2013年7月25日。
全ての国に行くことはできなかったが、南米大陸を南から北に縦断してきた僕は、多くの日本人あるいは日系人の方々にお会いさせていただいた。その中には、日本を飛び出して遥かなる南米の地で国際協力に尽力する方々も少なくなかったのだが、残念ながら正直に申し上げて、あまり良い評判を耳にしなかった。
僕は以前のブログの中で、白人の心理に残っていると推測される差別意識について述べさせていただいたが、それと同じようなことが、僕たち日本人にもあると僕は思うのだ。もちろん国際協力のボランティアに携わる方々全てを否定したり批判したりするわけではない。しかし、そのような意識が1つの原因となって、日本の国際協力ボランティアの不評に繋がっているのではないかと僕は考えている。
僕がここまで歩いてきたこの南米という大陸の現地で、そしてここに根を張る方々から実際にお聞きした貴重な話である。ぜひここで日本の皆様にもシェアしたいと思い、今回のブログを書こうと思った。
ここで僕が述べたいのは、例えば政府やNGO等の国際協力の団体の問題ではなく、そこで活動する個人レベルの問題である。言うなれば「日本人として」考えなければならない問題も多分に含まれているのではないかと、僕は考えている。以下に、色々な関係者からお聞きした内容を、僕なりにまとめてみた。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由①
「相手のことを考えていない」
非常に押し付けがましいという話を耳にした。相手のことを考え、相手の状況もよく見、共に歩みながら…というのではなく、自分たちの「やること」を、ただ押し付けてしまうだけの人も少なくないらしい。
例えば、パラグアイやボリビアなどにはたくさんの日本人移住者が住んでいるが、一般的に発展途上国と言われているこれらの国々には、国際協力のボランティアが多く入っている。そして、現地移住者の方々に対しても協力の対象であり、新しい農業技術や知識、現地での教育活動について、助言や援助、協力をしている。
だがそれは、往々にして「押し付け」になってしまうことも多いらしい。特に日本人移住者の方々というのは、何もない原生林を一から切り拓き、50年以上かけて1つ1つ作り上げてこられた人たちなのだ。そこには、日本で生まれ育った人たちには想像もつかないような苦労の中で培われてきた技術や、経験に基づくノウハウがある。
しかし、それを無視して日本から持ってきた技術や知識を「押し付けて」しまう。現地の方々からすれば、「何を突然やって来て、偉そうに。あんたらの言うことは正しいところもあるのかもしれないけど、こっちは50年以上かけて1つ1つ積み上げてきたんだよ。偉そうに言ってんじゃねぇ!」という気持ちにもなるだろう。当然の話だ。
そして日本人移住者に対してではなく、現地の方々に対する援助に対しては、現地で実際にボランティアをされている方からこんなお話をいただいた。
「こっちの人はね、良くなろう、上昇しようという気がないんです。今のままでいいと思っているんですよね。だからなかなか伝わらない。困ったもんですよ。」
僕はすごく違和感を感じた。上昇しようという気がない?そんなこと簡単に言ってしまっていいものか?ここではここの生活が何十年何百年と続いてきたのだから、日本の感覚と違って当然じゃないか。それを、上昇しようという気がないという一言で片付けるのは…あまりにも無責任じゃないかと、僕は思ってしまった。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由②
「こっちは遅れている、という前提となる意識」
この意識が、今の日本人にも少なからずあるのではないだろうか。そしてそれが、国際協力ボランティアに歪みを生んでしまう一要因だと僕は考える。
国際協力ボランティアは、「進んでいる」国が「遅れている」国を援助するものである。しかしこの「進んでいる」とか「遅れている」というのは、何を以て定義付けできるものなのか。
確かに日本は経済的には「進んでいる」国なのだろう。技術やノウハウも持っている国なのだろう。しかしだからといって、僕たち日本人は「進んでいる」人間なのだろうか。発展途上国と言われている国に住む人たちは、「遅れている」人間なのだろうか。
僕たち日本人の中には、少なからずこの「大いなる勘違い」が存在していると思う。ついつい発展途上国と言われている国々を「下に」見てしまう意識や、同時にそこに住む人たちをも「下に」見てしまうという勘違いが…。
「ここの人たちは遅れている人たちなんだから、進んでいる私たちが助けてあげなくちゃ」というような、「上から目線」意識があるのではないだろうか。実際そのように現地の方々に接し、悪評を得てしまっていたボランティアの方もいたという話も聞いた。
ある学校に派遣されてきた先生の話だ。その人は日本では優秀な先生で、自分が知っている教育に対する知識やノウハウを伝えようと一生懸命ではあったらしい。しかしそれは、①と②を足したような話なのだが、「遅れている」という意識からの「押し付け」の国際ボランティアだったようなのだ。現地の習慣や歴史や伝統なども考えず、ただ押し付けていく。本人の中では「こんなに素晴らしいものを持ってきているのに、なぜ受け入れてくれないんだ」と悩む。正義感からなのかもしれないが、それでは援助にならない。結果こ先生は、わずか数ヵ月で任期を全うすることなく帰国してしまったという。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由③
これは踏み込んだ話になるが、そもそも国際協力ボランティアに参加する人の人間的レベルが低いというのだ。これは、南米各地に在住する日本人の方々から何度もお聞きした。
もちろん高い意識で素晴らしい活動をされている方もたくさんおられることは十分に承知している。僕にこのような話をしてくれた日本人の方々も、十分に承知されているはずだ。しかしそれでもこのような話をよく耳にするというのは、残念ながらあまり良くない人材が多いのであろうと想像できてしまう。
ボリビアに住むある日本人の方は、少し憤って僕に話してくれた。
「頭に来たことが何度もありますよ。こいつら何しに来てるんだって。たぶん長期旅行の延長なんでしょうね。ボランティアも休みの申請が通れば、あっちこっち旅行もできるし。ちょっと変わった経験をしてみようくらいの気持ちなんでしょうね。」
ある日本語学校の校長先生は、こうも話していた。
「もうちょっと採用基準を厳しくしてほしい。せっかく来てもらっても使い物にならない、挙げ句の果てにはすぐ帰国…なんてことじゃ話にならない。」
実は僕も、某国際協力ボランティアの機関に参加しようか、とても迷っているときがあった。しかしそれに参加せず、今こうしてフリーな立場で世界を回れているが故に、様々な国際協力に対してのフラットな意見が聞けているのだと思う。そのことについては、僕にとっては本当に大きなことだ。
国際的に協力したいとか、ボランティア活動に参加したいという意識そのものは正しいはずだ。しかしその気持ちだけでは、あるいは知識や技術だけでは、上手くいかないということを、南米は僕にとてもよく教えてくれた。
組織・団体レベルの問題も多く存在するであろう。しかし個人としての改善点も多くあるのだ。組織のせいにする前に、まずは直せる個人の話に目を向けるべきだと思った。
どこの国に行っても、日本人の評判は悪くない。むしろ「良い」と言ってしまってもいいのかもしれない。せっかくこのような土壌も築かれているのだから、国際協力という分野でも、「素晴らしい日本」を展開していきたいと、僕だけでなく誰もが思うことだろう。
僕はまだこれからもたくさんの「発展途上国」に足を運ぶ。まずは僕自身の人間力をしっかり上げていかなくては。そして本当の意味で貢献できる「日本人」に、僕はなる。
2013年7月25日。マルガリータ島の中心市街・ポルラマールで、苦労してようやく見つけた安宿にて。
全ての国に行くことはできなかったが、南米大陸を南から北に縦断してきた僕は、多くの日本人あるいは日系人の方々にお会いさせていただいた。その中には、日本を飛び出して遥かなる南米の地で国際協力に尽力する方々も少なくなかったのだが、残念ながら正直に申し上げて、あまり良い評判を耳にしなかった。
僕は以前のブログの中で、白人の心理に残っていると推測される差別意識について述べさせていただいたが、それと同じようなことが、僕たち日本人にもあると僕は思うのだ。もちろん国際協力のボランティアに携わる方々全てを否定したり批判したりするわけではない。しかし、そのような意識が1つの原因となって、日本の国際協力ボランティアの不評に繋がっているのではないかと僕は考えている。
僕がここまで歩いてきたこの南米という大陸の現地で、そしてここに根を張る方々から実際にお聞きした貴重な話である。ぜひここで日本の皆様にもシェアしたいと思い、今回のブログを書こうと思った。
ここで僕が述べたいのは、例えば政府やNGO等の国際協力の団体の問題ではなく、そこで活動する個人レベルの問題である。言うなれば「日本人として」考えなければならない問題も多分に含まれているのではないかと、僕は考えている。以下に、色々な関係者からお聞きした内容を、僕なりにまとめてみた。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由①
「相手のことを考えていない」
非常に押し付けがましいという話を耳にした。相手のことを考え、相手の状況もよく見、共に歩みながら…というのではなく、自分たちの「やること」を、ただ押し付けてしまうだけの人も少なくないらしい。
例えば、パラグアイやボリビアなどにはたくさんの日本人移住者が住んでいるが、一般的に発展途上国と言われているこれらの国々には、国際協力のボランティアが多く入っている。そして、現地移住者の方々に対しても協力の対象であり、新しい農業技術や知識、現地での教育活動について、助言や援助、協力をしている。
だがそれは、往々にして「押し付け」になってしまうことも多いらしい。特に日本人移住者の方々というのは、何もない原生林を一から切り拓き、50年以上かけて1つ1つ作り上げてこられた人たちなのだ。そこには、日本で生まれ育った人たちには想像もつかないような苦労の中で培われてきた技術や、経験に基づくノウハウがある。
しかし、それを無視して日本から持ってきた技術や知識を「押し付けて」しまう。現地の方々からすれば、「何を突然やって来て、偉そうに。あんたらの言うことは正しいところもあるのかもしれないけど、こっちは50年以上かけて1つ1つ積み上げてきたんだよ。偉そうに言ってんじゃねぇ!」という気持ちにもなるだろう。当然の話だ。
そして日本人移住者に対してではなく、現地の方々に対する援助に対しては、現地で実際にボランティアをされている方からこんなお話をいただいた。
「こっちの人はね、良くなろう、上昇しようという気がないんです。今のままでいいと思っているんですよね。だからなかなか伝わらない。困ったもんですよ。」
僕はすごく違和感を感じた。上昇しようという気がない?そんなこと簡単に言ってしまっていいものか?ここではここの生活が何十年何百年と続いてきたのだから、日本の感覚と違って当然じゃないか。それを、上昇しようという気がないという一言で片付けるのは…あまりにも無責任じゃないかと、僕は思ってしまった。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由②
「こっちは遅れている、という前提となる意識」
この意識が、今の日本人にも少なからずあるのではないだろうか。そしてそれが、国際協力ボランティアに歪みを生んでしまう一要因だと僕は考える。
国際協力ボランティアは、「進んでいる」国が「遅れている」国を援助するものである。しかしこの「進んでいる」とか「遅れている」というのは、何を以て定義付けできるものなのか。
確かに日本は経済的には「進んでいる」国なのだろう。技術やノウハウも持っている国なのだろう。しかしだからといって、僕たち日本人は「進んでいる」人間なのだろうか。発展途上国と言われている国に住む人たちは、「遅れている」人間なのだろうか。
僕たち日本人の中には、少なからずこの「大いなる勘違い」が存在していると思う。ついつい発展途上国と言われている国々を「下に」見てしまう意識や、同時にそこに住む人たちをも「下に」見てしまうという勘違いが…。
「ここの人たちは遅れている人たちなんだから、進んでいる私たちが助けてあげなくちゃ」というような、「上から目線」意識があるのではないだろうか。実際そのように現地の方々に接し、悪評を得てしまっていたボランティアの方もいたという話も聞いた。
ある学校に派遣されてきた先生の話だ。その人は日本では優秀な先生で、自分が知っている教育に対する知識やノウハウを伝えようと一生懸命ではあったらしい。しかしそれは、①と②を足したような話なのだが、「遅れている」という意識からの「押し付け」の国際ボランティアだったようなのだ。現地の習慣や歴史や伝統なども考えず、ただ押し付けていく。本人の中では「こんなに素晴らしいものを持ってきているのに、なぜ受け入れてくれないんだ」と悩む。正義感からなのかもしれないが、それでは援助にならない。結果こ先生は、わずか数ヵ月で任期を全うすることなく帰国してしまったという。
国際協力ボランティアの評判が良くない理由③
これは踏み込んだ話になるが、そもそも国際協力ボランティアに参加する人の人間的レベルが低いというのだ。これは、南米各地に在住する日本人の方々から何度もお聞きした。
もちろん高い意識で素晴らしい活動をされている方もたくさんおられることは十分に承知している。僕にこのような話をしてくれた日本人の方々も、十分に承知されているはずだ。しかしそれでもこのような話をよく耳にするというのは、残念ながらあまり良くない人材が多いのであろうと想像できてしまう。
ボリビアに住むある日本人の方は、少し憤って僕に話してくれた。
「頭に来たことが何度もありますよ。こいつら何しに来てるんだって。たぶん長期旅行の延長なんでしょうね。ボランティアも休みの申請が通れば、あっちこっち旅行もできるし。ちょっと変わった経験をしてみようくらいの気持ちなんでしょうね。」
ある日本語学校の校長先生は、こうも話していた。
「もうちょっと採用基準を厳しくしてほしい。せっかく来てもらっても使い物にならない、挙げ句の果てにはすぐ帰国…なんてことじゃ話にならない。」
実は僕も、某国際協力ボランティアの機関に参加しようか、とても迷っているときがあった。しかしそれに参加せず、今こうしてフリーな立場で世界を回れているが故に、様々な国際協力に対してのフラットな意見が聞けているのだと思う。そのことについては、僕にとっては本当に大きなことだ。
国際的に協力したいとか、ボランティア活動に参加したいという意識そのものは正しいはずだ。しかしその気持ちだけでは、あるいは知識や技術だけでは、上手くいかないということを、南米は僕にとてもよく教えてくれた。
組織・団体レベルの問題も多く存在するであろう。しかし個人としての改善点も多くあるのだ。組織のせいにする前に、まずは直せる個人の話に目を向けるべきだと思った。
どこの国に行っても、日本人の評判は悪くない。むしろ「良い」と言ってしまってもいいのかもしれない。せっかくこのような土壌も築かれているのだから、国際協力という分野でも、「素晴らしい日本」を展開していきたいと、僕だけでなく誰もが思うことだろう。
僕はまだこれからもたくさんの「発展途上国」に足を運ぶ。まずは僕自身の人間力をしっかり上げていかなくては。そして本当の意味で貢献できる「日本人」に、僕はなる。
2013年7月25日。マルガリータ島の中心市街・ポルラマールで、苦労してようやく見つけた安宿にて。
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