おはようございます!
今日は、何の日??
- 赤穂義士祭、吉良祭
- 1702年(元禄15年)12月14日は赤穂浪士による吉良邸打ち入りの日。江戸本所松坂町にあった吉良邸の一部は現在松坂公園となり、毎年この日は元禄市でにぎわう。午前中は義士祭、午後は吉良祭が行われる。
- 南極の日
- 1911年(明治44年)にノルウェー探検家、アムンゼンが世界で初めて南極点に達した日。
討ち入りの日ですね。
赤穂市では、行列がでるんやろうな・・・
さっ、京都案内・・・何回目やったっけ?
忘れた
今日は・・・・
竜安寺
http://www.ryoanji.jp/index.html
りょうあんじでっせ・・・りゅうあんじちゃいまっせ^^
「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467-1477年)で焼失。勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって長享2年(1488年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護している。
近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭(たっちゅう、子院)が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『都名所図会』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園のほうが著名であったらしい。
入り口から見て・・・
なんか期待できそうな、紅葉具合でっしゃろ^^
入るとすぐ左手に池が・・・
方丈までの紅葉~~
白に赤・・・紅白歌合戦???
なんのこっちゃ
でも、いい感じでんな^^
方丈への階段・・
入り口です。
何、書いてるかわかりまへん^^
さて、いよいよ石庭・・・・
模型が
あらっ、ずれてる。。
人が多くて・・・・・うまいこと撮影できまへん^^
解説もありました。
方丈庭園(史跡・特別名勝)-いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅25メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を5か所に点在させただけのシンプルな庭である。近世の地誌類には、室町幕府に仕えた相阿弥の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられる。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石すべてが見える位置がある。ハルト・バン・トンダによれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの一つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある。
この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称がある。この庭を「虎の子渡し」という中国の説話と結び付けるのは伝承にすぎないが、参考までに説話の概略を以下に示す。
虎は、3匹の子どもがいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半するわけである。龍安寺の石庭はこの様子を表わしたものだというわけである。
イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。
なるほど・・・・
絶えず、1個は見えないようになってるのか。
考えた人は、すごいな~~
奥が深いわ^^
ちょうど、バスツアーの団体さんがいてて、座り込まれて・・・
ガイドさんが、説明してはったんですけど、聞こうかと思いましたが、寒くて寒くてさっさと通過^^
方丈内からの紅葉・・・・
方丈とは?
禅宗寺院において住職の暮らす建物で、その正面に庭園を設けています。
だそうです。
紅葉は、絶好調でした。
これもね、なんか説明してはってんけど・・・
寒くて。。。。
明日は、池泉回遊式庭園のほうをば・・・
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20061214