世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

~日本の教育を改革しようvol,3~

2013-04-10 01:53:51 | 日記
さてさて、ずーっと教育シリーズを書いてきましたが、
気が付けば私は、学校の先生ではなくなっていました・・・笑)

しかし、だからこそより感じることや、
より声を大にして言いたいこともあります。

今回のテーマは、ずばり「体験」です。

学校で授業をしていて、学校と教室という「壁」を
ずっと感じてきました。

人間というものは、自ら体験し経験してこそ心に落ち、
本当の学びとなるのではないかと私は思います。

そして、自らの力ではどうにもならない崇高なものに触れたときや、
自らの常識を圧倒するような事象に出会ったとき。

それは本当に心を揺り動かし、その人を形作ります。

私自身、そのような経験から自らの価値観が形成されてきたと
強く感じています。

もっともっと子ども達に「感じてほしい」。
もっともっと子ども達に「その空気を吸ってほしい」。

理屈や知識では説明しきれない、
そういう「体験」の場をもっと作ってあげる必要があると思います。

もちろんそのようなことは文科省も言っているのですが、
現在の学校の状況では、それはなかなかに難しい。

それは先生方が手を抜いているのではなく(中にはそういう人もいますが)
物理的に不可能です。
以前から述べているように、やらなくてはならないことが多すぎて・・・。

より体験的な場を作る。
現在の学校制度のままでは困難な面も多いですが、
あらゆる意味で、体験の場を増やしていくべきでしょう。

それは課外活動的なものだけではなく、
授業の中に取り入れていくことも大切だと思います。

小さなことでも「やってみる」「感じてみる」ことこそ、
学びの原点になるはずです。

写真は私の相棒「まつもん」ですが、
例えばこのように火を起こす経験でさえ、貴重なはずです。

先生方だけでは難しいのなら、地域や企業がもっと参画できるような
学校と外部の関係を作りたいですね。

しかし、そのようなことはずーっと言われているのに・・・
なかなかできない。

何とかして、学校の「壁」を崩したい。
それが必ず、より良い教育に繋がっていくはずです!

これから仕掛けていきましょう!


すべては子ども達のために

ふじもん


~日本の教育を改革しよう!vol、2~

2013-04-05 13:45:31 | 日記
前回のブログで、現場にいる教員の意識の問題点を触れました。

組織の中から動きが出にくいというのは、日本的な特質なのかもしれませんよね。
それは教員の世界に限ったことではないと思います。

それならば、何が必要か?

ある知人は、こんな表現をしていました。

「日本の教育界には、黒船が必要だ」と。

つまり、「外圧」ですよね。

外からモデルを示すことによって、
成功事例や素晴らしい実践を示すことによって、
日本の教育全体に影響を与える。

私もそう思います。

だから私も、ひとまずこの現場から離れました。

多くの方々が日本の教育を憂い、行動を起こしています。

そのムーブメントは必ず教育界全体を動かす、大きな波となるはずです。

お金にならない話かもしれません。
地味で表には取り上げられない話かもしれません。

しかし、人間を「善く育む」ことなくして、
その国の「善い未来」はないでしょう。

地味で結構。しかし私も、日本の教育界に一石を投じられる、
そんな存在になりたいです。

教育を変えようと考えておられる全ての方々と共に、
私も進みます、押忍!


すべては子ども達のために

ふじもん

~日本の教育を改革しよう!vol,1~

2013-04-03 09:04:31 | 日記
1日夜から2日にかけて、金沢に行ってきました。

新しい教育事業を立ち上げている某IT企業の代表との打ち合わせのためにお伺いしたのですが、
このような機会の度に思うことがあります。

それは、「改革意識の差」。

多くの方が、本当に日本の教育の現状を憂いています。
色々なワークショップ等に参加する度、そのようなご意見を頂戴します。

もちろん日本の学校には良いところもたくさんあります。
現場にいて、私は何度も感じました。

しかし、変えなければならないことも多くあることもまた事実です。

そこで問題となるのが、中と外の温度差です。

直接的に教育(ここでは主に現場に直接関わる立場)に携わっていない人ほど、
危機感を感じているような気がします。

それに対して、現場の教員はそれほど日本の教育に対して憂いていない。

なぜそうなってしまうのか?

これは折り合いが本当に難しい点だと思うのですが、
原因の1つに「身分の保証」があるのではないでしょうか。

公立学校の先生は公務員ですので、何か大きな問題がない限りは身分が保証されます。
教育の安定化のためには必要なことでしょう。

しかし、その「安定」が、改革意識を失わせる1つの要素のような気がします。

「おかしいな、これでいいのかな、とは思う。
しかし、波風を起こしたところで、給料が変わるわけでもない。
むしろうざがられるだろう。
おかしいなぁとは思うけど、問題を起こさなければクビにはならない。
じゃあこのままでいいのかな、面倒くさいし。」

となってしまうのではないでしょうか。

教員を「どんどんクビにしろ」などと言っているのではありません。
しかし、「安定」故の歪みはあるのではないでしょうか。

以前のブログにも書かせていただきましたが、
「無能力教員」は確実に存在します。

公教育の「先生」の在り方を考え直す必要はあるのではないでしょうか。


すべては子ども達のために

ふじもん