わたしは生きている。なんの為に 日々の営みには、どんな意味があるのだろう
よく、なんの為に生きているのか、わたしの人生云々とさまざまな論争がおこる。
わたしは考えた。自分の気持ちと格闘しているのこそ、わたしが生きているということなのだと。
夢を叶えるために、生きているという人もいる。それは、夢に向かって努力しているということ。それもまた、自分の気持ちと闘っていることに他ならない。
或いは、気持ちよく過ごしたいと努めていると言う人もいる。これも、自分の気持ちと闘っていることになる。
つまり、自分と格闘している=生きていること。 人間は無心になれない いや、えらい人は私心を〇に出来るかもしれない。でも、わたしは利己主義のかたまり。自分以外の人を傷つけて気がつかないことだってある。そうなると、因果応報の教え通り自分に返ってくるだろう。
そんなことを考えたりして、わたしは怯える。怯える感情を抑え込もうとするのも生きているから。
生が終われば、何にでも闘うことはなくなる。それとも 経験したことないから、断定はできない。
少なくとも、わたしの場合、自分の気持ちと闘っている、生きているかぎり。 闘うのを止めたいときもあるけど、怖くて出来ない。恐怖を抑えようとするのも闘っているとおなじ。それは生きているということ。恐怖に勝ったら闘いもおわる。