たこおやじのひとり言^^

ぶつ・・ぶつ・・・ぶつ・・・・

清水寺2!

2009-04-01 04:37:26 | 世界遺産(京都)

おはようございます!

 

今日は、何の日??

 

エイプリルフール,万愚節
罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれます。 その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していましたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用しました。これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされています。 また、インドでは悟りの修行は春分の日から3月末まで行われていましたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もあります。
新学年
学年度始めの日。4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括ります。 元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっているのが普通でした。1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになりました。ただし、大学や高等学校では欧米の習慣に合わせて9月に新学期を始めていました。 4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになります。これは、学校教育法で保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から(中略)就学させる義務を負う。と規定しているためです。「年齢計算ニ関スル法律」では年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算スとし、「民法」第143条では年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしています。つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学するわけです。
新会計年度
4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括ります。 江戸時代までは、暦年とは別の「年度」というものはなく、1月から12月までで会計を行っていました。しかし、明治維新の後、政府の財政が苦しく、暦年と合わせることができなくなって「年度」が作られました。その為、当初は年度の始期が頻繁に変えられました。1886(明治19)年に、現在の4月から翌年3月までとなりました(会計法改正は明治17年10月)。 会計年度の始期が4月1日となったのは、秋の収獲後の徴税の都合の為であるとされています。また、イギリスでかつて3月25日を新年としており、金銭の精算に一週間の猶予が認められていたからとする説もあります。
売春防止法施行記念日
1957(昭和32)年、「売春防止法」が施行されました。
児童福祉法施行記念日
1948年(昭和23年)のこの日、児童福祉法が施行された。これに伴い、児童相談所、児童福祉士、児童福祉審議会が設置された。
トレーニングの日
1994年(平成6年)にミズノが制定。ジョギングなどのトレーニングを始めるのに新年度がふさわしいことから制定された。
綿抜
昔は、この日から布子の綿を抜いて袷にしました。

 

 

 

さて、清水さんの2回目!

 

 

 

首降り地蔵さんがいてはります。

 

 

 

 

すんません、回させてもらいました

 

 

轟門(とどろきもん)

江戸時代初期、重要文化財。
正面軒下中央に月舟禅師(1618~96)の名筆「普門閣」の扁額を掲げる。
本堂への中門で、寛永8~10年(1631~33)再建の三間一戸の八脚門。
切妻造り、本瓦葺きで、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写している。
左右両脇間に持国天像と広目天像を祀り、背面には阿・吽形(あうんぎょう)の狛犬(こまいぬ)を安置する。
なお門前には梟(ふくろう)の手水鉢(ちょうずばち)が奉納されている。

 

 

 

朝7時にもかかわらず、入ることができました。

えらい!

 

他の寺社も、こんなふうに、花見の季節や混むときは早くから明けてください

 

 

こんにちは・・・

 

 

 

パンフ等で良く見かける光景ですね^^

 

 

 

本堂と舞台―江戸時代初期、国宝。
優美な起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和する。
寛永10年(1633)再建、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。
そして錦雲渓の急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱を立て並べて支えている。
「清水の舞台から飛ぶ…」の諺(ことわざ)があるが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎である。舞台からの眺望は、実に絶景。

 

 

 

 あの白いのが気になるけど....

 

 

絶景ですよ・・・ほんと^^

 

 

奥の院 

江戸時代初期、重要文化財。
本堂と同期の寛永10年(1633)に再建され、本堂同様に舞台造りになり、「奥の千手堂」ともいい、本尊千手観音と脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆、風神・雷神を祀る。
五間四方、寄棟造り、桧皮葺き屋根は美しい反曲線を描く。
とぐみ、蟇股(かえるまた)、長押(なげし)その他、随所に桃山様式の極彩色文様の跡を残す。
清水寺開創を起縁する音羽の滝の真上に建ち、元祖・行叡居士と開山・延鎮上人練行の旧草庵跡と伝える。
昔の真言宗兼学兼宗を伝統して、弘法大師像も奉祀している。

 

 

まあ、しかし1本の釘も使わず・・・・

大工さん、すごいね^^

 

最後は、さくらちゃんにて・・・・

 

 

続く・・・・

 

さっ、新年度スタート!

気持ちも新たに!!

 

 

では、

 

本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!

 

去年の同日の日記

http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080401