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『永田町界隈だけは、日本国とは別世界のサンクチュアリ(sanctuary)だった』 安倍晋三首相の周辺は『闇の聖域』(脱法天国の無法社会)
『公文書改ざん、宮古島市職員に1年6月求刑 批判を恐れ虚偽のごみ量』
4月24日 沖縄タイムス
ごみ計量票の写しを改ざんして沖縄県宮古島市議会に提出したとして、虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われた同市の職員(45)の論告求刑公判が23日、那覇地裁平良支部であり、検察は懲役1年6月を求刑した。
検察側は「議会を欺こうとした市職員にあるまじき事件。大規模かつ巧妙で態様は悪質」と指摘。「市議会や記者会見で現場から不法投棄ごみを一掃した旨の虚偽の発表を行っており、市議会、市民を欺き事業をした」とし、公文書の改ざんは民主主義を揺るがしかねない と批判した。
弁護側は起訴内容を認め、「執行猶予付の判決で社会で更生を図らせるべきだ」と主張。「受託業者が実際に撤去したごみの量が当初推計量よりも大幅に乖離(かいり)していたため、批判を受けるのではないかと懸念して虚偽の公文書を提出した」と私利私欲の犯行ではないと情状酌量を訴えた。判決は6月18日。
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『公文書改ざん 福田元首相「政府の信用失う」と批判』4月25日 財務次官セクハラ疑惑NHK NEWSWEB
財務省の決裁文書の改ざんなど公文書をめぐる問題が相次いでいることについて、福田元総理大臣は、東京都内で講演し、公文書管理のルールが守られておらず、政府の信用を失墜させていると批判しました。
この中で福田元総理大臣は、「10年ほど前、私が総理大臣になった時に年金記録問題が起きた。年金をもらう時になって、記録がないというのは、政府が詐欺をやっているようなもので、政権の1つや2つ飛んでもしかたがないくらいの大きな問題だと思った。政府が作った書類はきちんと残さないといけない」と指摘しました。
そのうえで、福田氏は、公文書をめぐる問題が相次いでいることについて「私も公文書問題に取り組んだが、一生懸命法律を作っても、今のように守ってくれない事態が起こると、全く意味がない。政府の信用を失うことになる」と批判しました。
また福田氏は、財務省の前事務次官がセクハラ発言をしたとされる問題に関連して「人口が減り、働く人も減る中、女性が働きやすくしなければならない。セクハラなんか論外で、環境整備をしなければならず、きちんと国会で議論してほしい」と述べました。
4月25日 NHK
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日本が開国へと踏み出すきっかけとなった日米和親条約の、批准書交換証書。(アメリカ東インド艦隊のペリー提督を指す「ペルリ」の文字が見える)
『幕末以降の外交記録を所蔵する史料館へ!』4月25日(水)探検バクモン[NHK総合]
今回は貴重な史料を保管する、外務省 外交史料館を探検。外務省 外交史料館は幕末以降の条約書など、およそ12万件を保管。重要な外交記録は、30年経過すると、ここに移して一般公開するのが基本ルール。
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チャールズ英国皇太子同妃殿下の訪日の史料を拝見中
昭和61年に日本に巻き起こったダイアナフィーバー(チャールズ英国皇太子とダイアナ妃殿下の訪日)。当時の外務省では、大きな懸案事項だった。
途中で、サプライズな訪問者(現職の河野太郎外務大臣)も番組に特別出演する力の入れようは驚くばかりである、・・・ほぼ解散・総選挙は確実な情勢だが、もっと大きな政変劇も十分に考えられる成り行き(NHKの編集方針)である。
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和親条約から4年後の1858年(160年前)に結ばれた日米修好通商条約の『原本』
条約書の冊子の下についているのは、ただの飾りではなく『蝋缶』(ろうかん)というもので、条約文の改竄を防止する目的のため特別につけられていた。
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1945年に調印された降伏文書の9月2日が正式な日本が敗戦した日付け(敗戦記念日)。政府を代表して重光葵外務大臣が、日本軍を代表して梅津美治郎参謀総長が署名した
第二次世界対戦が終わったときの文章ですが、実はこの文書には、調印時に起こった『とんでもない』エピソードが隠されているのです。日本人官僚の心意気が垣間見えるエピソードを紹介。
『歴史的な「公文書」の保存に尽力した江戸幕府の官僚たち』
164年前の嘉永7年3月3日(西暦1854年3月31日)にアメリカと最初に結ばれた日米和親条約の原本は残念ながら江戸城の火事で失われているのですが、歴史の歯車が大きく動いた幕末当時の徳川幕府の役人(サムライ)たちが貴重な公文書類の保存に対して非常に気をつかっていたことが今回のNHKの番組で紹介されている。
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『「発見」された不存在の日記について』2018年4月6日(金)日経ビジネスオンライン(小田嶋 隆)
大阪市内の路上に、840枚ほどの機密文書を含む国土交通省の廃棄書類がぶちまけられたのだそうだ。
1990年代制作のB級テレビドラマに出てきそうなシーンだ。
風に舞う文書。這いつくばって紙切れを拾い集める背広姿の職員たち。遠巻きに眺めながらヒソヒソ話をする主婦。なぜか周囲を走り回る野犬。あくびをする猫。無意味に全力疾走するオダユージ。民放夜8時の2時間枠で放送されるバカなサスペンス巨編にぴったりの絵だ。
もっとも、映像として「絵になる」のはその通りなのだとして、起こったことそのものは、たいした事件ではない。書類の廃棄を請け負った下請け業者が、運搬中に積荷を落としただけの話だ。国交省の体質が問われねばならないというほどのお話でもない。
ただ、タイミングがタイミングだけに、必要以上に注目されることは避けられない。
というのも、この何週間か、あるいはもっとさかのぼれば現政権が発足して以来のこの5年ほどの間を通じて、「文書」ないしは「書類」をめぐる前代未聞の事態が進行中だからだ。
してみると、廃棄書類がナニワの路上に散乱している絵面(えづら)が、絶賛興行中の行政文書受難物語を象徴するスラップスティックなトレーラー映像として世間の耳目を集めるのは、いたしかたのないところだ。
文書は官僚の仕事の結果でもあれば、そのよって立つ基盤でもある。魂という意味で言えば、武士における刀に相当する存在だと言っても差し支えない。
官僚による文書の不当廃棄や、紛失や、あるいは隠蔽や、さらには改竄といった未曾有の不祥事が続発しているここしばらくの展開は、武士が丸腰で出仕したとか、城内で大小を紛失したとか、でなければ、差している腰のものが竹光でしたみたいな不祥事に相当するお話なわけで、世が世なら切腹を申し付けられてもおかしくない。
と、書き進めながら気づいたのだが、官僚にとっての文書を、武士にとっての刀になぞらえたのは不適切だった。撤回する。武士の刀は、形骸化した職能の象徴をスタイルとして残したドレスコードに過ぎない。大筋において甲子園球児の丸刈りや銀行員のネクタイと大差のないものだ。もっといえば、武士道における日本刀は「様式化された愚かさ」を忠誠のフックとして利用したアナクロニズムの発露なのであって、結局のところ、組織の構成員が陳腐な強制に従うことで保たれている秩序のための秩序といったあたりが、武士道の正体だったということになる。刀はその武士道という事大主義のちいちいぱっぱにおける統合の象徴というのかドーナツのアナというのか、いずれにせよ空虚な中心を穿つために用いられた滑稽千万な演出道具だったわけだ。
話がズレた。
大嫌いなサムライの話になるとつい余計なことを言い募ってしまう。
武士道大好きな皆さんは上記の十行ほどの内容は忘れてください。
私がお伝えしたかったことの骨子は、役人にとっての文書の重要性に比べれば、武士にとっての刀などしょせんはアクセサリーに過ぎないということだ。
官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。
かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ。寿司屋にとっての寿司ネタどころか鳥にとっての翼、犬にとっての尻尾、猫にとっての肉球に近い、それなしには自分たちの存在そのものが意味を喪失してしまう何かだと言っても良い。
今回は「文書」の話をする。
たいして関心を持たれているようにも見えないこの話題を、あえて持ち出してきた理由は、文書がないがしろにされていることへの世間一般の受けとめ方が、あまりにものんびりしているように見えて、そのことが、言葉にかかわる稼業にたずさわっている人間として残念に思えたからだ。
ちなみに、私自身は、行政文書が軽視されていることは、官僚が自分たちの仕事への情熱を失っていることのあらわれなのだというふうに受けとめている。でもって、官僚が為すべき義務を果たしていないことは、行政が機能していないということであり、行政が滞っているということは、国政が狂っていることだとも考えている。
大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、私自身は、事態を過大に申告しているつもりはない。
私は、この国は、狂いはじめる過程にあると、半ば本気で、そう思っている。
もっとも、国が狂っているってなことを言い張る人間があらわれた場合、一般的に言って、当該の国家なり国民が狂っている可能性よりも、その旨を言い立てている人間のアタマが狂っている可能性を先に考慮した方が良い。してみると、狂っているのは私の方なのかもしれない。うむ。その可能性は認めなければならない。
防衛省で、陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が「発見」された。
「発見」は、普通は古文書や歴史的文書に使われる名詞で、リアルな行政文書や記録に対して使用される単語ではない。
が、4月3日の日経新聞の朝刊は 《防衛省、「不存在」の日報発見》 という見出しを打っている。
「おい、発見って、防衛省は古墳か何かなのか?」
「まあ、庁舎の地下に秘密のダンジョンがあってもオレは驚かない」
「どうせ天の岩戸ぐらいな名前つけて自衛隊OBの軍事オタクがコレクションを秘蔵してる程度だと思うけど」
「あとはイシバさんのコスプレ衣装をおさめたワードローブな」
「そこに日報やら交換日記やらを隠蔽してたってわけか?」
「まあ、ガチムチの組織だけにそれぐらいの秘密の花園は許してやろうぜ」
もちろんだが、日報は地下迷宮の壺の中から発見されたわけではない。ごく当たり前な保管場所から出てきたのだと思う。ただ、なぜなのか、誰も気づかずにスルーされていたということなのだろう。
ともあれ、「『不存在』の日報」という、日経の見出しにある表現は、なかなか皮肉の効いた言い方だ。ほとんど哲学的ですらある。
が、この見出しを考案したデスクは、おそらく皮肉を言いたかったのではない。単純に「これまで国会答弁などを通じて公式に存在しないとされていた日報が、その不存在を語った国会答弁から1年以上の年月を経たいまになって突然現れた」という、このたびの経緯を短い言葉で伝えるために、「不存在の日報」なる禅問答じみた用語法を採用せざるを得なかったのだと思う。
してみると、2004年~06年に書かれてから10年以上、不存在があらためて公式認定されてから数えても1年と2カ月ほど日の目を見ずにいた日報がわれわれの前に登場したなりゆきは、やはり「発見」という言葉を持ってこないと表現することができない。
あらためて考えるに、1万4000ページに及ぶ公文書が「発見」されるに至った経緯は、考えるだに異様だ。われらのような凡人の想像を絶している。
というのも、「発見」されるためには、「発見」に先立って、その公文書を誰かが「紛失」していないと説明がつかないからだ。
とすると、1万4000ページに及ぶ公文書のヤマを、いったい誰がどうやって「紛失」できたものなのだろうか。
仮に、なんとか周囲に気づかれることなく無事に紛失しおおせたのだとして、調査を命じられた人々は、その1万4000ページの日報のカタマリをどうやってこんなにも長い間見つけずにいることができたであろうか。
私にはどうしてもうまい説明を思いつくことができない。
とすれば、事ここに至った以上、そもそも「紛失」していたという説明がウソで、「発見」というのもウソの上塗りだったという可能性を考慮せねばならない。つまり、当初の段階で、存在していた日報を「ない」と言い張る「隠蔽」ないしは「虚偽答弁」がおこなわれていたということだ。そう考えた方が、その先の説明についてもずっと理解しやすくなる。
では、どうしてあるはずの日報を「ない」と答弁せねばならなかったのだろうか。
この謎を解くためには、今回「発見」されたイラク派遣の日報の話以前に、同じく自衛隊の南スーダン派遣(2012年1月~17年5月)の際の日報について、よく似たいきさつがあったことを知っておく必要がある。
2016年の12月、防衛省は、陸上自衛隊の部隊がまとめた日報の情報公開請求に対し、廃棄して存在しないことを理由に不開示とした。だが、同じ月のうちに別組織の統合幕僚監部に保管されていた事実が判明、2017年の2月になって開示した。
で、ここから先、国会答弁や報道とのやりとりが色々とあったわけなのだが、最終的には、日報についての説明が二転三転したことの責任を取る形で、7月には、このとき防衛相だった稲田朋美氏が辞任する。この間の事情は、以下のリンク先の記事に詳しい。もう半年以上前に書かれたものだが、今回の「発見」に先立つ事態の背景がよく説明されていると思う。
ともあれ、自衛隊としては、南スーダン派遣の際の日報を「廃棄した」と説明した時点で、PKO南スーダン派遣から遡ること10年前の、2004年から06年の記録であるイラク派遣の日報が残っていてはマズいことになるわけで、ということはつまり、イラク派遣の日報隠蔽の動機は、南スーダン時の日報の廃棄という国会答弁から事後的に発生したことになる。
誰かの国会での答弁を受けて、事後的に隠蔽なり改竄なり口裏合わせの必要が生じる というこの展開は、民主主義国家の行政の過程としては極めて異常ななりゆきではあるが、縁故主義(ネポティズム)と、人治主義が猛威をふるう前近代的な独裁国家ではさしてめずらしいことではない。というよりも、独裁的なリーダーが官僚の人事を壟断している世界では、あらゆる行政的な決定事項は、ボスの鼻息をうかがう形で決裁される。少しも不思議なできごとではない。
稲田朋美元防衛相は、今回の事態を受けて
「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」
と述べ、あわせて
「上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、一体なにを信じて答弁していいのか。こんなでたらめなことがあってよいのか」
とコメントしている(こちら)。
なんという見事な被害者ポジションによる受け身のとり方であろうか。
あるいは、稲田氏がコメントしている通り、彼女は、日報の存在をまったく知らされていなかったのかもしれないし、隠蔽工作や調査の実際についてもきちんとした報告を受けていなかったのかもしれない。
でも、だとしたら、それは自衛隊という実力組織がその上司である防衛大臣の指揮を裏切って行動していたことを意味するわけで、ご自身の大臣としての無能さを裏書きする出来事でもあれば、政権内でシビリアンコントロール(文民統制)が失われていることを示唆する危険な兆候でもある。
とすれば、現今の状況への感想を求められて「驚き」だとか「怒り」だとかいった、電車の中で足を踏まれたおばさんみたいなコメントを漏らしていること自体不見識なわけで、本来なら、自身の「監督不行届」と「力不足」を「痛感」して「痛哭」くらいはしてみせてくれないと計算が合わない。
まして
「こんなでたらめなことがあってよいのか」
は、到底、責任者だった大臣が言って良いセリフではない。
なぜなら、当時の指揮官である防衛大臣は、被害者でもなければ傍観者でもなく、言葉の正しい意味でかかる事態を招いた当事者であり責任者であり、より強い言葉をもって報いるなら、張本人でもあれば犯人ですらあるからだ。
どうせ言うなら
「こんなでたらめが進行していたことを知らなかった自分の無能さにめまいをおぼえています」
ぐらいは言わないといけない。
一連の事件には、いまだ不透明な部分が数多く残されている。
今後、真相が明らかになるにしても、その頃には、問題自体が忘れられていることだろう。
もっとも、大切なのは、今回の日報についてのピンポイントの真相そのものではない。
私たちが考えなければならないのは、こんなにも大量の文書が、あらゆる場面で、廃棄され、隠蔽され、改竄され続けている ことの理由についてだ。
官僚は、本来、文書にウソを書くことができない人たちだ。当然、書いた文書を捨てることもできないはずの人たちでもある。
少なくとも私はそう思っている。
逆に言えば、文書にウソを書いた時点で、官僚は官僚としての生命を終えなければならない。
そんなことを命じることができる人間がいるのだとすれば、それは官僚ではない。
官僚に死を求めることができるのは、政治家以外にいない。
10年ほど前の流行語であった「政治主導」の目指したところは、省益や前例踏襲にとらわれがちな視野の狭い官僚の発想とは別の、より大局的な政治家の立案で行政を動かすというお話だった。それはまた、行政のリーダーシップを試験に通った人間(官僚)の手から選挙で選ばれた人間(政治家)の手に委譲することで、より国民の意思に近い政治を実現するストーリーでもあった。
が、政治の覇権争いが人治主義と縁故主義に傾き、選ばれてくる議員が世襲の三代目だらけである現状において、政治主導の理想は急速に色あせている。
それにしても、財務省をはじめとして、厚労省、防衛省、文科省の官僚たちはどうして自分たちの仕事を冒涜しにかかるみたいな暴挙に走ったのであろうか。
ふつうに考えれば、心あるパティシエがケーキの味見をするためにクリームに指を突っ込まないのと同じように、マトモな官僚は行政文書を捨てたりなくしたり改竄したりはしないものだ。
なのに、なぜなのか、この何年かの間に、見渡す限りのお役所で、本来なら優秀なはずのお役人が、一斉に自分たちの仕事に泥を塗りはじめている。
これは、大きな謎だ。
官僚の職業モラルがある日突然地に落ちたからこんなことが起こっていると考えることも不可能ではない。
ただ、私はそうは思っていない。
昨今の行政官僚の頽廃は、1人ひとりの官僚の不心得に起因する帰結ではなくて、官僚が官僚であるための基礎的な条件のうちの何かが毀損されたことによって生じている一時的な現象なのだと、私は推測している。
文書が隠蔽され、不当に廃棄され、改竄されているのは、なるほど、官僚のモラルが崩壊しつつあることの現れなのかもしれない。
しかし、だとすれば、ここへ来て廃棄されたはずの文書が発見され、隠蔽されていた文書が再登場し、改竄されていたはずの文書の改竄前の原本が出てくるケースが続発しているのは、あるいは、官僚がモラルを回復しつつあるからこそ起こっている事態であるのかもしれない。
個人的には、今後、より重大な文書が「発見」されることを期待している。
みなさん、がんばってください。
4月6日 日経ビジネスオンライン
『公文書改ざん、宮古島市職員に1年6月求刑 批判を恐れ虚偽のごみ量』
4月24日 沖縄タイムス
ごみ計量票の写しを改ざんして沖縄県宮古島市議会に提出したとして、虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われた同市の職員(45)の論告求刑公判が23日、那覇地裁平良支部であり、検察は懲役1年6月を求刑した。
検察側は「議会を欺こうとした市職員にあるまじき事件。大規模かつ巧妙で態様は悪質」と指摘。「市議会や記者会見で現場から不法投棄ごみを一掃した旨の虚偽の発表を行っており、市議会、市民を欺き事業をした」とし、公文書の改ざんは民主主義を揺るがしかねない と批判した。
弁護側は起訴内容を認め、「執行猶予付の判決で社会で更生を図らせるべきだ」と主張。「受託業者が実際に撤去したごみの量が当初推計量よりも大幅に乖離(かいり)していたため、批判を受けるのではないかと懸念して虚偽の公文書を提出した」と私利私欲の犯行ではないと情状酌量を訴えた。判決は6月18日。
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『公文書改ざん 福田元首相「政府の信用失う」と批判』4月25日 財務次官セクハラ疑惑NHK NEWSWEB
財務省の決裁文書の改ざんなど公文書をめぐる問題が相次いでいることについて、福田元総理大臣は、東京都内で講演し、公文書管理のルールが守られておらず、政府の信用を失墜させていると批判しました。
この中で福田元総理大臣は、「10年ほど前、私が総理大臣になった時に年金記録問題が起きた。年金をもらう時になって、記録がないというのは、政府が詐欺をやっているようなもので、政権の1つや2つ飛んでもしかたがないくらいの大きな問題だと思った。政府が作った書類はきちんと残さないといけない」と指摘しました。
そのうえで、福田氏は、公文書をめぐる問題が相次いでいることについて「私も公文書問題に取り組んだが、一生懸命法律を作っても、今のように守ってくれない事態が起こると、全く意味がない。政府の信用を失うことになる」と批判しました。
また福田氏は、財務省の前事務次官がセクハラ発言をしたとされる問題に関連して「人口が減り、働く人も減る中、女性が働きやすくしなければならない。セクハラなんか論外で、環境整備をしなければならず、きちんと国会で議論してほしい」と述べました。
4月25日 NHK
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日本が開国へと踏み出すきっかけとなった日米和親条約の、批准書交換証書。(アメリカ東インド艦隊のペリー提督を指す「ペルリ」の文字が見える)
『幕末以降の外交記録を所蔵する史料館へ!』4月25日(水)探検バクモン[NHK総合]
今回は貴重な史料を保管する、外務省 外交史料館を探検。外務省 外交史料館は幕末以降の条約書など、およそ12万件を保管。重要な外交記録は、30年経過すると、ここに移して一般公開するのが基本ルール。
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チャールズ英国皇太子同妃殿下の訪日の史料を拝見中
昭和61年に日本に巻き起こったダイアナフィーバー(チャールズ英国皇太子とダイアナ妃殿下の訪日)。当時の外務省では、大きな懸案事項だった。
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和親条約から4年後の1858年(160年前)に結ばれた日米修好通商条約の『原本』
条約書の冊子の下についているのは、ただの飾りではなく『蝋缶』(ろうかん)というもので、条約文の改竄を防止する目的のため特別につけられていた。
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1945年に調印された降伏文書の9月2日が正式な日本が敗戦した日付け(敗戦記念日)。政府を代表して重光葵外務大臣が、日本軍を代表して梅津美治郎参謀総長が署名した
第二次世界対戦が終わったときの文章ですが、実はこの文書には、調印時に起こった『とんでもない』エピソードが隠されているのです。日本人官僚の心意気が垣間見えるエピソードを紹介。
『歴史的な「公文書」の保存に尽力した江戸幕府の官僚たち』
164年前の嘉永7年3月3日(西暦1854年3月31日)にアメリカと最初に結ばれた日米和親条約の原本は残念ながら江戸城の火事で失われているのですが、歴史の歯車が大きく動いた幕末当時の徳川幕府の役人(サムライ)たちが貴重な公文書類の保存に対して非常に気をつかっていたことが今回のNHKの番組で紹介されている。
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『「発見」された不存在の日記について』2018年4月6日(金)日経ビジネスオンライン(小田嶋 隆)
大阪市内の路上に、840枚ほどの機密文書を含む国土交通省の廃棄書類がぶちまけられたのだそうだ。
1990年代制作のB級テレビドラマに出てきそうなシーンだ。
風に舞う文書。這いつくばって紙切れを拾い集める背広姿の職員たち。遠巻きに眺めながらヒソヒソ話をする主婦。なぜか周囲を走り回る野犬。あくびをする猫。無意味に全力疾走するオダユージ。民放夜8時の2時間枠で放送されるバカなサスペンス巨編にぴったりの絵だ。
もっとも、映像として「絵になる」のはその通りなのだとして、起こったことそのものは、たいした事件ではない。書類の廃棄を請け負った下請け業者が、運搬中に積荷を落としただけの話だ。国交省の体質が問われねばならないというほどのお話でもない。
ただ、タイミングがタイミングだけに、必要以上に注目されることは避けられない。
というのも、この何週間か、あるいはもっとさかのぼれば現政権が発足して以来のこの5年ほどの間を通じて、「文書」ないしは「書類」をめぐる前代未聞の事態が進行中だからだ。
してみると、廃棄書類がナニワの路上に散乱している絵面(えづら)が、絶賛興行中の行政文書受難物語を象徴するスラップスティックなトレーラー映像として世間の耳目を集めるのは、いたしかたのないところだ。
文書は官僚の仕事の結果でもあれば、そのよって立つ基盤でもある。魂という意味で言えば、武士における刀に相当する存在だと言っても差し支えない。
官僚による文書の不当廃棄や、紛失や、あるいは隠蔽や、さらには改竄といった未曾有の不祥事が続発しているここしばらくの展開は、武士が丸腰で出仕したとか、城内で大小を紛失したとか、でなければ、差している腰のものが竹光でしたみたいな不祥事に相当するお話なわけで、世が世なら切腹を申し付けられてもおかしくない。
と、書き進めながら気づいたのだが、官僚にとっての文書を、武士にとっての刀になぞらえたのは不適切だった。撤回する。武士の刀は、形骸化した職能の象徴をスタイルとして残したドレスコードに過ぎない。大筋において甲子園球児の丸刈りや銀行員のネクタイと大差のないものだ。もっといえば、武士道における日本刀は「様式化された愚かさ」を忠誠のフックとして利用したアナクロニズムの発露なのであって、結局のところ、組織の構成員が陳腐な強制に従うことで保たれている秩序のための秩序といったあたりが、武士道の正体だったということになる。刀はその武士道という事大主義のちいちいぱっぱにおける統合の象徴というのかドーナツのアナというのか、いずれにせよ空虚な中心を穿つために用いられた滑稽千万な演出道具だったわけだ。
話がズレた。
大嫌いなサムライの話になるとつい余計なことを言い募ってしまう。
武士道大好きな皆さんは上記の十行ほどの内容は忘れてください。
私がお伝えしたかったことの骨子は、役人にとっての文書の重要性に比べれば、武士にとっての刀などしょせんはアクセサリーに過ぎないということだ。
官僚にとって文書は手段でもあれば目的でもあり、結果でもあれば歴史でもある。
かててくわえて、自らの存在証明でもあれば退路でもある致命的に重要な存在だ。寿司屋にとっての寿司ネタどころか鳥にとっての翼、犬にとっての尻尾、猫にとっての肉球に近い、それなしには自分たちの存在そのものが意味を喪失してしまう何かだと言っても良い。
今回は「文書」の話をする。
たいして関心を持たれているようにも見えないこの話題を、あえて持ち出してきた理由は、文書がないがしろにされていることへの世間一般の受けとめ方が、あまりにものんびりしているように見えて、そのことが、言葉にかかわる稼業にたずさわっている人間として残念に思えたからだ。
ちなみに、私自身は、行政文書が軽視されていることは、官僚が自分たちの仕事への情熱を失っていることのあらわれなのだというふうに受けとめている。でもって、官僚が為すべき義務を果たしていないことは、行政が機能していないということであり、行政が滞っているということは、国政が狂っていることだとも考えている。
大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、私自身は、事態を過大に申告しているつもりはない。
私は、この国は、狂いはじめる過程にあると、半ば本気で、そう思っている。
もっとも、国が狂っているってなことを言い張る人間があらわれた場合、一般的に言って、当該の国家なり国民が狂っている可能性よりも、その旨を言い立てている人間のアタマが狂っている可能性を先に考慮した方が良い。してみると、狂っているのは私の方なのかもしれない。うむ。その可能性は認めなければならない。
防衛省で、陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が「発見」された。
「発見」は、普通は古文書や歴史的文書に使われる名詞で、リアルな行政文書や記録に対して使用される単語ではない。
が、4月3日の日経新聞の朝刊は 《防衛省、「不存在」の日報発見》 という見出しを打っている。
「おい、発見って、防衛省は古墳か何かなのか?」
「まあ、庁舎の地下に秘密のダンジョンがあってもオレは驚かない」
「どうせ天の岩戸ぐらいな名前つけて自衛隊OBの軍事オタクがコレクションを秘蔵してる程度だと思うけど」
「あとはイシバさんのコスプレ衣装をおさめたワードローブな」
「そこに日報やら交換日記やらを隠蔽してたってわけか?」
「まあ、ガチムチの組織だけにそれぐらいの秘密の花園は許してやろうぜ」
もちろんだが、日報は地下迷宮の壺の中から発見されたわけではない。ごく当たり前な保管場所から出てきたのだと思う。ただ、なぜなのか、誰も気づかずにスルーされていたということなのだろう。
ともあれ、「『不存在』の日報」という、日経の見出しにある表現は、なかなか皮肉の効いた言い方だ。ほとんど哲学的ですらある。
が、この見出しを考案したデスクは、おそらく皮肉を言いたかったのではない。単純に「これまで国会答弁などを通じて公式に存在しないとされていた日報が、その不存在を語った国会答弁から1年以上の年月を経たいまになって突然現れた」という、このたびの経緯を短い言葉で伝えるために、「不存在の日報」なる禅問答じみた用語法を採用せざるを得なかったのだと思う。
してみると、2004年~06年に書かれてから10年以上、不存在があらためて公式認定されてから数えても1年と2カ月ほど日の目を見ずにいた日報がわれわれの前に登場したなりゆきは、やはり「発見」という言葉を持ってこないと表現することができない。
あらためて考えるに、1万4000ページに及ぶ公文書が「発見」されるに至った経緯は、考えるだに異様だ。われらのような凡人の想像を絶している。
というのも、「発見」されるためには、「発見」に先立って、その公文書を誰かが「紛失」していないと説明がつかないからだ。
とすると、1万4000ページに及ぶ公文書のヤマを、いったい誰がどうやって「紛失」できたものなのだろうか。
仮に、なんとか周囲に気づかれることなく無事に紛失しおおせたのだとして、調査を命じられた人々は、その1万4000ページの日報のカタマリをどうやってこんなにも長い間見つけずにいることができたであろうか。
私にはどうしてもうまい説明を思いつくことができない。
とすれば、事ここに至った以上、そもそも「紛失」していたという説明がウソで、「発見」というのもウソの上塗りだったという可能性を考慮せねばならない。つまり、当初の段階で、存在していた日報を「ない」と言い張る「隠蔽」ないしは「虚偽答弁」がおこなわれていたということだ。そう考えた方が、その先の説明についてもずっと理解しやすくなる。
では、どうしてあるはずの日報を「ない」と答弁せねばならなかったのだろうか。
この謎を解くためには、今回「発見」されたイラク派遣の日報の話以前に、同じく自衛隊の南スーダン派遣(2012年1月~17年5月)の際の日報について、よく似たいきさつがあったことを知っておく必要がある。
2016年の12月、防衛省は、陸上自衛隊の部隊がまとめた日報の情報公開請求に対し、廃棄して存在しないことを理由に不開示とした。だが、同じ月のうちに別組織の統合幕僚監部に保管されていた事実が判明、2017年の2月になって開示した。
で、ここから先、国会答弁や報道とのやりとりが色々とあったわけなのだが、最終的には、日報についての説明が二転三転したことの責任を取る形で、7月には、このとき防衛相だった稲田朋美氏が辞任する。この間の事情は、以下のリンク先の記事に詳しい。もう半年以上前に書かれたものだが、今回の「発見」に先立つ事態の背景がよく説明されていると思う。
ともあれ、自衛隊としては、南スーダン派遣の際の日報を「廃棄した」と説明した時点で、PKO南スーダン派遣から遡ること10年前の、2004年から06年の記録であるイラク派遣の日報が残っていてはマズいことになるわけで、ということはつまり、イラク派遣の日報隠蔽の動機は、南スーダン時の日報の廃棄という国会答弁から事後的に発生したことになる。
誰かの国会での答弁を受けて、事後的に隠蔽なり改竄なり口裏合わせの必要が生じる というこの展開は、民主主義国家の行政の過程としては極めて異常ななりゆきではあるが、縁故主義(ネポティズム)と、人治主義が猛威をふるう前近代的な独裁国家ではさしてめずらしいことではない。というよりも、独裁的なリーダーが官僚の人事を壟断している世界では、あらゆる行政的な決定事項は、ボスの鼻息をうかがう形で決裁される。少しも不思議なできごとではない。
稲田朋美元防衛相は、今回の事態を受けて
「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」
と述べ、あわせて
「上がってきた報告を信じて国会で答弁してきたが、一体なにを信じて答弁していいのか。こんなでたらめなことがあってよいのか」
とコメントしている(こちら)。
なんという見事な被害者ポジションによる受け身のとり方であろうか。
あるいは、稲田氏がコメントしている通り、彼女は、日報の存在をまったく知らされていなかったのかもしれないし、隠蔽工作や調査の実際についてもきちんとした報告を受けていなかったのかもしれない。
でも、だとしたら、それは自衛隊という実力組織がその上司である防衛大臣の指揮を裏切って行動していたことを意味するわけで、ご自身の大臣としての無能さを裏書きする出来事でもあれば、政権内でシビリアンコントロール(文民統制)が失われていることを示唆する危険な兆候でもある。
とすれば、現今の状況への感想を求められて「驚き」だとか「怒り」だとかいった、電車の中で足を踏まれたおばさんみたいなコメントを漏らしていること自体不見識なわけで、本来なら、自身の「監督不行届」と「力不足」を「痛感」して「痛哭」くらいはしてみせてくれないと計算が合わない。
まして
「こんなでたらめなことがあってよいのか」
は、到底、責任者だった大臣が言って良いセリフではない。
なぜなら、当時の指揮官である防衛大臣は、被害者でもなければ傍観者でもなく、言葉の正しい意味でかかる事態を招いた当事者であり責任者であり、より強い言葉をもって報いるなら、張本人でもあれば犯人ですらあるからだ。
どうせ言うなら
「こんなでたらめが進行していたことを知らなかった自分の無能さにめまいをおぼえています」
ぐらいは言わないといけない。
一連の事件には、いまだ不透明な部分が数多く残されている。
今後、真相が明らかになるにしても、その頃には、問題自体が忘れられていることだろう。
もっとも、大切なのは、今回の日報についてのピンポイントの真相そのものではない。
私たちが考えなければならないのは、こんなにも大量の文書が、あらゆる場面で、廃棄され、隠蔽され、改竄され続けている ことの理由についてだ。
官僚は、本来、文書にウソを書くことができない人たちだ。当然、書いた文書を捨てることもできないはずの人たちでもある。
少なくとも私はそう思っている。
逆に言えば、文書にウソを書いた時点で、官僚は官僚としての生命を終えなければならない。
そんなことを命じることができる人間がいるのだとすれば、それは官僚ではない。
官僚に死を求めることができるのは、政治家以外にいない。
10年ほど前の流行語であった「政治主導」の目指したところは、省益や前例踏襲にとらわれがちな視野の狭い官僚の発想とは別の、より大局的な政治家の立案で行政を動かすというお話だった。それはまた、行政のリーダーシップを試験に通った人間(官僚)の手から選挙で選ばれた人間(政治家)の手に委譲することで、より国民の意思に近い政治を実現するストーリーでもあった。
が、政治の覇権争いが人治主義と縁故主義に傾き、選ばれてくる議員が世襲の三代目だらけである現状において、政治主導の理想は急速に色あせている。
それにしても、財務省をはじめとして、厚労省、防衛省、文科省の官僚たちはどうして自分たちの仕事を冒涜しにかかるみたいな暴挙に走ったのであろうか。
ふつうに考えれば、心あるパティシエがケーキの味見をするためにクリームに指を突っ込まないのと同じように、マトモな官僚は行政文書を捨てたりなくしたり改竄したりはしないものだ。
なのに、なぜなのか、この何年かの間に、見渡す限りのお役所で、本来なら優秀なはずのお役人が、一斉に自分たちの仕事に泥を塗りはじめている。
これは、大きな謎だ。
官僚の職業モラルがある日突然地に落ちたからこんなことが起こっていると考えることも不可能ではない。
ただ、私はそうは思っていない。
昨今の行政官僚の頽廃は、1人ひとりの官僚の不心得に起因する帰結ではなくて、官僚が官僚であるための基礎的な条件のうちの何かが毀損されたことによって生じている一時的な現象なのだと、私は推測している。
文書が隠蔽され、不当に廃棄され、改竄されているのは、なるほど、官僚のモラルが崩壊しつつあることの現れなのかもしれない。
しかし、だとすれば、ここへ来て廃棄されたはずの文書が発見され、隠蔽されていた文書が再登場し、改竄されていたはずの文書の改竄前の原本が出てくるケースが続発しているのは、あるいは、官僚がモラルを回復しつつあるからこそ起こっている事態であるのかもしれない。
個人的には、今後、より重大な文書が「発見」されることを期待している。
みなさん、がんばってください。
4月6日 日経ビジネスオンライン
私の父は国家公務員で昭和20年代から仕事をしている姿を見ており本当にまじめで一生懸命だということを感じていました。戦後の状況もあったかもしれません。
定年退職後、同僚下役のかたからの郵便など父自身は黙っておりましたがちょっとのぞき見て、皆さんがその仕事に誇りと意欲を持ってあたっておられたことが、子供心ながら推察できた経験があります。
真に国を思う公務員のかたは今だっておられます。
それがまったくどういうことでしょうか、この最近の異常な状態変化は。
税金を納めこの国が穏やかに安寧に生きていくことを願う大多数の「国民」と、おそらく異なる人々が存在しているのだ、と思わざるを得ません。
新宿区役所榎町出張所(早稲田に在るのに榎町出張所?)
で、コチラが記した住所に手を加えて勝手に改ざんした役人がいた。
なぜ?彼がそんな事をしたのか?
今でもん意味不明だが、ヘラヘラしていて、納税者をナメきっている事だけは良く解った!
文章をマジメに保管するという、
役人としての規範が最早もう日本の行政機関には無く、庶民からカネをせしめるだけの卑しい連中が運営している組織でしかないのだろう。
今の日本はもう死にかけている事は確かだが、
次はどのように成るのか?
見当もつかない、更に悪くなる一方なのでは?