おはようございます。
青野原の高城商店です。
昨日は、長崎に原爆が投下された日でした。
広島出身で、先日も神奈川新聞でも紹介された
むぎわらぼうしさんが、悲劇を繰り返してはいけないと
メッセージをブログに書いていますので、ここに紹介させて
いただきます。
「今日は、長崎の原爆記念日です。8月6日・9日と辛く悲しい事実が、報道される中、私たちは、福島で続いてい
る被爆と故郷にかえれない人々が、たくさんおられることを忘れてはいけません。
語りつづけること・一日も早い事故処理がなされるよう声をあげること 私たちは出来ることから始めたいと
おもいます。
金沢の友人が、「悪魔の飽食」という合唱曲のコンサートをロシアで公演しました。
この友人は、1992年11月から、チェルノブイリの核被災者ニーナさんと子ども達との交流を続けてこられた方
です。今回、ニーナさんとの再会を皆さんのカンパで実現しました。
友人はロシア公演を終え、次のようなことばを書いておられます。
24日お別れパーティの席上での、名誉団長・森村誠一さんの言葉が忘れられない。
「皆さんは、明日この地を発ち日本へ戻ります。そしてまた日常が始まります。しかし、日常を断ち切られた
人、日常を取り戻せないでいる人、日常を失った人たちがいるのです。日常でいられることの有難さ、日常で
いられることは、平和なんです・・・。」と、真っ先に福島の人たちを思いうかべた。そしてニーナさんたち、
徐々にヒロシマ・ナガサキの人達、そして世界へやっと目が向いて、戦禍の中の人達。
ニーナさんは210枚の栞に「世界の平和」と書いてくれた。平和・ミール。あらためて平和をしっかり心に
刻んで過ごしたロシアの旅でした。との手紙をいただきました。
ニーナさんが合唱団のみなさんにあてた手紙です
皆様との出会いに感謝します。熱烈な平和の戦士である皆様の中に私がいる、という私に与えられたこの
機会に感謝します。
上演されたカンタータの内容は、大変悲劇的で恐ろしいものですが、私たちは未来のために過去をしらなけ
ればなりません。
戦争ーーこれはすなわち「悪魔の飽食(ロシア語では悪魔の調理場、台所)」であり、人類破滅のための
悪魔の挽肉機です。「科学」や「学者」「医者」がこのような場合に悪魔に奉仕することもまた恐ろしいことです。
それぞれの民族には、それぞれの悲劇があります。でももっと恐ろしいのは戦争であり、その結末でそ。戦争
は、年齢や民族を考慮しません。私たちの歴史にも多くの悲劇がありました。1941年―1945年の大祖国
戦争です。2200万人もの命がうばわれました。これは焼かれた町や村、罪なき犠牲者の死、飢餓そして
孤児を意味します。これはたった1つの例に過ぎません。
キエフにあるバビ・ヤールでは20万人が銃殺されました。様々な民族の大人やこども達です。その中の
15万人はユダヤ人でした。生き残ったのは20人です。
ヨーロッパにおける「死の工場」-これはブーヘンヴァルトであり、アウシュヴィツです。数万人の囚人が生きたまま
火葬場の窯で焼かれました。そしていまも人々は死んでいます。リビアで、シリアで、エジプトで…次は誰で
しょう。
地上の全ての人には、それぞれの役割があり使命があります。貴女方は平和の闘いと地上の幸せの
ための使命を携えてモスクワにやってきました。さらにサンクトペテルブルグへと。
貴女方の平和に寄与する合唱 -それは未来を救うための立派な平和の武器です。地上には多くの民族が
あり、様々な言語があります。でももっと理解しやすいもの - それは音楽という言語です。
貴女方の平和への呼びかけが響き渡りますように。軽やかな羽根をした平和の鳥、あなた達の歌声が
広々とした天地を駆けていきますように。
全世界に貴女方のこえが聞こえますように!
平和は何より大切なものです。平和 - 平和! 戦争はいけません。悪魔の台所の火を消しましょう。
人々よ! 平和と喜びをあなたに! 尊敬と感謝の念をこめて ニーナ・ヴァシレンコ
2013年7月21日
長崎原爆の日。ニーナさんの言葉を大切に届けたいと思います。次回ニーナさんの歌ーそれは平和の武器
という詩を紹介します。
当店で用意させていただいた千羽鶴が、無名戦士の墓に花と共に捧げていただいたことを聞き、お店で
折って下さったお客さんの気持ちが届いたように思います」