商業捕鯨の禁止は、ベトナム戦争の枯葉作戦と因果関係があったことを知っているものは、今や少なくなった。
『ベトナム戦争における枯れ葉作戦とは、』
現在のイラク戦争と同じような、長引く勝ち目のないベトナム侵略戦争のゲリラ戦に疲弊したアメリカ軍は、対空兵器に劣るベトナム軍に対して、圧倒的空軍力による徹底的な空爆で対抗しようとした。
第二次世界大戦戦時の全爆弾投下量の4倍以上の爆弾を、北ベトナムに投下し『ベトナムを石器時代に戻す』と公言していた。
特に地上戦の行われていた南ベトナムでは、密林地帯に潜む北の解放軍兵士を掃討するために、徹底的に森林をナパーム弾で焼き尽くす作戦に出たが、平坦なメコンデルタ地帯と違い、山岳地帯の密林ではナパーム弾の、焼夷爆弾としての威力が落ちる。
当時のアメリカ軍は、第二次世界大戦の中国戦線にをける日本軍のように、主要都市と主要道路だけは確保していたが、農村部はベトナムの解放戦線軍に押さえられ苦戦していた。
地上戦で苦戦を強いられた米国軍は、劣勢を挽回するために、ベトナム戦争において、有害なダイオキシンを含む除草剤を空から撒いて森林を破壊してベトナム全土を砂漠化する、恐るべき狂気の「枯れ葉作戦」を繰り広げていた。
すべての森林が枯れ木の山なら、ナパーム弾の威力は何倍にも効果的に倍増できるし、ベトナム軍の隠れ家も空から容易に発見できる。
農村の農民に依拠しているベトナム軍の兵糧を破壊でき、地上戦でのアメリカ軍の損害を少なく出来る。
以上の理由によって、強力な除草剤によって、非人道的なベトナム全土砂漠化作戦「枯葉作戦』(除草剤がオレンジ色をしていたので通称オレンジ作戦)が、アメリカ本国や世界には知らされる事なく粛々と行われていた。
当時のベトナムでは、不純物として有害なダイオキシンを含む『除草剤』の大量散布によって、森林は破壊され、奇形児が多数生まれていた。
『特別戦略諮問機関』
1970 年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜きさしならぬ状況に陥りつつあった。
枯れ葉剤(除草剤)大量散布で環境への壊滅的影響と、作戦に従事した米軍兵士の健康被害。
反戦運動の盛り上がりと麻薬禍の拡散、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運を何としても方向転換させる戦略を考え出す必要があった。
その結果、ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦として自然保護が全面に打ち出されることとなった。
そして、その象徴として鯨に照準が定められたのである。
自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動家が動員され、それが 1972 年のストックホルム国連人間環境会議の開催へとつながっていく。
『国連人間環境会議』
1972年6月ストックホルムで開かれた第一回国連人間環境会議で、主催国スウェーデンのパルメ首相は、『枯葉作戦』問題を環境会議で取り上げると予告していた。
ところが会議が開催されると、アメリカは買収と脅しで反対工作をやり、ベトナム戦争の枯葉作戦問題ではなく、突然の鯨保護問題が議題とされる
この時決定されたのがモラトリアムで、商業捕鯨が出来なくなったのである。
それをやったのがニクソンの懐刀で当時大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーだった。
ニクソン大統領はこの年の11月に再選挙を控えており、ライバルの民主党ジョージ・マクガバン上院議員はベトナム戦争反対を訴えていた。
『モラトリアム』
もし環境会議で、枯葉(オレンジ)作戦問題が取り上げられ、アメリカが国際的な非難を浴びたら、ニクソン陣営は面子丸つぶれとなる。
捕鯨モラトリアムの提案は、このような事態を避け、逆に環境問題でのリーダーシップを誇示して、マクガバンの支持層を切り崩す一石三鳥の作戦だった。
それは見事に成功した。
19世紀には捕鯨大国として太平洋の鯨を激減させ、今まで一度たりともIWCでモラトリアムなど提案したことのなかったアメリカは、この時から反捕鯨陣営(自然保護?)のリーダーに変身したのである。
19世紀には最大の捕鯨大国だったアメリカが、この当時捕鯨をしていなかった。
理由は、捕鯨は食用ではなく灯火用油としてしか利用しなかったので、国内の需要がなくなった為で、決して自然保護、環境問題が原因ではない。
このストックホルム国連人間環境会議で、のちに環境保護運動の象徴となる捕鯨のモラトリアム提案が、何の根回しもないままに電撃的に可決される。
商業捕鯨は、ベトナム戦争で評判を落としたアメリカのニクソンの選挙運動のために、当時のアメリカ人にとって利用価値(実害)のないために、禁止されたのである。
この国連人間環境会議直後の11月の大統領選挙で、ベトナム戦争反対、米軍の即時撤退、軍事支出の削減を訴えていた民主党候補のジョージ・マクガバン上院議員は、共和党現職大統領で「稀代の策士」ニクソンに対して歴史的大敗を喫する。
『70年代初めの米国反捕鯨運動の推移 』
1971年1月 全米における捕鯨全面禁止決定。同時に本件商務省から大統領府直接管轄移管。
4月 ニクソン大統領海洋哺乳動物保護法可決。
6月 ワシントンにて IWC 会議開催。民間人のマッキンタイアーが初めてオブザーバーとして出席、 10年間のモラトリアムを提言。
12月 ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官、モーリス・ストロング国連人間環境会議事務局長に 10 年間のモラトリアム採択を要請。
1972年4月 米国上・下院、10 年間のモラトリアム共同決議。
6月 ストックホルム国連人間環境会議開催。
6月7日 ストックホルムのスカプネス高原において、ストロング国連人間環境会議事務局長が、環境グループのビッグ・ファームを前にモラトリアム導入のアジ演説
『モラトリアム以後』
以後、アメリカに対する反対が多かった科学者たちの研究の積み重ねを無視して、多くの反捕鯨国をIWCに加盟させ、本会議の多数決で乗り切る戦術に変更した。
72年に15カ国だったIWC加盟国は、10年後の82年には、39カ国にまで増えていた。24カ国の増加のうち、19カ国はアメリカやグリーンピースなどの環境保護団体が加盟させた反捕鯨国である。
これらの中にはセントルシア、セントビンセント、ベリーズ、アンティグア・バブーダなどという普通の日本人には聞いたこともない国々が含まれていた。
いずれもカリブ海に浮かぶ小さな島国でイギリス連邦に属している。
イギリス本国からIWC加盟を要請され、分担金などの経費はグリーンピースが立て替え、さらに代表もアメリカ人などが務める。多数派工作のための完全な傀儡メンバーである。
『日本を恫喝して従がわしたアメリカ』
IWCの規則に従がい、商業捕鯨10年間のモラトリアムに異議申し立てを行った日本政府に対し、アメリカは異議申し立てを撤回せよと日本政府に要求してきた。
異議申立てを撤回しなければ、「捕鯨条約の規則の効果を減殺した国には、アメリカ200カイリの漁獲割当てを削減する」と脅迫して撤回を迫る。
当時、アメリカの200カイリ内での我が国漁獲高は約1300億円。
鯨の約110億円の10倍以上であった。
2年以上の日米協議の結果、日本政府は84年11月に異議撤回を表明し、87年末までに商業捕鯨をすべて停止した。
結局日本はアメリカの脅しに完全屈服したのである。
しかし、其の後しばらくして、アメリカは自国の200海里経済水域内の日本側漁船を全面的に締め出してしまう。
この米国の「騙まし討ち」にも等しい卑劣、卑怯極まりない汚いやり方は、150年前に自国のインデアン(ネイティブ・アメリカン)に対してとっていた政策、方針と同じもので、其れを日本人にも適用したにすぎない。
『調査捕鯨への転換』
日本政府は、捕鯨技術の維持と、科学的データの収集を目的として調査捕鯨の計画を作成し、87年のIWC年次大会で発表した。調査捕鯨については、捕鯨条約で「捕鯨業の健全で建設的な運営に不可欠」であると奨励までされおり、「この条約のいかなる規定にも拘らず」、締結国政府は調査捕鯨ができるとされている。
しかし調査捕鯨の費用の大部分、は鯨肉の販売で賄われる為に牛肉の二倍以上100グラム1000円以上の高値の花になり、売れ行きは大きく落ち込み、徒に冷凍倉庫の在庫量を膨らます結果だけが日本に残されている。
当ブログ関連記事
アポロ11号月面着陸捏造疑惑とケネディ大統領 2008-02-06
続、アポロ11号月面着陸捏造疑惑とケネディ大統領 2008-02-14
拙ブログのTBなのですが、当初ブログ主様が危惧されていたように、拙ブログの空気と相容れないものを感じます。丁寧に申し入れされ、私も一旦「どうぞ」と言った手前申し上げ難くいのですが、当分のあいだ、拙ブログへのTBを遠慮して頂けると幸いです。何卒宜しくお願い致します。
なぜかと言うと,米軍がまき散らした「枯れ葉剤」は元々「農薬のできそこない」で,それを単純に「ベトナムへ捨てた」というのが米軍のホンネだからです.
だから,2,3,7,8-TCDD に次いで毒性の高い 2,3,7,8-ポリ・クロロ・ジ・ベンゾ・フラン (TCDF, 135種類) も含まれているし,さらにはコプラナー PCB (3,3',4,4',5-ペンタ・クロロ・ビ・フェニル) という PCB (ポリ・クロロ・ビ・フェニル,13種類) の中でダイオキシンに化学構造が似通っているものも「農薬のできそこない」には含まれています.ダイオキシン類はここまで数え上げると223種類にもなります.
# ベンゼン環が2つ,酸素原子2つなどのお手々で結ばれた六角形の結合様式がビ・フェニル;同様にベンゼン環が酸素原子1つなどのお手々で結ばれ,もう片方は直接ベンゼン環同士が結び付いて五角形になったのがジ・ベンゾ・フランになります.
また,ダイオキシン類は水より有機溶媒に溶けやすいという性質があるため,動植物に取り込まれた場合,その脂肪組織に蓄積しやすいという性質を持っています.私が自分のブログでミンククジラはダイオキシンだらけと皮肉ったのはそういう所から出て来ているのです.
反対に,塩素原子や臭素原子がベンゼン環の全ての位置にくっついたオクタ・クロロ・ジ・ベンゾ・パラ・ジ・オキシン (OCDD) には全んど毒性が見られない;つまり塩素原子や臭素原子のくっつき方によって,ダイオキシン類は毒性が変わるということもマスコミではほとんど報道されていません.光市事件と同様,ただ少年事件の恐怖を煽るのみの扇情的な報道が罷り通っているのです.
不純物ですから、強毒なものも有ったろうし、弱毒もあったでしょう。
「強力な」ではなく「有害な」の形容詞が適当でしょう、変更しておきました。
普通に農家が使う除草剤は、できる限り人体に影響が出ないよう品質管理が行われますが、アメリカ軍は、ベトナム全土に大量散布するためにコストを出来る限り切り詰める必要があった。
大量に有害物質が含まれた>「農薬のできそこない」の解釈が正解ですね。
報道
個人的にアメリカ人とつきあってみて分かるのですけど,そこまでやるか,という程,阿漕に金儲けしないといけないと,子供の頃から神経症的に洗脳されているんですよ.
美談として言われる子供のベビーシッターや車洗いなどのアルバイトやボランティアだって,実際にはその洗脳の結果なんですよね(笑) 逆に言えば,カネにならないことは一切しない.その辺は台湾人に似ているかな?
# 台北の日本人向けホテルのカラオケ室で「支那の夜」「父よあなたは強かった」を聴いたときは些かカルチャーショックを受けたけど(笑)
他所ではコメントを拝見していますが、御忙しいところをよく来てくれました。有難う御座います。
スタローンの名作「ランボー」の導入部で、黒人の元戦友を訪ねた場面で母親から、無事帰還したがべトナム戦争で枯葉剤を浴びて病気となり、苦しみながら死んだ息子の最期を看取った事を聞かされる話がありましたね。
枯葉剤によるアメリカ兵の後遺症問題は、とうとうアメリカ政府まで認め保証するそうですが、肝心のベトナム人には未だに認めていません。
勿論ヒロシマの原爆での後遺症も、イラクや旧ユーゴでの劣化ウラン弾の二次被害も絶対に認めないのですから、ベトナムだけ特別に認める事もないでしょうが。
ヒロシマ、べトナム、イラクと共通する点は、如何に効率よく敵(人)を殺すかが最優先されていることで、其の後の後遺症はまったく考慮されていない事でしょう。
目先の効率だけを優先する、アメリカ人の特徴がよく現れています。
ダイオキシン被害は、主目的とは別の不純物による、予期せざる副作用で、其の隠ぺい工作に使われたのがクジラやアポロ11号月着陸。
今大問題になっている後期高齢者医療費問題も、実は2年前の問題で今頃大騒ぎしているが、この目くらましに使われたのが村上ファンドや秋田藤里町の連続幼児殺害事件で連日ワイドショウーのネタになっていた。
日本の若者達の右傾化は事実ですが、私はそれ程、悲観していません。
右傾化の原因は、若者層の貧困化です。
歴史的に考察すると、貧困化が左傾化に結びつくのはインテリ知識層だけの特殊事情で、若者層を含め一般大衆は必ず右傾化します。
『何故そうなるか』の原因は簡単で、右翼は情熱さえ有れば成れるが、左翼は情熱だけでは駄目で知識がなければ左翼にはなれない。
それで今日本国中にネットウヨが大増殖中な訳ですが、もう一つ重要な事実が有る
北朝鮮問題です。
これが左翼に大打撃を与えたが、しかし其の事実を今の社共の幹部の人は認めたくない。
(社共が考えているほど一般市民は賢くないんですよ。本当に賢かったら自公政権が今まで続くはずがない)
自分の負けた原因を理解できない様では勝てませんよ。
どうも、日本を置いてきぼりにして、アメリカと北朝鮮は合意に達したようです。
北朝鮮問題が解決すれば、この問題に関して日本政府が行ってきた数々の偽装工作もばれます。
社会は大きく左に揺れ戻すでしょう。