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『台湾・嘉義農林OBも復刻ユニホーム姿で…甲子園開会式』2018年8月5日朝日新聞
第100回全国高校野球選手権記念大会の開会式。スタンドではかつて日本統治下だった台湾から春夏5回出場し、1931年の夏の第17回大会で準優勝経験もある嘉義農林(かぎのうりん)のOBら約40人が開会式を見守った。
(抜粋)
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永瀬正敏が伝説の野球部監督を熱演!台湾映画『KANO』2013年2月4日 サーチナ
日本を代表する実力派俳優・永瀬正敏主演の台湾映画『KANO』。日本統治時代の1931年、甲子園に出場した台湾の嘉義農林高校が準優勝した実話だが、当時の嘉義市を再現した撮影風景が公開され、注目を集めた。
永瀬演じる嘉義農林高校野球部監督・近藤兵太郎が率いるチームが全島優勝を勝ち取り、凱旋パレードを行うシーン。旗を振る大衆たちから大歓声を送られ多いに盛り上がった。
「今の日本映画にもなかなか無いことです」と驚き、感心していた永瀬は、本作が台湾映画出演2回目で、「台湾映画が徐々に国際的に注目を浴びるようになった頃だった」と振り返り、「あの頃の勢いが受け継がれている、と感じました」と語った。
永瀬演じる“嘉義農林野球部の魂”近藤兵太郎監督は、台湾人・日本人・先住民で構成された嘉義農林の選手たちを夢の甲子園へ導いた実在した伝説の人物だ。
永瀬は「近藤監督の教育方法は“愛とムチ”だったと信じています。監督と選手たちの民族を超えたこの熱い物語を、映画を通してより多くの人々に知っていただきたい。そして当時の民族共和を感じ取って欲しい」。
台湾が日本だった頃、台湾代表チームとして夏の甲子園に遠征し準優勝に輝いた嘉義農林野球部。1球たりとも諦めないプレイが観衆の心をつかみ、感動を呼んだ。
(抜粋)
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田中康夫さんがリツイート
トレ速情報 @toresokuinf · 8:03 - 2018年8月20日
【朗報】金足農業に強力な応援団!何と日本政府が直々に応援コメントを発表?!ww http://trendsoku.info/?p=107099
田中康夫さんがリツイート
@trkw27
金足農業の校歌、友愛とか知恵とか学び舎といった歌詞は一切出て来ず、厳寒酷暑の四季模様、農業への愛、そして
お日様の恵み!
お日様すごい!!
お日様マジ尊い!!!
お日様超絶偉大!!!!
と、お日様の素晴らしさをひたすらに歌っている全く高校の校歌らしからぬ歌詞だったりする。
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田中康夫さんがリツイート
@pochtamago
これを期に「百姓」って差別用語も無くなればいいのにね
#平成最後の百姓一揆
#金足農業
#差別用語
#百姓一揆
#百姓
ちなみに、農業に従事されている人が自称される場合は問題ないらしいぞ
松浦晋也さんがリツイート
kazsu @Yasu00510 · 8月19日
80歳になる金農野球部OBの父親に久々に電話。寄付した?と聞いたら12,000円(6口)寄付したとの事。6口の訳を聞いたら、卒業後も連絡を取っていた5人の仲間がみんな亡くなり、彼らの分と併せて寄付したって。泣けてくる。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 6:29 - 2018年8月21日
【とにかく甲子園はむちゃくちゃだ。もう百回でやめて、新しい、合理的で、若者を潰さない、まともな競技大会に変更すべきだ。高校生をダシにして、大人が喜ぶ狂ったイベントはもういい。】
甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。
安冨歩(やすとみ あゆみ)さんがリツイート
@pukka_white14 · 8月20日
始まった当初は「この危険な暑さの中で試合をやらせるのか!」「高校生に連投させるのか?」 とか批判も多かった夏の甲子園だけど、秋田の農業高校が103年ぶりに決勝進出!というストーリーができたとたんに批判は消えて、感動の嵐になってしまいしたな。きっと、東京オリンピックもこうなるね。
金子勝@masaru_kaneko
甲子園決勝戦。吉田は4回から足腰が動かなくなり「もう投げられない」とチームメートに告げた。桑田真澄氏が「どこか痛いところがあれば休んでほしい」との助言が光る。スポーツは体を壊すためにやるもんじゃない。楽しむものだ。吉田がプロで投げるのを見たい。休んでほしい。
『6年も前から、すでに投球制限を採用していた軟式野球』
公益財団法人 全日本軟式野球連盟は6年前の2012年(平成24年)度の全国大会、各都道府県大会などで発育発達期の投手の過度の負担を避ける目的で投球制限を採用している。
日本臨床スポーツ医学会学術委員会資料の提言を受け、肘・肩の障害防止を考慮し1日7イニングまでとする。特例でも1日最大9イニングまで。投手の投球制限については 全力投球数は、小学生では1日50球以内、試合を含めて週200球をこえないこと。中学生では1日70球以内、週350球をこえないこと。高校生では1日100球以内、週500球をこえないこと。
★注、
日本臨床スポーツ医学会かれ見れば今の甲子園は無茶苦茶である。特に酷暑がぶりかえした決勝戦では甲子園球場はナイター設備完備だし早朝の開始なら少しは体の負担が軽いが、わざわざ1日で最も暑くなる午後2時に試合開始を設定していた。まさに狂気そのもの。
Simon_Sin @Simon_Sin
農業高校の甲子園決勝進出は1931年(昭和6年 17回大会)の嘉義農林(台湾)以来なのか。この時の嘉義農林の活躍は台湾の映画監督ウェイ・ダーシェンが映画化してて日本でも公開されてます。ラジオ越しに台湾で地元チームを応援する光景が涙を誘うんだ。甲子園の実物大セットを作るとか頭おかしい映画だよ!
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Simon_Sin @Simon_Sin
「甲子園は農園じゃねえぞ」という敵チームのヤジを受けながらも甲子園に出場した嘉義農林ですが、その呉波選手はのちに日本プロ野球で活躍し戦時中は阪神タイガースの選手として甲子園を芋畑にする際内野の土壌改良に嘉義農林で学んだ技術を活用しました。本当に農園にしちゃったのです。
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NHK『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』8月20日(月)放送
さだまさしは、祖父が大陸で諜報活動をしていたスパイだったと聞かされてきた。100年の時を経て、新たな証拠や証言から、真相が明らかになる。
●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』
NHK総合 8月20日(月)午後7時30分〜 午後8時43分
さだまさしさんは、祖父が大陸で諜報活動をしていたスパイだったと聞かされてきた。100年の時を経て、新たな証拠や証言から、真相が明らかになる。そして、終戦時、旧満州にいた祖母。押し入ってきたソ連兵からピストルを向けられる。そのとき語った一言。数々の困難を乗り越えてきた覚悟があった。中国大陸、ロシア、旧樺太、長崎を舞台に壮絶な家族の歳月を紹介する。さださんは、初めて知る事実に、驚きを隠せなかった。
★注、
さだまさしのルーツを辿るNHK総合『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』ですが8月20日放送で一番驚いたのは、さだまさしの祖父が中国奥地の 新疆ウイグルの地区で諜報活動に従事していた当時、日本軍のシベリア出兵に伴いウラジオストック配置換えになっていた。スパイ活動を咎められロシア人に追われて逃げ込んだ先が後に結婚してさだまさしの祖母になる(まさしの父親を生む)日本料理店を営なんでいた離婚経験がある日本人女性だったという。
(ロシア革命に伴う対ソ干渉戦争『シベリア出兵』は歴史のタブーとしてNHKなど主要マスコミ等で取り上げられることは今まで無かったのである。何かの『大きな変化』が密かに起きているのかも知れない)
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8月7日の毎日新聞(大阪本社版朝刊)平和をたずねて 軍国写影 反復された戦争/77 世論醸成、北樺太を「保障占領」=広岩近広、では8月20日(月)放送の、NHK総合●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』と同じく歴史のタブーである対ソ干渉戦争『シベリア出兵』を去年10月ごろから『平和をたずねて=広岩近広』の連載記事で取り上げていた。
将兵だけでなく、外交官や民間人を含めて735人の犠牲者を出した尼港(にこう)事件は、世論を強硬にさせた。原敬内閣と軍部は北サハリン(樺太)の「保障占領」を実行するため、世論のさらなる醸成を期待する。
政権与党・政友会の発信もその一例だった。<軍事占領進言 政友総務会の決定>の見出しで、東京朝日新聞は報じる。
<後日の保障の為(た)め、同地方の一時的軍事占領を為(な)すは、当然の権利と云(い)はざる可(べ)…以下省略
反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』
毎日新聞2018年8月7日記事の続きが8月21日火曜日の反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』なのですが、やはり今までマスコミが取り上げなかった重用事項が色々と取り上げられている。
日本の徴兵制度は本籍地主義だったことから、部隊の全滅は町や村の戦没者を一気に増やし、男性の人口を減らした。
集落を焼き打ちした「イワノフカ村事件」の引き金となった「田中大隊(大分)の全滅」も、その一例である。
尼港(にこう)事件では、歩兵第2連隊(水戸)第3大隊がそうだった。連隊の犠牲者307人中281人が茨城県の出身者で占められた。在郷軍人会が水戸市内に建立した「尼港殉難者記念碑」に、次の記述がみられる。
<この方面の革命軍は、極端な過激思想をもつ悪質なパルチザン軍(パ軍)で、情勢の悪化を憂い中央では増派を図ったが、結氷積雪等に阻まれて断念を余儀なくされた。(略)到着した救援部隊は、なすすべもなく悲憤の涙を流すばかりであたという>
戦死した兵士は、異例の2階級特進となったが、地元紙『茨城民友社』の長久保紅如堂社長は、軍部の責任を厳しく問うた。
1920年6月24日に水戸市常磐公園で招魂祭が営まれたとき、田中儀一陸相や上原勇作参謀総長らが参列、<これを以て見ても其の責任上遺族を慰撫することに於いて如何に狼狽しかを窺知するに足るであろう>
尼港事件の追悼碑は全国で少なくとも6カ所ある。殉難者は軍人の水戸に対して、民間人は天草(熊本県)が多かった。
(抜粋)
毎日新聞の6月21日記事、反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』ですが、8月20日(月)放送の、NHK総合●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』とが、なんと、内容的にピッタリと繫がるのである。
『国民国家の成立と、徴兵制の実施と、義務教育』
150年前の1868年戊辰戦争に勝利した薩長の藩閥政府(明治新政府)ですが、それから5年後の1873(明治6)年には早くも日本国民に兵役義務を強制的に課す徴兵令を公布した。
ところが、北海道や沖縄県などでは兵役が免除されていたので、夏目漱石は東京生まれだが北海道の戸籍を移して兵役を逃れている。(これは日本以外の欧米先進国でも同じで、原則的に植民地には徴兵が免除されている)
しかし沖縄県でも日清戦争開戦1894年(明治27年)の2年後の1896年(明治29年)には真っ先に小学校教員に対して兵役が実施され、その2年後(本土から25年遅れ)の1898年(明治31年)には沖縄県も普通の徴兵令が実施される。(徴兵制では無かった日清戦争とは違い、徴兵制だった日露戦争での沖縄県兵士の死亡率はずば抜けて高くなる)
朝鮮や台湾の住民も日本本土と同じ『大日本帝国の皇民である』との建前だったが、矢張り(公民としての)徴兵義務が無かった。ところが第二次世界大戦の長期化で圧倒的な人員不足に陥った結果、朝鮮では1943年に、台湾は1944年に徴兵令が布告されたが実施される前に『玉音放送』で無条件降伏して終わっている。
第100回全国高校野球選手権記念大会の開会式。スタンドではかつて日本統治下だった台湾から春夏5回出場し、1931年の夏の第17回大会で準優勝経験もある嘉義農林(かぎのうりん)のOBら約40人が開会式を見守った。
(抜粋)
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永瀬正敏が伝説の野球部監督を熱演!台湾映画『KANO』2013年2月4日 サーチナ
日本を代表する実力派俳優・永瀬正敏主演の台湾映画『KANO』。日本統治時代の1931年、甲子園に出場した台湾の嘉義農林高校が準優勝した実話だが、当時の嘉義市を再現した撮影風景が公開され、注目を集めた。
永瀬演じる嘉義農林高校野球部監督・近藤兵太郎が率いるチームが全島優勝を勝ち取り、凱旋パレードを行うシーン。旗を振る大衆たちから大歓声を送られ多いに盛り上がった。
「今の日本映画にもなかなか無いことです」と驚き、感心していた永瀬は、本作が台湾映画出演2回目で、「台湾映画が徐々に国際的に注目を浴びるようになった頃だった」と振り返り、「あの頃の勢いが受け継がれている、と感じました」と語った。
永瀬演じる“嘉義農林野球部の魂”近藤兵太郎監督は、台湾人・日本人・先住民で構成された嘉義農林の選手たちを夢の甲子園へ導いた実在した伝説の人物だ。
永瀬は「近藤監督の教育方法は“愛とムチ”だったと信じています。監督と選手たちの民族を超えたこの熱い物語を、映画を通してより多くの人々に知っていただきたい。そして当時の民族共和を感じ取って欲しい」。
台湾が日本だった頃、台湾代表チームとして夏の甲子園に遠征し準優勝に輝いた嘉義農林野球部。1球たりとも諦めないプレイが観衆の心をつかみ、感動を呼んだ。
(抜粋)
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トレ速情報 @toresokuinf · 8:03 - 2018年8月20日
【朗報】金足農業に強力な応援団!何と日本政府が直々に応援コメントを発表?!ww http://trendsoku.info/?p=107099
田中康夫さんがリツイート
@trkw27
金足農業の校歌、友愛とか知恵とか学び舎といった歌詞は一切出て来ず、厳寒酷暑の四季模様、農業への愛、そして
お日様の恵み!
お日様すごい!!
お日様マジ尊い!!!
お日様超絶偉大!!!!
と、お日様の素晴らしさをひたすらに歌っている全く高校の校歌らしからぬ歌詞だったりする。
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田中康夫さんがリツイート
@pochtamago
これを期に「百姓」って差別用語も無くなればいいのにね
#平成最後の百姓一揆
#金足農業
#差別用語
#百姓一揆
#百姓
ちなみに、農業に従事されている人が自称される場合は問題ないらしいぞ
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kazsu @Yasu00510 · 8月19日
80歳になる金農野球部OBの父親に久々に電話。寄付した?と聞いたら12,000円(6口)寄付したとの事。6口の訳を聞いたら、卒業後も連絡を取っていた5人の仲間がみんな亡くなり、彼らの分と併せて寄付したって。泣けてくる。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 6:29 - 2018年8月21日
【とにかく甲子園はむちゃくちゃだ。もう百回でやめて、新しい、合理的で、若者を潰さない、まともな競技大会に変更すべきだ。高校生をダシにして、大人が喜ぶ狂ったイベントはもういい。】
甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。
安冨歩(やすとみ あゆみ)さんがリツイート
@pukka_white14 · 8月20日
始まった当初は「この危険な暑さの中で試合をやらせるのか!」「高校生に連投させるのか?」 とか批判も多かった夏の甲子園だけど、秋田の農業高校が103年ぶりに決勝進出!というストーリーができたとたんに批判は消えて、感動の嵐になってしまいしたな。きっと、東京オリンピックもこうなるね。
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甲子園決勝戦。吉田は4回から足腰が動かなくなり「もう投げられない」とチームメートに告げた。桑田真澄氏が「どこか痛いところがあれば休んでほしい」との助言が光る。スポーツは体を壊すためにやるもんじゃない。楽しむものだ。吉田がプロで投げるのを見たい。休んでほしい。
『6年も前から、すでに投球制限を採用していた軟式野球』
公益財団法人 全日本軟式野球連盟は6年前の2012年(平成24年)度の全国大会、各都道府県大会などで発育発達期の投手の過度の負担を避ける目的で投球制限を採用している。
日本臨床スポーツ医学会学術委員会資料の提言を受け、肘・肩の障害防止を考慮し1日7イニングまでとする。特例でも1日最大9イニングまで。投手の投球制限については 全力投球数は、小学生では1日50球以内、試合を含めて週200球をこえないこと。中学生では1日70球以内、週350球をこえないこと。高校生では1日100球以内、週500球をこえないこと。
★注、
日本臨床スポーツ医学会かれ見れば今の甲子園は無茶苦茶である。特に酷暑がぶりかえした決勝戦では甲子園球場はナイター設備完備だし早朝の開始なら少しは体の負担が軽いが、わざわざ1日で最も暑くなる午後2時に試合開始を設定していた。まさに狂気そのもの。
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Simon_Sin @Simon_Sin
農業高校の甲子園決勝進出は1931年(昭和6年 17回大会)の嘉義農林(台湾)以来なのか。この時の嘉義農林の活躍は台湾の映画監督ウェイ・ダーシェンが映画化してて日本でも公開されてます。ラジオ越しに台湾で地元チームを応援する光景が涙を誘うんだ。甲子園の実物大セットを作るとか頭おかしい映画だよ!
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Simon_Sin @Simon_Sin
「甲子園は農園じゃねえぞ」という敵チームのヤジを受けながらも甲子園に出場した嘉義農林ですが、その呉波選手はのちに日本プロ野球で活躍し戦時中は阪神タイガースの選手として甲子園を芋畑にする際内野の土壌改良に嘉義農林で学んだ技術を活用しました。本当に農園にしちゃったのです。
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NHK『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』8月20日(月)放送
さだまさしは、祖父が大陸で諜報活動をしていたスパイだったと聞かされてきた。100年の時を経て、新たな証拠や証言から、真相が明らかになる。
●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』
NHK総合 8月20日(月)午後7時30分〜 午後8時43分
さだまさしさんは、祖父が大陸で諜報活動をしていたスパイだったと聞かされてきた。100年の時を経て、新たな証拠や証言から、真相が明らかになる。そして、終戦時、旧満州にいた祖母。押し入ってきたソ連兵からピストルを向けられる。そのとき語った一言。数々の困難を乗り越えてきた覚悟があった。中国大陸、ロシア、旧樺太、長崎を舞台に壮絶な家族の歳月を紹介する。さださんは、初めて知る事実に、驚きを隠せなかった。
★注、
さだまさしのルーツを辿るNHK総合『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』ですが8月20日放送で一番驚いたのは、さだまさしの祖父が中国奥地の 新疆ウイグルの地区で諜報活動に従事していた当時、日本軍のシベリア出兵に伴いウラジオストック配置換えになっていた。スパイ活動を咎められロシア人に追われて逃げ込んだ先が後に結婚してさだまさしの祖母になる(まさしの父親を生む)日本料理店を営なんでいた離婚経験がある日本人女性だったという。
(ロシア革命に伴う対ソ干渉戦争『シベリア出兵』は歴史のタブーとしてNHKなど主要マスコミ等で取り上げられることは今まで無かったのである。何かの『大きな変化』が密かに起きているのかも知れない)
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8月7日の毎日新聞(大阪本社版朝刊)平和をたずねて 軍国写影 反復された戦争/77 世論醸成、北樺太を「保障占領」=広岩近広、では8月20日(月)放送の、NHK総合●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』と同じく歴史のタブーである対ソ干渉戦争『シベリア出兵』を去年10月ごろから『平和をたずねて=広岩近広』の連載記事で取り上げていた。
将兵だけでなく、外交官や民間人を含めて735人の犠牲者を出した尼港(にこう)事件は、世論を強硬にさせた。原敬内閣と軍部は北サハリン(樺太)の「保障占領」を実行するため、世論のさらなる醸成を期待する。
政権与党・政友会の発信もその一例だった。<軍事占領進言 政友総務会の決定>の見出しで、東京朝日新聞は報じる。
<後日の保障の為(た)め、同地方の一時的軍事占領を為(な)すは、当然の権利と云(い)はざる可(べ)…以下省略
反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』
毎日新聞2018年8月7日記事の続きが8月21日火曜日の反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』なのですが、やはり今までマスコミが取り上げなかった重用事項が色々と取り上げられている。
日本の徴兵制度は本籍地主義だったことから、部隊の全滅は町や村の戦没者を一気に増やし、男性の人口を減らした。
集落を焼き打ちした「イワノフカ村事件」の引き金となった「田中大隊(大分)の全滅」も、その一例である。
尼港(にこう)事件では、歩兵第2連隊(水戸)第3大隊がそうだった。連隊の犠牲者307人中281人が茨城県の出身者で占められた。在郷軍人会が水戸市内に建立した「尼港殉難者記念碑」に、次の記述がみられる。
<この方面の革命軍は、極端な過激思想をもつ悪質なパルチザン軍(パ軍)で、情勢の悪化を憂い中央では増派を図ったが、結氷積雪等に阻まれて断念を余儀なくされた。(略)到着した救援部隊は、なすすべもなく悲憤の涙を流すばかりであたという>
戦死した兵士は、異例の2階級特進となったが、地元紙『茨城民友社』の長久保紅如堂社長は、軍部の責任を厳しく問うた。
1920年6月24日に水戸市常磐公園で招魂祭が営まれたとき、田中儀一陸相や上原勇作参謀総長らが参列、<これを以て見ても其の責任上遺族を慰撫することに於いて如何に狼狽しかを窺知するに足るであろう>
尼港事件の追悼碑は全国で少なくとも6カ所ある。殉難者は軍人の水戸に対して、民間人は天草(熊本県)が多かった。
(抜粋)
毎日新聞の6月21日記事、反復された戦争78『部隊壊滅 茨城に大打撃』ですが、8月20日(月)放送の、NHK総合●『ファミリーヒストリー「さだまさし〜スパイだった祖父 大陸の奥地へ〜」』とが、なんと、内容的にピッタリと繫がるのである。
『国民国家の成立と、徴兵制の実施と、義務教育』
150年前の1868年戊辰戦争に勝利した薩長の藩閥政府(明治新政府)ですが、それから5年後の1873(明治6)年には早くも日本国民に兵役義務を強制的に課す徴兵令を公布した。
ところが、北海道や沖縄県などでは兵役が免除されていたので、夏目漱石は東京生まれだが北海道の戸籍を移して兵役を逃れている。(これは日本以外の欧米先進国でも同じで、原則的に植民地には徴兵が免除されている)
しかし沖縄県でも日清戦争開戦1894年(明治27年)の2年後の1896年(明治29年)には真っ先に小学校教員に対して兵役が実施され、その2年後(本土から25年遅れ)の1898年(明治31年)には沖縄県も普通の徴兵令が実施される。(徴兵制では無かった日清戦争とは違い、徴兵制だった日露戦争での沖縄県兵士の死亡率はずば抜けて高くなる)
朝鮮や台湾の住民も日本本土と同じ『大日本帝国の皇民である』との建前だったが、矢張り(公民としての)徴兵義務が無かった。ところが第二次世界大戦の長期化で圧倒的な人員不足に陥った結果、朝鮮では1943年に、台湾は1944年に徴兵令が布告されたが実施される前に『玉音放送』で無条件降伏して終わっている。