『社会に占める宗教の比重の日米差』
日本人では『宗教』が政治や科学に優先することは絶対と言ってよいほど無い。
例外はオウムのような破壊的カルトの信者だけであり、それ以外には誰一人いない。
日本では必ず『政治や科学>宗教』の構図になっている。
その為に日本人では、他の日本以外の別のものを判断する時も、この自分の判断基準が優先するわけですが、特に日本では知的水準の高い常識有る人ほどこの傾向が強い。
ところが日本の唯一の同盟国アメリカは、半分は間違いなく日本人と同じで『政治や科学>宗教』の価値観を持っているのですが、後の半分の人々が大問題で日本的常識と正反対。
彼等は困ったことに『宗教>政治や科学』なのです。
ところがマスコミや政党、財界人など、日本人ではジャーナリストを含む主な有識者の多くは当たり前ですが『日本的価値観』を持っているので、一部宗教学者以外の知識層ほどアメリカの裏の顔『宗教>政治や科学』の存在を無視する。
これは政治ブログの世界でも同じであり、宗教系を除く護憲左派の政治ブログで、理不尽に政治に介入してくるアメリカの深刻な原理主義の宗教問題を取り上げることは原則的に無い。
各自が取り上げないのは其々の価値観の問題であり仕方がないが、『自分が取り上げない』が何時の間にか勝手に進化して仕舞い、(強力な政治組織としての)『宗教右派などは存在しない』との思い込みで、幾ら間違いを事実で示しても何ら考慮することなく同一趣旨のコメント群が延々と送られてくると流石に苛立たしくなる。
しかしものは考えよう。
『宗教が政治や科学に優先する』アメリカの半分を無視する(無いと思っている)日本人有識者の考え方の『代表的な例である』とも解釈出来る。
それなら彼等(アメリカを間違えた)知識層の考え方(何故、アメリカの宗教的半分を理解出来ないか)の解明に大いに役立つ。
今まではコメントを全文掲載していましたが話が長いし横道に逸れるしくどいし難解で、余分な書き込みが多くしかも間違っている。
今回は分かりやす様に短く要約して解説していますが、要約前の全文は『神は妄想である』 コメント集0~3(資料)2009年11月(宗教)に掲載しています。
宗教、政治形態、社会集団の成り立ち。
(ejnews)
2009-11-27 20:15:22
・・・唯、本当に宗教、特に西洋文明で非科学的だと逝きし世の面影さんが仰るキリスト教が政治権力よりも力を持っていたとしたら如何して西洋文明は世界で最初に現代科学の発展を見たのでしょう?
そして西洋文明の双子文明(歴史家の間ではオットマントルコ帝国を含め三つ子文明と捉えている人も居る様です)であるロシア正教文明では科学文明の発展が遅れ常に西欧先端科学の真似をしなければならない状態に陥ったのでしょうか?・・・
『ダーウィンの進化論』
(逝きし世の面影)
ejnewsさん、コメント有難うございます。
>西洋文明で非科学的だと・・・<
そんなことは誰も主張していないし、記事の何処にも書いていない。科学、非科学の話ではなく単なる『力関係』の話です。
(当ブログでは近代科学を生んだキリスト教の『科学と宗教の意外な近さ』の記事を繰り返し書いている。宗教と科学の両者を何か相反する概念と信じているようですが、実は親子のような密接な縁戚関係にあります。
「偶然と必然」を読んで2009年11月08日 | 共産党、(続)「偶然と必然」を読んで2009年12月14日 | 共産党)
一神教(キリスト教)世界では長らく政治(世俗勢力)が宗教勢力の下位に甘んじていた歴史的事実を無視するべきではないでしょう。
この力関係が逆転するのは極最近の、僅か2~3百年前のルネッサンス以後の話ですね。
>ロシア正教文明<
このくくりは余り一般的とはいえません。
ロシアはヨーロッパの辺境地域(田舎)ではあるが、独自の(独立した)文明圏と見る見方は少ないでしょう。
東方正教会の一つとの見方は出来るがロシア正教文明との見方は特殊すぎて賛成出来ません。
ロシアが独自の文明圏化するのは20世紀初頭のロシア革命以後です。
オスマントルコはイスラム文化圏で、これは別個で欧州の一神教(キリスト教)文明とは明らかに違います。
そして長らくオスマントルコ等イスラムなどの東方の文明に対して西欧世界(キリスト教社会)は文化的に遅れた後進地域だった。
西欧の三大発明と言われているものも中国など東方の文明では千~数百年前に既に発明されていました。
この東西の文明の上下関係は近年崩れるのですが、これがキリスト教世界での宗教と政治の力関係(上下関係)の変化と時期的に非常に近いのです。
この事が何を意味するのか。?
此処で考えなくてはならない重要な事実は、現在のような西欧の近代科学なるものは極最近の出来事であり、それ以前は正反対であったことを忘れるべきではないでしょ。
長らく文化的に遅れた後進地域だった西欧世界が如何にして現在のような世界をリードする科学文明を作れたかの謎は色々な解釈が出来るでしょう。
『ダーウィンの進化論とアメリカの福音派』(原理主義)2008年09月22日 | 宗教
の記事では、科学と宗教の関係とか、何故西欧文明では近代科学が生まれたかを従来の常識に縛られず、歴史的に考察して独自の視点で解説しています。
西欧での政治と宗教の力関係の逆転を認めようとしない『宗教勢力』の存在に対する科学者の批判が今回の記事ですが、科学と政治の上下関係の歴史的考察なら此方の記事のほうが適当でしょう。
(ブログ主)
どこを如何読めば『西洋文明は非科学的』になるのか不思議ですが、記事の趣旨はアメリカにおける原理主義の跋扈に対する科学者側の反撃ですよ。
キリスト教が『政治権力より力を持っていた』事実は何百年も前の話ですが、これは歴史学者みんなが認めている科学的な客観的事実で今更誰も文句は言えないはずなのですが。それまで否定されると会話になりません。
欧州で宗教が政治を支配していた時代に、同じキリスト教でもギリシャなど東方正教会は進んだイスラム文化圏と直接接していたので文化的に高かった。
それに比べて残念ながら当時の西欧世界は、科学文化が中国など東方世界に比べれば数百年も、遥かに遅れた後進地帯だったことは事実ですよ。
其れが逆転するのは宗教改革以降の話で、ルネッサンスの三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷)なるものは中国など先進国で1千年から数百年ほど前に発明されている。
三大発明を火薬、羅針盤、活版印刷とするから皆さんが勘違いするのであって正確には銃と軍艦と聖書(の大量発行)なのです。
三大発明が『銃』『軍艦』と『聖書』なら、輝かしい西欧の文明の『隠された本体』の意味するところが誰にでも理解でき、禍々しい『真実』が明らかになる。
宗教改革でこれまで一般市民を雁字搦めに縛っていた教会(宗教)の権威が薄れた事が科学発展の決め手である事は皆さんが一致して認めていることです。
西欧先端科学の話は、ルネッサンス期以降の限定話でそれ以前は西欧とは東方政界に比べて遥かに遅れた未開地域であったのは歴史的事実ですよ。
⑧『やっぱり懲りずに』世俗的なアメリカと宗教国家アメリカの段差2011年01月30日(宗教)の記事にejnewsさんのコメントと同一趣旨の掲載記事内容を勘違いしたコメントがsuyapさんからも送られており『何故何人もの読者が不思議な間違いをするのか』の解明の為、この場に掲載しておきます。
『アメリカ社会のカルト化』
(suyap)
2011-01-30 14:31:56
こんにちは、
ejnewsさんと逝きし世の面影さんの掛け合いを面白く(若干疲れながら^^)拝読いたしました。アメリカの「属国」ミクロネシアの一部に身を置くものにとっては、ejnewsさんの分析は、ほぼ同意を持って読むことができます。ここ数十年のアメリカ社会の「カルト化」、それを影で操っている勢力はejnewsさんの分析のとおりです。
一口にアメリカと言っても、その人口の半分(既に以上?)を白人種以外が占めるようになった現在、「日本人以外は『神』が政治より上だ」という逝きし世の面影さんの前提では、アメリカ社会の構造や動きを正しく読み取れないでしょう。
いわゆる「ネオコン」にしても、昨今の「茶会派」にしても、それらの影にいるのは何(誰)か...更に、ヒットラーに資金提供したものは?レーニンや、果てはマルクス・エンゲルス...コロンブスらのスポンサーは???
いやはや、「学校では絶対に教わらない世界の仕組み」に、ますますエキサイトしています。
話が飛びましたが、カルト社会アメリカを見ていると、そのまま今の日本に当てはまるのが怖いです。ここ20年の日本は、とくに教育方面において、確実にアメリカのたどった道を歩んでいます。
若干疲れながら^^
(ブログ主)
suyapさん、コメント有難う御座います。
それにしても当方の『アメリカの政治の半分を牛耳る原理主義』との記事に近い趣旨の、他の政治ブログの記事が何処を探しても無いのですね。
日本では基本的に『政治>宗教』が当たり前であり、それ以外の私に似た考え方はそもそも政治ブログの世界では『無い』のですよ。
しかもsuyapさんまでが、
>『日本人以外は『神』が政治より上だ」という逝きし世の面影さんの前提』<などと、正反対にといってよいほど大きく間違えた解釈をしている。
当方の主張は『日本人では宗教<政治や科学』で、それ以外の先進国でも日本人と同じである。アメリカでも日本人が良く知っているハワイやニューヨークやロス等東西の沿岸部の地域では日本と同じ『宗教<政治や科学』の価値観になっている。ですよ。
ejnewsさんの解釈の、『日本人以外』なんて凄まじい極端な過激発言は、一回も書いていないし誰も主張していない。
(誰がそんな不思議なことを言ったのでしょうか?)
(一般市民層よりも遥かに見識が高く、読解力もあるはずの)suyapさんやejnewsさんは当方の記事を読んで、記事に書いてない何故そんな極端な解釈をするのでしょうか。
当方の主張で繰り返しているのは現実のアメリカの政治や社会に占める原理主義の存在の、単なる客観的事実の記載だけですよ。
アメリカの政治を語るときには世俗勢力(政党や政治家)だけでは駄目で、アメリカ全体では2~4割を占める原理主義(宗教勢力)を無視して判断しては結果を間違うと指摘しているのです。
現在は白人が多数派ですが、統計から推測すれば数十年後には白人は多数ではなくなる(少数派になる)ので、今までの支配権(既得権益)を侵されることを極端に恐れている。不安にかられて余計に原理主義が過激化するのです。
政治勢力のくせに変に宗教的な「ネオコン」や、宗教勢力そのものの原理主義の「茶会派」に対して、『それらの影にいるのは何(誰)か』なんて考え方は常に政治(世俗勢力)が宗教を利用してきた日本人らしい考え方ですが、一神教政界では『力』の関係が長い間正反対だったのです。
今でもイランではアフマデネジャド大統領や議会よりも聖職者の方が『上位』の力関係なのです。
革命指導者ホメイニ師の死以後は最高指導者に就任したハメネイ師が軍参謀長、司法府代表の任命権、大統領罷免権を有するのですが、これは今では全く違っているが、欧州でも何百年か前ではイランと同じような政治体制だったのです。
ですから日本の右傾化は事実ですが、アメリカのような宗教右派(原理主義)とは大きく性格が違います。
日本では『政治>宗教』なので常に政治が主犯ですが、アメリカでは世俗勢力と宗教の力関係が拮抗しており『どちらがどちらを利用した』などと考えるよりもお互いが相手を利用していると考えるべきで、 suyapさんやejnewsさんが考えるような、宗教(原理主義)は政治に利用された『被害者』などではなくて『共同正犯』ですよ。
原理主義(宗教)は『政治に利用されている』だけではなくて、同時に原理主義の方でも『政治を利用している』のですから間違いなく政治だけでなくて此方も『主犯』の一人です。
其れにしても、書いている本人も厭き厭きするほど長い記事でも、『読んでくれている』読者の存在程ありがたいものはありません。
アメリカですが、メガ・チャーチとかテレビ伝道師という現代社会が生んだある種のキリスト教系新興宗教があるのですが、彼等の特徴が小泉純一郎的な物事の単純化であり、ブッシュジュニアと同じ安易な善悪二元論なのですね。
しかし、ここまでなら日本人でも十分に話についていけるのですが、決してついていけないのが度外れた『死後の世界』に対する恐怖なのです。
仏教的な無常観(ブッダ見つけた真理)の日本人は、生あるものが死ぬのは当たり前であり、『死なない』(死ねない)ことの方が恐ろしい。
だから『自分の死後の永遠の命』なんてことは、日本ではものみの塔などカルト信者以外には誰も考えないのですが、欧米のキリスト教では『死後の永遠の命』は最大で最強の宗教ツールなのですね。
これを得んが為に多くの人々が努力するのです。
欧米では全財産の9割を慈善事業に寄付する世界一の富豪のビル・ゲイツなどに代表されるように個人による寄付が大きく福祉に役立っている。
矢張り原因はこの『死後の永遠の命』に原因しているのです。
日本人では何桁も数字が違うのは福祉に対する考え方の違いとか道徳観の違いではなくて、この宗教観の違いによるものですね。
「世俗的なアメリカと宗教国家アメリカの段差」シリーズのおかげでいろいろ知らされました。さらにもう一つ、⑧のコメントで私にとって重要なことが40年経って初めて明確になりました。
「政教分離」とは、もともと政治と「教会(church=宗派、教派)」の分離という意味でつくられた訳語なのですね。しかし、ほぼすべての日本人は政治と「宗教」と思って、すべての議論の基にしていて誤解しているようです。
もともと文化の共通性が低い文化の間で、相手を簡単に理解できたと思うと深い落とし穴があると思い知りました。
アメリカ合衆国憲法修正条項第2条で、
『規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない』とされており、日本人が良く知っている全米ライフル協会とか右翼勢力が銃規制に反対しているだけではなくて、
実は今回銃撃されたアリゾナ8区の民主党ガブリエル・ギフォーズ下院議員(公的医療保険創設に積極賛成しているリベラル左派)も同じように銃規制に反対しているのです。
アメリカの右翼と左翼の両方の翼が同意見であるのです。
この構図は、日本で『人権擁護法』に対して賛成しているのは社民党、民主党、政府法務省、自民党の野中広務や古賀誠元幹事長などで、
対して人権擁護法に積極的に反対しているのが面白いことに小泉の郵政民営化に反対した勢力と全く同じなのですよ。
城内実や平沼赳夫など国粋主義者グループと、これと左翼の日本共産党と、政治的に左右の正反対の政治的な立場の人々なのです。
アメリカの銃規制問題の左右の反対と同じような構図が、日本では左右が反対する根本的に人権を破壊する悪魔の法案『人権擁護法』なのですね。
一見すると銃規制も人権の擁護も『何の問題も無い』様に見えるのですが、この話には表面から眺めているだけでは分からない、問題点が含まれているらしいのです。
アメリカの民主主義の出発点が、『個人の武装』という理念なのですね。
『個人の武装』によって、自立した個人の自由を保障して、国家権力の制限しコミュニティの『自治を確立する』とするものです。
それなら、これは我々日本人でも十分に尊重されるべき価値観であるのです。
国家の武装権を否定している日本国憲法9条のある国で個人の武装権も否定されているのはある意味バランスの取れた話であるのですが、現実と憲法の条文とは乖離があり、困ったことに9条は拡大解釈で骨抜きにされ日本は周辺諸国に脅威を与えるまでに重武装している。
今のように日本が最高法規の憲法の規定のとおりなら明らかに違法な『国家の武装』をあくまで放棄しないなら、(理論的には)それならバランス上、個人の武装も行う必要があるのですよ。
『国家から保護してもらえない者の銃を捨てさせたとき、いたずらに 国家や警察力を肥大させること以外の解決策はありえるのか』と考えるのがアメリカの左派リベラルの民主主義的な考え方なのです。
一番良い解決策は国家も憲法9条の規定の通りに非武装になり市民も同じように非武装が最善でしょう。
日本ですが、個人の武装を禁じていこれは可也の水準徹底して守られている。
ところがもう一方の憲法で禁止されている『国家の武装』が全く守られていない。
これは駄目でしょう。全くバランスが取れていないし理論的にも間違いです。
国家が重武装する日本も危ないが、国家もこれ以上もてないぐらいに武装して国民がやっぱり武装するアメリカも危なくて未だ平和への道は遠く、半分だけですね。
これから日本国内に「日本の刀狩・武装解除資料センター」を開設します。もちろん私が事務を担当します。上席研究員には『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)著者の伊勢崎賢治先生を迎えます。たぶん資料センターの建物は、有刺鉄線で囲まれたものになるでしょう。
センターの研究内容は、古今東西の、刀狩や武装解除に関する歴史の研究です。要は武装解除の高度の専門知識の集積・分析・提言を行うわけです。
とりあえず最初の研究テーマは、「悪魔との対決のために絶対に武装解除に応じられないと主張する団体を、いかに説得・調伏するか」です。人類が終る前に、この問題をはたして解決できるでしょうか。