つれあいの財産をきちんと追求しなかったことについて。
先回、私にそこまでの気力がなかったことを書いたが、それだけではない。これまで「なんとかなる」と何度か言ってきたが、全く見通しがなく、相手の言いなりで別れるなんて怖すぎるでしょ?
それまでの数年間、家計簿をつけていた。その金額から、今後かかるであろうおおよその生活費を割り出してみた。そして、自分の給料と要求する予定の養育費を合算した生活費が、それに見合っているかどうか。養育費を値切られたとしても、最低いくらあれば生活できるか(養育するためのお金なんだから値切るものでもなかろうに、それが分からなくなるらしい)。生活の目途が立つかどうかを考えたうえでの、見切り発車だ(これを見切りというのか怪しい)。さらに子供の教育費と自分の老後についても、大まかに計算する。
50歳過ぎると、年金定期便や年金分割の書類の中に、私が受け取れるであろう年金額が表示される。確かに少ないけれど、もらえるだけありがたいこっちゃと思う。これから定年までの15年で、少しずつ年金を積み上げていく。
とはいえ、計算したところでその通りに人生が進んでいくわけではない。こういう状況では、お金がいくらあっても不安になるものだと思う。でも本来、何が起こるか分からないのが人生。離婚だってそう。20年前は離婚するなんて、思いもしなかった。
そんな自分の不安を落ち着かせるためにも、こうした計算は意味がある。一応何とかなりそうと思って突き進んだが、これで足りなくなる可能性は十分にある。それが許せないのだったら離婚はできない。
でも、私は倹約家なタチである。加えて、お金がないならないでも、人生楽しめる気がしている。きっと大丈夫。