再選を目指すが支持率が低迷するオバマ大統領は麻生太郎以来3年ぶりの日本国首相の公式訪米で小泉純一郎以来6年ぶりの日米共同発表を行う。
ちなみに前回の最後の公式訪問での麻生の扱いは外交として非礼の極みの共同記者会見も無く晩餐会も何も無し。ホワイトハウスに掲載されていた写真は日本の麻生首相を徹底的に貶める無礼なものだった。
最後の日米公式発表の小泉純一朗首相は日本側マスコミ報道の『大成功』とは大違いで、米国のマスコミの扱いはプレスリーの卑猥なサル真似をする下品で呆れ果てたお馬鹿政治家としてアメリカ市民から嘲笑されていた。
世界第三位の経済大国で大切な同盟国であるはずの日本国の最高首脳の野田首相の扱いは韓国李明博(イ・ミョンバク )大統領より明らかに格下の扱いであり、最高首脳ではない中国首相の温家宝(国内序列では国会議長の次の3番目)よりも段違いの軽い粗末な扱いである。
日米首脳会談直後の五月1日、オバマ大統領はビン・ラディン謀殺一周年の記念日にアフガニスタンを突然電撃訪問した。アフガンの首都カブールでタリバンに対し和解を呼びかけ対テロ戦争終結の決意を語っている。
『段々判って来たビン・ラディン暗殺の真相』
当初のマスコミ報道とは違い、最初からCIAが殺害を目的に半年前から訓練を重ねて満を持して暗殺。
インド洋への水葬も『24時間で受入国が無かったから』ではなくて事前に計画されていた。
破壊されたビン・ラディン容疑者の豪華邸宅も襲撃成功後に米軍特殊部隊がわざと爆破した。
異様な5・5メートルの要塞の様な塀は、実物は3メートル。(屋敷の裏側の極一部分だけ5・5メートル)
報道の間違いは、少し考えれば誰でもが気が付く。
目出し帽にサングラスで街中を歩けば、こっそり隠れて『目立たない』どころか一番目立って仕舞う。
報道(5・5m)が正しければ建設当初から治安当局でなくても、誰でも例外なく一目で『怪しい』と感じる。
報道では約40分間抵抗したビン・ラディン容疑者側と銃撃戦となった。
周辺の住民によると、僅かな銃声が聞こえたが銃撃戦は無い。
アメリカ軍特殊部隊側の一方的な攻撃(反撃したのは一人)であったと一部修正。
何も武器を保持していなかった事実が判ると、『ビン・ラディンは丸腰で反撃してきたので射殺した』と変わる。
パキスタンでは普通の一般市民でも通常は武装している
逮捕後に無抵抗のビン・ラディンを処刑した可能性が一番高い。
田中 宇は、『もし本物のビンラディンであるなら、丸腰の彼に向かって米軍部隊が顔面に銃弾を撃ち込んだのはおかしい』、『顔を撃った(ことにして遺体の写真を公開しない)のは、人違いであると疑われることを強めてしまった。』殺害が決まっていれば『米当局は、ビンラディンのどこに銃弾を撃ち込むか十分検討したはずだ。』としているが全く同感。
これでは『本当にビン・ラディンが死んだのか』との疑惑が必ず残る。
普通はリビアのカダフィのように顔を潰さずに殺して証拠写真を公開するのが基本である。
しかも、報道のとおりの処刑方法では即死しない可能性がありプロなら普通は行わない。
頭部への銃撃で脳幹が無事なら直ぐには死なず植物状態になる。
即死させる為には1995年の八王子スパー女子店員3人殺害犯が行ったように座らせた状態で後から延髄を撃って確実に射殺する。
プロ中のプロの筈のアメリカ軍特殊部隊は、ヤクザのリンチのように顔を潰して誰か判らないよう殺害しているのですから何とも不思議な話である。
『ビン・ラディンの懸賞金5千万ドルは誰の手に』
すでに死んでいるオサマ・ビン・ラディンになら何十億円の懸賞をかけようが『腹も痛まず怖くは無い』とは現地パキスタンの穿った見方である。
昨年末の英国調査機関発表『世界でテロに遭遇するリスク指数』1位は現在政府が無い破綻国家のソマリア。2位がパキスタン。
3位イラク4位アフガニスタンと現在の戦争継続国よりもパキスタンの方が危険だとなっている。
何しろパキスタンではCIA要員がパキスタン市民を射殺しても金を払って犯人は国外逃亡している。
最低でも5年前から第四夫人とアボッダバードの富裕層地区に住んでいたとアメリカが発表。
しかし現地パキスタンでは、『あの地域の人間関係は濃密で、どんな人が近所に暮らしているのかは皆が皆知っている。あそこに見知らぬ人がいた筈がない。』、『イスラムに水葬の習慣は無い。』、『どちらにしても911同時多発テロとともに、アメリカの自作自演の臭いは拭えない。』と日本とは大違いで、アメリカ政府の発表をそのまま信じるものは無い。
米軍から隠れて逃げ回るどころか、自分の正妻や実子達と普通に豪華邸宅で同居して贅沢に生活していた。
そもそもサウジアラビアの大富豪がアルカイダの訓練キャンプで生活していたなどの、11年前の9・11事件当時のアメリカ側の発表は、信憑性が低く嘘くさい。
ラディン本人は11年前の9・11当時から今まで、変わることなく同じ生活をしていたのではないのか。
ビン・ラディンは対ソ連用のテロ組織を結成したCIAに協力して、米国製テロ組織に資金や資材の提供していた石油大国サウジの大富豪であり、自分自身は決してイスラム聖戦士(ムジャーヒディン)では無かった。
職場と家が一つの日本の零細商店主でもあるまいし、ビン・ラディンが訓練キャンプに一時的に滞在したことはあるだろうが、男女が同一場所にいることさえ厳しく制限しているサウジアラビアの大富豪なら同じ筈がない。
男だけのアルカイダの訓練キャンプ(アフガン)と、自分の家族が住む自宅(パキスタン)とは別々だと考える方が自然で、当たり前である。
『パキスタンのキアニ陸軍参謀総長』
オサマ・ビン・ラディン暗殺直後の5月5日、アメリカ軍の殺害オペレーションを『主権侵害である』、『同様の行為があれば米国との軍事・情報協力を見直す』と発表。パキスタン国内の駐留米軍を『必要最低限にまで減らす』方針も決めた。
パキスタンのギラニ首相は9日、ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害作戦について議会で『我々の同意を受けず、単独行動主義的な行為だった。主権侵害だ』とアメリカを厳しく批判。
国民間の反米感情は今までになく高まり、政府(軍)もそれを無視できずに米関係の見直しを迫られている。
世界最大の規模の巨大な要塞であるイラクの米大使館よりも大きな(世界一の規模になる)駐パキスタン米大使館の建設が計画されていたのだが、『今後はパキスタン駐留米軍要員の規模を必要最小限に縮小する』との方針の決定が影響して、見直される可能性が高い。
何れにしろ、今後アメリカがアフガンやパキスタン駐留軍の規模を減らせば国内を混乱させるだけの怪しげな作戦も自動的に減り『テロ』も確実に減ることだけは確実である。
現在アフガン駐留米軍が越境して国境警備のパキスタン兵を二十人以上殺害し、パキスタン側が国境を閉鎖して軍事物資の搬入を阻止する最悪の関係に陥っている。
『アフガニスタンのカルザイ大統領』
パキスタンの首都近郊でのCIAが主導したアメリカ軍特殊部隊によるビン・ラディン暗殺で、アフガニスタンの大統領は、『主戦場はアフガンで無いと言い続けていたがそれが証明された。』、『これ以上の攻撃(戦争)を止めて欲しい。』と言っている。
アフガンのカルザイ傀儡政権の発言は、日本のマスコミ報道では『タリバンに対して』言ったとなっているが戦争とは一人では出来ない。
敵味方の両方が必要であり、それならこの『戦争を止めて欲しい』の言葉の相手(主語)は素直に解釈すれば、『タリバンとアメリカ軍』の両者である。
タリバンはアフガン土着の原理主義勢力で、一方はカルザイ政権のスポンサーであるが外国の遠征軍。
そもそもアフガン戦争とは、9・11事件の犯人としてビン・ラディン一人を拘束(殺害)する目的で始められたアメリカによる報復戦争である。
今までに無実の無関係なアフガン人が何十万人も殺された。
目的の『報復』が達成されたら、これ以上アメリカ軍やNATO軍などの外国軍にはアフガンに留まる、そもそもの根拠が無くなる。
タリバンでも誰でもですが、アフガニスタン人は例外なく、外国軍のアメリカ軍に戦争を止めて欲しい。
マスコミの言うところの『テロリスト』の死が何かの役に立つとしたらですが、ビン・ラディンは元々アメリカ情報機関の支援の下で、有り余る財力を使った対ソ連用のテロ活動に対して財政支援していただけであり、自分自身が戦闘していた訳ではない。
又アメリカとしても折角大変な努力で作り上げたエージェントを無駄にはしないでしょう。
訓練された米軍特殊部隊員がわざと顔面を傷つけて一目では誰であるかが判らない様に下手糞に殺して仕舞った原因とは、間違ったのではなくて予定(命令)通りであった可能性が高い。
アメリカでは大統領が敗戦を認めて撤兵することは有り得ない。
どれ程の負け戦であれ必ず『勝ったので撤兵する』との口実が無いと朝鮮戦争のトルーマンの様に史上最低の大統領とされるか、それともベトナム戦争のニクソンのように弾劾の危険性さえ生まれる。
オバマ大統領としては『いかに胡散臭く』見えようと、ハリウッドの三文アクション映画の場面の再現(ウサマ・ビンラディンの死)が如何しても絶対に必要不可欠であった。
アメリカにとっての戦争とは、必ず最後に悪党の敵の親玉(ボス)を倒さないとゲームが終わらないコンピューターゲーム(ロールプレイングゲーム)と同じなのです。
『アメリカの大型公共事業としての戦争』
アメリカはパキスタンの首都近郊でオサマ・ビンラディンを殺害し、9・11事件の全ての謎を封印して、全ての責任をインチキ臭いアルカイダとオサマ・ビンラディンになすり付けて幕引きする作戦のようです。
間違いなくアフガン撤兵の為の印象操作の一環であり、オバマは本気で11年続いたアフガニスタンの不思議な戦争を止める決心をつけている。
アメリカにとっての戦争とは、意味無く無駄に道に穴を掘って又埋めても金が回ればそれでも良いとするケインズ学説の日本の無駄に大きい箱物造りの公共事業と同じ種類のもので、これで一定の経済回復を行っていた。
しかし、日本の公共事業が結果的には日本経済の弱体化を招いたのと同じ様に、アメリカの公共事業(戦争経済)も同じで、やっぱりアメリカ経済の弱体化は避けれなかった。
しかしアメリカの戦争による経済復興は第二次世界大戦までは、ことごとく成功していたのです。
特に二度にわたる世界大戦の結果、それまで覇権を握っていら英仏独の欧州は弱体化した。
戦争のお蔭で、アメリカが超大国に成れたのです。
日本は日清日露の成功体験が災いして、その後大失敗して帝国が滅亡するのですが、これと同じでアメリカも今までのこの成功体験が災いしている。
アメリカは今まで戦争に勝って大成功したものだから戦争で酷い目にあった欧州諸国など他国とは大違いで度外れて好戦的。
アメリカを超大国にしたのも『戦争』なら、成功体験に奢ってアメリカを腐敗させ堕落させたのも矢張り『戦争』だったとは皮肉なものです。
1945年の大戦終結後、アメリカの戦争は勝ち負けに係わらず全てが経済的にはマイナスになり、一度もプラスになっていない。
勝ち戦でもマイナスですから、ましてやイラクやアフガンの負け戦なら損害は計り知れない。
アメリカ軍の威信も無くなり、アメリカ国債がデフォルトして経済崩壊すれば、アメリカ型の強欲資本主義も終焉するでしょう。
我々一人ひとりは今、日本の150年前の幕末とか67年前の帝国の崩壊とかの根本的な価値観の変換を伴う世界的な激動期、歴史的な転換期を目撃出来るかもしれません。
『ムスリムを水葬にする不見識』
現在水葬は法律により日本国内では禁止され、刑法190条の死体遺棄罪に該当するが、聖なるガンジス川ではヒンドゥー教の最高教義の儀式の一環として行われている。ヒンドゥー教徒として人々は『ベナレスに死にに来てガンガーに流される』ことが一番大切なのである。
これは、『ヒンドゥー教が、仏教の無常観や輪廻転生を受け継いでいるため』とも言われているがチベット仏教の水葬とは扱いや様相が随分違っている。
ヒンドゥー教徒は現世の穢れを清めて(火葬)から遺骨が聖なるガンガーに流されるが、穢れていないとされる子供や聖人は火葬にせず布に包んで水葬にする。
現在の中国は衛生上火葬を推奨しているがダライ・ラマが支配していた当時のチベット仏教(ラマ教)では薪など材木資源は貴重品だったので火葬は高位のラマ僧など、限られた人だけだった。
土葬も土地を所有する裕福層など少数であり、もっと身分の低い下層階級では鳥葬や水葬が一般的だったらしいが、インドの大河ガンジスとは違いチベットでは川は限られている。
輪廻転生を最高教義とするチベット仏教の鳥葬では、遺骸を小高い丘に担ぎ上げてからハゲワシなど鳥が運べる程度まで小さく解体するが、日本なら法律などにより違法行為となる。鳥葬は刑法190条の死体損壊罪で間違いなく罰せられる。水葬もラマ教では同じように小さくしてから遺骸を川に流す。
葬送行為は最もその人の宗教観、死生観が明らかになる行為で、やり方を一歩間違うとまったく同じ行為が『最大の侮辱』とも、逆に『最高の儀礼』ともなり不可思議そのもの。
身近な周りの家族にとっては困り者で、頑固な無神論者の『信念の人』だった私の父親が元気だった頃に『葬式は無用。死体は筵に包んで川に流せ。』と何時も言っていたが幾ら『親の遺言』でも日本で本当に実行したら間違いなく家族全員が警察に捕まる。
『インドとパキスタンの違いが判らないアメリカ人』
世界最大のイスラム国家は2億人を超えるインドネシアだがパキスタンは人口1億8千万人で二番目に大きいイスラム国である。
パキスタン政府に秘密裏に首都近郊で殺害する(口封じ)とは。ナチの戦犯でも裁判を受ける権利はある。
パキスタンの宿敵、三度も全面戦争をして三度とも大敗した宗教的な価値観が正反対のインドの風習の『水葬』とは。これ以上にイスラム教徒のパキスタン人の心情を逆なでする行為も珍しい。
米軍はインドとパキスタンは隣りの国だらか『同じだ』とでも誤解したのだろうか。
アメリカ人は大喜びで9割以上の市民が大歓迎しているという。
生きていて欲しいと願う部族地帯の現地の人々もいるだろうが、パキスタン人でオサマ・ビン・ラディンが生きていたと思う人は何年も前からいなくなっていた。
ムシャラフ前大統領(陸軍参謀長)自身も『ビン・ラディンは死亡している』と口を滑らせて、それが原因(アメリカが怒って)で失脚させられたとの噂もあるが、パキスタンの人々の間では『ビン・ラディンの死』は周知の事実である。
現地パキスタンでは何時、『アメリカがオサマ・ビン・ラディンの死亡を発表するのか?』という『疑問?』があっただけだった。
9・11事件から10年経って、ようやくオサマ・ビン・ラディンも『役割が終わった』ということだろう。
『ビン・ラディンと9・11との関係は』
ビン・ラディン『容疑者』ですがテロは『テロ』でも、1998年のアフリカのケニアとタンザニアのアメリカ大使館同時爆破テロの容疑でアメリカの正式な逮捕状が出ている。
しかし、2001年の9・11事件ではアメリカを含む何処の国の捜査当局の何の訴追も受けていない。
ビン・ラディンの『容疑の内容』は9・11ではなくてアフリカの『アメリカ大使館爆破』の同時多発テロ。
9・11事件直後に当時のブッシュ政権は、『ウサマ・ビン・ラディン率いる国際テロ組織アル・カイダの犯行である』だと断定した。
当時ビン・ラディンが居住していたアフガニスタンのタリバン政権に対して、身柄を引き渡す様に命令したが、タリバン政権はビン・ラディンが9.11の犯人である確たる証拠の提示を求めた。
当たり前のタリバン政権の当然の要求を無視『ビン・ラディンを引き渡さなかった』としてアメリカは『テロとの戦争』に突入していくのですが、アメリカとしては『有罪の証拠』と言われても出したくても無い物は無い。
いくらアメリカでも『無い袖は振れない。』
アフリカ諸国の米大使館爆破では多分ビン・ラディン(アルカイダ)がやった可能性が高いが、それとは大きくテロの様相が違う9・11事件の犯人である確実な証拠は全く無い。
アメリカが示している証拠では9・11でビン・ラディンを訴追しても有罪には出来ない。
ラディン暗殺ですが長年日本軍に協力していた張作霖を関東軍が曝殺した謀略事件と、どれだけの違いがあるのか。あるいは無いのか。
嘆かわしい限りである。
アメリカが容疑者だと言っているだけの個人を襲撃して家族や周辺の使用人まで殺害した明白な国家によるテロ行為であり、許されざる卑劣で残忍な国家犯罪(テロ)。
アフガンで軍閥勢力の武装解除に尽力した東京外国語大学教授伊勢崎賢治さんは『生きて逮捕しないと、何の意味も無い』と言い切っていますが、全く同感であり、あれは単なる『死人に口無し』で不都合な真実を消す為の姑息な口封じですね。
意味はほとんどありません。
意味があるとしたらですが、アメリカ軍の対テロ戦争の口実が死んだのですから、戦争継続の意味が無くなる。
ビン・ラディンの水葬とは、2ヶ月後の7月から始まるアメリカ軍の負け戦アフガン戦争からの撤兵の為の宣伝工作のひとつ程度の話である。
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