田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

5月16日水曜日 退院前日に

2012-05-17 19:09:42 | 体と健康
1ヶ月と2日目になる明日5月17日で退院となる。長いようで、あっという間の入院生活であった。この間ほとんど病院の外にでることもなく建物の中で過ごしていたが、最初の2週間は点滴をしていたので、病院の廊下を動き回るしかなかったので我慢できた。しかし、点滴のパイプが外れ食事ができるようになると体力も次第に回復してきたこともあり、体を動かしたくなっていた。先週あたりから建物の外をあるくようになったが、病院内にこもっていると、まるで刑務所にでもいるような錯覚をおこしてしまう。違いといえば、恐らく健康体であるか病人であるだろう。
前立腺ガンの治療も順調なようで、足腰の痛みも気にならないほど軽くなっており担当医から退院の許可が出たのが先週の土曜日5月12日であった。それでは来週早々にでも退院しようと5月15日に退院することに決めた。ところが、日曜日の朝食から急に食欲がなくなり、わずかに食べただけで吐いてしまった。1週間近く続いた便秘のせいらしく、前日から便秘薬を飲んでいるのだが効果がないままに食欲不振になってしまった。その後便通もなく、昼食と夕食が食べられない状況が続いた。普通の便秘薬では役に立たないほど頑固な便秘症状であった。翌日の月曜日になり、朝食も食べられないので下剤を処方してもらったが、あまり効き目がなかったようであるが若干は便通があった。まだまだお腹が張った状態なので翌日の火曜日に浣腸を行い強制的に出すことになったが、下にたまっていた一部が出た程度で、まだ残っているという感じと胸部のムカつき感は消えることがなかった。夜になって便秘薬を2錠飲んで様子を見ることになったが、早朝5時半に目が覚めたときにも便意の兆候は見られなかった。薬の効き目がなかったのかと落胆しながらも朝食に手をつけ少量でも食べないといけないので無理をして口に入れた。2割程度はなんとか押し込んだものの無理して吐いてはいけないと、それ以上は諦めた。ところが30分もたたない内に下腹部に異変が起きた、なんと今まで冬眠していた大腸が眠りから覚めたかのようにゆっくりと動きだしたのである。12時間後の忘れた頃になってやっと薬がきいてきたのである。ただ出てきたものは流木のような硬そうな物体で、とても本来の姿ではない物体である、まだ先が長いと感じずにはいられなかった。ところがである、昼食のあとで同じ日に2回目の便意をもよおしてきたのである。しかも今度の排出物体は今まで排出されつづけた流木や陶器のような硬いものでなく、数週間ぶりの柔らかそうな物体であった。普段は何気なく流し去ってしまう物体をこれほど愛おしく感じ、感謝した瞬間は60年弱の人生において全くなかったかもしれない。単なる排泄物として扱っていた過去を反省した瞬間でもある。この排泄行為が毎日正常に行われてこそ、健康な体が保っていけるのである。服用している薬の副作用であるという説明は受けているものの、1週間に及ぶ便秘はかって経験がなく不安で軽い苦痛を伴うものであった。姉が特に心配をしたようで、昨日は病院を抜け出して他の病院で診察してもらおうと言いだす始末である。これに同調した兄からも電話があり、別の病院に転院させるから明日すぐに退院しろと言われてしまった。退院の通告とはいっても夕方の5時前後に明日の退院では病院側でも事務手続きがあるのに無理だろうと思い翌日の17日にするように兄を説得した。兄も姉も何をそれほど慌てているのか理解できなかった。
そして今朝になって病院側に明日の退院をお願いした。担当医から直接説明がなされたのは午後になってからであるが、退院には何ら問題なく2週間分の薬を出すので自宅療養をするように言われた。食事についても制限はなく、好きなものを食べて良いようであるし、普通に生活して大丈夫との事である。ホルモン療法による治療は順調で痛みも治まっていれば生活に支障はないようだ。明日の午前中に退院となる。今日はこの病院で過ごす最後の夜になる。便秘騒動で退院が2日伸びてしまったが、やっと病院生活から解放される。もちろん治療が終わったわけではないが、通院で治療を続けるのと入院しているのでは全く環境が異なる。


入院生活23日目

2012-05-17 19:00:18 | 体と健康
腰痛だと思い込んでいた坐骨の痛みが前立腺がんの転移によるものだと判明したのは入院してから16日目であった。翌日から前立腺がんの治療が開始された。ホルモン治療から次に抗がん剤を用いるという計画である。それまでは腫瘍の疑いはあったものの部位が特定できなかったので、県内の大学病院でペット検査とかいう腫瘍を特定する検査を5月2日に予定していた。4月25日に泌尿器科の担当医が触診検査をしたところ、前立腺が腫れているのが明らかなので前立腺生体検査を行うことになった。検査は27日に実施され右2か所、左2か所の計4か所から生体サンプルを採取するものであった。その結果が5月1日出たので、担当医から治療の方針について詳細な説明がなされた。
そもそも外来で通院していたのは外科で骨に異常があるのではないかと考えていた。腰の骨がずれたのか坐骨神経痛ではないかと整体師に見てもらったりしてはいたが、あまりの痛みにこの病院の外科で診察を受け、骨のレントゲンを十数枚撮ってもらったのが入院のきっかけとなった。最初の診察は3月の上旬であったと記憶する。老化による多少の骨変形はあるものの骨には異常がないと診断されてはいたが、一月後には再び痛みがひどくなり動けなくなってきた。しかたがないので、4月16日の月曜日に再びこの病院に来ることを決意して痛みをこらえながら自分で車を運転してきた。
ここ2カ月以内で体重が9キロ近く減ったことを告げると、消化器官の異常も考えられると内科医の診断を勧められた。その内科診療中に気分が悪くなり、貧血状態で緊急入院となって今日に至った。
最初は消化器系の病気かもしれないと胃カメラによる診断を入院3日目に行い、引き続き5日目に内視鏡による大腸検査を行ったが、胃腸に異常は見られなかった。消化器系の検査が終了したので6日目から食事をとれるようになった。点滴だけでは摂取できるカロリーにも限度がある、せいぜい数百キロカロリー程度らしいと聞いた。食事が始まると同時に痛み止めの投薬が開始された。それまでは骨の痛みで夜も眠れない日が続いていたので、少しは痛みが緩和されるのかと期待したのは言うまでもない。
4月24日のMRI検査により、ガンが骨に転移していることが明らかになったが、その時点では原因となったガンの位置が特定されていなかった。その後の前立腺検査により前立腺ガンと診断され治療の方針が決まったのである。その間、すでに3週間の時が流れていた。腰痛だと、ばかり思い込んでいたのが実はガンが原因だったのである。治療は始まったばかりである。