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君はどこにいて 誰とどこにいて どんな服を着て 何して笑ってるんだろ

最初と、最後

2008年06月30日 09時53分16秒 | その他 いろいろ
 日経新聞6月28日、夕刊に乗っていたエッセイより。
「人は最初のことは大概覚えているのに、最後の多くは曖昧になる。そうしないと到底生きていけるものではないのかもしれない。」

人間て、不思議ですよね、どこかで「人間は二つの『永遠』 の間の存在」と呼んだことがあります。
人間は、自分が生まれてきた記憶がありません。いつからか、「ここに」います。人間は、たぶん自分が死んだ記憶をもちません。(まあ、これははっきりとはわかりませんが)他人にとっては自分の「死」は意識されますが、自分にとってはどうでしょう?おそらく、「いつの間にか」死んでる気がします。

すると、人間は、自分の『最初』も『最後』も意識しないで、永遠から、永遠へ、いつの間にか存在している…。自分にとって、自分の存在そのものが、「永遠」ではないのかな。

それでも、他人の「死」は意識できるから、「死」を恐れたり、「生」を喜んだり、ほんの一瞬の、永遠のはざまの「生」なのに、それなりに、喜んだり悲しんだりして生きている。それを考えると、人間って、とっても「愛おしいもの」に思えてきませんか?
「神」と言うものがあるのかどうかはわからないけど、こんな風に考えたことがあります。

人間世界は、神の織りなすタペストリーだと。
人間の存在は横糸、紙が定めた「時間」が縦糸。短い糸もあれば、長い糸もある。たいていは「地色」の、平凡な普通の色の糸なんだけれども、タペストリーのアクセントに金糸銀糸、光り輝く糸が使われることもある…。 そうした光り輝く糸は、偉人や英雄、天才や芸術家…。
そんな風に考えれば、なぜ輝く人がいるのかも、なぜ人によって、寿命がこんなに違うかも、わかるような気がする。

「神=超存在」 なんて、いるかどうか、わかりませんけどね。

今回は、ちょっと、まじめな話でした。
皆さんの、ご意見、お待ちしております。



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