1ヶ月と2日目になる明日5月17日で退院となる。長いようで、あっという間の入院生活であった。この間ほとんど病院の外にでることもなく建物の中で過ごしていたが、最初の2週間は点滴をしていたので、病院の廊下を動き回るしかなかったので我慢できた。しかし、点滴のパイプが外れ食事ができるようになると体力も次第に回復してきたこともあり、体を動かしたくなっていた。先週あたりから建物の外をあるくようになったが、病院内にこもっていると、まるで刑務所にでもいるような錯覚をおこしてしまう。違いといえば、恐らく健康体であるか病人であるだろう。
前立腺ガンの治療も順調なようで、足腰の痛みも気にならないほど軽くなっており担当医から退院の許可が出たのが先週の土曜日5月12日であった。それでは来週早々にでも退院しようと5月15日に退院することに決めた。ところが、日曜日の朝食から急に食欲がなくなり、わずかに食べただけで吐いてしまった。1週間近く続いた便秘のせいらしく、前日から便秘薬を飲んでいるのだが効果がないままに食欲不振になってしまった。その後便通もなく、昼食と夕食が食べられない状況が続いた。普通の便秘薬では役に立たないほど頑固な便秘症状であった。翌日の月曜日になり、朝食も食べられないので下剤を処方してもらったが、あまり効き目がなかったようであるが若干は便通があった。まだまだお腹が張った状態なので翌日の火曜日に浣腸を行い強制的に出すことになったが、下にたまっていた一部が出た程度で、まだ残っているという感じと胸部のムカつき感は消えることがなかった。夜になって便秘薬を2錠飲んで様子を見ることになったが、早朝5時半に目が覚めたときにも便意の兆候は見られなかった。薬の効き目がなかったのかと落胆しながらも朝食に手をつけ少量でも食べないといけないので無理をして口に入れた。2割程度はなんとか押し込んだものの無理して吐いてはいけないと、それ以上は諦めた。ところが30分もたたない内に下腹部に異変が起きた、なんと今まで冬眠していた大腸が眠りから覚めたかのようにゆっくりと動きだしたのである。12時間後の忘れた頃になってやっと薬がきいてきたのである。ただ出てきたものは流木のような硬そうな物体で、とても本来の姿ではない物体である、まだ先が長いと感じずにはいられなかった。ところがである、昼食のあとで同じ日に2回目の便意をもよおしてきたのである。しかも今度の排出物体は今まで排出されつづけた流木や陶器のような硬いものでなく、数週間ぶりの柔らかそうな物体であった。普段は何気なく流し去ってしまう物体をこれほど愛おしく感じ、感謝した瞬間は60年弱の人生において全くなかったかもしれない。単なる排泄物として扱っていた過去を反省した瞬間でもある。この排泄行為が毎日正常に行われてこそ、健康な体が保っていけるのである。服用している薬の副作用であるという説明は受けているものの、1週間に及ぶ便秘はかって経験がなく不安で軽い苦痛を伴うものであった。姉が特に心配をしたようで、昨日は病院を抜け出して他の病院で診察してもらおうと言いだす始末である。これに同調した兄からも電話があり、別の病院に転院させるから明日すぐに退院しろと言われてしまった。退院の通告とはいっても夕方の5時前後に明日の退院では病院側でも事務手続きがあるのに無理だろうと思い翌日の17日にするように兄を説得した。兄も姉も何をそれほど慌てているのか理解できなかった。
そして今朝になって病院側に明日の退院をお願いした。担当医から直接説明がなされたのは午後になってからであるが、退院には何ら問題なく2週間分の薬を出すので自宅療養をするように言われた。食事についても制限はなく、好きなものを食べて良いようであるし、普通に生活して大丈夫との事である。ホルモン療法による治療は順調で痛みも治まっていれば生活に支障はないようだ。明日の午前中に退院となる。今日はこの病院で過ごす最後の夜になる。便秘騒動で退院が2日伸びてしまったが、やっと病院生活から解放される。もちろん治療が終わったわけではないが、通院で治療を続けるのと入院しているのでは全く環境が異なる。
前立腺ガンの治療も順調なようで、足腰の痛みも気にならないほど軽くなっており担当医から退院の許可が出たのが先週の土曜日5月12日であった。それでは来週早々にでも退院しようと5月15日に退院することに決めた。ところが、日曜日の朝食から急に食欲がなくなり、わずかに食べただけで吐いてしまった。1週間近く続いた便秘のせいらしく、前日から便秘薬を飲んでいるのだが効果がないままに食欲不振になってしまった。その後便通もなく、昼食と夕食が食べられない状況が続いた。普通の便秘薬では役に立たないほど頑固な便秘症状であった。翌日の月曜日になり、朝食も食べられないので下剤を処方してもらったが、あまり効き目がなかったようであるが若干は便通があった。まだまだお腹が張った状態なので翌日の火曜日に浣腸を行い強制的に出すことになったが、下にたまっていた一部が出た程度で、まだ残っているという感じと胸部のムカつき感は消えることがなかった。夜になって便秘薬を2錠飲んで様子を見ることになったが、早朝5時半に目が覚めたときにも便意の兆候は見られなかった。薬の効き目がなかったのかと落胆しながらも朝食に手をつけ少量でも食べないといけないので無理をして口に入れた。2割程度はなんとか押し込んだものの無理して吐いてはいけないと、それ以上は諦めた。ところが30分もたたない内に下腹部に異変が起きた、なんと今まで冬眠していた大腸が眠りから覚めたかのようにゆっくりと動きだしたのである。12時間後の忘れた頃になってやっと薬がきいてきたのである。ただ出てきたものは流木のような硬そうな物体で、とても本来の姿ではない物体である、まだ先が長いと感じずにはいられなかった。ところがである、昼食のあとで同じ日に2回目の便意をもよおしてきたのである。しかも今度の排出物体は今まで排出されつづけた流木や陶器のような硬いものでなく、数週間ぶりの柔らかそうな物体であった。普段は何気なく流し去ってしまう物体をこれほど愛おしく感じ、感謝した瞬間は60年弱の人生において全くなかったかもしれない。単なる排泄物として扱っていた過去を反省した瞬間でもある。この排泄行為が毎日正常に行われてこそ、健康な体が保っていけるのである。服用している薬の副作用であるという説明は受けているものの、1週間に及ぶ便秘はかって経験がなく不安で軽い苦痛を伴うものであった。姉が特に心配をしたようで、昨日は病院を抜け出して他の病院で診察してもらおうと言いだす始末である。これに同調した兄からも電話があり、別の病院に転院させるから明日すぐに退院しろと言われてしまった。退院の通告とはいっても夕方の5時前後に明日の退院では病院側でも事務手続きがあるのに無理だろうと思い翌日の17日にするように兄を説得した。兄も姉も何をそれほど慌てているのか理解できなかった。
そして今朝になって病院側に明日の退院をお願いした。担当医から直接説明がなされたのは午後になってからであるが、退院には何ら問題なく2週間分の薬を出すので自宅療養をするように言われた。食事についても制限はなく、好きなものを食べて良いようであるし、普通に生活して大丈夫との事である。ホルモン療法による治療は順調で痛みも治まっていれば生活に支障はないようだ。明日の午前中に退院となる。今日はこの病院で過ごす最後の夜になる。便秘騒動で退院が2日伸びてしまったが、やっと病院生活から解放される。もちろん治療が終わったわけではないが、通院で治療を続けるのと入院しているのでは全く環境が異なる。