おはようございます!
今日は、何の日??
さて今日は・・・・・
三輪さんの紹介も終わったので、その近くにある・・・・・
箸墓古墳
この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(=邪馬台国畿内説)向きもある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり、卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるため、その可能性は少ないといわれてきたが、最近、年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定を反映して、古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となっており、上記の箸墓古墳の築造年代は、研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が一般的になっており、箸墓古墳が卑弥呼の墓である蓋然性が高くなっている。
現在は、宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。
ここが、卑弥呼の墓かも?
まあ、本当のところは・・・・
第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)ということになってますね^^
倭迹迹日百襲媛命
箸墓伝説
「日本書紀 巻第五 崇神天皇 十年九月」の条 大意
・・・(略)・・・ 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)の妻となりました。
しかしその神は常に昼は来られず、夜のみ来ます。
倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)、夫に言うには、
「あなたはいつも昼間来られないので、はっきりとあなたのお顔を見ることができません。お願いです、しばらくの間ここに留まってください。明日、仰ぎてうるわしきお姿を見たく思います。」と言いました。
大神(おおみかみ)答えて、
「あなたの言う事ももっともだ。私は明日、あなたの櫛箱に入って居ります。お願いですから私の姿を見て驚きませぬよう。」と言いました。
この時、倭迹迹姫命は心の内に密かに疑いました。
明るくなるのを待って櫛箱を見れば、真に麗しい小蛇がおりました。その長さや太さは衣の紐のようです。倭迹迹姫命は驚いて叫んでしまいます。
大神は恥じてすぐさま人の姿に化け、妻に言いました。
「あなたは、堪えるこたができず私に恥じをかかせました。お返しにあなたに恥じをかかせます。」と言い残して大空を駆け、三輪山に登ってしまいました。
この時、倭迹迹姫命は仰ぎ見て、悔いてどすんとすわってしまいました。この事が原因で倭迹迹姫命は箸で陰(ほと)を突いてお亡くなりになってしまいました。
亡骸は大市(おほち)(桜井市 箸中)に埋葬されました。よって当時の人はこの墓を 「 箸墓(はしはか) 」 と呼びました。
昔は、いろんなことが実しやかにかたりつがれてたのですね。
ま~~~、でも、卑弥呼の墓ということのほうが、ロマンがあってええですよね
それにこれが、邪馬台国の畿内説の根拠になってることは間違いないですし・・・
本当のところは???
やっと土曜日がやってきました^^
やっぱし、日曜日からの7勤は長いわ・・・・
給料日明けの最初の週末。
お出掛けの方も多いですかね
気をつけて、行ってらっしゃ~~い
わての場合は、今日がんばれば・・・・
同じく
お仕事のみなさ~~ん・・・・
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080131