西側から東側に切れ切れに流れてくる情報(噂話)では理想の社会のように考えれれていた資本主義社会。1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊して20周年目。
放送で紹介されていたある東ドイツ市民は、統一後のドイツで起業して倒産。その後、9年間失業したまま。
『新たな差別』
東西ドイツの統合は、新たな差別と失業者とネオナチを生み出しただけとの、皮肉な見方も出来るが若者たちが長い間失業中なんて昔の日本では珍しかったがフィリッピンなんかでは当たり前。仕方なしにジャパ行きさんになったりする。
欧州でも事情は同じで学校を卒業しても移民の子供では仕事先がない。それでときどき暴動を起こす。そう思うと日本の失業者は随分大人しいですね。
東西ドイツの統合ですが、『大変な事になるぞ』と、指摘する声は有ったのに無視して強行されるが、悪影響は周辺の東欧諸国で酷い事になっています。
一口にドイツ民族と言っても定義を如何するかで話が大きく違ってくる。
いわゆる統一国家としての『ドイツ』は明治維新以後1870年代明治期に出来あがった新興国家で、ドイツ語を母語とする民族集団(広義のドイツ人)はドイツ以外でもオーストリアとかベルギー、スイス、チェコ、リヒテンシュタインなどドイツ国境の外にも沢山存在している。
ヒットラーはオーストリア生まれなので国籍的にオーストリア人であるとも解釈出来て、ナチスドイツの標榜した大ドイツ主義こそがドイツの民族国家だったとも解釈できるのです。
そしてナチ党員の比率はドイツ本国よりもオーストリアの方が遥かに高かったのです。
因みに現在のドイツは8200万人ですが人口の一割程度はドイツ語を母語としない外国人です。
ドイツ語を母語とする人たち(広義のドイツ人)は1億3千万人程度であるといわれているが、これが日本では1億3000万人弱で日本国の人口と日本語を母語とする人数はどちらもほぼ同じ数字になっている。
『民族紛争の勃発』
何事も『水に流す』文化の日本では64年前に終わった世界大戦は過去の話で、人々はなるべく忘れるようにしているか完全に忘れているかどちらかですが、外国では当てはまらない。
文化的に近い中国韓国が第二次世界大戦のことを未だに言っているのに対して、今の右傾化した日本人の若者たちは『そんな昔の話は自分には関係ない』と反発するが、ヨーロッパでは第二次どころかもっと前の第一次世界大戦のころの虐殺事件を忘れずに問題にする連中まで沢山います。
地続きの欧州では戦争する度に国境線が動き、特に2度の世界大戦でどちらも負けた側についた運の悪い組もいる。
ハンガリーやアルバニアなどのように2回とも負けるドイツ側(枢軸国)と同盟したので戦争の度に国土が狭くなり、自国の国境の外の周辺の外国に住む人口が半分近くにもなっている。
ただ東欧は西欧と違い民族国家の性格が弱かったので、それ程の大きな問題も起こらなかった。
ところがドイツ統一の悪影響は、同一民族の統一『ドイツ』の誕生(民族国家あるいは民族自決)の結果、元々民族国家でなかったにもかかわらず東欧諸国でも『民族自決』の旗印で民族別国家が無理やり創られることになる。
チェコスロバキアでは、誰も国民が望んでいなかったのにチェコとスロバキアに別々の二つの国家になるが、それ程の紛争が起こらなかったがこれは一番うまくいった例外的な話である。
ユーゴスラビア(南スラブ人の国の意味)ではクロアチアとセルビアのように全く同じと言ってよいほどに違いが少ない民族同士が別々の国家に分かれて殺しあう。(違いは宗教だけだが、其れも日本人から見れば同じキリスト教)
宗教がイスラムとキリスト教の違いがあるボスニア紛争やアルメニアとアゼルバイジャンとの戦争では何十万人もが死ぬ民族紛争(宗教戦争)がおきてしまう。
単一の民族国家である統一ドイツの誕生で、当然関係する地続きの周辺諸国に飛び火すると、今では誰にでも理解できる事ですが、こんな簡単な理論(事実)が何故事前に関係する周辺諸国やドイツ指導部に解らなかったのか。?
実に不思議である。
多分コール首相などは解らなかったのでしょう。もし解っていてやったのであれば戦争犯罪に限りなく近い話ですよ。
20年経って生活が大幅に改善され言論の自由等が認められて、当事と比べれば東西格差は縮まったとの報道もある一方で、其れとは正反対の統一の影の部分もドイツ国内でも大きい。
今では東ドイツの住民の60%は『旧東独の方が良かった』と思っているそうですし、東独市民によって一度は完全に否定された旧政権党の共産党系の左翼党が地域によっては第一党に返り咲いている。
まだ壁があった時代ですが、東では頭脳労働と肉体労働との賃金格差が無いが、西では(日本と同じように)大きく違う構造になっていた。
格差があれば、当然低い方から高い方に人が流れる経済法則の結果、若くて優秀な人材がどんどん西に流出して仕舞い、東独は日本の田舎のように空洞化が進み過疎地化していた。
東西に壁があっても毎年何万人も人口流出があって、地域の共同体が崩壊していったのですから、統一して東西を隔てる障壁が無くなれば誰でも如何なるかはある程度は予想が付きそうなものです。
昨今の資本主義(新自由主義)グローバリズムの特徴である全ての物や金や人や情報、技術、資本が例外なく国境を越えて自由に世界中を移動すれば、良い事だけではなく『色々な弊害』も起こります。
建設ラッシュの首都ベルリンを除けば東ドイツの統一時の人口1600万人が1100万人にまで減少してしまい、全ドイツの8分の1程度の比率まで低下したのでは東独住民に不満が出て当たり前であろう。
「貧しきを憂えず等しからずを憂う」と「貧しくても平和な生活」が根底にあるのでしょう。日本でも明治になってから鎖国時代の「昔はよかった」が根強くあったようです。
ひとつ言えることは、あくまでもそこの住民が結論を出すことで、決して慈善心や人権問題(キリスト教徒に多い)で他国がちょっかいを出したり軍を出したりすることではない、これが平和への鉄則だと思います。
東独市民の6割が『昔の方がは良かった』と考えているそうですが、アメリカ軍が軍事介入したイラクやアフガンでは『昔は良かった』の比率が東ドイツより高いらしい。
アフガニスタンには現在の天皇ご夫妻が皇太子時代の1970年代の初めに訪問していますが、当時のアフガンは今とは大違いで緑が溢れ食料が完全自給出来る平和な農業立国でした。
そのころ私の山岳会の友人の一人がヨーロッパアルプスの登山の帰りに北アフリカから南アジアを色々な国を半年以上かけて寄り道して帰国したのですが、私の『もう一度訪れたい国は何処か?』の質問に対して迷わず『アフガニスタン』と言う当時の日本人のほとんど知らない名前を聞かされて驚いた記憶があります。
『何故アフガンなのか』との質問には、『アフガニスタンはシルクロードの十字路のようなところで東洋的なものも西洋てきなものも、新しいものも古いものも全てがある』『これほど魅力的な場所は無い』と答えています。
『何処よりも魅力的』であると言い切るほどに今のアフガンの現状からは想像すら出来ないくらいに、素晴らしい処だったのでしょう。
当時のカブール大学の学生の半分は女子学生でイスラム圏ではもっとも先進的な部分も有ったし、農村部では日本の江戸時代のような自給自足経済(地域共同体)も残っていた。
都市部の知識層を基盤とする左翼政権は最初はソ連が介入して潰し、次にはイスラムのムジャヒディンをアメリカが後押しして完全に潰す。
残った最後の秩序であるイスラム共同体を基盤とするムジャヒディン(タリバン)も今度はアメリカが直々に乗り出してきて念入りに潰す。
これでは先進国は恨まれても当然でしょう。
軍隊にはその他の組織に出来ないことが出来るが、今のアフガンに外国軍(自衛隊を含む)に出来る事は何一つないことを世界中のみんなが理解するべきです。
今のアフガンの悲劇は『力の空白』からではなく、『力の過剰』が原因しています。
ノーベル平和賞のオバマ大統領には一日も早いアフガン撤兵が望まれていますが、ベトナム撤兵で逆に増派して『勝った事にする』宣伝とアポロ11号の偉大なアメリカの演出で、辛うじてベトナム戦争を止める事が出来たニクソンの例があります。
勝てないアフガン戦争でも矢張り一時的に増派して『勝った事にする』との宣伝が必要なのでしょうか。?
いい加減にアメリカも目を覚ましの目の前にある事実を認めて欲しいものです。
単に政治体制のみならず、生活全般についての思いを知ると、社会について色々な事が解かる気がするのです。
単に「共産主義の敗北」で片付けられている感がありますが、勿体無い気がします。
実験国家ソ連の崩壊を見てネオコンのフランシスフクヤマが資本主義の全面勝利であると誤解して傲慢にも『歴史は終わった』と言い放ったのですが今では大分考え方を修正しているようです。
消滅したソ連や東欧でも、人々がほんのもう少し真面目に働きさえしていれば崩壊しなかったらしいですよ。
イデオロギー問題が絡むと、とかく感情論が先に立ちフランシスフクヤマの様に多くの人々は判断を間違える。
現在は資本主義の全般的危機は誰に目にも明らかで、
『いったい、東欧やソ連の崩壊とは何であったのだろうか。?』とか、『「共産主義の敗北」で単純に片付けられる程度の問題だったのだろうか。?』との、(やっと今頃になって)冷静な科学的判断が出来る時期に来ているのではないでしょうか。?
ポーランドの有名なワレサは権力を握ったとき『経済は日本に学ぶべきだ』として来日して実際の日本の生産現場を視察して回ってそうですが、そこに見た余りに過酷な現実に言葉を失い、其れ以降は『経済は日本』とは言わなくなる。
『隣の芝生は青くみえる』ように、このお馬鹿なワレサ大統領に代表されるようにソ連や東欧の人たちは資本主義の恐ろしさを全く知らなかったのでしょう。
ワレサはカトリックの熱心な信者の癖に真面目に聖書を読まなかったのでしょう。
資本主義社会とは聖書に記述されているように、富めるものはより富み、貧しきものは貧しさゆえにいっそう貧しくなる弱者には過酷な『弱肉強食の社会である』とは知らなかった。
『資本主義が発達した』のにはちゃんとした理由がある。自分たちが知らない理想社会であるとでも勘違いしていたのでしょうか。?ものを知らないのにも程がある。
そんな程度のことならわれわれ日本人なら誰でも知っていますよ。ところが東欧では誰もが知らなかったらしい。何ともお粗末な話ではなる。
それにしても情報を正しく伝えるとは難しい。あるいは情報を正しく受け取るのは難しい。
東欧が崩壊過程に入った時に日本共産党機関紙赤旗のルーマニア駐在特派員がいち早く『もう直ぐチャウシェスク政権の崩壊する』との超特ダネを日本に送るが敢え無くボツにされる。
記者としては一生に一度あるかないかの歴史的な大事件をボツにされてはたまらない。
そこで他所の報道機関に送って掲載されるのですが、これは掟破りで処分は到底免れない。
結局罷免処分やら党の除名騒動やらに発展するが、何ともやりきれない顛末ではある。
何やら毎日新聞社の沖縄返還時の機密文章をすっぱ抜いた西山記者とも似ているが、本社が超特ダネを掲載していれば当該新聞社(報道機関)としての信用や値打ちは何倍のもなっていた。
歴史的な大特ダネを掴んだのに掲載されないとして別のところにネタを流した記者を処分する代わりに、世紀のお宝をボツにした編集部の幹部こそ処分するべきだった。
大特ダネをボツにした無能な編集部を温存した毎日新聞も赤旗も其れ以降は読者が伸び悩んでいますが、そんな事は当たり前ではないでしょうか。
それでも、政府の言うことを何でも信じるよりは、何にも信じない方がマシのように思いますが、思考としては基本的には同じで、人間、横着が好きだということですよ。
よど号ハイジャック犯たちは『北朝鮮を楽園だ』などとは思っていなかった筈です。将来自分たちが何十年も北朝鮮で生活するとは思っていなかったのです。
連中は北朝鮮を拠点として色々と勝手に自分たちの運動(革命遊び)が出来るとでも思っていたのでしょう。それとも日本国内での極左活動に完全に行き詰って海外進出(海外逃亡)したか何れかです。
もともと極左の赤軍派の考えは『世界同時革命』の夢物語なのでイスラエルのテルアビブ空港での無差別テロ事件を引き起こしたりレバノンのベッカー高原に軍事拠点を作ろうとしたりしているがパレスチナ難民の為を考えていないように、北朝鮮に対する正確な知識も関心も無かったようです。
>「政府のプロパガンダである」として信じないわけでして<
この部分だけなら素晴らしいメディアリテラシーで、全くもって正しい考え方なのですが、その後がいけない。
プロパガンダ(政治宣伝)の中に多くの誇張や事実の歪曲が含まれているのは事実なのですが、『プロパガンダはみんな嘘でその正反対が真実』なんて法則は何処にもない。
それどころかプロパガンダの基本は、自分に都合の良い真実の一部を真実全部であると市民に誤解させる手法なので、『プロパガンダとは真実の一部』の事なのです。
科学的事実(真実)を知る事は誰にでも出来る簡単なことではないと肝に銘じておくべきでしょう。
今日本ではピョンヤン放送などの北朝鮮の報道がニュース報道などではなく『政府のプロパガンダ』であるとは理解している。
そして東欧やソ連の先例を見ると北朝鮮市民の多くも「政府のプロパガンダである」ことを良く知っている。
ところが肝心の日本国内のマスメディアの報道がやっぱり「政府のプロパガンダである」事実には全く気が付いていない。
われわれ日本人の報道や警察やその他の公に存在しているものに対する『信頼度』は世界的に見ても異常な水準でずば抜けていて、北朝鮮なんか問題にもなら無いほどの憂慮すべき危険な病的な状態で、何故これほど信用しているのか不思議でならない。
日本もほんの64年前には北朝鮮の報道よりももっと凄まじい報道を行っていたし、戦前の報道機関はそのまま殆どパージされずに現在に繋がっている事実に注意するべきですね。
近頃ネット空間だけにはやる陰謀論談義にはうんざりさせられます。東ドイツなど東欧市民の爪の垢でも飲ましたい心境です。
いやしくも政治ブログを標榜していて『陰謀論』などと口走る『自分をとりまく世の中は善意だけで出来ている』と信じている素直な小学生程度のメディアリテラシーの無さには心底がっかりさせられます。もう少し歴史を勉強してから発言して欲しいものですね。
モノの豊かさ=経済の豊かさ=正しい経済体制
「モノを豊かにするためなら何をやっても許される」
というのが、20世紀の価値観でした。
ボルネオの原住民の生活が飢えも失業もないからといって、「ああ、経済が豊かだ」などとは言わないわけです。
そして、社会主義陣営もまたモノの豊かさを求めていて、自分たちの経済体制の売りが何なのかをわかっていなかった。理想とする経済システムの運営のためなら恐怖政治をやってもかまわないと思っていた。
私の周りでも、「やっぱりモノの豊かさで勝たねばならぬ」とか「マルクスはハイエクに負けた」などと言っている左翼活動家は多いです。
社会党もマスコミのすすめに従い名前を社民党に変えてしまった。
「経済の豊かさよりも社会の豊かさだ」などとは言わなかった。
経済成長という言葉はあっても、社会成長という言葉はない。
もし、地球上のどこかに、一つでも民主的な社会主義国家が存在していれば事態は変わっていたかも知れません。
>近頃ネット空間だけにはやる陰謀論談義にはうんざりさせられます。
久しぶりに、お玉おばさんのところに書き込んでみました。
今回は、市民運動にも怪しいものがあるので、寄付を伴うような運動や団体の紹介は注意が必要ですよということを、「きっこの日記」での出来事を例に説明してみたのですが、う~ん…。
http://potthi.blog107.fc2.com/page-1.html#entry796
「きっこの日記」が紹介した団体が怪しいことは認知しているようなのですが、他にも怪しい団体はありますよとなると、根拠を示せみたいな反論を返してきます。
しょうがないので、調べて根拠を提示してみたところ、なぜか、その書き込みは削除されました(^^;。
どうも、自分にとって不都合な事実から目を背けようとする傾向がありますね。
これでは、いつ、きっこの日記と同じ事態に陥るやらわかりません。
ブログで紹介するからには、もし、それが詐欺団体であった場合は、読者も被害を受けてしまい、紹介者は加害者にもなってしまうわけです。
ちゃんと、きっこさんの例をあげて説明したのですが…。
日本政府の経済政策を指導した中谷巌は、最初は理想の経済システムであると信じて新自由主義を推進したが後に転向して、今では『新自由主義は悪魔の碾き臼』であると指摘する。
著書『資本主義はなぜ自壊したのか』の中で中谷 巌が『資本主義的に見れば豊かではないが国民が幸せな国家』の代表として社会主義国のキューバとヒマラヤ山中の小国ブータンを紹介しているのですが結構面白いですよ。
ドイツのベルリンでは東側が塀を造ったがカリブ海のキューバでは欧州とは正反対にアメリカが塀を造り半世紀にわたって未だに完全なる経済封鎖を続けている。
昔は完全なるアメリカの下請け機関であった米州機構を使った完全封鎖で、大打撃を受けたキューバ経済は豊かなはずが無いのです。
特にソ連の崩壊後には唯一の援助先が無くなり経済は壊滅状態になるのですが、それでも日本人経済学者の中谷 巌が見て『幸せそう』に見えたというからこれは面白い。
もう一つのブータンも長らく鎖国状態で今でも海外から資本の導入には慎重で、世界の潮流に抗ってグローバリズム推進の正反対の姿勢らしい。
どちらも国は物質的には貧しいが『国民は幸せ』そうに暮らしているらしいが、最大の理由は世界と同じ基準(アメリカナイズ)でない独自文化の尊重と、過度の格差が存在しないことでしょう。
日本もほんの20年ほど前は年功序列と終身雇用制による失業者や非正規雇用のないが独自の経済システムが生きていたし、現在ほど凄まじい格差が存在せず一億総中流意識で、今よりも格段にみんなが幸せそうにしていた。
その理由(仕組み)は極簡単で前の自民党政権下でも所得税の最高税率は93%で法人税率も42%だった。これが社民政党ではない保守政党であると自民党が行っていたのですから、現在から考えるとある意味で驚きですね。
しかし現在のように其々50%と30%に引き下げられてしまう。
理由は竹中平蔵の主張する金持ちを優遇して大金持ちにすると、大金持ちは貧乏人と違い金を使うので貧乏人にも金が回ってくるという新自由主義のトリクルダウンと言うトリック理論です。
このトリクルダウン理論は金があれば自分の家の中に遊園地や飛行場を造るアメリカでも成功しなかった。
特に文化的背景の大きく違う日本では全く正反対になり日本経済は壊滅的な打撃を受ける。
金持ち優遇政策で、まともな国家であるなら当然行わなければならない資産課税を20年間も怠った結果、日本政府の財政赤字は800兆円と言う膨大な額に膨れ上がり、対照的に納税を免除された大金持ちの個人の金融資産の総額は1400兆円を超えるまでに豊かになる。
この数字は持ち家などの不動産以外にも普通の4人家族なら日本人全員が5600万円の預貯金がある計算ですよ。
そんな余裕のある金融資産のある人たちは一握り。
新自由主義のトリクルダウンなんて大嘘で、『宵越しの金は持たない』日本の貧乏人は金を使うが、正反対に金持ちは滅多に金を使わない。
上杉鷹山や二宮金次郎など昔の偉人賢人は全て質素倹約で金を使った者は一人もない。
唯一有名人で大金を使ったのは紀伊国屋文左衛門くらいですが、この話にはオチがあり(金を使った為)晩年は乞食に落ちぶれたとの説話になっている。
美智子皇后の実家の正田邸が取り壊される時に建築物を『文化遺産に』との声もあったが、あの程度の建物は欧米基準では中産階級の家で決して金持ちの家には見えない。
皇后陛下の実家で日清コンツェルンでこの(欧米基準ならケチ)始末振りでは後は推して知るべし。
アメリカ仕込の竹中平蔵氏の理論は日本では全く当てはまらない。
矢張り地道に貧乏人にも金が回るようにして中産階級に出世させない事には日本の経済は良くならないでしょう。
金を使わない日本の『金持ち』から税という形で金を吸い上げないと社会としての『金詰まり』とその正反対の金余りの『投機』がいつまでも続きます。
何が禁止用語なのかの表示がないので何べんも書き換えて送りましたが大変困りました
色々書き換えてやっと判ったことは私の書いた『ガリオア・エロア』が良くなかったらしいのです。
ガリオア・エロアを『ガリオア基金』と書き換えてやっとコメントが通りましたが、まさかエロアが駄目だったとは気が付かなかった。
それにしてもコンピューターは人間と違い、賢いようで正味のアホですね。
お玉さんのブログの雰囲気は私好みでは無いのでこれまでもそれ程コメントしていませんが、臓器移植法関連で早雲さんのコメントが記事になっていたので投稿したが、この時に当方の対して『逝きし世の面影さん』と名指しした反論コメントがあり、内容的にも全くの事実誤認なのでこのまま放置することはブログ記事全体に対しても信用問題でもあるし大きな問題であると考え、その事を指摘する返事を書きましたが、全て没。
しかもボツよりも問題なのは私が何べんも詳しく指摘している、『逝きし面影さん』と名指ししている間違った数字を書いてコメントの方は、そのまま削除せず掲載されているのです。
そもそも名指しであるので当方には当然反論する権利も義務もあると考え4回も送ったが(お玉さんは)全て無視したままです。本当に困った事です。
このときの遣り取りは自分のブログに記事にして残してありますが、それにしても9・1陰謀論退治に見られる様に思い込みの強いお玉さんには困ったものです。
移植医療と患者の延命効果、お玉さんの勘違い(2009年06月30日 | 臓器移植法
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/a66d4a59ef16ad132ded9fd0b40d3324
心臓移植委員会の出した統計の10年後に90%の生存率なる数字ですが、この数字はありえない数字。何故ならこの調査時点で心臓移植患者数は一桁でしかも十年を経過していないので統計が出せるはずが無い。
自民党は保守の看板を掲げていますが、中は右から左までバラエティーに富んでいて、連立政権のようなもので、「何でもあり」だったのが広く票を集められ、長期政権になれた理由の一つだと思います。
戦後60年の社会の変化をみると、とても保守だとは思えません。実に巧妙です。