手紙が届いた。
そういえば、書いたかなぁ程度のものでそんなに懐かしくもなかったけど、、。
高校1年の15歳の私のつたない文字の手紙を手に取ると、ちょいと変な気分になりました。
まぁ、いまも恥ずかしい文字しか書けない情けないですが。とほほ。
当時の自分がいまの自分を思って書いてるらしい文章なもんだから、そりゃ不思議な気分です。
けど、ちょっと驚いたのはその内容で、ぺらっとほんのちょっとしか書いてない簡単な手紙なんだけど。
まずはじめに「生きてますか?」ときた。
この時点でぷっと笑ってしまった。
そして、「絶対この日のことは覚えておこう、とどんなに強く想っても、やはり過ぎていく時間はその日を消していく。
けど、覚えていたいって想った風のことだけは忘れるなよ。」
とか、なんかそんなことをぺろりと書いていた。
当時そんなこと考えていたんかなと、これまた変な気分。
けど、ちょっとぷっと笑って昔の自分に元気もらった、、、。気がする。
変なもんだなぁ。
当時もいまも’’いま’’が最上級の自分の姿だと思っているけれど、案外昔の自分ってもう自分のようで自分じゃないような気がしてくる。
だから、未来の自分からしたら、また’’いま’’のこの現在の自分のことももう自分のようで’’昔の自分’’としかとれないかもしれない。
こういう感覚が他の人にあるかは知らないけど、私はなぜかそう感じるのだな。
この感覚はさみしいことであるわけでもなくって、どっちかというと当たり前の感じとしてある。
別に昔の自分は忘れた、いまの自分だけが大切なのだと言っているわけでもなくって。
なんだろうねぇ。
わかんないんだよねぇ、当時の自分がどう思っていたかとかどう感じていたかとか、なにを考えていたかとか。
覚えてないんだよね。
おおよその感じでは言えるけど、それも所詮いまの自分が感じるおおよそのところであって、ね。
過去も現在も未来も関係なく、私というやつはずっと’’いま’’を生きてきただけなのに、こうも離れるかなぁと。
もうある種別人のように感じるよ。
別に周りからしたら、いまも昔も相変わらずの風ちゃんで居続けてるんだろうけど、そうじゃなきゃ困るけども。
本人としたらね、なんだか毎日のこの一瞬を自分として暮らしていると、確固たる自分てのがあるようでないようで、またようわからんものとしてある。
まぁ、手紙はおもしろかった。ちょっと’’時’’っていうのを改めて感じさせられた。