たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

50代専業主婦 離婚した! 17ささいな支え~終わりにかえて~

2023年03月30日 | 離婚

離婚活動中、毎日音楽や本にしがみつきながら生活していた。体重は減るわ(未だ戻らず。減りすぎて体力がなくなったのが辛い)、涙は勝手に流れるわ、自分の体なのに思い通りにならないな…と思っていた。

ちなみに、辛すぎる状況で『涙が枯れ果てる』という表現をすることがあるが、私は枯れなかった。泣きたくない所、泣くべきではないと思う時でも私の意に反して涙は出た。きっと『枯れる』というのは、辛すぎて感情が鈍磨してしまった状態だと思う。人には耐え難い苦しみを前にすると、それをシャットアウトする機能がついているようだし。

そう考えると、こんなに苦しいと思っていた日々も、自身が壊れるほどではないし、終わってみたらこんなもんかという感じ。元つれあいに愛想をつかしていた分、傷は浅かったのかもしれない(どちらかというと、元つれあいではなく、自分と向き合う時間の方が長かったと思う)。

 

辛く不安だった日々。それでも過ぎてみればあっという間だった気がする。聞くに堪えなかった罵声も、仕事・家・お金などの不安も忘れかけている。忘れっぽいだけかもしれないけど、やはり、日常のあれやこれやに関わっていると、離婚活動が遠い昔に感じられる。忘れるって素晴らしい贈り物だと思う。前にも書いたけど、人間って上手くできている。

これって、子育てに似ていると思った。子育てがあらかた終わった人なら、共感してくれるのではないだろうか。子育て中は体力も必要だし、心も使う。楽しいことばかりじゃないし、不自由も多い。それでもふと振り返ると、苦しかったことはおおかた忘れていて、子ども達の可愛い仕草や思いやり、楽しい思い出ばかりが思い出される。不思議。

音楽を聴く(楽器を弾く)、読書、子どもとの食卓、外での人間関係…一つ一つは小さな一コマだけど、それが網目のように重なって、そのハンモックの上に私が揺られているイメージ。先日も何を思ったか、出勤の車中で、17年乗り続けている車に『大きな事故もなく運んでくれてありがとう』とナデナデしていた。端で見ると変な人だと思うので、人前ではしない、勿論。

こうした、たくさんの『ささいな支え』に守られて今日も過ごす。こんな穏やかな日々がいつまで続くか分からないけれど、まずは子ども達が希望をもって独立できるまでを目標に、生活を整えて、大切に過ごそうと思う。こう思えるのも、離婚のお陰。そう考えると離婚も、それに伴う苦労も悪くない。

 

あ、でも決して離婚を勧めているのではない。始めに書いた通り、修復できるのならそれに越したことはないと思う。人生どのルートを選ぶにしろ、実りある人生が送れますように。

それでは。次からは別のネタでお会いしましょう。