主人が退職する少し前から、私は山登りに興味を持ち、御岳山にも4回登りました。
最初に登ったのは、50代半ばの頃で、バレーボールの仲間と一緒に、コーチをしていたOさんが勤めるGガスの厚生施設があるスズラン高原に宿泊し、そこから御岳山に登る企画に参加した時でした。
それが初めての長野県側からの御岳山登山でした。
忘れもしない、雨の降る中合羽を着て5合目からロープーウウェーに乗り7合目まで・・・そこから歩くことに、1人2人と脱落し9合目まで4人がたどり着いたが、それ以上は進むことが出来ず断念し、下ったことを思い出す。
その後、主人が退職し夫婦で山登りをすることになりました。
そのきっかけは、矢張りバレーボールで一緒だったAさんのお陰で、ご主人の指導の下に彼方こちらの山へ連れて行っていただき、御岳山へも・・・その時は岐阜県側からの登山で、濁河温泉からのスタートで五ノ池小屋を経て剣ヶ峰へ、1日での登山だからかなりの強行軍、それでも高山植物などを眺めながら、楽しく登ることが出来、コースも覚えました。
その後も、私たちは2回、夫婦で御岳山を訪れました。
剣ヶ峰はもちろん、継子岳では様々な高山植物を観察し、摩利支天から遠くに富士山を望むことができた時の感動は忘れられません。
登山を続けていましたが、ある時夫が病気になり、それ以降は登山ができなくなりました。
手術後に一度だけ、友人たちに誘われて西穂高岳に登りました。それが最後の登山となり、素晴らしい思い出ができました。
20年近くが経過しましたが、今もなおAさんのことを懐かしく思い出し、深く感謝しています。
脱線しましたが、10年前晴れた日には遠く離れた我が家から見える御嶽山が、噴火したことを知り10月に入ってから近くの堤防まで出かけ、噴煙を上げる御岳山をムービーで撮りました。
それがこの映像です。
噴煙を上げる御嶽山
遠く離れているのですが、噴煙がはっきり見てとれます。
10年が経過し、今見える御嶽山は青空にはっきりと映える、美しい姿をしています。
今もなお見つからず犠牲になった方々の冥福を心からお祈りします。