大日本帝国は、ドイツ、イタリアとの日独伊三国防共協定に続き極度に右傾化する国内世論の『バスに乗り遅れるな』という空虚な雰囲気のもと、亡国の道である日独伊三国軍事同盟が1940年9月27日に結ばれている。
ドイツ軍のポーランド侵攻に対するイギリスフランスの対独宣戦布告で始まった第二次世界大戦開始日は1939年9月1日で、すでにこの日独伊三国同盟が結ばれる一年も前に世界大戦は始まっていた。
日本が三国軍事同盟を締結した日付が大問題である。
軍事同盟とは、仮想敵国を予め決めていて『一国が軍事攻撃を受けたら、他の加盟国が軍事援助(参戦)する』約束(同盟)なのです。
ところが、この三国同盟は通常の軍事同盟のような平和時の『仮想敵国』どころの話ではない。
今まさに第二次世界大戦が戦われている『真っ最中』だったのです。
ドイツの鉄の軍団が突如独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻したのは日独伊三国同盟締結から9ヶ月後の1941年6月22日である。
三国軍事同盟を結ぶ日本軍は、侵攻したドイツ軍に呼応するかのように独ソ開戦の翌月の1941年7月に空前の規模の事実上の対ソ連戦争準備行動(関東軍特種演習)を行い、関東軍兵力は28万から74万人に二倍以上に膨れ上がった。
誰が見てもこの日本の行為は、ソ連軍の欧州正面への兵力集中を妨害する目的が見え見えであり、攻撃している日本の軍事同盟国であるドイツ軍に対する強力な援護射撃となる。
またソ連軍の対応如何では関東軍の対ソ侵攻も十分に考えられるので、事実上の対ソ参戦行為に限りなく近い。
対ソ開戦半年間は、圧倒的な攻撃力を誇るドイツ軍機械化部隊の電撃作戦は無敵で連戦連勝、ソ連の首都モスクワは包囲され孤立して今にも陥落するかに見えた。
そして3国同盟締結一年3ヶ月後、69年前の運命の日の12月8日。
明治維新以来、常に一貫して『勝ち馬に乗る』作戦で勝利を掴み利益を得てきた日本軍は欧州戦線での連戦連勝、無敵のナチスドイツ軍の『勝利』を確信して、勝ち目の無い対米戦争の地獄に自ら突き進んで行ったのです。
ところが日米開戦一日前には皮肉にも日本が期待(願望)していた独ソ両軍の形勢は逆転していたのです。
『日本は対ソ侵攻の意思なし』とのスパイゾルゲの情報を入手したソ連軍は、それまで関東軍(対日戦)のため動かすことが出来なかった冬季戦を得意とする極東配備のシベリア師団をモスクワ攻防戦に投入する。
開戦以来負け続けていたソ連軍は、やっとこの首都攻防戦で初めての大勝利を手にし常勝ドイツ軍を敗走させることに成功していた。
1941年12月8日は日独伊3国同盟の大日本帝国海軍部隊が、圧倒的なアメリカ人の反戦世論の為に盟友イギリスの国家存亡の危機にも拘らず、どうしてもアメリカの軍事介入が出来ずに苦悩していたルーズベルト大統領の切望していた開戦の大義である『日本軍の奇襲攻撃』を提供してしまった一大痛恨事の記念日である。
日本人はこの12月8日の持つ意味を、決して忘れてはいけない。
挑発して怒らせ、あるいは追い詰めて先ず相手に殴らせてから『戦争は嫌だが相手が悪いので仕方が無い』『民主主義の正義の戦いを行うのである』との『正義の御旗』を掲げて百倍返しを行うのがアメリカ合衆国の戦争の常であった。
『Indian Removal Act』
合衆国はインデアン諸族(ネイティブ・アメリカン)と数千もの平和協定を結びつかの間の平和を約束するが一定時間が過ぎると、ことごとく『相手が攻撃してきたから』『正義である』とすべての約束は破られて民族絶滅に追い込む。
クレイジー・ホース(1849年~1877年)は最後まで合衆国に挑み、軍師的なシッティング・ブルと共にスー・シャイアン連合軍を率いてリトル・ビッグホーンの戦いで第7騎兵隊を全滅させたが、このインディアンの合衆国に対する勝利は、最大で最後のものとなった。
孤高の戦士クレイジー・ホースは『我に続け、今日は戦うには、いい日だ! 』『今日は、死ぬには、いい日だ!』と叫んだとされています。
1877年9月7日銃剣によって刺殺された。享年28歳。
『死ぬにはいい日だ』 It's a good day to die
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
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『三国同盟を結んだ時から、戦争は決まったもの』との歴史認識は大事な視点でしょう。
ただ、『戦うための準備を一切せず』は正しいとはいいかねます。
事実は当時の日本国は国民国家としてはアメリカにくれべて未熟であり戦時経済の総動員が不十分にしか出来ない構造であったのです。
日本の資本主義は完全には自立しているとは言えず工作機械など先進技術や、鉄鉱などではアメリカの屑鉄、主力の綿製品では綿糸の輸入が絶対に必要不可欠だったのです。
特に石油は全部外国からで、それも多くが戦争相手のアメリカからだったのですよ。
開戦すれば自動的にそれらの連合国からの輸入資源は止まるのですから日本軍には半年の戦争継続能力しかなかったのは自明の理です。
日本の資本主義は今とは大違いで、まだまだ未熟な段階であり、対先進国(連合国)相手では常に輸入超過で赤字状態で第一次世界大戦のときだけが僅かに例外的に黒字を計上しているのです。
その赤字の穴埋めが対中貿易の黒字であったのですが、このように戦争を経済の面から見ると別の姿が浮かび上がります。
だから、色々な研究をしていたのです。ただ、及川大臣がアホですから、戦うための準備を一切せず、軍令部と連合艦隊が備えの準備をしていました。開戦当初の海軍は平時編成のままです。装備も人員も。アホ及川のせいで。
真珠湾を攻撃した連合艦隊司令長官の山本五十六はドイツの対ソ戦の結末を、独ソ戦の開戦前からほとんど正確に予想していたのですから、海軍(山本五十六)の情報分析力、判断力の正確さ確かさには驚きです。
もちろんアメリカ軍に対する日本軍の継戦能力が半年以内の短さであることも正確に知っていたのです。
自分達に都合の悪いことは無かったことにする、自己中の楽天家、妄想癖の空自元幕僚長多母神とは大違いでホンモノの軍人とは、科学者以上に科学的な客観的判断力が要求されるものなのです。
何しろ自分の命がかかっているのですから、
『自分にとって如何考えれらるか』などの主観的な観念論には全く意味が無くて、単なる事実の正確な確認が最重要視されるのですね。
湾岸戦争が始まった時にイラク空軍機の多くは、今まで戦っていたイラクイラン戦争時の敵国のイランに飛んで行ったのですが、空軍将校達には戦争の結果が始まる前から判っていたのです。
この例は日本でも全く同じ。
第二次世界大戦でも同じで、海軍の戦死者の数字は一般人の常識とは違っていて陸軍より低くて17%なのですよ。
軍に徴用された我々一般商船の船員の死亡率は海軍の三倍の高さなのですから本当に腹立たしいですね。
普通の日本以外の国では、当たり前ですが、この数字は逆になります。
日本陸軍の問題点の指摘も大事かもしれないが連合艦隊司令長官山本五十六など日本を亡ぼした海軍の亡国的な犯罪行為はそれ以上であるのです。
東京裁判で断罪されたのは対米戦争開戦に関係した海軍軍人は一人だけで、後はすべて陸軍関係者ばかりなのですね。
『関東軍特種演習で日ソ中立条約はその時点で無効』とのソ連側の言い分ですが、対独戦の緒戦に大敗した原因の一端は日本軍の脅威(関東軍特種演習)が影響して、肝心の欧州正面に兵力を集中できず東西両方向に分散していたこともあるのです。
2000万人の損害の多くは緒戦での大敗北での捕虜の多さに原因しています。
ドイツ軍は共産党員は見つけ次第処刑したので捕虜の生存率は5割の低さなのですね。
あと、関東軍特種演習は敵対行為だから、日ソ中立条約はその時点で無効であるというのが、ソ連側の言い分らしいですね。