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逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「人々」(The people)だった日本国憲法の「国民」

2012年05月03日 | 憲法

『平和憲法施行65周年』

今から65年前、無条件降伏から2年目の1947年5月3日に施行された『日本国憲法』のGHQ草案が日本政府に伝えられたのが1946年(昭和21年)2月13日で日本の敗戦から半年後のことであった。
ちなみに憲法施行半年前の1946年(昭和21年)10月3日に日本国憲法が公布されている。
日本国憲法の『自由と平和を愛し、文化をすすめる』ことを趣旨として定められた10月3日の『文化の日』であるが、それ以前は明治天皇の誕生日として『天長節』(明治節)として大日本帝国の祝日だった。
この重大な意味を持つ大事な祝日の重複は、以前の古いピラミッド(権威)の上に、覆いかぶさるように新しいピラミッド(権威)を次々と建造したマヤの神殿建設の様な話である。
アメリカとしては、それまでの既存の権威(明治天皇を頂点とする天皇制)の威光の上に日本国憲法を構築しようとしたのであろうか。
そもそも最悪の場合には国家の滅亡も有り得る近代国民国家間の戦争の開始では、終戦から戦後処理まで全てを綿密に決めてから『開戦』するものであり、日本の東条英機政権のように戦争をしたくも無いのに『何となく空気に流されて』開戦することは絶対に無い。
ですから1941年日米開戦当時のアメリカは、既に日本敗戦後の現行の日本国憲法の趣旨や公布の日時まであらかじめ綿密に考えていたと思われるのです。
現行平和憲法(憲法9条)であるが、なんら特異なものではなくて人類が初めて経験した第一次世界大戦の悲惨な経験から当時の全ての列強が賛同、国際連盟理事国だった大日本帝国の時代に批准したパリ不戦条約(1928年)を憲法の条文に明文化したに過ぎない。
日本や欧米など世界の列強が批准した不戦条約には期限が限定されていない(無期限な)ので現在も有効です。
『戦争は違法』とのパリ不戦条約はその後、加盟各国が『自衛の戦争は合法である』との手前勝手な屁理屈で、人類は第一次世界大戦以上の甚大な損害を出した悲惨極まる第二次世界大戦に突入してしまう。
この大失敗の経験から現在の国連憲章の条文ではパリ不戦条約の『戦争は違法』が受け継がれているだけではなく、さらに一歩踏み込んで紛争での『軍事力の行使』自体が違法行為と明記されている。
二重三重に国家による『戦争は違法』な行為であると否定されているのです。
日本国憲法前文の『紛争は武力ではなく話し合い』との記述は、この国連憲章を明文化したものです。
当時の日本は無条件降伏で連合国(UN・国連)の全面占領下である。
講和条約で日本国が独立を果たすのは1952年であり、1947年の現行平和憲法施行の5年も経った後だった。
ですから国連憲章を明文化した日本国憲法原案の文章は曖昧な表現が可能な(色々な含蓄を含む)日本語ではなくて、当然、最初は意味が日本語より明確(単純明快で紛れが少ない)な国際用語の英語で書かれていたのです。

『現行憲法の「人々」と「国民」の摩訶不思議な使い分け』

何とも不思議な話なのですが、現行の『日本国憲法』では、一番大事な主権者たる我々一般市民を指す言葉が、幾つかの基本的人権にかんする条文で主語が『全ての国民は』と書かれている。
ところが同じ基本的人権でも信教の自由等は『何人も』と、もっとも大事な意味を持つ『主語』(日本の主権者)が『国民』と『人々』と二種類が使い分けされているのですから何とも不思議で面白い。
具体的には『国民』は11条12条13条14条15条、25条26条27条と少ない。
主語が『何人』は、16条17条18条、20条22条、31条32条33条34条35条、38条39条40条と多数で一般的である
『国民』なら日本国籍保有者限定の意味であり、『人々』なら対象はもう少し広くなり、居住している外国籍を含む日本国の全市民の意味となる。
憲法では『国民』よりも『人々』が圧倒的に多く使われていることから、日本国憲法の対象者は当初は日本国の全市民を想定していたと考えられる。
しかも不思議なことに日本国籍保持者限定ならば、何か特別の個別案件だろうと想像されるのですが、実は話しは逆で『基本的人権』とか『法の下の平等』とか『納税の義務』などの国籍の保持の有無とは無関係な普遍的なものばかり。
それなら、これ等は『国民固有』(国籍保有者に限定)のものではなく、『人類共通』(人々とか何人も)であるべきです。
これ等の『国民は』の憲法条文の権利義務と日本国籍の有無とはそもそもが、無関係であると思われる。
逆に他の憲法条文の『なんびとも』と国籍を問わない多数派の場合の方が、より個別的な案件が目立つ。日本国籍保持限定の方が普遍的で、より広い意味の『人々』の方が個別的なのですから何とも不思議である。
この問題は我々の様な普通の日本人一般市民なら『国民の』でも『何人も』でも意味がまったく同じに成るのでそもそも感心が薄い。
しかし日本国内の少数のマイノリティー市民にとって、この違いは死活問題なので到底曖昧には済まされない大問題である。
ところが、何と、言葉の意味を一番大事にしている筈の今の日本外務省が出している現行憲法の英訳では主語の全てが『人々』の意味のpeople。
外務省の英訳憲法は日本国憲法原案(people)のままである可能性が高いのです。
アメリカ占領軍(GHQ)の全面占領下でも日本側の官僚組織は狡猾でしたたかであり、アメリカ(UN・国連)側の出した憲法原案のにあった『人々』(The people)の言葉を、相手に気がつかれないように11~15条、25条~27条だけ、日本国籍保持者限定である『国民』へと、言葉を密かに書き換えていた疑いが高い。
当時の日本側の官僚組織がアメリカ占領軍(GHQ)の言いなりだったとの『俗説』は大きな間違いであったのでしょう。

『二級市民としての在日』

同じ日本国の市民であっても出自で正当な日本国籍保有者と日本国籍を持たない市民との分割支配が日本国では長年行われていた。(日本国籍が無い『在日』は、実は日本敗戦までは全員が大日本帝国の臣民だった)
日本国憲法の主権者の言葉が本来の『人々』と、後で変更されたらしい『国民』と二種類がある関係で、良く知られている指紋の押捺や写真撮影だけではなくて外出時の外国人登録証の所有義務と厳罰化のような差別がくりかえされる。
悪名を世界に轟かせた南アフリカ連邦の様なアパルトヘイトに近い恥ずべき外国人管理が極最近まで我が日本国では行われていた。
自動車の運転に免許証の携帯が絶対条件(義務)である様に、少し前まで外国人登録証が無ければ街中を歩けない。『在日』は登録証を紛失しては絶対にいけないのですがわざと銭湯などの入り口で抜き打ちに摘発を繰り返していたのです。
この事実を熟知していると思われる出身の弁護士橋下徹は、公立学校だけではなくアメリカンスクールや中華学校など国籍を問わず、日本に居住する全ての高校生に対する無償化(助成)を朝鮮籍を理由に支給を取りやめる露骨な差別(干渉)を行っている。
65年前に姑息な日本側官僚組織が日本国憲法原文の『人々』(The people)だった言葉を、こっそり『国民』に書き換えた悪しき影響がいまでも続いているのですから歴史の修正は恐ろしい。
この様な正当な市民権の無い二級市民が同じ共同体内に存在することの『社会』としての不健全さは言うまでも無い。この事実は今の異様な恥ずべき日本社会全体の右傾化にも関連しているでしょう。
『国民』(日本国籍保持者)の英文の原文は、全てthe peopleかJapanese people(日本に住む人)である。
日本国籍限定の場合には、その旨を明確に記述し区別している。
憲法の『何人も』もevery person(すべての人)で、the peopleと同じ意味の言葉。『person』の日本語訳は『人』とか『個人』の意味。
憲法条文の『すべての国民』の部分の原文はpeopleであり、『何人も』の部分は『person』である。
一番最初の英語の原文では、憲法条文の基本的な人権条項の『普遍的』内容にはpeople(『人々』とか『人々の集合体』)と書き、より具体的個別内容には『person』(『人』とか『個人』)と正確に使い分け、明確に区別していたらしい。
ところが常に面従腹背の日本側の官僚組織が狡猾にもpeople(人々)を日本語の『国民』に、person(人)を日本語の『何人』に意識的に誤訳?したのでしょう。

コメント (19)    この記事についてブログを書く
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19 コメント

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はじめまして (南満州鉄道)
2012-05-09 23:16:11
はじめまして、南満州鉄道と申します。

日本では「外国人参政権を認めると日本が外国の都合のいいように操られてしまう!」などと主張している輩が多いですからねぇ・・・。
もっとも、外国人参政権以前に既にアメリカの属国のようになっていますけどね。
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Unknown (凡人)
2012-05-11 23:41:41
外国人参政権が成立すれば、沖縄の基地問題も円満に解決するかもしれませんね
米軍兵士をはじめとする基地関係者の意見も地元の意思として認められるわけですから。

住民としての米軍兵士の権利が尊重される日がやってくることを願います。
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この記事だけは残して (農婦)
2012-05-22 09:57:24
何もいえません。
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Unknown (Saito)
2012-05-23 11:13:45
最近、更新がないので心配していました。でも、コメント欄は更新があったようなので、ホットしました。ますますのご健筆をお祈り申し上げます。
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御自愛のほどを (ちどり)
2012-05-23 23:49:50
今も御記事くまなく拝見しております。
くれぐれも御無理のない範囲で、今後も御健筆振るわれますこと、期待しております。
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憲法22条の国籍離脱権 (宗純)
2012-05-26 16:26:35
南満州鉄道さん、凡人さん、農婦さん、コメント有難うございます。

日本国憲法 第22条の二項では、『何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。』とあるのですが、我が日本国では大昔から海外亡命には縁が薄い。
日本語では『海外』が外国を指しているのですが、典型的な島国である日本人の亡命は、滅多に無い椿事中の椿事なのです。
ところが、これが大陸基準の外国では普通に行われているらしいのです。
日本以外では、自国が住み難い時には国籍を捨てることは個人の基本的な権利なのですよ。ところが日本では余程のことがあっても亡命しないのです。
対ソ干渉戦争でシベリアの出兵していた私の父親ですが、連日の耐え難い日本軍内での暴力に耐えかねて『このままでは殺されるかもしれない』と思い逃亡(亡命)し様と画策したが、言葉も地理も判らず白色パルチザンとか人跡未踏のタイガとかに阻まれて最後に断念。やっぱり日本人だったのですね。
ところがそもそもの日本人とは3万年前の寒冷化で故郷のバイカル湖周辺を捨てて日本列島に避難した経済難民(縄文人)とか、数千年前に中国の春秋戦国時代の戦乱を避けて日本に亡命した戦争難民の弥生人の混血であり全員が亡命者の子孫なのです。
ダーウィンの『人類の進化』(人間の由来と性淘汰)
2009年12月05日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/5f885a632832e3c4eed285bf49e190d4
憲法22条では国籍離脱権と共に居住や移動の自由も全ての人々に保障しているのですから、全員が元日本国籍保有者である外国籍の『在日』の参政権なのの話は議論以前の当然な話であろうと思われますが、この憲法22条では主語が国民(日本国籍保有者限定)ではなくて、無条件の『なんびとも』となっているのです。
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Saitoさん、ちどりさん、ご心配有難う御座います (宗純)
2012-05-26 16:33:59
記事に書いて残しておきたいと思うことは沢山あるのですが、此の頃は何故か『なんとも、仕方がないな~あ。』と躊躇してしまう。
書く前に物事の結果が先に見えてしまうのですよ。それで意欲が湧かないのですがなんとも困った話ですね。
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綿密な (農婦)
2012-06-22 17:30:42
宗純様、本当に明晰なご判断力には、脱帽、有難う御座います。人ってふしぎです。自分の事さえ解らないのに(じぶんが
何なのかさえ、自分を抹消してしまいたい)本当に解りません。私は自分否定のにんげんですが、62歳になっても生きて(食べてます)(^-^)/でも本当は、自分ひていなんぞして居ないですよね。個人の内面には関わりを、しないブログ、とおっしゃてたので、くだらず主婦のコメントにもならないのはわかってますが、、ごめんください。
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平和憲法公布66周年 (現田石)
2012-10-25 12:45:21
平和憲法公布66周年が近づいてきたので出てきた現田石です。ちなみに、「11」月3日が明治節でしたよね。
今日私が、現状批判精神をもって提案したいことは、憲法の形の上での、「天皇」「戦争の放棄」「国民」「地方自治」の配列の訂正です。
そもそも憲法というものは、日本国はこういう国であることを定める規定の集まりなのですから、最初に「日本国の象徴」についてあれこれ定めるというのは、物事を定める順序から言って人の精神活動に反します。日本国のあり方をいろいろ定め、地方自治のことまで定め終わってから、象徴天皇に関する規定をおけば、現行憲法がとても人間の理解しやすい法規になると思います。
この並べ方ですと、憲法1条が、1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と…となり、憲法2条が、日本国民たる要件は、法律でこれを定める、となります。
このように並べかえれば、日本に住んでいる人々が、「天皇」のことをあれこれ考えるより先に、「日本国民」「人」とは何ぞやと自分たちのことから考え初めやすくなる、と思い、私は現行憲法批判の立場からここに提議します。
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ベルギー国憲法は立派 (弥勒魁)
2012-10-26 07:48:54
 宮沢俊義編「世界憲法集 第4版」岩波文庫1983.08.16.
のpp.69-104に出ている1831年制定のベルギー国憲法は,日本の範とするに足る立派な憲法と思うのですが。
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