皆様ご無沙汰をしております。
今、世の中の方々がぶつかっている問題は、思い通りに行かないと言う事ではないでしょうか。
それも迷宮のラビリンスの如く、出口が見えないのが現実。
自分の思いと他人の思いがシンクロせず、疑心暗鬼になってしまう。
さてこの疑心暗鬼。
これが何とも曲者だな~と思います。
疑心暗鬼ってどういう意味だかご存知ですか?
これ実は、中国の古典から来ているのです。
しかも本文ではなく、説符の注にあります。
正式には、
『疑心(ぎしん) 暗鬼(あんき)を生ず』
「疑心が起ると、ありもしない恐ろしい鬼の形が見えるように、何でもないことまで疑わしく恐ろしく感じる」(広辞苑)
『列子』説符第八
ある男が斧をなくした。男は、隣の息子が盗んだのではないかと疑った。
隣の息子を観察してみると、歩きかたも顔いろ言動も、いかにも斧を盗んだように見える。
後に、男は自分の窪地を掘り起こしていたら、偶然、なくした斧が出てきた。
後日、また隣の息子を観察してみると、動作や態度に怪しい点はなくなっていた。
というものです。
人間の思考は、それほど感情に左右されるものだと言う事ですね。
でも、日常そういう事は、よくある事です。
疑う心が決して悪い事ではありませんが、疑い過ぎるのも問題です。
疑うなら人ではなく、自分の心を疑ってみては如何でしょうか?
執着を持つ自分が居たとしたら・・・
「私は、あの人に本当に執着しているのだろうか?
もしかしたら人では無く、出来事に拘っているだけかも・・・。
だとしたらその出来事が問題なのであって、あの人ではないな」
何てところに気づいたり
出来事に執着している場合
その出来事に拘る意味が解ってあっさり捨てる事ができたりします。
つまり、自分を見つめるひとつの材料として疑う心を持っているのは良いでしょう。
しかし、その疑心を人に向け出すと相手を鬼のように見てしまう事があります。
ですが、その出来事の真実がわかった時、その方が天使に見える場合もあります。
我が師は、表面的には、ひどい人に見える時もありますがその奥には、大きな大きな愛を持った方でした。
本当に他人が自分を傷つけるためにしているのか。
本当は、自分を救うためにあえて悪者になってくださっているのではないか。
それを見極めるのは、自分の心です。
奪い合うことではなく、与え合うことによって開かれる道というものがあります。
奪い合うと疑心暗鬼になり、与え合うと信じる心が芽生えてきます。
どうせ生きなければならない人生なら与え合ってみては、如何でしょうか。 皆様が笑顔でありますように(^-^)v ※ご予約は taoplanning@goo.jp ※料金などのご説明は
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