寄稿「原発立地を歩いて」
若狭の原発を考える会・橋田秀美 2018.6.15
約4年弱の若狭でおこなった原発反対行動において、私が見たこと、聞いたこと、そして感じたことなどを中心に披露させていただきたいと思います。1955年、兵庫県の但馬地方に農家の娘として生まれ、高校卒業後、京都の郵便局に就職、定年の2年前に退職、退職後市民運動に関わるようになった私の経験です。
■「おもしろそうだな」から入ったこの運動 ■
現地に活動拠点を置き、現地にこだわった反原発活動をする「若狭の原発を考える会」に共感し、「原発立地の住民は原発とどう向き合っていらっしゃるか」、「原発立地で原発との関わりの深い皆さんに原発を拒否していただくにはどうすればよいか」、「原発立地・若狭の住民と原発重大事故では被害地にもなる原発電力消費地・関西の住民との連帯した反原発運動をどう構築したらよいか」などを考えることは「おもしろそうだな」と思い、脱原発、反原発を現地で訴える行動に参加しました。
福井県美浜町
■ アメーバデモで原発立地の声を感じる ■
まず、「若狭の原発を考える会」の代表的な行動・アメーバデモで聞いた住民の方たちの声を紹介します。
(アメーバデモとは; 関西や福井から原発立地の若狭や周辺の舞鶴、高島に集まり、3~4人が一組になり、徒歩で、鳴り物を鳴らしながら、また、「反原発」の旗を掲げ、肩にかけたスピーカーで呼びかけながら、チラシを若狭の全ての集落の、隅から隅まで配り歩く行動です。通常は2~3グループですが、時には全国からの応援も得て数十グループにもなります。お会いする住民からはできるだけお話をうかがうようにしています。)
・美浜の畑で仕事の手を止めて、「原発は怖い。よう知ってるんや」と、悲しそうな顔でおっしゃる女性がいました。もう原発はここにある、どうしようもないというあきらめか、はたまた、原発を許してしまった後悔や怒りか・・・、そんな風に思えて胸が詰まりました。
・スピーカーで「原発反対」を訴えたところ、高浜の畑の老人たちから「おまえら、原発の電気を使ってるやろ!」と罵声(ばせい)を浴びました、こんなことはめったににないので、少しへこみました。
・おおい町大島の男性に「わしらを責めに来たのか」と言われ、複雑な心境になりました。
・高浜商店街で店先を掃いている女性にチラシを渡して「原発に反対しています」というと、「若い人は都会の大学に行って、そこで就職するから誰も帰って来ない。私らもう死ぬだけだからいいんや」と、そこに別の女性が話しに加わってこられ「いいや、私は福島の事故を見て考え方が変わった。やっぱり原発はあかん」と3人で原発論議になった。帰り際「あんた、よう声かけてくれたなぁ。しゃべれてよかったわ。」とおっしゃった。
・「反原発」の旗や、スピーカーを鳴らしながら歩いていると会釈する中、高校生や、手を振る小学生がいます。あまり都会ではない光景に心が安らぎます。
・かつて原発労働者だったという老人は、「わしら放射能の怖さなんか何にも教えられなかった。胸につけた線量計がピーピーなり出すけど、そこら中で鳴っているから誰のが鳴っているかもわからず、仕事をしていた」とリアルな話に驚いた。仲間は70代で多くが亡くなったとおっしゃった。
・名田庄での長い立ち話。「住民はみんな反対なのに町長や議員は何で賛成するのか分からない」とのこと。
この他にも、アメーバデモの参加者は、計1,000人以上の方々と直接お話を聞きましたが、80~90%が原発反対あるいは原発に疑問を持っておられることが分かりました。原発立地でも、脱原発・反原発の隠れた声が多数であることを実感しています。
以上のような、いろんな声に教えられ、また、励まされてきました。身体は疲れるけど、気持ちは何もしんどくない、楽しいと感じるようになりました。
都市部の人にこの話をすると「へえー。チラシ配って『ありがとう』って言われるの、いいなー」と興味を示されます。このことは、2月25.26日の若狭湾岸一斉チラシ配布(拡大アメーバデモ)に参加された皆さんも実感されました、この行動には、全国から延べ220人の方が参加されましたが、1日目の夜の交流会でも「若狭の人は温かい。ほとんどの人から『ありがとう』、『ごくろうさん』と言われた。都会でチラシ配っても『ありがとう』なんて言われたことがない。来て良かった」との感激の言葉が多数聞かれました。現地の人たちに、反原発をアピールするだけでなく、運動する側の人たちに、現地で行動する意義、喜びを感じてもらえたという意味では本当によい企画だったと思いました。
■ 原発立地に近い立地外住民の思い ■
2018年5月8日の中日新聞朝刊に、小浜湾を挟んで5 km離れた対岸の集落・小浜市内外海(うちとみ)地区での大飯原発再稼働についての世論調査の結果が掲載されました。ほぼ半数が再稼働に反対し、8割以上が廃炉を求めていることが分かりました。私達はその地域にも行ってみました。大飯原発は陸地からは見えないと思っていましたが、泊という地区からは見えました。最初にお話しした人からは、いきなり「原発を動かす政府が悪い」と怒りの言葉でした。出会う人がほとんど「原発反対」とおっしゃいます。原発が目と鼻の先にあり、もし事故がおきたら真っ先に被害を被る。小浜市は原発を拒否したのに、そんな理不尽さも感じ取れました。
(注:小浜市内外海地区の一部は、大飯原発から5 km圏すなわち事故時にすぐ避難が必要な「予防防護措置区域(PAZ)」にありながら、小浜市は原発の立地自治体ではないため、地元同意の手続きから外れています。)
■ 原発立地も変わりつつあります■
私たちは、高浜で、美浜で、おおいで集会や講演会、デモをしてきました。その集会やデモに現地の人が参加して欲しいという気持ちはもちろんあります。しかし、それはなかなかできないことだというのも分かっています。しかし、私達が現地で声を上げ、行動することで「声をあげていいんだ」、「反対って言っていいんだ」と思う人が増えていっているのは確かだと思います。なにかあったときに、この人たちはきっと立ち上がってくれると信じ期待しています。
一昨年の12月18日高浜原発の地元中の地元・音海地区が「40年超え原発運転延長反対」の決議を上げました。地域には「高浜原発運転延長反対」の立て看板がたち、今やのぼりまで立っています。これにあわてふためいたのは関電でした。関電はこの音海対策のために対策本部を設け、人員を配置し懐柔策に乗り出しました。地区の新年会に出席したいと言いだし、一升瓶をぶら下げて来たそうです。この事実から分かることは、やはり、地元から反対の声が上がるということが一番怖いのです。
昨年12月3日おおい町で反原発集会とデモをしたとき、「こうして外から来て原発反対運動をしてくれるのはありがたい。こういう運動がなかったら若狭で原発重大事故が起こっていたかもしれない」という住民の方がおられました。私はハッとしました。
3.11福島原発事故という大きな犠牲の下、全国で起こった「反原発」の大衆運動や裁判闘争が、電力会社に安全対策を迫ることとなり、事故を防ぐことに繋がっているのです。反対行動が無ければ、多額のお金を要する安全対策などせず、老朽原発を含む原発を次々に動かし、重大事故の確率は格段に高くなっていたでしょう。社会の不条理に無関心であること、声を上げず、行動に表さないことは、無自覚のうちの国策、体制擁護であり、自分を含む多くの人も危険に追い込むことになるのだと改めて考えさせられました。
関西電力原子力事業本部前(福井県美浜町)
■私にとって昨年は激動の一年でした:少し変わりました■
昨年、私は、国策に抗(あらが)ういろんな現地に行き、深く考えさせられる経験をしました。
私は子供の頃、農業を手伝わされました。そのころは遊びたいし、「土まみれになるしいやだなぁ」と思ったこともありますが、今は農業を経験したことが自分の生き方に大きく影響を与えていると思うようになりました。
成田空港建設ではすさまじい農地収奪が行われたということですが、三里塚でお目にかかった、農地を売らずに守り続けている農民が畑で働く姿はなんとも懐かしく、気高くさえ思えて、とても感動しました。「何億とお金を積まれても、土地は売らん。俺たちは1本100円の大根を作り消費者に喜んでもらう方が幸せだ」、そう言って今も続く空港会社や国からの不当な弾圧や嫌がらせに抗って、闘っておられます。
岩国の米軍基地も訪れました。今住んでいる京都の北部・京丹後に米軍Xバンドレーダー基地ができ、そこにも基地反対行動に行くようになり、そのつながりで「岩国に行ってみたい」と思ったのです。愛宕山という山が削られて平らになり、そこに作られた米軍高級将校用住宅が建ち並んでいました。1軒が7、8千万円するそうです。建設費、家賃も光熱費も思いやり予算=私達の税金です。米軍用の大きな野球スタジアムもありました。このスタジアムは、私達の税金で立てられたものですが、米軍は「市民も使用してもいいよ」と言っているそうです。現物を見るとほんとに腹が立ちます。この怒りが行動の原動力になります。
上関原発建設に反対し続けている祝島(いわいしま)には、岩国の帰りに寄りました。上関原発建設予定地の真向かいにある島です。島民の9割が原発建設に反対しています。「あんな巨大な建物を見て暮らすのはいやだ」、「主要産業である漁業にとって、海が汚されたら生きていけない」、「もし事故が起こったら、こんな離島からどうして逃げるのか」、そんな思いで反対し続けています。非暴力で座り込んで住民は拒否してきたそうです。1割の人が金に目がくらみ、住民を裏切りましたが、未だ闘いは続いています。
こうして考えると、お目にかかった農民や漁民の方々には、自然の中で土と共に生きる、海の幸をいただいて生きる、これが人間としての生き方であり、将来にわたっての幸せであるという堅い信念があるのだと思います。だから、農地を手放してはいけない、原発で土や海を汚されたら人間は生きてはいけないことをよく知っていらっしゃいます。祝島の人たちは顔がみんなとてつもなく明るかった。それに比べると、若狭の原発立地の人の顔はどこか暗いものを感じます。それはもう原発があるからという諦めからくるものかもしれないし、原発を許してしまった怒りや後悔なのかもしれません。
しかし、先日、湾を挟んで高浜原発の対岸にあり、原発から4~5km の鎌倉という地区を訪れたとき、ハッとさせられたことがありました。高台の小さな集落ですが、棚田と畑が見事な景観を作り出しています。少し腰の曲がった老年の女性がにこにこしながら歩いてこられたので、挨拶して「原発反対のチラシです。読んでいただけますか」と手渡しました。すると、「まあ、ごくろうさん。そこの小さな田んぼと畑を一人でままごとのようにやっているんよ。でもこれで十分生きていけるから満足」とおっしゃったのです。私は、本当の豊かさとはこういうことではないかと思いました。そして、なんと人間らしい生き方かと感服しました。
私は、三里塚の農地や働く農民の方たちを見て、命をかけて守ってこられたこの畑を原発事故などで汚してなるものかと思い、祝島で、活き活きと海と共に暮らすこの人たちの暮らしを原発などで失わせてはいけないと思い、高浜町鎌倉の「ままごとのような小さい田んぼと畑で生きていける」とおっしゃった人の暮らしを守りたいと強く思いました。
そして、地道に労働争議を闘っているユニオンの方達との出会いもありました。原発事故は職場を奪います。福島原発事故は、大きな犠牲を持って私達にそれを教えてくれました。働く場を失い、復興のめども立たず、事故後4年目くらいから自ら命を絶つ人が増えました。新たな職もなかなか見つからず、家族は疲弊して離散してしまう例もたくさんありました。この責任を誰もとっていないことにほんとうに怒りが込み上げます。
■ おわりに ■
私のつたない経験と深い思いを書いてみました。最後に、以下を訴えます。
困難をいとわず、おもしろい企画を打ち出し、楽しく参加できる反原発運動を展開しましょう。
市民運動をしている方はほとんどが退職世代です。若い人が運動に参加しないと嘆く人がいますが、時間だけはある私達・年金世代が活き活きと活動する姿を見せればそれでいいと思っています。
現地に行きましょう。自分の目で見て感じたら人は変わります。私は現地行動で育てられたと思います。現地に通いながらいろんなことを発見し、学びました。
経済至上主義で壊されてしまった現状から、人間らしい生き方、人間が大事にされる社会を取り返さなければならないと思います。どのような社会が人間らしく生きられる社会なのか、どうしたらそんな社会が創れるのか、一人一人が考え、行動しましょう。
お読みいただき、ありがとうございました。(橋田)
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