基本的に今までの歴史は権力者によって書かれ、記録される。
明治維新期のように徹底的に記録(歴史)を改竄して、以前あった文明を痕跡も止めないほどに破壊した例の多くは、国家権力の受け渡しが合法的ではなく超法規的になされたからですが、それでははたして明治維新は革命だったのでしょうか。?
『はたして明治維新は市民革命だったのか。?』
この問いは古くて新しいが、難しい問題で、私は歴史を大きく進めた市民革命でもあったし、一方では復古運動でもあったのではないか?と解釈しています。
この明治維新自体の混乱がそれ以降の、日本国の数々の政治問題や精神的宗教的混乱、歴史の改竄が生まれてしまう大本を造ってしまったのでしょう。
今の時代の『新しい歴史教科書を作る会』の問題もこの延長線上にあると考えると案外分かり易い。
革命的な要素と復古運動的要素がない交ぜになった日本独自の改革が行われたのが明治維新で、最大の欠点は欧米が抜け出そうと必死で努力していた『政教一致の宗教国家』(神聖国家)を造ってしまったことでしょう。
欧米諸国では如何にして「宗教勢力を政治から遠ざけるか」が政治家の至上命題だった。
しかし逆に当時世界一の世俗国家(先進国)だった日本国(薩長軍事独裁政権)では、政治と宗教の関係を欧米人とは全く逆に解釈してしまうと言う『大失敗』を犯してしまった。
原因は色々考えられますが、私は国家を指導した薩長下級武士たちの強烈な『対欧米劣等感』が最大の原因だと確信しています。
面白いことに、この「対欧米劣等感」は、当時でも世界的大都市だった日本の首都(江戸)に住んでいた都会人の幕府の下級御家人だった人たち、勝海舟などには、まったくありませんでした。
今でも昔でも、正しい歴史を抹殺した人たちに共通するものは強烈な劣等感です。
江戸文化を抹殺した人たちが、癒しがたい強烈な劣等感から出発しているところなどは、近頃の歴史修正主義者などとも考え方の根本の部分、精神的には近いところにあるのでしょう。