2013年11月29日。
《正義って何だろう。正しい行いって何だろう。このエジプトという国にいると、そんな思いに否が応でも駆り立てられる。》
エジプトの電車の中。
現地のエジプト人が一般的に使用している電車は、なかなかに汚い。さながらインドのようだ。
この車両に乗っていると、自らの「正義」を試される場面に多々遭遇する。
頭の上にお菓子を入れた箱を乗せた小さな子どもが、引っ切り無しにお菓子を売りにやって来る。
外国人である僕を見ると、彼らは必ず足を止めてこちらをじっと見ている。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
僕は、こういう場面であっても必要のないものは、絶対に買わないようにしている。
ここでものを買ったところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。
しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
歩くことさえままならない老人が、バクシーシ(低・中所得者層が富裕層に要求する金品のこと)求めて電車の通路を引っ切り無しに歩いてくる。
この日僕が見た老人は、どうやら目が見えないようだった。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
僕はこういう状況であっても、絶対にお金をあげないようにしている。
ここでバクシーシを与えたところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。
しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
ちょっと買い物をしたり食事をしようとしてお店に立ち寄る。
僕は当然値段を聞くわけだが、彼らは時にとんでもない値段をふっかけてくる。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
そういう時には、当たり前だが僕は値下げ交渉をする。
喧嘩とまではいかないが、けっこうやり合う時もある。
いくら僕が外国人であっても、「観光客価格」とか言われて現地人の価格よりも以上に高い支払いをする必要はないと思っているからだ。
しかし、僕は悩む。「日本円にしたら本当に微々たるもの。別にここで○○ポンド多く払ったっていいんじゃないか。その○○ポンドで、現地の人の助けになるのならば・・・。」と。
でもやっぱり納得がいかないので、僕はガッツリ交渉をする。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
街を歩いていると頼んでもいないのに紅茶を出してきたり、観光地では頼んでもいないのに勝手にガイドを始める人が必ずいる。
彼らは「フリー、フリー!」だと言ってくる。だから僕は、遠慮なく紅茶を頂戴してしまうことも多々ある。
どんなに断っても勝手にガイドを始めてしまう人もいるんで、放っといて説明を聞いてしまう。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
フリーだというからいただいた紅茶なのに、「飲んだんだから2ポンド寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。
断っても勝手に始めた説明なのに、「説明したんだからバクシーシを寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。
僕は「フリー」と事前に確認したものに関しては、たとえその紅茶をいただいてしまったとしても、絶対にお金を払わない。だって「フリー」って言ったんだから。
断っても勝手に始めたものに、お金を支払う筋合いはない。だから、たとえ1ポンドであっても、僕は絶対支払わない。たとえその説明をしっかり聞いてしまったとしてもだ。
しかし、僕は悩む。「でも紅茶は飲んじゃったし、払わないとまずいかな・・・。」とか、「しっかり説明も聞いてしまったし、ちょっとくらいお金を渡した方がいいのかな・・・。」とか考える。
でもやっぱり支払う必要はないと思うので、僕は絶対に払わない。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
※ちなみに街中での紅茶などは、仲良くなると本当にご馳走してくれることはよくあります。厄介な人もいますが、それ以上に優しくて温かいエジプト人も本当にたくさんいます。
ちなみにこの写真は、僕がどんなに断っても「いいから撮ってやる」と言ってくるので、撮ってもらった写真です。案の定、「撮ったんだからバクシーシ寄越せ」となりました。
小さな話だけど、人間として日本人として、どのように振る舞うべきなのだろう。僕は日々考えさせられる。
やっぱり僕は日本人だから、彼らから見れば「お金持ち」に他ならないのだ。それはよく分かる。
しかし、でも、いや、だからこそ・・・?何をすることが「正義」なのだろう。
あ~あ、分かんねぇなぁちっくしょう。
今日も悩んでお終いだな・・・(笑)。
2013年11月29日。若い従業員の愛想が悪くてちょっとイライラする、アスワンの安宿にて。
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《正義って何だろう。正しい行いって何だろう。このエジプトという国にいると、そんな思いに否が応でも駆り立てられる。》
エジプトの電車の中。
現地のエジプト人が一般的に使用している電車は、なかなかに汚い。さながらインドのようだ。
この車両に乗っていると、自らの「正義」を試される場面に多々遭遇する。
頭の上にお菓子を入れた箱を乗せた小さな子どもが、引っ切り無しにお菓子を売りにやって来る。
外国人である僕を見ると、彼らは必ず足を止めてこちらをじっと見ている。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
僕は、こういう場面であっても必要のないものは、絶対に買わないようにしている。
ここでものを買ったところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。
しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
歩くことさえままならない老人が、バクシーシ(低・中所得者層が富裕層に要求する金品のこと)求めて電車の通路を引っ切り無しに歩いてくる。
この日僕が見た老人は、どうやら目が見えないようだった。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
僕はこういう状況であっても、絶対にお金をあげないようにしている。
ここでバクシーシを与えたところで、本質的な問題の解決には何ら繋がらないと考えているからだ。
しかし、僕は悩む。「早く立ち去ってくれ」と、いつも心の中で思いながら無視を続ける。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
ちょっと買い物をしたり食事をしようとしてお店に立ち寄る。
僕は当然値段を聞くわけだが、彼らは時にとんでもない値段をふっかけてくる。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
そういう時には、当たり前だが僕は値下げ交渉をする。
喧嘩とまではいかないが、けっこうやり合う時もある。
いくら僕が外国人であっても、「観光客価格」とか言われて現地人の価格よりも以上に高い支払いをする必要はないと思っているからだ。
しかし、僕は悩む。「日本円にしたら本当に微々たるもの。別にここで○○ポンド多く払ったっていいんじゃないか。その○○ポンドで、現地の人の助けになるのならば・・・。」と。
でもやっぱり納得がいかないので、僕はガッツリ交渉をする。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
街を歩いていると頼んでもいないのに紅茶を出してきたり、観光地では頼んでもいないのに勝手にガイドを始める人が必ずいる。
彼らは「フリー、フリー!」だと言ってくる。だから僕は、遠慮なく紅茶を頂戴してしまうことも多々ある。
どんなに断っても勝手にガイドを始めてしまう人もいるんで、放っといて説明を聞いてしまう。
僕はここで、自らの「正義」を試される。
フリーだというからいただいた紅茶なのに、「飲んだんだから2ポンド寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。
断っても勝手に始めた説明なのに、「説明したんだからバクシーシを寄越せ」と言ってくる輩も必ずいる。
僕は「フリー」と事前に確認したものに関しては、たとえその紅茶をいただいてしまったとしても、絶対にお金を払わない。だって「フリー」って言ったんだから。
断っても勝手に始めたものに、お金を支払う筋合いはない。だから、たとえ1ポンドであっても、僕は絶対支払わない。たとえその説明をしっかり聞いてしまったとしてもだ。
しかし、僕は悩む。「でも紅茶は飲んじゃったし、払わないとまずいかな・・・。」とか、「しっかり説明も聞いてしまったし、ちょっとくらいお金を渡した方がいいのかな・・・。」とか考える。
でもやっぱり支払う必要はないと思うので、僕は絶対に払わない。
僕のこの行動は、「正義」なのでしょうか?
※ちなみに街中での紅茶などは、仲良くなると本当にご馳走してくれることはよくあります。厄介な人もいますが、それ以上に優しくて温かいエジプト人も本当にたくさんいます。
ちなみにこの写真は、僕がどんなに断っても「いいから撮ってやる」と言ってくるので、撮ってもらった写真です。案の定、「撮ったんだからバクシーシ寄越せ」となりました。
小さな話だけど、人間として日本人として、どのように振る舞うべきなのだろう。僕は日々考えさせられる。
やっぱり僕は日本人だから、彼らから見れば「お金持ち」に他ならないのだ。それはよく分かる。
しかし、でも、いや、だからこそ・・・?何をすることが「正義」なのだろう。
あ~あ、分かんねぇなぁちっくしょう。
今日も悩んでお終いだな・・・(笑)。
2013年11月29日。若い従業員の愛想が悪くてちょっとイライラする、アスワンの安宿にて。
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