山右京の御粗末な遭難事故を書いた記事が表示されるのですが、何とも困った話です。渾身の力作が読まれるのは嬉しいが、お粗末過ぎる遭難事故を扱った手抜き記事がベストセラーなど恥じ以外の何ものでも無い。
不愉快な片山右京の遭難事故の顛末ですが、彼等は『自分が死ぬ』ことを理解出来ていないのですよ。ところが最後の最後にその事実を突きつけられてパニックになり泣き喚くのですが時すでに遅し、・・・確かに自分の愚かさを気づいて時には手の打ち様が無いので、泣くしか無かったのです。
災害や事故の際にパニックが起こることは滅多にない特殊例。(だからパニックによる事故が起きればマスコミで大ニュースになる)
現実は『パニック神話』とは逆に、広瀬 弘忠が指摘するように『人は皆、「自分だけは死なない」と思っている』ので片山右京の様な勘違い男も生まれてくる。
この、自分の死を意識しているのは、例外であり、ほんのわずかな人数なのです。
その例外の中に、実は一神教徒が入るのですね。ブッダは霊魂については一切語らなかった。言葉を替えれば死後については仏教は本来語ってはいけないのです。
ところがキリスト教などは、ぎゃくで死後の幸福を説く訳ですね。死んでからのあの世での幸福などそもそもインチキですが、それでも否応無く死を意識するように出来ているのですが、日本人では1%以下の極少数派。
『死』ですが、丸っきり意識しないのも問題だが、死後を意識するのはもっと問題。騒動の元です。
世に『科学離れ』が言われだして久しいが、今の子供達が科学が嫌いになる第一原因とは『暗記する学問だ』と勘違いされているかららしいのですよ。小中学校で習う『理科』と、それとは似ているようで違っている『科学』が、人々に混同されているのです。
科学が漢字とか外国語の学習のように暗記する学問だとすれば、長い長い退屈な反復練習が大事だとの話に成るが、実は科学の基本とは、懐疑する心と、不思議に対する好奇心の二つから成り立っている。
ところが、今の学校教育ですが、日本の場合には特に、不思議に対する好奇心も弱いが、この疑う心を養うようには出来ていない。
懐疑心の逆の『信じる心』しか育たない仕組みなのです。これでは、駄目ですね。
しかも、多分それが一番の問題点だと思うのだが、菊池誠の破壊的カルト宗教『科学教』の教義の様な『正しい科学』を、多くの日本人が何の疑いも無く信じていることでしょう。
『正しい科学』なる、確定したものがあると思うから『偽科学』撲滅の十字軍運動が成り立つのです。
永久不滅の『正しい科学』なるものですが、これは原理主義の聖書と同じで、科学の精神とは正反対の代物であることに気が付かないのです。
あのSTAP騒動も、『正しい科学』の逸脱であり、、あの不思議なバッシングも、異端審問であるとすれば、なるほどと納得する。
理研の場合には、これに成果主義の悪弊が加わってより問題点を大きくした。
基礎科学では一生研究しても成果が出ないかも知れ無いのです。それを3年程度の臨時雇いで成果を出せると信じている理研首脳部の発想が間違いです。
短時間で成果が出なければ首になるとすれば論文の偽造とか画像の差し替えが頻発しても仕方が無いでしょう。臨時雇用ではモチベーションが下がり、まともな仕事が出来ないのは製造現場でも研究室でも違いが無いのです。
たとえば去年の暮れに出た次の本の中には変な言葉が満載です。
『放射線被曝の理科・社会」』から
1、『美味しんぼ』騒動で明るみに出た放射線被曝の影響に関する世論の分裂。この問題での対立が、原発をなくしたいという国民の合意をも分裂させる現状に危機感を抱いた科学者が、自然科学と社会科学の両面からこの問題を解明する。→科学が世論を扱いたいと言う変な日本語
2.内部被曝は危ないと言われるが、人は「これは食べない」という判断ができるので、内部被曝だからこそ影響をコントロールできるのだ。→毒は「食べない」という判断ができるので無毒であるというとても変な日本語
3.「鼻血が起こるわけがない」の理由として、「放射性微粒子の影響なら目からだって出血するはずだ」→面白い!
この本の絶賛する書評が朝日新聞に出ました。東京大学の先生は上の文を可笑しいと思わないのかなあ。
http://goo.gl/OuesHh
とりあえず、面白い日本語の記録として紹介しておきます。早川由紀夫先生も、このような日本語ばかり読み続けさせられて調伏されてしまったのでしょうか。
2015年03月13日付けの週間プレイボーイ、ニュースに、
『美味しんぼ』鼻血問題で「風評被害だ」と大バッシングを受けた原作者・雁屋哲が騒動の真相を激白!
とのタイトルの記事が掲載されているのですが、・・・
『騒動から10ヵ月がたった先月、原作者の雁屋哲氏が沈黙を破り、ついに反論本を出版した。タイトルはズバリ『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻舎)。鼻血は決して風評ではないとする著者に、じっくりと話を聞いた。』
とあります。
http://wpb.shueisha.co.jp/2015/03/13/44879/
不思議な日本語表現の筆頭は、積極的に戦争に自分から飛び込んで平和にするとの、安倍晋三の積極平和主義。
あるいは高裁で連発する違憲状態だが適法(裁判自体は有効)とのニューハーフ状態のオカマ裁判所でしょう。
憲法に違反していれば(違憲ならば)、憲法に明記されているように即違法であり無効なのです。
ところが『状態』を付けるだけで、違憲でも合憲でもないニューハーフになる。
野田佳彦がフクシマから半年後に言い出した冷温停止状態はもっと酷い。
冷温停止なら、一応安全だが、この日本独自のオカマ原発はとんでもなく危ない。
早川由紀夫先生ですが、全部を把握していないが『朱に交われば赤くなる』の例えの通りで、
『放射能は怖くない。安全・安心。何の心配も無い』との悪魔の飽食のネット工作員の現職の医学者と長々と論争を続けていたのですよ。
カシコと論争しても滅多に賢くならないが、逆のアホと論争すると本人が気が付かない内に、アホが伝染するのです。恐ろしい話ですね、。
少し前の話ですが、怪しいHNの工作員と思しき人物がこのブログにも複数現れる。
この悪知恵が際立つの悪党連中の特徴ですが、最初は極々まともなので油断するのですが、続けていると気が付かない内にどんどん話がとんでもない方向にエスカレートさせるとの高等戦術、手品とか詐欺の手口なのです。
余程メディアリテラシーの高さが無いと、全員が騙されるでしょう。私もこの連中の正体を暴く誘惑に駆られたのですが、とんでもない時間と忍耐が必要なので、余程暇で無いと、迂闊に手を出すと早川由紀夫先生の顛末と同じになります。