世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 地球の裏側で「日本人」を考える。】

2013-05-27 01:07:40 | 自論
2013年5月26日

ここはパラグアイのイグアス市。位置的に言うと、ちょうど日本の真裏に当たる。日本から一番遠いこの地に、日本人移住者の社会がある。

パラグアイと言われても、何のイメージも沸かない方が多いのではないだろうか。都市部は近代的なビルや商店も建ち並んでいるが、ちょっと田舎に行けばこんな感じ。ただひたすらに、一本道が延びている。



ブラジルとパラグアイの国境から41~42km地点に日本人の居住地があると聞いて、僕は足を運んでみた。いわゆる「イグアス居住区」だ。ここでも素晴らしい出会いがあり、そして考えさせられた。「日本人として生きる」とは、何なのだろう。

着いて何よりビックリしたのが、いきなり日本の運動会が行われていたこと!これには驚きました!まさか地球の裏側で、日本のまんまの運動会に遭遇するとは…。


色々な方と話そうと声をかけまくっていたのだが、その中に、イグアス日本人会の事務局員で広報部の部長であり、イグアス日本語学校の先生でもある澤村壱番さんとお知り合いになることができた。


本当に幸いなことに夕食にも誘っていただき、美味しい日本食を堪能した。

澤村さんは8年前にイグアスに移住したという。ビールとワインをグイグイやりながらお話をさせていただいたのだが、とても考えさせられた。


澤村さん:日本人は強いよ。ここに移住してきた一世の人達は、ジャングルしかないこの土地を一から開拓して、ここまでのものにしたんだ。俺だって日本人の強さを信じてるし、一世の人達ももちろん信じてる。だから震災があったときも、一世の人達は冷静に言ってたよ。「大丈夫、日本人はすぐに立ち上がれる」って。

ふじもん:そうなんですか。震災の復興は実際にはまだまだですが、地球の裏側の方々がそのように信じて下さっているなんて、本当に心強いです。

澤村さん:地球の裏側でこんな日本人の社会があるなんて、すげぇだろ?こんなところなのに日本と同じ米食って肉食って日本の酒も飲めて日本語で会話できて。すげぇと思わない?

ふじもん:いや、本当にすごいですよね。不思議な気持ちになります。

澤村さん:ここは世界で一番新しい移住地だから、まだ一世の人達も生きてるし、日本語もみんな話せる。でもブラジルはもう移住から105年。一世の方はほぼいなくなってしまったし、三世四世は日本語を話せない人も多い。

ふじもん:見た目は完全に日本人なんですけどね…。

澤村さん:つまり、日本語を必要としなくなってきているわけだよな。イグアスだって同じだよ。別にみんなスペイン語を話せるし、わざわざ日本語を使わなくったって生きていける。それなのに、なんでウチみたいな日本語学校が存在していると思う?

ふじもん:うーん、なんででしょう…?

澤村さん:それはな、精神だよ。日本人としての精神だ。日本から遠く離れたこの地にやって来て、開拓して、現地の人間として生きていても、やっぱり日本人としての魂を持ってるんだよ、特に一世の方々は!だからこの日本語学校も50年も続いてるんだぜ。50年だぞ!

ふじもん:すごい歴史ですよね。やはりそれだけ「日本語を残したい」という、一世の方々のプライドですよね。

澤村さん:俺はさ、日本大好きなのよ。やっぱり日本人なんだよね。だから俺達は、震災があったときも豆腐を大量に日本に寄付をしたんだ。知ってるか?色々な事情があって一世の人達はパラグアイにやって来たけど、やっぱり魂は日本人なんだよ。地球の裏側でこんなに熱い想いを持っている日本人がいることを日本の日本人にぜひ知ってもらいたいな。そして今の日本人よ!なーに腑抜けてんだって感じだよな。


澤村さんの言葉は本当に熱かった。

自分のことを好きになりなさい、と言う。
自分の母校に誇りを持ちなさい、と言う。
自分の生まれ故郷を愛しなさい、と言う。

でも、「日本を愛しなさい」には、何故か異常なまでに抵抗する日本人がいる。

俺らは日本人。海外に出たら、日本のパスポートが何よりの所属の証明。

そう、俺らは日本人だ。


地球の裏側で日本を愛し、誇りを持って生きている人達がいる。

じゃあ、日本で生きる俺達の気概は何なんだ?


地球の裏側で、「日本人」を一人考える。

2013年5月26日。イグアス移住区の日本人宿「ペンション園田」にて。

【第1章 南米編 対談・ブラジルに渡った熱き学生】

2013-05-13 20:21:25 | 自論
2013年5月19日(日)

今日もまたまたインタビュー形式でお届けします、ふじもんブログです!

今日のお相手は、男一匹単身ブラジルに飛び込み、仕事をしながらポルトガル語やブラジル社会の勉強に勤しむ、熱き日本人大学生、梶原裕貴さん(以下かじくん)です!



ふじもん=仕事帰りでお疲れのところ、どうもありがとう!今日はよろしくお願いします!

かじくん=自分なんかでいいんすか?よろしくお願いします!

ふじもん=かじくんは「チャレンジブラジル」という制度を利用してブラジルに来たと聞いたんだけど、どんな制度なの?

かじくん=チャレンジブラジルはNPO法人で、ブラジルに興味があって、実際に行ってみたい人を援助してくれる団体なんです。ブラジルまでの手配や仕事を斡旋してくれます。サンパウロ新聞の社長がチャレンジブラジルの代表でもあるんです。

ふじもん=へぇ、そんなNPOがあるなんて知らなかったなぁ。でも、なんでかじくんはブラジルを選んだの?

かじくん=元々は英語が勉強したかったんです。昔から洋楽が好きで聞いてたんですけど、でも歌詞の意味が全然分からなかったんですよね。それが悔しくて。あと自分東京の浅草に住んでいて、日暮里でバイトをしていたんですけど、よく外国人に道を聞かれたんです。でも、全然答えられなくて悔しくて。それで英語を学ぼうと神田外国語大学に入学しました。

ふじもん=なるほど、「悔しさ」から今の自分があるんだね。でもどうして英語がポルトガル語に変わったの?

かじくん=大学の授業でブラジル史を学んだのですが、それがとても興味深くて。それでブラジルに興味を持ちました。どんな人がブラジルにはいるのか、実際にブラジル人と話してみたいって強く思ったので。

ふじもん=それでブラジルにやって来たってわけだ。ブラジル史の、どんなところに興味を持ったの?

かじくん=ポルトガル人が南米にやってきたとき、先住民のことを「こいつらは人間なのか?」と思ったそうです。そこでキリスト教を教えたところ、それを受け入れたんですね。それを見た宣教師たちは、先住民は人間だと認めたということなんです。

ふじもん=ふんふん、それで?

かじくん=しかし政府側の人間としては、奴隷としての労働力がほしかったので、先住民が人間だと困ってしまうんです。しかし当時の教会の力は絶大ですから、なかなか逆らうこともできませんでした。そこで奴隷として、アフリカから黒人が連れてこられたということなんです。

ふじもん=そうなんだ、知らなかった!

かじくん=日本人の移民も、第二次世界大戦後にはその結果を巡って2つのグループに分かれ、激しく対立したそうなんです。そんな移民の歴史に、とても興味を持ちました。

ふじもん=そうなのかあ。確かにその歴史は面白いね!で、実際にブラジルに来て、印象はどう?

かじくん=印象とは違いました。正直、もっときれいなイメージだったのですが・・・。まず、こんなに壁中落書きだらけとは思いませんでした(笑)。あと街の臭いですね。なんというか、排気ガスや下水や人間の香りというか・・・そういうのが混じった独特の臭いを感じました。そして、貧富の差が凄まじすぎることです。こんなにもスラム街があちこちに広がっているなんて、かなり衝撃でした。

ふじもん=なるほど。でも、その衝撃を受けられたことはすごい大事なことだよね。

かじくん=はい、本当にそう思います。

ふじもん=ところで、仕事は何をしてるの?

かじくん=食品の出荷をしてます。日本から輸入された食品を配送したりしてるのですが、周りが全員ブラジル人なんですね。それがとても面白くて、勉強になります。

ふじもん=ブラジル人の印象はどう?

かじくん=とても良いです!優しいですし、困っていたら必ず助けてくれます。大らかで、良い意味でルーズですね。来るもの拒まずみたいなところがあって、とても好きです!

ふじもん=確かにブラジル人は、バスとかでも困っていると必ず助けてくれるよね!でもかじくんは、こうして外に向けて一歩を踏み出したから、毎日貴重な経験を出来ているわけだよね。最近の日本の若者は内向きだとか言われるけど、それについてはどう思う?

かじくん=絶対に海外に出た方がいいですね。なんというか、器が広がるというか、たくましくなりますし、経験値が違いますよね。上手く言えないんですけど・・・。語学について言えば、間違いなく伸びますし、自分の発音した言葉で通じ合えるなんて、楽しいじゃないですか。それによって友達もできるし。

ふじもん=なるほど、器ね・・・。

かじくん=出たがらない人がよく、日本でもできるし、とか、海外は危ないから、とか言いますが、それは本当にもったいない。ただの言い訳だと思います。

ふじもん=かじくんいいね!熱いね!じゃあ最後に、なかなか外に目を向けたがらない日本の同世代に一言お願いします!

かじくん=何事に対しても、恥ずかしがらないでほしいなと思います。人にものを聞くとか、自分で航空券を取るとか、誰かに相談するとか、そんな小さなことでも恥ずかしがらずにやってほしい。恥ずかしい、だからやらない、それがマイナスになるなんて、絶対にもったいない。だからまず動け!って思います。

ふじもん=かじくんいいね!お疲れのところ色々ありがとう!じゃあこの後は・・・



ふじもん・かじくん=おつかれ!サウージ!(乾杯!)

2013年5月19日 サンパウロ鹿児島県人会 ドミトリールームにて

【第1章 南米編 対談「日本よ、もっと自らを評価せよ!」】

2013-05-11 16:46:58 | 自論
今日はサンパウロの東洋人街へ行ってきました。

サンパウロの目的は「人」です。それも日系の人に触れたいと思い、ここに足を運びました。

ブラジルへの移民が始まったのが1908年。それ以降の100年間で、13万人の日本人が移住したと言われています。今日は運よく、ワタナベシゲオさんというブラジル生まれの日系2世の方とお話しすることができました。もちろんアポなしの、突撃取材です!(笑)

ワタナベさんはご両親がブラジルに移住し、ブラジルで生まれ育ちました。日本での在住経験は全くないとのことですが、日本への愛情の強さをひしひしと感じました。それでは対談を始めたいと思います。


ふじもん=今日はよろしくお願い致します。

ワタナベ=こちらこそ。はるばるブラジルまでようこそいらっしゃいました。

ふじもん=ワタナベさんは、日本とブラジルを繋げる活動をされてきたとお聞きしましたが、どのようなことをされてきたのでしょうか?

ワタナベ=最近では2008年に日本移民100年祭の委員をしまして、多くの日本人との架け橋を担ってきました。これはサンパウロ大学で開かれたのですが、日伯友好シンポジウムも開催してます。そのときの様子をまとめて出版もしております。

ふじもん=なるほど。それ以前には、どのような活動をされてきたのですか?

ワタナベ=私は1979年に初めて日本に行ったのですが、実に進歩した国だなぁと感じたものです。特に科学技術の進歩は素晴らしく、私は驚嘆しました。そこで、この日本の技術をもっとブラジルのために役立てることはできないものかと考えたのです。
そこで、「日伯科学技術シンポジウム」を開催することにしました。これは東京大学とサンパウロ大学が共同して開催したもので、全6回開くことができました。

ふじもん=それは素晴らしいですね!それまではあまり、日本とブラジルの間では協力関係がなかったということなのでしょうか?

ワタナベ=そんなことはありませんよ。JICAでは多くの協力を得ていましたし。しかし、科学技術の面で言うと、しっかりとした協定がなかったのです。そこで、サンパウロ大学から日本の政府に打診をし、シンポジウムの開催に至ったのです。

ふじもん=政府への要請もあったのですね。では日本からもかなりの要人の参加もあったのではないでしょうか?

ワタナベ=日本からは30人ほどの要人の方々が参加して下さいました。

ふじもん=本当に素晴らしいですね!必ずや日本とブラジルの架け橋になっていることと思います。では2008年の移民100年祭の時は、どのような内容のシンポジウムだったのですか?

ワタナベ=一言で言えば、日本の移住の歴史を残すためです。日本の移民の歴史を知る人も、かなり少なくなってきました。様々な苦労を経て、私達日系人の祖先はこの地に移り住んできたのです。その歴史を後世に残すため、このシンポジウムを開きました。

ふじもん=日本では、ブラジルへの移住について、それほど詳しく教えられてはいません。同じ日本の血を引く人間として、私も学んでいきたいと思います。

ワタナベ=ぜひ、そうして下さい!

ふじもん=最後に1つ質問です。今日本は様々な面で問題を抱えており、日本という国で生きていくことに不安を抱えている国民が大勢います。日本と、そして特に日本の子ども達に、何かメッセージをお願いします。

ワタナベ=日本の進歩した科学技術は本当に素晴らしい。そして世界トップクラスの経済大国にまでのし上がってきた。資源もない日本という国が、ここまで成長できたことは本当に評価に値します。素晴らしいことです。ブラジルにはたくさんの資源もあるし、もっと発展できる要素がたくさんある。そのために、これからも日本の協力を得たいと思っています。
日本は素晴らしい国ですよ。戦後これだけの発展をしてきたのですから。どの国にだって問題や課題はあります。それは当然です。そんなに不安を抱えているのですか?日本人は、もっと自信を持っていいと思いますよ。

ふじもん=自信と元気が湧いてくる温かいメッセージ、本当にありがとうございます!今日はお忙しい中お時間を取っていただき、本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

ワタナベ=こちらこそ、ありがとうございました。


2013年5月18日 サンパウロ東洋人街・リベルダージ地区の本屋の片隅にて

【第1章 南米編 英語にゴーマンかまします】

2013-05-10 21:13:55 | 自論
まだ旅を初めて数日。国もブラジルのみ。ですが、とっても苦しんでいることがあります。

それが、言葉の壁。

いや、知ってました。ブラジルってホントに英語が通じないということは。
いや、ブラジルだけじゃなく、南米全体で英語はほとんど通じないんですよね。
それも知ってました。

でも思うんです。なんで英語が世界の共通語なの?
なんで英語なの?
なんでドイツ語でもなくイタリア語でもなく、英語なの?


僕、英語は好きではありません。なぜなら、英語は植民地語だと思うからです。

いや、誤解しないでいただきたいのは、英語そのものを否定しているのではありません。英語が世界中で共通語的に使用されるようになったきっかけは、英語圏の国々が世界中を支配したからに他ならないと思うからです。

帝国主義の時代に、ヨーロッパ列強は世界中を植民地にしていきました。遅れまいと日本もその流れにのったものの、その後の日本は周知の通り。結果的に、世界中を一番支配できたのは英語圏の国であり、第二次世界大戦後も英語を話す国が主導権を取りました。

南米に関して言えば、なぜブラジルはポルトガル語なのか?それは、ポルトガルが植民地支配をしたから。なぜその他の国々はスペイン語なのか?それは、スペインが植民地支配をしたから。

この状況は、アフリカだって同じ。ざっくり言えば西部はフランス語圏だし、東部は英語圏です。

繰り返しますが、英語のこともスペイン語のこともポルトガル語のことも、否定しているのではありません。

でもね、たまに思いますよ。もし日本が第二次世界大戦に勝っていたら、世界中の人がみーんな日本語しゃべってくれたのかなーって。そしたらすげぇ楽だなーって。これはちょっと危険発言ですけど。でも僕、子どもの頃から疑問に思っていたんです。


僕、思うんです。

こういう時代です。英語は大切ですよね。できないよりは、絶対にできた方がいい。

日本でも、もっと高度で実践的な英語教育を進めていくべきでしょう。それはそうだと思います。

でももっと大切なのは、その背景を知り、「なぜ英語なのか?」を理解した上で、学ぶことが重要だと思うんです。なーんの考えもなしに、「今の時代は英語くらいは・・・」とか「英語できたらカッコいいじゃん」って学ぶのは、何か1つ足りないと思うんです。

改めて、誤解しないで下さい。別に英語を否定しているのではありません。

でも、英語が世界に広がった背景は、決して平和的ではなかった。それを理解し、そしてまた日本という国も列強と争い植民地を広げていった歴史を理解し、そんな戦争があったことを理解し、なぜアジア諸国の老人の方々が比較的日本語が分かるのかも理解し、そういう世界史全体を俯瞰した上で、時代の趨勢で英語の必要性が大いにましてきたから、学ぶんだということ。

ただ「英語ができればよい」ではいけないと思う。全てにおいて言えることですが、「なぜそれを学ぶのか?」という「そもそも」を考えるべきだと思うんです。


若者よ。

世界に出よう。

英語なんか、共通語じゃねぇから。

全然通じねぇとこ、いっぱいあるから。

言葉そのものに、価値の差なんてない。

英語だって日本語だって、少数民族の中でしか使われていない言語だって、その尊さは変わらない。

旅って、そういうことも語りかけてくれる。

だから旅って面白い。

明日は東洋人街に行ってくるぜ。


2013年5月17日 サンパウロの安宿「鹿児島県人会館」にて

【第1章 南米編 リオのビーチで友達100人プロジェクト決行】

2013-05-10 19:33:39 | 自論
今日は普通にちょっと観光地に行ってみよう。ということで・・・

ベタですが、まずはコルゴバードの丘へ。混雑する前に行きたかったので、朝早く起きて地元の人たちが使っているバスに乗り、キリストさんの像の下へ。ああ綺麗だなぁと景色と青空を堪能するも、周囲の空気を全く読まずに大騒ぎしている某隣国の観光客に内心イライラ。

さて、次はビーチ!リオと言えば、やはりビーチ!ということで、あの有名なコパカバーナのビーチへレッツゴー!

と言っても、ただビーチに行くだけじゃつまらない。なーにかしたいよなーということで、どうせ行くならリオのビーチにいる人と友達になりまくってやろうと決意。そこで・・・


「第1回 リオのビーチで友達100人プロジェクト」を決行!

1、目的
 せっかくビーチに行くんだから、楽しいことやってやろうじゃないか!という思い付き。 

2、アクションプラン
 ①ビーチにいる人に声をかけまくって友達になり、写真を撮らせてもらう。
 ②友達なんだから、写真くらいOKじゃないとダメ。断られるようじゃ、それは友達ではない。
 ③絶対に100人達成する。出来るまで帰ってはダメ。

3、結果
 ①10人目くらいまでは何とか順調だったものの、女の子からはかなりいやーな目で見られ始め、かなり凹み出す。
 ②20人目くらいで警官(らしき人)に呼び止められる。そりゃそうだ、どうみても怪しい東洋人だからな。しかし上手く説明して、なんとかその場を乗り切る。
 ③30人目くらいで可愛い女の子に砂をかけられる。心が4分の3は折れる。
 ④40人目くらいで再び警官(らしき人)が。ちょっとやばいなと感じる。が、止める気なし。
 ⑤50人目に達するあたりで、なんと最初の警官が味方に!そのへんの人を集めてくれて、大型顧客を獲得する。
 ⑥あまりに女の子の反応が冷たいので、男道に走る。
 ⑦ラスト15人くらいで、完全に恐れを知らなくなる。
 ⑧開始から3時間弱、ついに100人達成!おめでとう!
 ⑨ビーチで有名になり、あちこちから「ジャポネ!ジャポネ!」と声をかけられるようになった。

4、戦利品
 ①水とコーラ1本ずつ。
 ②たぶん一生忘れられない思い出。

5、教訓
 くだらないことこそやってみるもんだ!!!