1日夜から2日にかけて、金沢に行ってきました。
新しい教育事業を立ち上げている某IT企業の代表との打ち合わせのためにお伺いしたのですが、
このような機会の度に思うことがあります。
それは、「改革意識の差」。
多くの方が、本当に日本の教育の現状を憂いています。
色々なワークショップ等に参加する度、そのようなご意見を頂戴します。
もちろん日本の学校には良いところもたくさんあります。
現場にいて、私は何度も感じました。
しかし、変えなければならないことも多くあることもまた事実です。
そこで問題となるのが、中と外の温度差です。
直接的に教育(ここでは主に現場に直接関わる立場)に携わっていない人ほど、
危機感を感じているような気がします。
それに対して、現場の教員はそれほど日本の教育に対して憂いていない。
なぜそうなってしまうのか?
これは折り合いが本当に難しい点だと思うのですが、
原因の1つに「身分の保証」があるのではないでしょうか。
公立学校の先生は公務員ですので、何か大きな問題がない限りは身分が保証されます。
教育の安定化のためには必要なことでしょう。
しかし、その「安定」が、改革意識を失わせる1つの要素のような気がします。
「おかしいな、これでいいのかな、とは思う。
しかし、波風を起こしたところで、給料が変わるわけでもない。
むしろうざがられるだろう。
おかしいなぁとは思うけど、問題を起こさなければクビにはならない。
じゃあこのままでいいのかな、面倒くさいし。」
となってしまうのではないでしょうか。
教員を「どんどんクビにしろ」などと言っているのではありません。
しかし、「安定」故の歪みはあるのではないでしょうか。
以前のブログにも書かせていただきましたが、
「無能力教員」は確実に存在します。
公教育の「先生」の在り方を考え直す必要はあるのではないでしょうか。
すべては子ども達のために
ふじもん
新しい教育事業を立ち上げている某IT企業の代表との打ち合わせのためにお伺いしたのですが、
このような機会の度に思うことがあります。
それは、「改革意識の差」。
多くの方が、本当に日本の教育の現状を憂いています。
色々なワークショップ等に参加する度、そのようなご意見を頂戴します。
もちろん日本の学校には良いところもたくさんあります。
現場にいて、私は何度も感じました。
しかし、変えなければならないことも多くあることもまた事実です。
そこで問題となるのが、中と外の温度差です。
直接的に教育(ここでは主に現場に直接関わる立場)に携わっていない人ほど、
危機感を感じているような気がします。
それに対して、現場の教員はそれほど日本の教育に対して憂いていない。
なぜそうなってしまうのか?
これは折り合いが本当に難しい点だと思うのですが、
原因の1つに「身分の保証」があるのではないでしょうか。
公立学校の先生は公務員ですので、何か大きな問題がない限りは身分が保証されます。
教育の安定化のためには必要なことでしょう。
しかし、その「安定」が、改革意識を失わせる1つの要素のような気がします。
「おかしいな、これでいいのかな、とは思う。
しかし、波風を起こしたところで、給料が変わるわけでもない。
むしろうざがられるだろう。
おかしいなぁとは思うけど、問題を起こさなければクビにはならない。
じゃあこのままでいいのかな、面倒くさいし。」
となってしまうのではないでしょうか。
教員を「どんどんクビにしろ」などと言っているのではありません。
しかし、「安定」故の歪みはあるのではないでしょうか。
以前のブログにも書かせていただきましたが、
「無能力教員」は確実に存在します。
公教育の「先生」の在り方を考え直す必要はあるのではないでしょうか。
すべては子ども達のために
ふじもん