立憲民主党が先の衆院選挙で躍進?したような雰囲気を感じただろうか。メディアやマスコミの扇動的報道で国民はなんとなく危機を感じて自民党政権に反する投票をした人が結構な数いる。それが立憲が伸びた?結果なのかも知れない。それでも見てみれば立憲の議員は元民進党議員が殆どで希望の党が改憲派、立憲が護憲派と割れただけ、反自民党はどちらもかわらないが立憲民主党の枝野議員は衆院代表質問で・・・
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枝野代表は、憲法問題に入ると、国内政策に関するときの語り口を突然変え、「まずは、今ある憲法をちゃんと守ってから言え!」と恫喝するかのような雄たけびをあげた。しかも枝野代表は、手続きを踏んで改憲しても、「立憲主義違反を事後的・なし崩し的に追認することになるので、到底認められない!」、とも叫んだ。万が一改憲がなされても、その結果を認めない、という宣言である。http://agora-web.jp/archives/2029642.html
安倍政権の進める憲法改正は認めないと宣言しました。手続きを踏んだ改憲でも認めないという事はテロをしてでも粉砕するという意味にも通ずるのか、それほど厳しい口調で宣言したようだ。そして立憲ではないが会派に所属する山尾しおり議員が「憲法裁判所」の設置案を呈しました。http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/112100013/
その案に対する意見を篠田英朗氏が述べていますので・・
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憲法学者独裁の憲法裁判所は危険だ
前回のブログで山尾議員の改憲案について書いた際、「憲法裁判所」設置の改憲案は危険ではないか、と書いた。http://agora-web.jp/archives/2029686.html
拙著『集団的自衛権の思想史』や『ほんとうの憲法』で論じたが、本当の日本国憲法典はアメリカの影響が強いものだが、その解釈方法を独占的に論じてる日本の憲法学ではドイツ国法学的な伝統すら根強い。憲法典と憲法学の間のギャップは、憲法裁判所の導入によって、劇的なまでに白日の下にさらされることになるだろう。
独裁的な権限を持ちうる憲法裁判所の設置は、国政を混乱に陥れいれる危険性をはらむ。導入するのであれば、十分な議論と準備と管理が必要だ。たとえば裁判官の選定にあたっては、万が一にも、「憲法学者だから」、といったことを理由にした安直なやり方があってはならない。
客観的な評価に耐えうる業績を持ち、人格的に高潔であることが条件になるのは当然だが、さらに、政治的偏向がない人物であることも、極めて重要な要件となる。後略http://agora-web.jp/archives/2029309.html/stron<g>
篠田氏は憲法裁判官に選ばれた者は偏った思想や信条、政治偏向を持つ事は危険であると危惧しています。現在の裁判所においても「朝鮮バアバア」と言った者に最高裁は上告を棄却相手が勝訴した事例があるようにただ単にバアバアだけなら裁判にはならなかったかも知れないが朝鮮がついたことでマイノリティに対する差別という判断で最高裁に上告した被疑者に対して棄却、裁判官が公平な目を持っていたか、もしかして朝鮮人に対するヘイトは全て許さないという考えを持っていたとすれば上告した者には不利になる。
要するに立憲主義を唱える山尾議員は憲法裁判所の裁判官は偏った思想を持ち左翼思考の持ち主を選びたいらしい。逆に改憲派の裁判官では山尾議員の主張は崩れてしまう。そうすると枝野議員が主張するように改憲は何をしても反対するとなる。この世の中は右を向く者がいれば左を向く者がいる。そして真ん中を向く者もいる。しかし、改憲すると言えば改憲は反対といわなければならない裁判官を据えようとするのが立憲民主党という国民になんら責任を持つ必要の無い政党が言うのである。
私は集団的自衛権において日本国を防衛する事が正しいと思う、集団的云々は違憲だから個別的自衛権で国を守る事が先見であるとする野党の意見は国民の命より憲法の方が大事であると宣言している。戦後70数年、日本が戦争せず済んできたのは個別的自衛権があったからであるとする山尾議員の主張は間違いで、アメリカの傘の下で経済を発展させてきたのが事実、アメリカという後ろ盾があったこそ日本は直ぐ近くの中国に尖閣を侵略されることもなかった。戦後のどさくさで韓国に竹島を強奪されたが日本が戦争したいのなら竹島奪還はとうに終わっているはず、そうしなかったのは日本に戦争する気持ちが無いから、野党は説明責任を果たしていない、なぜ戦争法案といったのか未だ謎のまま。